谷口将紀
NIRA総合研究開発機構理事長/東京大学教授

概要

 人びとに受け入れられる社会・経済ビジョンをデッサンするために、4つのテーマを選び、熟考や熟議を経た「世論」の観測を試みた。そこからは、次の3点が指摘できる。第1に、人びとは少子高齢化と人口減少、公的債務の累積などに対する問題意識は十分に持っている。しかし、「話せば分かる」ほど事は単純ではない、というのが第2のポイントである。熟議・熟考に伴い、賛否を明らかにしなかった中間派の人は減少した。常に意見分布がどちらに傾くことを意味しておらず、分極化を招く場合もある。そして第3に、抽象的な原理原則のレベルでの議論は人びとの心に刺さりにくい。抽象的で、個人の生活レベルに引き付けられないテーマを議論する難しさが感じられた。
 この結果から、政策ビジョンの策定に当たって得られた教訓は何か。まず、政治が人びとに給付減・負担増を求めることを忌避しなければならない謂(い)われはない。少なくとも問題の所在は多くの人びとが理解するし、一見迂遠(うえん)であってもそれに真正面から取り組むことこそが中長期的な人びとの将来不安を緩和する近道である。ただ、給付減・負担増を求めるときには、応能負担の導入や無駄をなくす努力などを並行すると有効である。最後に、なるべく抽象論を避け、問題と解決策の個別具体的なイメージを人びとに見せることである。

INDEX

はじめに

 人びとに受け入れられる社会・経済ビジョンをデッサンすること、これが本プロジェクトの目的である。

 世論調査の数字を見てみよう(注1)

●「A:国債は安定的に消化されており、財政赤字を心配する必要はない」
●「B:財政赤字は危機的水準であるので、国債発行を抑制すべきだ」
 どちらの考えに近いか。
 → A寄り7%、B寄り53
●「当面は財政再建のために歳出を抑えるのではなく、景気対策のために財政出動を行うべきだ」
 という意見に賛成か、反対か。
 → 賛成寄り34%、反対寄り17

 2つの質問は、同じ世論調査の中で聞いている。1つ目の質問では、国債発行を抑制すべきという意見が過半数であるのに対し、2つ目の質問では、財政出動賛成派が反対派をダブルスコアでリードしている。

 このように往々にして相互矛盾する個別の世論調査結果をアグリゲートする(集める)だけでは、人びとの「真の」意見の在りかを探ることはできない。対立する複数の意見の背景にある見方、考え方を十分勘案するプロセスを経たとき、人びとの意見はどのような軌跡をたどるのか。

調査の概要

 以上の問題意識に立脚して、公益財団法人NIRA総合研究開発機構では、社会・経済に関する4つのテーマを選び、「熟考を経た世論」の観測を試みた。調査方法や結果の詳細は別稿(注2)および各論をご参照いただくとして、今回われわれが選んだテーマは次のとおりである。前二者のような比較的具体性の高い争点から、後二者のように原理原則に関わる抽象的な問題までカバーできるようにした。

● 後期高齢者医療費の窓口負担引き上げ
● 財政赤字と国債発行
● 政府規模と国民負担
● 自由と平等

 討論型世論調査の理論や実践例(注3)を参考に、本調査では以下のように熟考のプロセスを組み込むことにした。
 
 まず、調査はモニター登録型インターネット調査会社を利用して、同じ対象者に2回実施する。

 このインターネット調査は「無作為抽出」で対象者を集めたわけでなく、データには母集団(国民全体)の考えを反映する「代表性」がなく、「〇%」といった個別の値には大きな意味を持たせられない。あくまで時系列的な変化など「傾向を観測する」ものである点に注意されたい(注4)

 このうち1回目の調査では、例えば「政府規模と国民負担」の問題ならば
 「A: 今よりも国や自治体の支出を減らし、行政サービスを簡素化すべきだ/B:今よりも国や自治体の支出を増やし、行政サービスを手厚くすべきだ」
 「A:今よりも税金や保険料などの国民負担を減らすべきだ/B:今よりも税金や保険料などの国民負担が増えるのはやむを得ない」
 ――のどちらの考えに近いかを質問する。

 およそ1カ月のインターバルを置いた後の2回目の調査では、同じ「政府規模と国民負担」の問題を例にとると、
 ・セーフティーネットの張り替えに見合うだけの税負担を国民は受け入れるべきであるという「大きな政府」論
 ・効率化すれば高齢化社会の下でも政府の規模を小さく抑えることは十分に可能とする「小さな政府」論
 ――それぞれを代表する「識者の意見」を読んでもらい、どの意見のどのポイントが参考になったか、意見を読んで自分の考えに変化はあったか等、自由回答欄への記入を含めて「熟考」を促した上で、第1回と同じ質問に再度回答してもらった。

 「識者の意見」は特定方向への誘導にならないように、それぞれの意見の分量(200字・4文程度)や難易度をそろえた。

 また、この2回の調査とは別に、第1回調査の回答者のうち、テーマごとに1012名にオンラインインタビューに参加してもらい、互いの意見を聴き合った上での意見変化も観察した。

