星岳雄
カリフォルニア大学サンディエゴ校国際関係・環太平洋研究大学院教授
アニル・K・カシャップ
アニル・K・カシャップ シカゴ大学ブース・ビジネススクール教授

概要

 日本経済の長期停滞の原因やバブル崩壊後とられてきた政策対応の評価等についてはこれまでにも多くの議論がなされてきているが、 日本は依然として持続的な経済成長を実現するための明確な道筋を見い出せずにいる。このため、総合研究開発機構(NIRA)は、 これらの問題を海外の視点から再検討を行うことを目的として「日本の潜在成長力プロジェクト」を立ち上げ、 カリフォルニア大学サンディエゴ校国際関係・環太平洋研究大学院の星岳雄教授ならびにシカゴ大学ブースビジネススクールのアニル・K・ カシャップ教授に対して調査研究を委託した。
 その成果である本報告書は、日本経済の長期停滞の原因を解明し、経済成長を回復するために有効と思われる政策を提示するため、 ①1970年代以降に出現した様々な課題に対する適応の失敗、②バブル崩壊後の1990年代における政策の失敗、 ③構造改革を推進した小泉内閣の主要政策について評価を行うとともに、これにより明らかとなった教訓を踏まえて現政権が推進する 「新成長戦略」の検証を行い、日本が経済成長を回復するための政策転換のあり方について提言を行った。

INDEX

エグゼクティブサマリー

 日本経済はもう20年近くも停滞している。このレポートの目的は、この停滞の原因を解明し、経済成長を回復するために有効だと思われる政策を提示することにある。もちろん現在の不況は世界的な金融危機によるところが大きいが、ここではこの不況から脱するための短期的な政策を論じるのではなく、意図的に長期的な視野に立って議論する。

 議論の出発点として、新古典派的な経済成長のモデルを使って、戦後日本経済の成長を展望する。簡単なモデルであるが、日本経済の高度成長とその後の減速をうまく説明することができる。1970年代以前の日本経済は、非常に高い成長率を示した。いわゆる高度成長の時代である。しかし、1970年代に入ると、高度成長を支えた諸要因がおおきく変化してきた。第1に、日本が経済的にアメリカなどの先進国に追いつくようになってきた。これは、先進国の技術を模倣あるいは輸入することによって成長する追い付き型の経済成長がもはや不可能になったことを意味した。追い付き型の成長期には有効に機能した制度や慣行が、成熟した経済ではそれほどうまく働かないようになってしまった。

 高度経済成長を支えた要因の1つは、固定相場制とその中で比較的安めに設定された円の為替レートであった。これが日本の輸出指向型成長を可能にした。1970年代に始まった金融のグローバル化と変動相場制への移行は、輸出指向型成長の持続を困難にした。これが日本経済が直面した第2の課題であった。日本経済は、輸出依存度を減らして、グローバルな経済に適した生産構造と経済制度を構築する必要に迫られた。

 第3に高齢化の問題があった。日本の高齢化は他の先進国のどこよりも速く進んだ。経済成長の観点からすると、高齢化は労働投入量の成長率を鈍化させ、経済成長率を低下させる。また、高齢化と出生率の減少は、最終的には高度成長を支えた高貯蓄率を減少させることにもなった。

 追付き型成長の終焉、グローバル化、そして高齢化が、日本経済の試練として立ちはだかった。日本は未だこれらの試練を乗り切ることに成功していない。そして1990年代には新たな問題が浮上した。民間投資は停滞し、生産性の成長率も下落した。わずか10年の間に、日本は高成長経済から停滞経済へと移行してしまった。高度成長が永遠に続くことはなく、経済が成熟するにつれて成長率は落ちるのが普通であるが、日本の成長率は、アメリカ、イギリス、カナダなど経済がほぼ同等あるいは日本以上に成熟していると思われる先進国に比べても低い。報告書の図4(文末に転載)は、G7諸国の1人当たりGDPのトレンド成長率とその水準の関係を示している(トレンドはHPフィルターにより算出)。1人当たりGDPが概ね2万5千ドルを超えると、アメリカ、イギリス、カナダの各国では定常的な成長率が1.7%程度に収斂するのに対し、日本はせいぜい1.0%程度の成長率に収斂している。したがって、高度成長が終わった今でも、アメリカ、イギリス、カナダなどと同程度の経済成長は可能なはずである。そのために何が必要か。日本はそれを問うべきである。

