水島治郎
千葉大学大学院社会科学研究院教授/NIRA総合研究開発機構上席研究員

概要

 近年、アジアを含む世界各国で「民主主義のゆらぎ」が指摘されている。日本はアジア諸国と軍事を含む様々な連携を強めており、どのようなかたちで「民主主義」が各国の外交・安全保障政策に反映しているのかを知ることは、日本の今後を考えるうえで、喫緊の課題となっている。
 アジア諸国の民主主義のゆらぎを確認するにあたり、ヨーロッパ政治との比較から3つの共通項を見出すことができる。まず1つ目は、「既存の政治秩序の溶解」である。欧州では、既存の2大政党がグローバル化や国内産業の空洞化などの問題により、支持を失っている。こうした政党秩序の溶解・変容は、アジア諸国にもみられる。2つ目は、「上からの」権威的支配を拒否し、「下からの」政治を望むポピュリズム政治が拡大していることである。近年の欧米では、ポピュリズム勢力が、反既成政治・反既成政党の立場から無党派層の支持を動員し、拡大をみせている。同様のことがパキスタンやタイでみられる。そして3つ目は、「宗教の政治的役割」である。欧州では、多くの国でキリスト教民主主義政党が有力政党として存在し、その政策にはキリスト教の社会観・国家観が反映されてきた。こうした宗教のもつ政治的重要性は、アジア諸国でも同様であるが、インドやミャンマーなどでは排外主義へとつながる政治の「宗教化」が進行している。
 アジアという「一大成長センター」における政治的な不安定要因は、国際的なインパクトを与える。そのアジアとどのように関わり、民主主義をどう共鳴させ、展開していくのかが、日本の未来のカギとなる。

INDEX

1.20世紀型秩序の融解

 近年、アジア諸国の政治経済的な存在感は高まるばかりである。2023年、インドが人口で世界第1位になったことは国際的に広く報じられたが、GDPでも2050年に中国・アメリカに次いで、インドとインドネシアが3位、4位になると予測されている。2014年にモーディーがインドの首相に就任した時点で、インドのGDPは世界で10位に過ぎなかったことを思い起こすと、その急速な経済成長は驚くばかりである。そして2075年には、GDP上位10カ国のうち半数以上の国を、アジアを中心とするグローバルサウスの諸国が占めるとみられている。

 こうしたアジア諸国のダイナミズムが注目を集める一方、アジアを含む世界各国で「民主主義のゆらぎ」が指摘されている。民主主義を空洞化させる権威主義化の傾向は各国で指摘されており、今後の展開は予断を許さない。しかも、日本は、アメリカ・フィリピンとの3国共同の軍事訓練を行うなど、アジア諸国との軍事的連携を強めている(注1)。たとえばフィリピンのように、政権の中国に対する対抗姿勢が多くの国民の支持に裏打ちされたものであることを踏まえると、どのようなかたちで「民主主義」が各国の外交・安全保障政策に反映しているのかを知ることは、日本の今後を考えるうえで、喫緊の課題となっている。

 そこで、アジアの「民主主義」を考えるうえで重要と思われる視点をいくつか提示し、論じてみたい。ここでは、ヨーロッパ政治との比較の観点からアジアの「民主主義」についての考察を深める。このようなアプローチをとるのは、筆者(水島)がもともとヨーロッパ政治史、ヨーロッパ比較政治を専門としているためであるが、加えて、ヨーロッパ政治を比較の基準とすることで評価軸を提示できる利点があるためである。

 第1に指摘したいのは、既存の政治秩序、特に21世紀初頭まで続いてきた政党秩序の溶解という点である。

 近年、欧米・アジアを問わず顕著に見いだされるのが、既成政党の弱体化、既存の政治秩序の崩壊である。特に近代政治の発祥の地とされ、政党の「本場」たるヨーロッパで、その傾向は著しい。端的に言えば、20世紀後半に形成され、一定の安定を示していた政党秩序が大きく揺らいでいる。

