宇野重規
東京大学社会科学研究所教授
谷口将紀
東京大学大学院法学政治学研究科教授
牛尾治朗
総合研究開発機構(NIRA)会長

概要

 21世紀の今日新たな日本の長期的指針を模索するためには、次の3つが必要である。第1は、未曾有のグローバル化によって揺さぶられる現代日本社会にとって何が自らの拠って立つ規範の根源か、その歴史と文化を振り返りながら問い直すことである。「日本とはいかなる社会なのか」、「何を大切にする社会なのか」を明らかにすることは、緊急の課題である。第2は、成熟社会を迎えてますます注目が集まっている、「人と人とのつながり」と「地域に根ざした暮らし」である。現代日本社会においては少子化や高齢化が進み、孤独化や社会的排除の問題も深刻になっている。この問題がとくに如実に現れると同時に、それを解決する鍵ともなりうるのが「ローカルな」場である。政治や行政における集中と分散の新たな組み合わせと、それに見合った経済構造の実現が重要である。第3は、それを可能にする政治のあり方である。1990年代以降の選挙制度改革はたしかに政権交代をもたらしたが、達成の実感には乏しい。今あらためて見直さないといけないのは、制度の基盤となる社会組織、さらにはそれを担う人間像である。民主主義をめぐる考察を制度→組織→人間へと深化させていかねばならない。以上の課題を、今こそ真剣に考えたい*

INDEX

1.「中核層」を軸に信頼社会を築け-財政再建、国民負担増の先にある日本社会の姿とは?-

 日本経済に一条の光が差している。昨年末以降の円安によって輸出産業を中心に企業の業績が上向き、政府の補正予算と日銀の金融緩和の後押しもあって、日経平均株価はリーマン・ショック以前の水準を回復した。今年の春闘では賃金の引き上げ額が昨年を上回り、世論調査でも「日本の景気はこれから良くなっていく」という回答が6割を超えた(投票行動研究会〈JESV〉電話調査、2013年3月1~4日)。

 しかし、この明るさはほんとうに日本の夜明けを告げる曙光なのか。それとも、蝋燭の炎が燃え尽きる寸前の輝きにすぎないのか。アベノミクスの1本目、2本目の矢が国民の喝采を受けるほどに、われわれの脳裏には大平正芳元首相の次の言葉が、四半世紀の時を超えて響きを増す──。

 政治が甘い幻想を国民にまき散らすことはつつしまなくてはならない。(1978年12月9日付『朝日新聞』)

 政治、そして民主主義にとっての最大の課題は、自らの置かれた状況を直視し、それがどれだけ厳しい選択であれ、国民自身が未来を選んでいくことにある。安易な楽観主義を排し、自らを厳しく律することができて初めて、真の意味での希望がよみがえってくることを忘れてはならない。

デフレ脱却後の真の危機

 デフレからの脱却、名目3%以上の経済成長を緊急課題とする、安倍内閣の現下の経済運営に異論はない。しかし、わが国が直面する真の危機とは、デフレを抜け出したあともなお残る、高齢化社会と財政危機であり、かつ、そこから与野党が目を背けていることである。

 3月末に公表された国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、2040年にはすべての都道府県で65歳以上の高齢者人口が3割を超し、半数近くの市町村では住民の40%以上が高齢者によって占められるようになる(国立社会保障・人口問題研究所「日本の地域別将来推計人口〈平成25年3月推計〉」、平成25年3月27日)。現在でさえ国・地方の長期債務残高がGDPの2倍に達しようとしているところ、さらなる少子高齢化による社会保障費の膨張は、わが国財政ひいては国民生活にただならぬ影響を及ぼしかねない。

 経済成長をもたらせば財政再建は可能とする向きもごく一部に見られる。とはいえ、内閣府の試算によれば2011~2020年度の平均成長率が名目3%、実質2%程度となる「成長戦略シナリオ」が実現された場合であっても、国・地方の公債残高の対GDP比は高止まりする(内閣府「経済財政の中長期試算」、平成24年8月31日)。実現および持続可能性を見通せない経済成長を与件として、雲を掴むような年金の持続可能性を試算したり、国土強靭化の美名に隠れて公共事業の見境ない拡張を謀って、国家100年の大計を誤ったりしてはならない。実施の時期や程度に差こそあれども、中長期的な増税と社会保障制度の見直しは避けられないということは、圧倒的多数の識者が認めるところである。

