宇野重規
NIRA総合研究開発機構理事/東京大学教授

概要

 国民に支持される有効な政策を打ち出すには、「自由と平等」をめぐる国民の基本的な価値観を考慮することが不可欠である。NIRA総合研究開発機構では、経済・社会のテーマに関して、熟慮と熟議を取り入れた調査を実施した。その結果、平等よりも自由を選ぶ回答者の方が圧倒的に多いことが明らかになった。しかし、このことをもって直ちに「日本人は平等より、自由を重視している」と結論づけることには慎重である必要がある。
 第1に、新型コロナウイルスの対策のための個人の自由の制限については、むしろ肯定的な人が多数を占めている。おそらく日本人にとっての自由とは、個人の自由をラディカルに主張するリバタリアン的な自由というよりは、自由の規制をも許容する、むしろ秩序や社会的コンセンサスに親和的な自由が想定されている可能性が高い。第2に、自由を選ぶ人のみならず平等を選ぶ人の間でも、手厚い行政サービスより行政サービスの簡素化を支持する人が多い。特に、行政サービスの受益層がむしろサービスの削減を求めている。その要因が、行政サービスの公正さに対する不満や不信にあるのであれば、深刻な問題である。ここに日本の有権者の問題意識を読み取ることが可能であろう。

INDEX

 NIRA総合研究開発機構では、2回のアンケート調査(以下[熟慮]とする)とオンラインインタビュー形式での議論(以下[熟議]とする)を組み合わせて、さまざまな重要な課題について議論を喚起するプロジェクトを実施している*。本稿では、各課題への意見の基礎にある、国民の「自由と平等」をめぐる基礎的な価値観についてわかったことを取りまとめる。

 *プロジェクトでは、社会・経済に関する4つのテーマを選び、モニター登録型インターネット調査、およびオンライン座談会を実施した。インターネット調査は2回に分けて行われ、第1回目は、属性などの基本的情報や政策についての意見を調査した。第2回目では、人々の考えがどのように変化するかを調べるため、意見の異なる専門家(重田園江氏、渡辺靖氏)の論考を読んだ上で第1回調査と同じ質問に再度回答してもらった。これを熟慮型調査という。他方、第1回目の回答者のうち10名が同席する、Zoomを用いたオンラインでのインタビューを実施した。インタビューでは、熟慮型調査と同じ識者の意見を読み、また、互いの意見を聞き合った上で意見変化を観察した。これを熟議型調査という。調査方法・結果の詳細については、谷口将紀(2022)「人びとが受け入れ可能な政策ビジョンとは-熟慮・熟議型調査から考える(1)-」NIRAオピニオンペーパーNo.60、および川本茉莉(2022)「政府規模と国民負担をめぐる熟慮・熟議型調査」NIRAワーキングペーパーNo.3を参照されたい。

自由か平等か?

 日本人は自由と平等のいずれを重視しているのか。アンケート調査の結果では、自由を選ぶ回答者の数が、平等を選ぶ回答者の数を圧倒的に上回った(図1)。「どちらかといえば」を含めれば、自由派がほぼ60%を占めるのに対し、平等派は15%ほどにすぎない。とはいえ、このことをもって直ちに「日本人は平等より、自由を重視している」と結論づけることには慎重である必要があるだろう。

図1 自由と平等のどちらを選ぶか

(出所)宇野重規・重田園江・渡辺靖(2022)「2000人調査から見えた日本人の『自由』と『平等』観―安全のための規制は受け入れる、でも同調圧力はイヤ―」『中央公論』4月号,pp.134-145,中央公論新社

 第1に、言うまでもなく、自由といい、平等といい、それをどのようなものとして理解しているかは回答者によって異なる。本来であれば、自由と平等について共通の定義を示し、それに基づいて回答してもらうことが望ましいだろう。しかしながら、自由も平等も多義的な概念であり、統一的な定義を与えることが難しい。ここでは「自由」「平等」という言葉だけを示し、その言葉にいかなる意味を読み取るかも回答者の判断に委ねることにした。