 まずヨーロッパをみてみると、戦後はほとんどの国で、穏健な中道右派と中道左派の2大政党が政治空間を占有し、ときに政権交代を経ながら、両党で大半の政権を担ってきた。中道右派にあたる政党は、大陸ヨーロッパの多くの国ではキリスト教民主主義政党、イギリスでは保守党であり、中道左派はほとんどの国で社会民主主義政党であった。中道右派と中道左派との間には、前者が市場重視で後者が福祉国家志向といった違いはあったものの、政策の基本線は大まかに一致していた。両者はいずれもファシズム・ナチズムの過去と決別する一方、資本主義を擁護して共産主義諸国と厳しく対峙し、アメリカ主導の自由主義的な国際秩序を志向した。国内にあっては漸進的な社会改革を進め、労使の階級対立より階級協調を志向し、「戦後合意」のもとで安定した政治を実現し、経済発展を進めていった。そしてヨーロッパ統合は、まさにこのような各国の穏健勢力の共通の合意の上に進められていったのである。

 しかし近年、この2大政党は各国で弱体化の一途をたどっている。両党を支えてきた支持基盤が縮小する中、既成政党は既得権益の代弁者として厳しい視線にさらされる。ヨーロッパ統合やグローバリゼーションを積極的に受け入れてきた両勢力は、グローバル化やEUのもう1つの側面――国内産業の空洞化や移民・難民の流入――を受け入れ、自国民をないがしろにするエリートとして批判の的となる。21世紀の新たな問題に対応しづらい両既成政党は選挙のたびに支持を落とし、オランダやフランスでは2020年代、2大政党が主要選挙で得票率が1桁にまで落ち込む失態を演じている。安定しているように見えた従来の政党秩序が、明らかに崩れているのである。

 同様の展開が最も顕著に見られるのが、インドだろう。インドの研究者である中溝和弥の見解にあるように、「世界最大の民主主義国」といわれるインドは、独立以来70年以上にわたり定期的に選挙が実施されて政権交代も実現しており、民主主義体制の下で生きる人々の数はアメリカやヨーロッパ、日本をはるかに上回る。そして興味深いのは、20世紀後半のヨーロッパ各国で穏健な中道勢力が多様な人々の支持を背景に政治的安定の担い手であったのと同じように、インドではインド国民会議派(以下、会議派)が戦後政治を安定的に担ってきたことである。中溝が述べるように、会議派は、独立後のインドで安定的な支配を築くことに成功してきた。独立の立役者ガーンディーの運動を継承した会議派は、社会のあらゆる階層から幅広く支持を集める包括政党として、「会議派システム」と呼ばれた一党優位体制を築くことができたのである。左右の急進派と一線を画し、安定的な支持基盤に支えられて穏健な政治運営を行い、それが長期にわたる民主主義の維持を可能とした点で、インドの会議派はヨーロッパの中道主要政党と共通の役割を果たしてきたといえるだろう。

 もちろん政党の支持基盤の内実についてみれば、ヨーロッパとインドでは大きな違いがある。ヨーロッパの中道右派はキリスト教系諸組織、経済団体や農業団体などの保守系団体を基盤とし、中道左派は労働組合を基盤としてきたが、これに対し会議派の主たる支持は、中溝が指摘するように、農村社会のエリートたる上位カーストの地主から調達されてきたものだった。国民の80%が農村に居住するなか、会議派が農村部からの集票を確実にするためには、地主層の支持を得ることが必須だった。会議派は議員職をはじめとするパトロネージを地主層に提供し、その見返りに政治的支持を取り付けた。その意味で会議派の築き上げてきたインド政治の安定は、基本的にエリート支配のもとでの安定だったといえる。

 とはいえヨーロッパの戦後の民主主義もまた、エリート支配としての側面が強かったことは否定できない。戦後ヨーロッパでは、ナチズムの反省もあり、国民投票や民衆の「下からの参加」に概して否定的であり、各政党や有力団体は、基本的には「下からの圧力」を退け、安定的なエリート支配を志向した。そのエリート支配の最たるものが、かつてもてはやされた「多極共存型デモクラシー」だった。大衆の「臣従」に支えられた一握りの優れたエリートが、「国民のための」国家運営を託され、使命感をもって政治にあたることが、「多極共存型デモクラシー」諸国の特徴であるとされた。民主主義のもとにあっても、エリート支配そのものは何ら問題とされず、むしろ「優れたエリート」が大衆の要求の噴出を巧みに抑制し、安定的な政治を維持していくことは、民主主義にとっても望ましい、という意識が強かったのである。

