宇田川淑恵
NIRA総合研究開発機構研究コーディネーター・研究員

概要

 朝ドラ「虎に翼」で、強烈な個性が目を引く多岐川幸四郎は、家庭裁判所創設に並々ならぬ情熱を注いだ。そこまでの情熱をかけて、何を守ろうとしていたのか。多岐川のモデルとなったのは、私の祖父、宇田川潤四郎(1907~1970)である。祖父が最も大切にしていた「個人の尊厳」の視点から、家裁発足当時と今を振り返る。

INDEX

写真1 宇田川潤四郎

(出所)筆者所有。

 ちょび髭に不思議な動きのピンピン体操、強い精神力を養うための滝行、真剣な議論中の居眠り…。朝ドラ「虎に翼」では、突飛な言動が描かれる多岐川幸四郎。主人公の寅子(三淵嘉子さんがモデル)を振り回し、困惑させる多岐川は、「家庭裁判所の父」と呼ばれる。この多岐川のモデルとなったのは、祖父 宇田川潤四郎である(写真1)。

 多岐川の登場シーンとなる滝行は、多くの人が「演出」と思っていたようだが、実際に重要な局面では必ず願掛けとして、祖父は滝行を行っていた。若かりし頃、祖父の滝行に同行した父は、「(滝行は)かなり大変で過酷な経験だった」と遠い目をして話してくれた。猪突猛進ともいえるが、一方で、人事を尽くして天命を待つ姿勢を地でいく人物だった。

家庭裁判所に込めた願い

 そんな祖父は、家庭裁判所の設立や子どもたちへの支援、女性の地位向上に全力をかけていた(清永 2019)。私が生まれる前に祖父は亡くなっているが、祖父の当時の様子は親族の語りや書籍(宇田川潤四郎著『家裁の窓から』、清永聡著『家庭裁判所物語』)などから知ることができる。祖父について何も知らなかった20歳のころ、父から「お前と考えが似ている」と言われ渡されたのが、祖父の著書『家裁の窓から』である。その時に初めて祖父の考えに触れ、強く共感したことが、青少年問題に関心を持つきっかけとなった。その後、アメリカの鑑別所で勤務した際に、課題を抱えた子どもたちに出会い、思いを共にする祖父の信念を継いでいきたいと思ったのである。

 戦時中、自分よりも優秀な友人や同僚を亡くした祖父は、本来自分はこの地位(=家庭局長)につけるはずがなかったと言っていたそうだ。生き残った者の役目として、何ができるのか悩んでいた祖父が、戦後の上野駅で親を失った無数の子どもたちが彷徨う姿に衝撃を受け、未来を担う子どもたちへの支援を固く決意したことは想像に難くない。戦後すぐに大切な家族を失った祖父にとっても、子どもたちの生活を守ることが与えられた使命と感じていた。

 また、親や家族がいたとしても、女性の地位が低いままでは安心できる健全な家庭は成り立たず、子に影響を与えることも熟知していた。「虎に翼」でも言及されていたように、子どもと家庭の問題は地続きである。日本ではそれまで、家事と少年事件は別々の組織(家事審判所・少年審判所)で扱われていたが、戦後はGHQの提案により家庭裁判所として合併し対応することになった。それぞれの組織から強い反発があったものの、なんとか家庭裁判所発足までこぎつけることはできた。あとは、どのように制度設計をし、運営するかだった。

 そこで、初代家庭局長となった祖父は、アメリカの家庭裁判所を視察した内藤頼博さんと理想の家庭裁判所の在り方について何度も語り合った(清永 2019)。戦後復興の先にある光差す未来を、子どもと家庭を支える理想の家庭裁判所をつくることで思い描いたに違いない。家裁発足から20年後に祖父は、「家庭裁判所はわたくしの恋人であり、いとし子であり、また生命でもある…家庭局長に就任以来、一日も家裁のことを忘れた日はない」(宇田川 1969: 106)と振り返っている。家庭裁判所の運営に祖父は自らの生涯をかけたのだ。

 1949年の家庭裁判所発足に掲げた標語「家庭に光を 少年に愛を」(注1)は、戦後復興を担う1人として、祖父の子どもたちへの思いが込められている(写真2)。祖父だけではない。内藤頼博さん(ドラマ内は久藤頼安・ライアン)や、市川四郎さん(汐見圭)、三淵嘉子さん(猪爪寅子)、内藤文質さん、柏木千秋さん、森田宗一さんなど、当時の家裁創設に関わった人たちの新たな未来への希望が託された言葉だ。

写真2 京都家庭裁判所前の母子像「家庭に光を 少年に愛を」

(出所)筆者所有。

「個人の尊厳」と「法の支配」

 そして、もう1つ、祖父が大切にし、生前よく口にしていたのが「個人の尊厳」だ。ドラマの中でも描かれていたが、人によっては「個人の尊厳」が、あたかも個人の「わがまま」や「自分勝手」であることのように解釈されている。しかし、祖父は「個人の尊厳」を下記のように定義している。

  「憲法が究極的に護ろうとしているものは個人の尊厳であって、基本的人権という法律は、個人の尊厳を護る手段、方法に過ぎない…

 個人は命があるから尊重せられるべきであり、尊厳なのである。

 …国民各自がそれぞれの使命を負う尊い存在であることを自覚し、互いに人格を尊重すべきであるという信念を確立しなければならない。」(宇田川 1969: 144-151)