 第2に、「どちらともいえない」が1回目の調査では25%、2回目の調査では実に38%もいるように、多くの回答者にとっては「自由か平等か」と聞かれても、選ぶこと自体が困難であったことを確認しておくべきである。おそらく「自由も平等も」というのが多くの人々にとっての実感であり、両者を選択するということ自体に違和感を覚えた人もいたはずである。「自由か平等か」という問い自体が自明ではないことがうかがえよう。

 第3に、仮に「日本人は平等より、自由を重視している」のだとしても、その解釈自体がさらに両義的である。というのも、この調査結果は、日本人が自由に対して良いイメージを持っているということ以上に、平等に対して悪いとまではいわないとしても、懐疑的なイメージを持っているということを示している可能性があるからである。この可能性については後ほど検討する。

 以上の留保を付ける必要はあるが、多くの回答者が平等ではなく自由を選んだこと自体は、この調査による1つの発見であるといえるだろう。

 ちなみに、2回目の調査で「どちらともいえない」が増加したことについても、一言触れておきたい。調査のねらいとしては1人の識者に自由派、それも国家への帰属にこだわらないリバタリアン的な自由派として発言してもらい、もう1人にはむしろ平等と自由が不可分であり、ある意味で「平等な自由」こそが大切であると主張してもらうことにあった。このような識者による問題提起は、必ずしも自由派と平等派をより明確にすることにはつながらなかったが、ある意味で、日本人の自由と平等をめぐる理解の特質に光を投げかけることに寄与したともいえる。以下、そのポイントを何点か指摘しておきたい。

安全の重視と自由

 第1に指摘すべきは、圧倒的に自由を選ぶ日本人であるが、新型コロナウイルスの対策のための個人の自由の制限については、むしろ肯定的な人が多数を占めたということである(図2)。もちろん調査時期が2021年の8月と9月であり、感染拡大の第5波の時期にあたったことの影響もあるだろう。とはいえ、個人の自由の制限を「許されない」と考える人が(「どちらかといえば」を含めても)わずか10%前後にすぎないことは注目に値する。

図2 コロナ対策のためには個人の自由の制限は許されるか

(出所)図1と同じ

 欧米などでは、20203月のドイツのアンゲラ・メルケル首相(当時)の発言「(移動の自由の)制限は絶対的に必要とされる場合にのみ正当化される」が注目されるなど、コロナ禍においても行動や移動の制限には慎重であるべきという意見もしばしば見られた。共通の条件の下での比較調査なしに正確なことはいえないが、日本において、個人の自由の制限についての肯定派が目立つことは間違いない。

 もちろん、安全と自由のトレードオフは古典的な問題である。自由を尊重する人が、それ以上に安全を重視することは直ちに矛盾とはいえないだろう。とはいえ、相次ぐ緊急事態宣言や、いわゆる「自粛警察」と呼ばれる社会的同調圧力によって、行動や移動の自由が長期にわたって制限されていた時期である。多くの人が不自由を強いられるなか、それでも個人の自由の制限に対してこれほど「許容的」であるのは、驚くべきことである。

 おそらく日本人にとっての自由とは、他者の身体や私有財産を侵害しない限り、すべての行動は基本的に自由であるとするリバタリアン的な自由ではなく、むしろ秩序や社会的コンセンサスに親和的な自由なのであろう。勝手なことをする人がいれば、自分にも迷惑がかかる。一定の規制があってこそ、自由を享受できると考える人が多いことを予想させる調査結果であった。

「小さな政府」か「大きな政府」か

 第2に指摘すべきは、行政サービスについてである。自由を選ぶ人が「小さな政府」を好み、平等を選ぶ人が「大きな政府」を好むというのが事前の予想であったが、これについてもやや意外な結果が出た。すなわち、自由を選ぶ人に行政サービスの簡素化を支持する人が多かったのは想定通りであったが、平等を選ぶ人の間でもやはり行政サービスの簡素化を支持する人が多かったのである(図3)。平等派において、たしかに手厚い行政サービスを支持する割合が31%と他より多かったとはいえ、簡素化を支持する人も38%おり、手厚いサービス派を上回っている。特に平等を支持する人のうち、年収が400万円から700万円の中間層において簡素化の支持が目立ったことは(図4)、行政サービスの受益層がむしろ行政サービスの削減を選ぶというパラドックスを示している(注1)