 しかし20世紀の末から21世紀にかけて、西欧諸国とインドの双方のいずれにおいても、既成政党を軸とするエリート支配が大きく掘り崩されていく。まずヨーロッパでは、冷戦の終結は、冷戦を前提とした左右対立の軸を決定的に変容させた。戦後ヨーロッパにおいては、東西対立を反映しつつ、自由市場を志向する中道右派と経済介入を志向する中道左派が大まかな政治的対立軸を構成し、政党・団体における政治的アイデンティティーの拠り所となっていた。特にこのことは、中道左派の盟主たる社会民主主義において明白だった。しかし冷戦構造の崩壊後、中道右派・中道左派のいずれもがアイデンティティ・クライシスに陥る。グローバル化や情報社会化といった新たな事態の出現に対し、既成政党は概して有効な対応方法を欠き、支持をつなぎとめることに失敗する。次にインドだが、エリート支配を軸とする会議派においては、やはり1990年代、中溝の言葉によれば「上位カーストから奪権する民主化の時代」を経て、その影響力は明らかに弱体化していく。その背景には、後進カーストにおける政治的自立の進展、そしてヒンドゥー教徒における宗教アイデンティティーの顕在化があった。会議派の下野、インド人民党の拡大と政権掌握は、その政治的結果だった。その意味で近年のモーディー政権による、ヒンドゥー優先の権威主義的統治は、「インド民主化の流れから誕生した」のである。それはまさに「民主化のパラドクス」とでもいえる現象だった。

 既存の政治秩序の変容という点では、シンガポール政治の展開も興味深い。リー・クアンユーの率いる人民行動党(People's Action Party, PAP)による事実上の一党独裁のもと、シンガポールは国内対立を抑制し、経済発展を軸とする国家建設を強力に進めてきた。人工、統制、効率、功利を特徴とするリー・クアンユーの統治モデルは、政府系企業群が国内主要産業を幅広く支配する「国家資本主義」を展開し、急速な工業化を可能としてきたが、その反面、内国治安法をはじめとする厳しい市民社会への制約を課してきた。

 しかしそのモデルを体現した人民行動党の圧倒的優位にも、近年陰りが出ている。特に2011年総選挙では、人民行動党の得票率は予想を大きく下回る6割程度に落ち込み、衝撃を与えた。その背景には、同国の専門家である久末亮一が述べるように、政府の社会経済政策への不満の蓄積に加え、従来の社会統制政策に満足できず、SNSを通じて自由に批判的意見を表明するようになった若者の動きがあったことも指摘されている。そしてこれ以後、国民の不満の拡大を認識した政府は、社会の変化に合わせて政府も変化する必要があることを認め、国民への再分配政策の強化などの対応を進めている。これらを踏まえ久末は、「シンガポールは緩やかだが着実にリベラルな方向に向かっている」とまとめている。ただ人民行動党の支持が回復したとはいえず、20207月総選挙でも得票率はやはり6割程度にとどまり、苦戦を強いられた。人民行動党の圧倒的優位を背景とし、経済発展を優先して市民生活を抑制してきたリー・クアンユー・モデルは、終わりを告げようとしている。国際的には、シンガポールは高圧的支配による安定が今に至るまで揺らぐことなく継続し、盤石の体制が敷かれているように見られているが、実は「静かなる革命」がゆっくりと、しかし着実に進行しているといえるのではないだろうか。

 ただ、ミャンマーの例が示すように、権威主義的統治が簡単に幕を下ろすわけではない。長期にわたった軍事政権がとりあえず終わりをつげ、2011年に民政移管が実現したミャンマーでは、2016年にアウンサンスーチー政権も誕生するなど、民主化が順調に進行したように見えた。しかし2021年にクーデターにより軍部が政権を掌握し、民主化は一気にしぼんでしまう。ただ、同国の専門家である中西嘉宏がミャンマーの近年の展開について論じているように、2010年代のミャンマーの「民主化」――アウンサンスーチーの抜群の知名度もあり、国際的には高く評価された――自体、果たして民主化の名に値するものであったのか、微妙な問題をはらむものだった。そもそもミャンマーでは、長期の軍政のもと、軍の系列企業をはじめとして、経済社会の各分野に軍の影響力が及んでおり、その社会的存在感は極めて大きい。その状況下で、軍の存在を無視して民主化を進めることは困難であり、変化は漸進的なものにならざるをえないように思われる。