 高度成長後の日本の政策は、この問いに満足のいく解答を出せなかっただけでなく、かえって経済を停滞させるような選択をしてしまった。このレポートでは、三種類の誤った経済運営を指摘する。一つは、1990年代の景気後退期にすべての企業とその正規労働者の雇用を守るための諸政策である。政府は、90年代初頭の株価と地価の下落によって銀行の不良債権が急増したとき、その処理を先延ばしにした。銀行は、追い貸しなどによって不良債権を少なくみせる努力を続け、債務者に必要なリストラを積極的に迫ることはなかった。雇用を守るためには、政府当局としてもそのほうが都合がよかった。問題は、このような政策が結局ゾンビ企業を作り出し、企業間の競争を歪め、優良企業の成長を妨げてしまったことである。ゾンビ企業の存在は、成熟した経済におけるイノベーションと生産性上昇に不可欠な創造的破壊の機能を停止させ、日本経済の成長率を押し下げる要因となった。問題は非製造業でとくに顕著だった。企業が国際競争にさらされないため、比較的簡単に問題企業を守れるからである。結局2000年代に突入するまで、ゾンビの問題は続いた。政府が不良債権処理に本腰をいれたのは、ようやく小泉政権になってからだった。

 政府の規制緩和の遅れがゾンビ問題をより深刻にした。問題の大きかった非製造業でも、規制緩和が比較的進んだところは、生産性成長率が比較的高かった。しかし、問題は規制緩和の進展が非常に遅かったことである。1990年代の後半から、非製造業での規制はむしろ上昇傾向に転じた。

 最後に、金融政策・財政政策運営の問題がある。日銀はいまだにその物価安定目標(0%から2%の消費者物価上昇率)を達成できずにいる。政府は1990年代から2000年代にいたるまで、さまざまな財政刺激策を打ち出したが、結果として残ったのは多額の国債だけだった。1990年代初頭、日本の財政状態は先進国中最も健全なものだった。それが現在は先進国中最悪の財政状態に陥っている。もしこのままの財政運営が続くなら、日本はいずれ福祉を切り捨てるか(年金制度や医療保険の縮小)、高いインフレに陥るか(国債の時価を下げる)、あるいは国債の支払いを停止するか(債務不履行)の選択に迫られることになる。

 もっと悪いことには政府の支出の多くは非生産的な公共資本に投下された。1993年から2002年の10年間に行われた公共投資のうち、実に90%近くが1990年初頭にはすでに生産性が頭打ちになっていた部門に投入された、と計算される。結局、多額の財政出動は、長期的な成長に結びつくものではなかったのである。

 このレポートの最後の節は、小泉政権下で行われたいくつかの主要経済改革を展望する。小泉政権は過去20年間の他の政権にくらべて改革への意欲と実行力で卓越していた。改革の中で成功したものについては、その成功の原因を確かめ、今後の政策運営に役立てることが重要である。改革が失敗したと考えられるものについても、それがなぜ失敗したのか、なぜ経済成長につながらなかったのか、を理解する必要がある。このレポートでは六つの経済改革を展望するが、それらのより詳細な分析は付論にまとめてある。

 小泉改革の分析を通じて、今後日本の経済成長を回復するための改革が成功するためのいくつかの条件が明らかになる。まず、経済成長回復のために重要な部門や規制緩和に焦点をあてた改革を選ぶことが重要である。そうすることによって、改革が本当に経済的な便益をもたらす可能性が高くなる。また、成長への貢献を明らかにすることによって、改革への国民の理解を得ていくことも比較的容易になるだろうし、改革の進捗を測る尺度も見つけやすくなる。「改革なくして成長なし」のスローガンは正しいが、「改革があるところ成長あり」という積極的なメッセージのもと、成長につながる改革に全力を注ぐべきである。最後に、改革の目標として2、3年で達成できる目標(できれば数値目標)を掲げることが望ましい。10年、20年先の目標では長すぎる。このような、成長につながる改革でわかりやすい目標を立てることができるものの一つとして、いま非効率的な企業を守っている様々な規制の除去がある。まず、そこから始めるべきだろう。