図3 「自由か平等か」でみた行政サービスのあり方

(出所)図1と同じ

図4 現役世代(18ー60歳代)で平等を選んだ人の、行政サービスに対する考え

(出所)図1と同じ

 ここでもやはり「行政の簡素化」のイメージが問題となるだろう。これを公務員数の削減や行政サービスの民営化といった新自由主義的な含意で捉えるか、あるいは押印など不要な手続きの簡略化や合理化といった含意で捉えるかによっても違いは生じる。とはいえやはり、自由派と平等派を問わず、「行政の簡素化」を肯定的なイメージで捉える人が多いことは間違いない。ここに日本の有権者の問題意識を読み取ることが可能であろう。

 さらに興味深いのは、行政サービスのユニバーサル・サービス(所得制限を付けずに全員にサービスを提供)か、あるいはターゲティング(必要とする人に支援が直接届くように効率化)かの選択である。平等を選択し、手厚い行政サービスを好む層においては比較的ユニバーサル・サービスの支持者が多いが、全体としては、いずれの層においてもターゲティング支持が上回る(図5)。もちろん必要のない人にまでサービスを提供するのはおかしい、という素朴な問題意識による選択が多いのだろうが、ユニバーサル・サービスに対する支持が概して低いことも、注目すべきポイントの1つである。

図5 「自由か平等か」でみた行政サービス給付のあり方

(出所)図1と同じ

 ちなみに既に指摘した、行政サービスの受益層がむしろ「小さな政府」を選ぶパラドックスについては、アメリカにおいても同様の傾向が見られる。しばしば指摘されるのは、「自分たちより下の層のために税金が使われ、自分たちはその恩恵を受けていない」という中間層の不満である。果たして日本においても同様の不満が高まっているのか、さらなる検討が必要であろう。もし政策の受益層が、政府や他の社会層への不満や不信によりこれを支持しないとすれば、深刻な問題である。さらにこのような不満や不信が、冒頭で触れた平等への支持の低さに結びついている可能性もある。

まとめ

 以上の調査により示唆されるのは、以下の通りである。多くの回答者にとって、自由か平等かを選択することは容易でないが、あえて選ぶとすれば自由を支持する人の方が圧倒的に多い。その場合、自由といっても、個人の自由をラディカルに主張するリバタリアン的な自由というよりは、自由の規制をも許容する、むしろ秩序や社会的コンセンサスに親和的な自由が想定されている可能性が高い。

 政府のサービスについては、自由を選んだ回答者の間で簡素化を支持する人が多いのに対し、平等を選んだ回答者においても簡素化を支持する人が手厚いサービスを求める人を上回っている。特に年収が400万円から700万円の中間層において簡素化を支持する意見が多いことは、行政サービスの受益層がむしろサービスの削減を求めていることを暗示している。仮に平等への支持の低さが、行政サービスの公正さに対する不満や不信によるとすれば、問題であろう。ユニバーサル・サービスよりはターゲティングを支持する人が多いことと合わせ、さらなる検討が必要である。

 有効な政策を打ち出すためにも、「自由と平等」をめぐる国民の基本的な価値観を考慮することが不可欠である。本調査がその一助となれば幸いである。

宇野重規(うの しげき)

NIRA総研理事。東京大学社会科学研究所教授。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了(法学博士)。専門は西洋政治思想史、政治哲学。思想家トクヴィルを中心に、米、仏、日本の民主政治について研究を行う。隠岐の島、釜石、福井県での地域活動に関わる。著書『トクヴィル-平等と不平等の理論家』(講談社学術文庫、2019年増補改訂版)で2007年にサントリー学芸賞、『民主主義とは何か』(講談社現代新書、2020年)で2021年に石橋湛山賞を受賞。

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
宇野重規(2022)「日本人にとっての自由と平等とはなにかー熟慮・熟議型調査から考える(3)ー」NIRAオピニオンペーパーNo.62

脚注
1 ただし、サンプルが少ない点は留意する必要がある。

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