 この点については、総合研究開発機構(NIRA)もこれまでたびたび提言を行ってきた(総合研究開発機構「国債に依存した社会保障からの脱却─シルバー民主主義を超えて─」、2013年2月、同「財政再建の道筋─震災を超えて次世代に健全な財政を引継ぐために─」、2011年4月)。しかるに、問題の所在は明らかなのにもかかわらず、先の総選挙において、与野党は何ら明確なビジョンを国民に示さなかった。安倍内閣ではプライマリー・バランスの達成すら、中長期的課題として等閑視されようとしている。各党の綱領やマニフェスト(政権公約)に書かれるべきは、今日明日のカンフル剤や聴き心地の良いスローガン、あるいは大時代的な世界観ではないはずだ。

 これからの日本は、社会保障を削減しつつも、なお国民に負担増を求めなければならない。このような厳しい課題に応えるために政治に求められているのは、困難を乗り越えた「その先」にある社会像、そして新しい人びとの生き方の提示である。未来への展望なくして、現実の課題に向き合うことは難しい。政治に必要なのは、人びとが現状から一歩を踏み出すための勇気を与えるにふさわしい展望を示すことにある。

スマートな日本社会のあり方とは?

 本提言は《中核層が築く信頼社会》をキーワードに、負担増・給付減の下にあってもしなやかに生きる、スマートな日本社会のあり方を考察するものである。提言をまとめるにあたって、われわれは以下の3点を旨とすることにした。

 第1に、短期的な政策論を超えた、中長期的な日本社会の課題を提示することである(中長期性)。現在の日本政治に求められるのは、中長期的な課題の認識を少なくとも一定程度共有した上で、それに対して想定されうる複数の解法をめぐって政党間の競争が行われ、選挙によって国民の審判が下るという規律ある政党政治である。

 第2に、歴史的な視座と実証的なデータに基づいて問題を提起することが重要である(客観性)。日本社会の将来を論じるにあたっては、これまでの歴史と社会の現状を正しく踏まえる必要がある。本提言をまとめるに際しては、日本社会に関する定量的または定性的な実証研究を積んでこられた碩学にヒアリングを重ね、その学問的知見を提言に活かすことを心掛けた。

 第3に、国際社会なかんずくアジアと国内の地域社会の双方を視野に入れた、人びとの生き方の提案をめざすべきである(新たな生き方像)。在留邦人総数はすでに118万人に上るが(外務省領事局政策課「海外在留邦人数調査統計 平成24年速報版」、平成23年10月1日現在)、一層海外に雄飛しやすくするような社会・経済制度の設計が必要である。他方、情報化社会のインフラストラクチュア整備を進めて、「性本丘山(せいもときゅうざん)(生まれつき、丘や山の自然)」を愛する日本人のために、新しい「園田の居」(陶淵明)を構想することも要請される。世界、国内都市、地域と活躍の場が複数用意されていて、各人の希望や時機に合わせてつねに選択できるような社会づくりを模索したい。

民主主義と市場経済の緊張の高まり

 このように本提言は、日本社会が直面する課題の克服を第1の目的とする。その背景にあるのは、民主主義と市場経済のますます高まる緊張関係という、現代世界の多くの国々に共通する問題である。

 一方において、グローバル化とIT化が進む現在、民主主義の統治能力があらためて問い直されている。市場経済の変化のスピードが速まり、かつ不安定化している今日、はたして民主主義は流動化した状況に十分に適応できているのか。合意形成に時間のかかる民主主義は、適切な政策へと人びとの意見を収斂させる能力をもっているのか。「スピードある熟議」という、半ば相矛盾する課題を突き付けられているのが、現代民主主義である。