2.ポピュリズム政治の拡大

 さて第2に注目してみたい点は、(上述の第1点とかなりの程度裏腹の関係にあるが)ポピュリズム政治の拡大である。この点でも、ヨーロッパ政治との対比が可能である。

 周知のように近年の欧米では、反既成政治・反既成政党の立場から、ポピュリズム勢力が影響力を強めている。彼らは上記で示した既成政党の弱体化の隙をつき、中道右派・中道左派の主要政党を既得権益と同一視し、権力を独占する「政治エリート」として一括して批判することで、無党派層の支持を動員し、各国で既成政党をしのぐ拡大をみせている。ヨーロッパでは、ポピュリズムに右派ポピュリズムと左派ポピュリズムの2つのパターンがあるが、特に注目を浴びているのが右派ポピュリズムである。反移民・反難民、反グローバリゼーション、反EUなどの排外的主張、自国中心主義的な主張を唱える右派ポピュリストは、各国で既存の保守政党を「右」から脅かし、場合によってはそれをしのぐ勢いを見せている。2016年のEU離脱を問うイギリス国民投票における離脱派の勝利、そして2020年におけるEU離脱=ブレグジットの実現は世界に衝撃を与えたが、大陸ヨーロッパでも、ほとんどの国で右派ポピュリズムは存在感を高めてきた。20246月に行われたヨーロッパ議会選挙では、右派ポピュリスト政党のなかでも、マリーヌ・ルペン率いるフランスの国民連合、ジョルジャ・メローニ首相率いる「イタリアの同胞」などが第1党となった。そしてフランスでは国民連合の躍進に危機感を抱いたマクロン大統領が国民議会の解散・総選挙を強行するという誰もが驚く展開となる。「ロシアンルーレットのようなものだ」と評されたこの総選挙では、マクロン系中道派と左派勢力の選挙協力が成功したことで、最終的には国民連合の政権到達は阻止された。しかし国民連合は、100議席を優に超える最大の議席数を国民議会に確保し、今後のマクロンの政権運営に「右」からの圧力を強めることが予想される。なお人々の投票行動を見ると、社会の「上」に属する人ほどマクロン系与党への支持が強く、「下」に属する人ほど国民連合を支持する人が多い。このことは、既成政党とポピュリズムの対抗関係は、「右」か「左」かという以上に、「上」か「下」かという対立を背景としていることを示している。

 このようなポピュリズムに連なる動きは、アジア各国でも看取できる。

 まずパキスタンでは、同国の研究者である松田和憲が述べるように、2018年、既成政党を批判し、エリートや既得権益との対抗姿勢を鮮明にしたポピュリスト政党のパキスタン正義党が、総選挙で第1党となり、初めて政権を獲得する。同党は1996年、元クリケット選手のイムラーン・ハーンによって創設され、反汚職などを掲げて支持を拡大した。ただパキスタンの場合、隣国インドとの紛争・緊張関係を背景に歴史的に軍部の力が強く、パキスタン正義党も軍部の人事に介入しようとして関係が悪化し、軍部の支持を失い、ついにはイムラーン・ハーンは政権の座から引きずり降ろされることになる。

 さらにタイでは、ポピュリスト的な新興勢力たる前進党が2023年、総選挙で第1党となった。研究者である外山文子が描いているように、タイでは王室や軍といった既得権益が確固として存在し、彼らとつながりを持つ資本家ばかり優遇されるという政治構造、「上からの支配」を前提とするタイ式民主主義が批判の対象となり、市民主体の民主的な政治を望む声が、前進党の躍進を通じて表出されたのである。前進党は王室・軍・司法などの改革を訴え、タイの政治社会の基本構造を変えることを志向した。すなわち不敬罪の廃止、兵役廃止と文民統制の確立、市場の独占・寡占の排除などが選挙向けの政策として主張された。特に前進党が王室改革を明示的に志向していたことから、前進党に支持が集まったことは人々の王室への見方が変わってきたことを示すものとして理解され、驚きを呼び起こした。なお前進党の支持者には若年層が多く、選挙運動でも彼らの慣れ親しんだソーシャルメディアの果たした役割が大きかった。さらに21世紀初頭に強い支持を集め、やはりポピュリスト的傾向のあるタックシン派の流れをくむ人々(「赤シャツ」)においても、前進党支持に流れ込んだ例が多い。既存の「上からの」権威的支配を拒否し、「下からの」政治を望む声の高まりが、近年の選挙結果に反映しているといえよう。