結果のポイント

 4テーマ全体を通じた調査結果のポイントとして、ここでは3点を指摘しておきたい。

 第1に、人びとは少子高齢化と人口減少、公的債務の累積などに対する問題意識は十分に持っている。

 例えば「年収200万円以上の所得が高い後期高齢者を対象に、医療費の窓口負担の割合を、現在の1割から2割に引き上げることに、あなたは賛成ですか、反対ですか。」という質問に対しては「大いに賛成」または「どちらかというと賛成」が反対派を大きく上回っている。

 財政赤字と国債発行に関する「A:国債は安定的に消化されており、財政赤字を心配する必要はない/B:財政赤字は危機的水準であるので、国債発行を抑制すべきだ、のどちらに近いか」という項目についても、2回の調査を通じて財政危機派(B寄り=Bに近い+どちらかといえばBに近い)が心配不要派(A寄り)より多かった。

 同じ問題を論じた識者の意見に対しても「後代へのつけ回しが続くのは若い世代や将来の世代の声が十分に反映されない政治過程にも問題がある。若い世代の判断に任せるのも1つの方法だろう。」「現在の国の財政状況は、税収と公共サービスへの支出が、全然つり合っていない状態だ。これ以上は将来へのつけ回しに頼れない。」といった点を最重要と評価した回答者が多かった。

 しかし「話せば分かる」ほど事は単純ではない、というのが第2のポイントである。

 後期高齢者の医療費窓口負担引き上げに関して、第1回・第2回調査とも賛成派が反対派を大きく上回る点は前述のとおりだが、意見分布の変化を見ると、賛成派は横ばいなのに対し、負担増反対派は増加している(注5)。財政赤字と国債発行の問題に関しても、熟考を経た上での第2回調査では、むしろA寄り(心配不要派)が増え、B寄り(財政危機派)が減る変化が見られた。熟議・熟考に伴う、賛否を明らかにしなかった中間派の減少は、常に意見分布がどちらに傾くことを意味しておらず、分極化を招く場合もある。

 また、負担増に理解を示すにしても、それらを唯々諾々として受け入れるわけではない。後期高齢者の医療費窓口負担引き上げに関して、最も多くの回答者が重要視したのは「医療費を負担できる能力の区切りに『年齢』を用いるべきではない。『応能負担』に切り替えるべき。」という意見であった。ここでは回答者自身は必ずしも負担増となる高所得・高い資産層とは想定されていない。応能負担は、オンラインインタビューでも多くの参加者に支持された。

 負担増の前になすべきことがある、という意見も訴求力を持つ。政府規模と国民負担に関する識者の意見の中では「必要とする人に、支援が直接届くように、効率化すれば、高齢化社会の下でも政府の規模を小さく抑えることは十分に可能だ。」という論点を最重要視した人びとが多かった。また、国や自治体の各支出や各種の税・保険料などの国民負担に関して、増やすべきか減らすべきかを質問したところ、「増やすべき」と「どちらかといえば増やすべき」の合計が最も多かったのは法人税、逆に「減らすべき」と「どちらかといえば減らすべき」の合計が最も多かったのは行政の人件費であった。企業経営者や公務員の人数は限られているから、自分以外の取れるところからもっと税金を取り、自分に関わらないところでの行政支出を抑えたときには「応分」の負担を受け入れてもよい、ということであろう。

 そして第3に、抽象的な原理原則のレベルでの議論は人びとの心に刺さりにくい。

 「自由と平等」という語はどちらもポジティブな響きを持ち、その意味内容も多義的であるがために、2人の識者の含蓄ある議論にもかかわらず、「どれ(いずれの論点)も参考にならなかった」という回答が最多数を占めた。また、第1回調査から第2回調査にかけての意見分布の変化を見ても、比較的抽象度の高い政府規模と国民負担、自由と平等に関しては「どちらともいえない」が大きな伸びを見せた。それぞれの識者に採るべき指摘があり、どちらに軍配を上げればよいのか分からなくなったのかもしれない。抽象的で、個人の生活レベルに引き付けられないテーマを議論する難しさは、オンラインインタビュー形式での「熟議」の過程でも散見されたところである。

まとめ

 高度経済成長期のような気前の良いパイの分配ができなくなり、負担の分配、痛みの分かち合いが避けられない今日、苦い薬とも例えられる政策を人びとに受け入れ可能にするにはどうすればよいのか。前節までの調査結果を踏まえ、以下の教訓が導き出される。

 まず、政治が人びとに給付減・負担増を求めることを忌避しなければならない謂われはない。少なくとも問題の所在は多くの人びとが理解するし、一見迂遠であってもそれに真正面から取り組む(姿勢を示す)ことこそが中長期的な人びとの将来不安を緩和する近道である。