 レポートの最後の部分では、結論を整理するとともに、菅政権の「新成長戦略」を、この分析で明らかになったことと照らし合わせて検証している。新成長戦略を詳細に分析することはできないが、提唱されている国家戦略プロジェクトの多くが成長につながる見込みの少ないものであることは明らかである。その多くは旧来型の産業政策と同じであり、多くは外需に頼るものである。観光推進のための特区が提唱されているが、これは小泉政権の構造改革特区のなかで、経済全体の成長に与える影響が最も低かったと考えられるものである。ただし、いくつかは経済成長を高める可能性のあるプロジェクトも含まれているので、それらを他の成長につながらない政策から峻別し、成長のための改革に焦点を絞ることが重要であろう。

 このレポートの結論は、日本が成長を取り戻すためには、方向転換が必要だということである。どのような方向に舵をとるべきかは明らかなはずだ。問題は、このような方向転換をやり遂げるような政治的決断が、いまの日本で可能かどうかということである。

図4 G7諸国のトレンド成長率(1971年~2009年)

購買力平価換算による1人当たりGDP、2000年の米ドル表示

目次

<本論>
1. はじめに
2. 高度成長の終焉
3. 高齢化と経済成長
4. 輸出主導型の経済成長
5. 成長阻害要因その1:ゾンビ企業への貸し出しとリストラの欠如
6. 成長阻害要因その2:政府規制による制約
7. 成長阻害要因その3:マクロ経済政策の失敗
8. 小泉改革の評価
9. 結論
 参考文献

<付論>小泉改革の主要6分野についての事例研究
1. 金融システム改革
2. 郵政民営化
3. 労働市場改革
4. 農業改革とFTA政策
5. 構造改革特区
6. 地方財政改革
 付論参考文献

図表

図1 日本の実質GDP成長率(1956~2000年、%)
図2 日本の最近における実質GDP成長率(前年比%)
図3 G7諸国の1人当たりGDP
図4 G7諸国のトレンド成長率(1971~2009年)
図5 G7諸国における高齢人口比率(65歳以上、%)
表1 各国別に見た外需の重要度(1995~2009年)
表2 中国と日本の比較
図6 ゾンビ企業比率
図7 産業別ゾンビ企業比率
表3 ゾンビ企業が非ゾンビ企業の投資、雇用、生産性に及ぼす影響
図8 ゾンビ企業の影響と生産性の上昇率
図9 産業別全要素生産性(1980~2006年、1995年=100)
図10 内閣府(2006)による規制指標の加重平均値
図11 内閣府(2006)による規制指標と全要素生産性の上昇率
図12 規制指標の加重平均値(カテゴリーAの規制のみを用いた代替指標)
図13 代替規制指標と全要素生産性の上昇率
図14 2001年における積極的労働市場政策への公的支出(対GDP比)
図15 OECD主要国の純政府債務残高(対GDP比、%)
図16 民間総固定資本形成と政府総支出のGDP比
図17 公共投資の配分
図18 日本の政策金利(1990~2010年)
表4 小泉内閣による主要改革
表5 日本の新成長戦略(2010年6月18日)
付図1-1 日本の銀行の不良債権残高:1996~2010年(億円)
付図3-1 派遣労働者数の推移(1992~2009年)
付図3-2 製造業における派遣労働者数の推移
付表3-1 派遣労働者と契約労働者
付表3-2 契約期間満了時における派遣労働者の雇用状況
付表3-3 世界金融危機以降における派遣労働者の状況
付図3-3 産業別・所得別の職業分布(2002年及び2007年)
付表4-1 日本の農業政策(2001~2010年)
付表4-2 各国の1農家当たり平均農地面積
付図4-1 大規模農家の比率
付表4-3 日本の1農家当たり平均農地面積(2006~2009年)
付表5-1 分野毎の特区設立数
付図5-1 各提案募集期間における分野別の認定特区数(2003~2010年)
付表5-2 特区の事例
付図5-2 特区の経済効果に関する報告
付表6-1 地方自治体の歳入状況:1970~2010年度(単位:兆円)
付図6-1 OECD主要国の政府粗債務残高(対GDP比率、%)
付図6-2 OECD主要国の政府純債務残高(対GDP比率、%)
付図6-3 日本国債の格下げ

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)星岳雄・アニル K カシャップ(2011)「何が日本の経済成長を止めたのか?」総合研究開発機構

ⓒ公益財団法人NIRA総合研究開発機構

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