 ただ、このような「下からの」支持が、強権的な支配と結びつき、あるいは積極的に支えるということもある。これはポピュリズムの負の側面といえよう。たとえばフィリピンでは、近年、ドゥテルテ、マルコスのように、幅広い層に強い支持を受けつつ、「既得権益」と対抗して強権的に統治を進める大統領が続いている。ドゥテルテが「フィリピンのトランプ」との異名をとったことが示すように、彼らがポピュリスト指導者としての特質を備えていることは確かだろう。研究者である日下渉が示すように、そもそもフィリピンでは、歴史的に形成された社会経済的な不平等、一部のエリート層への権力集中という現実を前にして、階層を超えた国民の多数派からは、既存の自由民主主義はエリート支配を糊塗する仕組みにすぎず、打破すべき対象として観念されてきた。そのため強圧的であっても、腐敗を排する高潔さ、政治社会の混乱を正す規律を備えた指導者こそが、多様な人々の思いをかなえる存在として扱われる。その結果、日下がいうように、「むしろ、選挙において多数派から圧倒的な支持を得たポピュリストが、少数派の自由や人権を侵害する「非自由民主主義」が生じている」のである。

 同様の現象は、インドネシアについても生じている。研究者である本名純が明快に示すように、2014年から2024年まで大統領を務めたジョコウィは、庶民的な人気を博しつつ、実はその政権下で民主主義の後退が進行していた。もともとジョコウィは、政党や官僚機構、軍、宗教などをバックに持つ従来型の政治エリートではなく、中部ジャワのスラカルタで家具店を営む一般人だった。しかし彼は政界を志し、市井の人々の支持を得ることによって、スラカルタの市長、ジャカルタ州知事と順調に権力への階段を駆け上り、メガワティ元大統領率いる闘争民主党に目をつけられて大統領選挙に出馬し、ついに当選を果たしたのである。その意味でジョコウィの大統領就任は、20世紀末に強権的なスハルト体制が崩壊して以降のインドネシアの民主化が完成したことを示すものでもあった。しかしジョコウィ政権は成立後、縁故人事を通じて軍や警察の掌握を進めるとともに、自身に批判的な団体・政党、特にイスラーム系の組織に圧迫を加えていく。市民社会における言論は積極的な取締りの対象となり、「情報及び電子商取引法」を用いた批判的な勢力の弾圧が進み、特に環境活動家は個別に標的とされた。さらにジョコウィは、独立性をもつ行政組織や憲法裁判所にも介入し、その権限を骨抜きにした。しかも彼は、国会で多様な政党を与党側に引き入れ、巨大与党連合を形成することに成功したが、その結果野党が実質的に不在となり、問題が指摘される首都移転などの巨大プロジェクトも、実質的な議論がなされないまま決定される事態となった。これらの展開の結果、本名が述べるようにインドネシアにおける民主主義の後退が指摘されており、民主主義指数の顕著な低下が観察されている。

3.宗教と民主主義

 第3に注目すべき点は、宗教の役割である。近年の各国における政治変化の背景を考えるうえで、宗教の果たしている役割に注意を払うことは極めて有意義と思われる。21世紀においても宗教は、人々のアイデンティティーの拠り所として、そして社会参加、政治参加の有力なルートとして、重大な役割を果たしてきた。現代のアジアにおける民主主義のあり方をとらえるためには、宗教の持つ独自の刻印に注目することが不可欠である。

 そもそも「先進国」であるヨーロッパにおいても、宗教と民主主義の関係は深い。上述したように、特に大陸ヨーロッパ諸国においては、20世紀の末に至るまで、多くの国の最大与党はキリスト教民主主義政党であり、その政策にはキリスト教に由来する社会観・国家観がさまざまな形で反映していた。離婚や妊娠中絶、同性愛をめぐる保守的な政策はその典型だったが、労使協調をむねとするコーポラティズムもキリスト教的な有機体的国家観を体現するものとして積極的に推進された。このようにみると、ヨーロッパを「政教分離の進んだ先進国」とみるのは一面的だろう。