 ただ、給付減・負担増を求めるときには、応能負担の導入や無駄をなくす努力などを並行すると有効である。たしかに、高額所得者の最高税率を90%に引き上げても、とうてい消費増税の代替にはなり得ない。国の財政赤字の最大の原因は社会保障支出の拡大であり、就業者に占める公務員比率が先進国の中で最も低い日本で行政の人件費を削ったところで焼け石に水である。しかし実効性はなくても、世論の理解を深めるための象徴的効果はあながち軽視できないようにも思われる。

 最後に、例えば人口減少とは自分が住んでいる地域が廃れること、財政破綻とは昇給ではとても追いつけない急激なペースで物価が上がることというように、なるべく抽象論を避け、問題と解決策の個別具体的なイメージを人びとに見せることが重要である。しばしばホワイトハウスは、法律に大統領が署名するセレモニーに受益者を同席させて、当該政策の効果を世論にアピールする。日本を含めてマスメディアは、特定の政策問題を抽象的に報じるのではなく、困窮している具体的人物を登場させて解決の必要性を論じている。もはや「標準」とは言えない「モデル年金(注6)」(プラスアルファの数類型)では、人びとは問題を自分事として捉えられないのである。

 人口減少と少子高齢化、グローバリゼーション、そして第4次産業革命など変動期にあって、巷間(こうかん)さまざまな社会・経済ビジョンが議論されている。こうしたビジョンを描くにあっては、到達すべき頂上を夢想するだけでなく、そこに至る「登山ルート」を合わせて検討することが必要である。NIRA総合研究開発機構では、このように総合的な意味でのビジョンを今後も追求していきたい。

谷口将紀(たにぐち まさき)

NIRA総研理事長。東京大学大学院法学政治学研究科教授。博士(法学)(東京大学)。専門は政治学、現代日本政治論。

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
谷口将紀(2022)「人びとが受け入れ可能な政策ビジョンとは-熟慮・熟議型調査から考える(1)-」NIRAオピニオンペーパーNo.60


脚注
1 2017年東京大学谷口研究室・朝日新聞共同世論調査。データはhttp://www.masaki.j.u-tokyo.ac.jp/utas/utasindex.htmlで公開されている。 1 2017年東京大学谷口研究室・朝日新聞共同世論調査。データはhttp://www.masaki.j.u-tokyo.ac.jp/utas/utasindex.htmlで公開されている。
2 川本茉莉(2022)「後期高齢者医療をめぐる熟慮・熟議型調査」NIRAワーキングペーパーNo.2. 2 川本茉莉(2022)「後期高齢者医療をめぐる熟慮・熟議型調査」NIRAワーキングペーパーNo.2.
3 例えば、James S. Fishkin (2018) Democracy When the People Are Thinking: Revitalizing Our Politics Through Public Deliberation, Oxford University Press. 日本語文献としてはジェイムズ・S. フィシュキン(2011)『人々の声が響き合うとき:熟議空間と民主主義』早川書房. 3 例えば、James S. Fishkin (2018) Democracy When the People Are Thinking: Revitalizing Our Politics Through Public Deliberation, Oxford University Press. 日本語文献としてはジェイムズ・S. フィシュキン(2011)『人々の声が響き合うとき:熟議空間と民主主義』早川書房.
4 萩原雅之(2015)「インターネット調査による世論観測の試み―「空気」の変化を詳細・迅速に捉えるための発想と実践」『政策と調査』951-58;大森翔子(2021)「インターネット調査のサンプル特性:国勢調査・面接調査との比較」NIRAワーキングペーパーNo.1. 4 萩原雅之(2015)「インターネット調査による世論観測の試み―「空気」の変化を詳細・迅速に捉えるための発想と実践」『政策と調査』951-58;大森翔子(2021)「インターネット調査のサンプル特性:国勢調査・面接調査との比較」NIRAワーキングペーパーNo.1.
5 ただし、後期高齢者の医療費窓口負担引き上げに関しては、2回の調査間で質問形式が若干異なっていた点に留保を要する。 5 ただし、後期高齢者の医療費窓口負担引き上げに関しては、2回の調査間で質問形式が若干異なっていた点に留保を要する。
6 夫が40年間平均的収入を得て厚生年金に加入し、妻は40年間専業主婦である世帯を指す。一方、2020年現在、専業主婦世帯(夫が非農林業雇用者で妻が非就業者の世帯)は571万世帯であるのに対し、共働き世帯(夫婦ともに非農林業雇用者の世帯)は1,240万世帯に上る。 6 夫が40年間平均的収入を得て厚生年金に加入し、妻は40年間専業主婦である世帯を指す。一方、2020年現在、専業主婦世帯(夫が非農林業雇用者で妻が非就業者の世帯)は571万世帯であるのに対し、共働き世帯(夫婦ともに非農林業雇用者の世帯)は1,240万世帯に上る。

ⓒ公益財団法人NIRA総合研究開発機構

※本誌に関するご感想・ご意見をお寄せください。E-mail:info@nira.or.jp

研究の成果一覧へ