 「個人の尊厳」は、利己的な行動を許容するものではない。1人ひとりがそれぞれに生きる使命を認識することで、他者を貴重な存在として尊重しあうことなのだ。その生と使命を全うするには、環境も整備されていなければならない。そのことに関しては、「法の軽視は民主主義の後退」というタイトルの新聞記事で、インタビューの中で次のように答えている。

 「…家事事件についても、憲法の男女同権という民主的理念のもとにありながら、現実はまだまだで、女性の人格は無視され、男性の暴力のもとに泣いている女性が多い。

 いうまでもなく近代民主国家では、法によって社会秩序を確立することこそ、国民の重大な課題である。法の軽視は民主主義の後退であり、その自殺的現象ともいうべきである。従って国民のすべてが暴力支配を徹底的に排除し「法の支配」の実現を強調することは大きな義務である。」(朝日新聞 1960)

 「法の支配」の意義は、「個人の尊厳」を実現するためにこそある。祖父は、最も弱い立場にある子どもや女性たちの尊厳を守り、そのための「法の支配」の実現を家庭裁判所に見出していた。しかし、今の日本を見ても、社会全体が「個人の尊厳」の実現に向かっているとは言い難く、「個人の尊厳」が奪われている人たちも少なくない。そうした人たちの「個人の尊厳」を回復させるために、家庭裁判所は「法の支配」を司る場所であり、今なおその意義は変わらない。

家庭裁判所の今とこれから

 家庭裁判所発足から75年が経つ。戦後復興を遂げ、少年犯罪が激減した今、終戦直後に抱えた少年問題などの課題は、一見すると解決したかのように映る。しかし、日本やアメリカの青少年問題を研究する私から見ると、子どもたちを取り巻く環境は、改善したとは言い切れない。貧困や虐待、ヤングケアラー、トー横キッズ、オレオレ詐欺など、弱い立場にいる子どもは常に周囲の影響を受けやすく、1度苦境に陥ると、自らの力で立ち上がることも難しい。また、家事事件を見ても、共同親権の導入(注2)による子への影響といった家族問題や、個々人の生き方の多様化など、時代の変化も生じている。

 成長過程にある子どもたちは、本来保護と支援の対象である。にもかかわらず、現実は、大人の都合を優先させ、我慢を強いて子どもの気持ちに蓋をさせることが圧倒的に多い。さらに昨今の民法改正により成年年齢が18歳に引き下げられた(注3)ことで、「個人の尊厳」よりも、「自立した大人」になることを急かしているように見える。少年法も改正され、子どもを守ることを理念に掲げた家庭裁判所から、対象となる子どもたちが外されていくのは、本来の方向とは逆に向かっていると感じている。

 今も居場所を求めて都市の片隅に集う子どもたちの姿がある。それは、祖父が戦後の上野駅で目にした光景と重なる。子どもは大人が育てていくものだ。子どもたちの声を聴き、彼らの目線に立った政策づくりが求められる今こそ、弱い立場の子どもたちに関わる家庭裁判所の知見は極めて貴重なものとなる。子どもや家族にまつわる課題への対応のため、家庭裁判所の果たす役割は今後ますます重要になっていく。絶え間ない変化の中でも、家庭裁判所発足時の「家庭に光を 少年に愛を」の精神は、今もなお色あせることはない。なぜなら、祖父が懸命に守ろうとした「個人の尊厳」や、暴力を排した「法の支配」の信念は、家裁だけではなく、社会を築く上での土台となるからだ。日本で暮らす一個人、そして一研究者として、私もこの信念を大切にし、「個人の尊厳」の実現に向けた歩みを続けていきたい。

謝辞


 「虎の翼」では、変わりゆく時代の中で、原点に戻り当時の人びとの思いと家裁の理念をドラマという形で再現して頂いています。75年後の今を生きる宇田川潤四郎の孫として、脚本家である吉田恵里香氏や制作に携わるすべての皆さま、そして『家庭裁判所物語』の著者の清永聡氏に、心より感謝の意を表します。また、滝藤賢一氏には、祖父の思いを汲み取ろうと懸命に向き合ってくださり(NHK 2024)、遺族も大変嬉しく思っています。

 多くの人にとって、家庭裁判所の原点を振り返る機会となることを願っています。

参考文献


朝日新聞(1960)「法の軽視は民主主義の後退―宇田川神戸家裁所長―」10月6日付.
宇田川潤四郎(1969)『家裁の窓から』法律文化社.
清永聡(2019)『家庭裁判所物語』日本評論社.
NHK(2024)【虎に翼】滝藤賢一さん「家裁に情熱を燃やす変わり者、多岐川を演じて」NHK朝ドラ.

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)宇田川淑恵(2024)「あれから75年―宇田川潤四郎の家庭裁判所への想い―」NIRA総合研究開発機構

脚注
1 現在は、「家庭に平和を 少年に希望を」に変更されているが、発足当時に込められた標語の精神とは同じであるとされる。
2 離婚後も父母の双方が親権を持つ「共同親権」を導入する改正民法が2024年成立。2026年施行予定。
3 成年年齢が20歳から18歳へと引き下げる民法改正が2018年成立。それに伴い、少年法では18・19歳を「特定少年」として位置付け、罪を犯した場合はその立場に応じた取扱いとする少年法改正が行われた。共に2022年4月1日施行。

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