 他方において、民主主義の大前提である国民の平等性は、国境を越えた経済競争の激化によって脅かされている。さらに、経済成長期には、その果実を広く国民間に再配分することによって諸問題の解決が期待できたのに対し、現在ではむしろ、経済リスクや税負担というマイナス要因の配当が深刻な問題になっている。低成長期の民主主義に、はたして責任負担をめぐる合意を形成できるだろうか。

 このように民主主義と市場経済のあいだで緊張が高まるなか、指導者による決断など、民主主義を迂回したかたちでの意思決定の必要が説かれることもある。しかしながら、国民一人ひとりに負担を求めざるをえない現状において、長期にわたって国家を安定的に運営していくためにも、民主主義を適切に機能させることが何よりも重要である。

 急速な社会の高齢化と財政破綻の危機に直面した日本社会に、残された時間はけっして長くない。いまなお自律的に克服するだけの余力が残っているとしても、それを食いつぶすだけなら、前途は暗い。すべての問題が民主主義に集中していることを、われわれは肝に銘じるべきである。民主主義と市場経済の新たな日本型モデルの構築が求められている。

「日本の自殺」と大平研究会

 ここでわれわれが参照すべき文書が2つある。両者はいずれも、高度経済成長を達成した日本社会が大きな転換期を迎えた、1970年代後半に作成されたものである(統計数理研究所による「日本人の国民性調査」からも、1973年の石油危機とその直後の時期が、戦後における日本人の意識の大きな転換点であったことがうかがえる。坂元慶行「日本人の国民性50年の軌跡─『日本人の国民性調査』から─」、統計数理(2005)第53巻第1号、p.5)。

 第1は、故・香山健一学習院大学教授を中心とする「グループ1984年」による「日本の自殺」である(『文藝春秋』1975年2月号、現在は『日本の自殺』、文春新書、2012年に収録)。古代ローマの歴史に遡って現代日本社会に警告を発したこの論文は、外部からの攻撃ではなく、むしろ「『魂の分裂』と『社会の崩壊』による『自己決定能力の喪失』」(文春新書版、p.14)によって文明が滅びることを強調している。この指摘はそのまま、それから38年後の日本社会、すなわち、精神的な方向性をめぐる迷走と、社会の一体性の喪失によって、「決められない政治」を嘆く現代の日本社会に当てはまるのではなかろうか。

 第2は、「大平総理の政策研究会」による報告書である。大平正芳元首相に対して提出されたこの報告書のうち、とくに「田園都市構想」研究グループのキーワードは、「文化の時代」「地方の時代」とともに、「新中間層」であった(「田園都市構想研究グループ報告書」、昭和55年7月7日)。脱工業化社会へと移行しつつあった日本社会にとっての新たな目標として、非物質的な精神的価値の追求、地域社会に根差した暮らしの充実、そしてその担い手となる新中間層の発展を指摘したこの文書は、今日でもなお示唆的である。

 このような議論の背景には、村上泰亮・公文俊平・佐藤誠三郎『文明としてのイエ社会』(中央公論社、1979年)や、山崎正和『柔らかい個人主義の誕生─消費社会の美学』(中央公論社、1984年)の認識があることは、メンバーの顔ぶれからも明らかである。それまでの欧米社会をモデルとした近代化論に対し、むしろ歴史的に形成された日本型組織の肯定的側面を重視し、自らのライフ・スタイルを自由に選択する新たな個人像を示したこれらの著作は、経済成長に代わる日本社会の新たな座標軸を模索するものであった。

図1-1 日本の経済社会構造と政策思想の変遷

日本型組織を再編せよ

 もちろん、これらの文書の認識がそのまま現在に適用できるというわけではない。何よりも、大平研究会から30年を経た今日、日本型組織はあらためて検証の対象になっている事実を認めなければならない。