 もちろんすでに説明したとおり、21世紀に入り各国でキリスト教民主主義政党の存在感は低下を続け、保守勢力としては右派ポピュリズムにお株を奪われかねない状況にある。離婚や妊娠中絶をめぐる「キリスト教的」な政策は、少なくとも西欧において大幅に弱体化した。他方、たとえばドイツで長きにわたって首相を務めたアンゲラ・メルケル(キリスト教民主同盟)は、牧師の子として育ち、確信的なキリスト教民主主義者として政界入りした人物だったが、2010年代半ば、保守政治家でありながらシリアからの100万人規模の難民を受け入れたメルケル首相の決断の背景に、彼女のキリスト教的背景を指摘することもできる。

 そして現在のヨーロッパ政治でも、「キリスト教徒」女性の政治家たちの「活躍」が注目されている。2019年から欧州委員会委員長を務め、2024年ヨーロッパ議会選挙を経て続投が決まったウルズラ・フォンデアライエンはドイツのキリスト教民主同盟出身でメルケルの盟友として、EUの「顔」として国際的な知名度も高い。そして世俗的であるはずの右派ポピュリズムにおいては、イタリアのジョルジャ・メローニもフランスのマリーヌ・ルペンも、「キリスト教徒」であることを明言し、キリスト教的価値の擁護者であるかのようにふるまっている。そもそも右派ポピュリズムにおいては、「イスラームの脅威」への対抗、ヨーロッパ文明の「防衛」がその排外主義の軸となっている面がある。ヨーロッパで培われたキリスト教的価値・伝統に依拠し、その守り手として自らを位置づけることは、政治的動員手段としても有効なのである。

 このような宗教のもつ政治的重要性は、アジア諸国においても同様である。その最たる例がインドだろう。モーディーはヒンドゥー系の急進団体で頭角を現した人物であり、イスラーム教徒が多数死亡する暴動を扇動したとも言われ、首相就任後もイスラーム教徒の多いカシュミールの自治を剥奪するなど、ヒンドゥー優先政策を強行してきた。「ヒンドゥー国家」としてのインドを明確に志向する点で、20世紀のインド政治を率い、宗教間融和をめざした世俗的な会議派と、その方向性は大きく異なっている。インドの場合は、21世紀になって政治の「宗教化」が進行しているとみることもできる。

 またインドネシアにおいては、イスラームの存在が重要である。かつてのスハルト体制下ではイスラームを含む各宗教が政府の管理下に置かれ、独自の政治勢力として活動することが困難だったものの、民主化を経て21世紀には、複数のイスラーム系政党が発達し、一定の支持を集める状況が続いている。また、幅広く人気を集める華人系のジャカルタ州知事(本人はキリスト教徒)の「イスラーム冒涜」発言に強い非難が集まり、イスラーム団体などの大衆動員による反対運動を引き起こし、最終的に2017年、実刑判決が下った事件は、イスラームをめぐる表象が政治的に決定的なインパクトを持つことを、如実に示すものとなった。

 またパキスタンの場合は、そもそもイスラームを国教と位置付けており、隣国インドとの軍事的対抗関係もあいまって、政治とイスラームとの関係は深い。イスラーム急進派、過激派と軍部のつながりも指摘され、軍事政権下ではハラール遵守や15回の礼拝を必須とするなどのイスラーム化政策が強行された。また民主体制下で活動するイスラーム系政党は複数あり、しばしば政権参加を果たしている。20242月に行われた総選挙では、パキスタン・イスラム連盟ナワーズ派(PML-N)が第1党となり、党指導者のナワーズ・シャリーフの弟のシャハバーズ・シャリーフが首相に再選された。

 タイの場合は仏教が、王制と深く結びつきつつ政治的に重要な役割を果たしてきた。ただここで注意すべきことは、タイの場合、特定の政党と結びつく形で宗教が顕在化する上記の諸国のパターンとは異なるということである。そもそも国民の大多数が仏教徒であるタイでは、外山が述べるように、仏教の擁護者としての国王が強い権威を持つ。タイは言語や民族が多様な国だが、仏教と国王を2大シンボルとしながら、国民統合を図ってきたのである。そして国王の権威の下、「タイ式民主主義」という独自の民主主義観を背景として、しばしば独裁的な統治が正当化されてきた。そして国王は「徳を持つ万能な存在」と位置付けられ、政治的混乱の際には調停役として「国民を救う力を持つ」とされる。実際、歴代の国王は、みずから一定期間出家して、修行経験を積んできた。国王の権威が強い影響力を持ったのも、このような仏教にもとづく宗教的背景が国民で共有されてきたことによるといえるだろう。

 同じく仏教徒が多数派を占める国が、ミャンマーである。ミャンマーはタイと同様、仏教は政党や特定の政治勢力とつながるというよりは、国民統合のうえで重要な役割を果たしており、国民的宗教としての側面が強い。軍事政権も仏教を保護する姿勢を示し、その結果として仏教界の一部は軍部と強く結びつき、その支持基盤となっている。他方、西部のラカイン州などを舞台とするロヒンギャ難民問題の背景には、イスラーム教徒のロヒンギャが、仏教徒が多数のミャンマーにおいて長く「外部者」の立場に置かれ、国籍も持っていないという不安定な状況があった。周知のように近年、軍による「掃討作戦」や民間人による暴力の結果、万人に及ぶロヒンギャがバングラデシュに逃れるという大規模な難民問題が生じている。国際的な関心、非難にもかかわらず、軍事政権は高圧的な態度を崩すことはなく、ロヒンギャ難民のミャンマー帰還のめどはたっていない。

4.おわりに

 以上、ヨーロッパ政治の展開と比較しつつ、いくつかの視点に絞ってヨーロッパとアジア諸国を対比した。そもそもアジア諸国は、人口と経済の拡大する「一大成長センター」として国際的な注目の対象でありつつも、国内では宗教や民族の対立からくる紛争、権威主義的統治の強まりと変容、国外では中国やロシアなどの軍事的圧力といった不安定要因を抱え、その帰趨が国際的なインパクトを与えるダイナミックな地域である。そのアジア諸国と日本がどのように関わり、民主主義をどう共鳴させ、展開していくのか。日本の未来はアジアにある、といえるだろう。

 なお、ここで紹介したアジア各国の政治動向の詳細については、NIRA研究報告書『アジアの「民主主義」の行方―政治秩序の溶解と拡大するポピュリズム政治―』を参考にされたい。

水島治郎(みずしま じろう)

水島治郎(みずしま じろう)

NIRA総合研究開発機構上席研究員、千葉大学大学院社会科学研究院教授。博士(法学)(東京大学)。専門は、オランダを中心とするヨーロッパ政治史、ヨーロッパ比較政治。著書に『ポピュリズムとは何か』(中公新書、2016年)など。編著書に『ポピュリズムという挑戦』(岩波書店、2020年)、『アウトサイダー・ポリティクス』(岩波書店、2025年刊行予定)など。

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)水島治郎(2025)「揺れ動くアジアの「民主主義」の行方―欧亜の共通点から見る課題―」NIRAオピニオンペーパーNo.78

脚注
1 安全保障上の協力関係の展開を具体的に示した最近の例が、20247月に担当大臣の署名を経た日本・フィリピンの「円滑化協定」である。この協定は、日本の自衛隊とフィリピン軍の相互往来を促進し、部隊間の協力を進めるものであり、相手国への入国ビザ取得や、武器弾薬の持ち込み手続きなどの簡素化などが実現する。日本にとってはフィリピンを(イギリス・オーストラリアに次ぐ)3番目の「準同盟国」として位置付ける重要な画期となった。 1 安全保障上の協力関係の展開を具体的に示した最近の例が、20247月に担当大臣の署名を経た日本・フィリピンの「円滑化協定」である。この協定は、日本の自衛隊とフィリピン軍の相互往来を促進し、部隊間の協力を進めるものであり、相手国への入国ビザ取得や、武器弾薬の持ち込み手続きなどの簡素化などが実現する。日本にとってはフィリピンを(イギリス・オーストラリアに次ぐ)3番目の「準同盟国」として位置付ける重要な画期となった。

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