 終身雇用や年功序列などの雇用慣行に象徴される日本型組織は、長期的視点に基づく人材育成により、組織に対する構成員の積極的なコミットメントを促すものとして高い評価の対象となってきた。企業に代表されるこれら日本型組織は、機能的組織であると同時に共同体的側面を併せ持つ、まさに歴史的に形成されてきた日本のイエ型組織の現代版として理解された(伝統的に血縁の原理を重要視する中国や朝鮮などと違い、日本では近世においてすでに血縁に代わる地縁的な村組織が発達し、家についても、血縁より家業存続のための経営的合理性が優先されるようになった。渡辺浩『日本政治思想史[17~19世紀]』、東京大学出版会、2010年、p.74)。

 しかしながら、このような日本型組織は、流動的な世界における雇用の柔軟性や、女性や外国人の参画という多様性などの要請に対し、むしろ阻害要因として機能している側面もある。

 また、一定の社会保障機能を果たすことで構成員の暮らしを支えてきた企業組織の余裕は、現在急速に失われつつある。このような変化を背景に、集団内部における相互的モニタリングに基づく「安心社会」から、オープンな環境で集団外部での信頼構築を重視する「信頼社会」への移行の必要性も説かれるに至っている(山岸俊男『安心社会から信頼社会へ─日本型システムの行方』、中公新書、1999年)。

 重要なのは、日本型組織を安易に全否定することではない。人材育成を含め、日本型組織の利点はいまだに大きい。むしろ求められているのは、その優れた特質を保持しつつも日本型組織を新たな社会状況に適応させると同時に、これまでとは異なる新たな組織形態が自由に模索されることである。その意味で深刻なのは、現状に問題があることが自覚されているにもかかわらず、組織を離脱することのリスクがあまりに大きいため、人びとが現状のあり方にしがみつく傾向がみられることである(山岸俊男北海道大学名誉教授へのインタビュー記事、『北海道新聞』「安心社会から信頼社会へ」〈2010年12月11日夕刊6面〉による)。このことが社会全体としての巨大な非効率をもたらすとともに、改革へのブレーキになっている。

 このことと関連して指摘されねばならないのは、日本社会に依然として残る「公」と「私」の断絶である。アジア諸国と比べても、公的価値への評価が低いことが日本の特徴となっている(アジアン・バロメーター調査結果より。Ken'ichi Ikeda and Sean Richey, “Social Networks and Japanese Democracy: The Beneficial Impact of Interpersonal Communication in East Asia,” Asian values and Japan, Rutledge Contemporary Japan Series, 2012, p.22)。

 国家との関係についても、「深く考えたことがない」と回答する率が日本は突出して高い(13カ国価値観調査より。坂元前掲、p.21)。「公」の価値や国家への関心が低いなか、これまで人びとのコミットメントの対象となってきた企業などの日本型組織の役割が低下することは、日本人の帰属意識をめぐる不安をもたらしている。結果として、「家族」の大切さを強調する人びとは多いにもかかわらず(「日本人の国民性調査」より。坂元前掲、p.7)、現実の家族は疲弊し、いわば「家族幻想」のみが昂進しているのが現状である。

 このような状況において、いかに日本社会を「開き」、その組織原理に新たなダイナミズムを導入するかはまさに喫緊の課題である。しばしば「大きな政府」と「小さな政府」の選択が語られるが、それだけでは不十分である。日本において歴史的に形成されてきた公私の分離についての考え方を問い直し、日本型組織を再編することで新たな社会モデルを構築しなければ、国家・組織・家族・個人の役割の再定義は不可能であろう。

「中核層」とは何か

 以上の検討を踏まえて、今後の日本社会がめざすべき方向性を展望してみたい。重要なのは歴史的な視座をもつことである。江戸時代、明治維新、戦後改革、自民党政権の半世紀を歴史的に総括した上で、そのうちの何を残し、何を変えるかを判断すべきである。

 いうまでもなく、すべての大前提となるのは個人の自立である。「安心社会」から「信頼社会」への移行を進めるためにも、一人ひとりの個人が甘えや依存を断ち、自己を厳しく規律することが不可欠である。しばしば集団主義と評される日本人であるが、実際には個人主義的な生き方を望んでいる人がほとんどである(山岸俊男『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』、集英社インターナショナル、2008年、p.77-78)。それなのに、「周りは集団主義的に行動しているはずだ」という思い込みのために、自らの判断を下す前に周りの反応を読み、結果的に集団主義的な行動を取ってしまう。

 それでは、何が人びとに最初の一歩を踏み出すことを思いとどまらせているのか。すでに指摘したように、組織を離脱することのリスクがあまりに大きく、失敗したときにやり直しがきかない(と人びとが信じている)ことが大きな理由として考えられる。その意味で、ただ自立というだけでは、悪しき意味での「自己責任」社会を想起させるだけであろう。すべてを個人の自己責任とするのではなく、社会が個人の自立を支え、励ますことを強調する必要がある。「信頼」はその1つのキーワードである。

 何が自分にとって大切かを判断し、自らの生き方を選択する。自分の判断を尊重してもらうためにも、他者の判断も尊重する。そして主体的な判断を行った個人と個人とが、オープン・フリー・フェアな環境においてつながっていく。このような意味での「信頼」が豊かであることが、質が高く、成熟した社会の最大の条件である。「人の気風快発にして旧慣に惑溺(わくでき)せず身躬(みず)からその身を支配して他の恩威に依頼」(福沢諭吉『文明論之概略』「巻之一」)しない社会をめざすべきである。

 ここで「信頼」と並ぶもう1つのキーワードになるのが、「中核層」である。かつて大平研究会の時代に着目されたのが、「柔らかい個人主義」による「新中間層」であったとすれば、この「中間層」を現代においてあらためて再定義する必要がある。これまで、日本における中流意識は必ずしも収入だけではなく、「上でも下でもない」という消極的な自己認識によって形成されてきた(この意味での中間層を、故・村上泰亮東京大学教授は「新中間大衆」と呼んだ。『新中間大衆の時代―戦後日本の解剖学』、中央公論社、1984年)。

 これに対し、今後求められるのは、より積極的な意味での中間層である。われわれはこれを「中核層」と呼びたい。中核層とは、一定の経済的基盤の上に、さまざまな社会活動に参加して日本社会の中核を担い、さらに政治において責任ある判断を下す人びとのことである。このような意味での中核層をつなぐことでコンセンサスを形成していく社会へと、日本を変えていかねばならない。

 求められるのはまず、個人と組織の関係の再定義である。これまでの日本社会では、個人は組織と一蓮托生の関係に入るか、さもなければ組織から離れて完全に一個人として生きるかという二者択一しか存在しなかった。ある意味で、その中間がなく、結果として個人と組織のあいだのより対等な関係を期待しにくかった。

 しかしながら、今後の日本社会において重要なのは、個人としての生活をしっかりともっているからこそ、組織にも積極的に参加するというような関係である。自分にとって大切なものを守るために組織に加わるのであって、組織に属することそれ自体が目的ではない。その際に、個人と組織の関係を律するのはあくまで明示的なルールであって、空気ではないことが重要である。

 すでに指摘したように、現代日本社会において、家族に対する人びとの思いは強い。家族を大事にしたい、家族とのつながりを感じていたいという願いは、今後ますます日本社会の中核層を動かす大きな要因となっていくであろう。したがって、このような思いを背景に、組織に対してもより対等な関係に立って交渉していく個人のあり方は、けっして例外的なものではない。むしろ個人と組織の関係の1つのモデルとなるべきである。

 したがって、われわれがいう中核層とは、上下の階層との関係や、組織との関係において定義されるものではない。守るべき自らの暮らしをもち、それゆえに必要なスキルをみがいて社会との関わりを育み、自らと社会の進路を決めていく個人こそが、求められる中核層の姿である。

 そのためにも、日本社会が真に選択可能な社会であることが重要である。自分自身の生き方を主体的に選択している自覚があってこそ、人びとは積極的な意味で社会の中核を担う存在となる。実力が問われる競争社会とは、同時にそこからはみ出しても、別の生き方を選択することが可能な社会でなければならない。また、そのためのアリーナも複線的なものであるべきである。東京などの大都市、地域社会、そしてアジアと活躍する舞台が広がり、かつ乗り換え可能であることが、中核層の充実にとって死活的に重要である。

政党政治の立て直し

 中核層を充実させ、グローバル化とIT化が進んだ世界に伍していくためには、政治にもスピード感のある政策決定と執行が求められる。他方で、昔日の経済成長の果実の配分から一転、負担の分かち合いとなるこれからの民主政治においては、熟議を通じた相互理解と合意形成も重要である。

 インターネットの普及やNPOの広がりに象徴される情報化社会・市民社会の深化は、人びとが非公式かつ自由な討議を通じて、新たな政治課題を掘り起こし、あるいは最終決定に対する正統性を高める2回路制民主政治の可能性を開いた。昔ながらの「おほやけ」、なかんずく国や地方自治体に決定を独占させるのではなく、人びとが直接参加しうる公共空間での議論を通じて、たとえ自らの意見が採用されなかったとしても、十分に考慮されたという実感をもてることが、負荷の分担を容易にする。

 ただし、これはあくまで民主政治における「第2」の回路であって、第1の回路とは相互補完的、すなわち議会制民主政治に取って代わるものではない。第2の回路でのさまざまな議論は、第1の回路に接続されることによって、公的な決定に至る。この意味でも、新しい政治主体やアリーナの可能性を認めながらも、2つの回路のインターフェースに位置する政党が担うべき、社会の利益を集約し、政治的リーダーを育て、議会政治を運営し、政権を担当する機能の一層の充実が急務である。ここでは政党政治の立て直しに向けた問題群を2つに整理したい。

 1つは、政党内のガバナンスである。社会に存在するさまざまな声に耳を澄ませ、熟議を十分に重ねて政策を形成し、ひとたび決定されれば一致結束して実行をめざす。何らかの事情によって政権公約を実行できない、あるいは政権公約にないことを行った場合には政府与党に説明責任が生じ、その説明を良しとすれば政権続投、逆に納得できなければ政権交代させる。こうした真の意味での政策本位の政党政治サイクルを確立しなければならない。たんなるセレモニーと化している党大会や、選挙直前におざなりの議論でマニフェストを決定するなど、現在の各党に見られる慣行を自ら抜本的に改められないようなら、財界の一部などが提唱する政党法の制定(公益社団法人経済同友会「『政党法』の制定を目指して─日本の政党ガバナンス・『政党力』向上のために─」、2013年5月17日)が現実味を帯びるだろう。

 もう1つの問題群は、政党間のガバナンスである。90年代政治改革が積み残した二院制・ねじれ国会の課題を克服して、熟議とスピードの両方を兼ね備えた議会を再構築することが急務である。この際に注意すべきは、政党が掲げざるをえないいわゆる不人気政策に対して、ポピュリスティックな造反を制度的に助長するような、中選挙区制など候補者本位の政治に回帰してはならないという点である。あくまで政党本位の政治の枠内で、たとえば単純小選挙区制の衆議院と純粋比例代表制の参議院の組み合わせ、あるいは併用制など比例代表色を強めた衆議院を中心にして一院制的な運用を行うなど、熟議と決定の両面に配慮した衆参一体の改革が求められる。

「その先」にある日本社会の姿

 長期的展望に立つとき、日本社会にとっての選択肢は決して多くない。少子高齢化と財政危機を前提に、限られた時間のなかで、われわれは重要な決断をしていかねばならない。現実を直視せずに問題を先送りすることは決して許されない。

 厳しい選択をするにあたって不可欠なのは、「その先」にある日本社会の姿、そして一人ひとりの個人の生き方を可視化することである。われわれは、その1例として、これからの日本のフロンティアとなる国際社会と地域を、それぞれ“Ocean of Opportunity”と“Land of Heart’s Delight”という言葉でイメージしてみたい。

 高坂正堯『海洋国家日本の構想』が出版されてから間もなく半世紀を迎えようとしている。いまこそ、わが国を取り巻く海洋を、眦(まなじり)を決した「あぶれ者」が漕ぎ出す場所ではなく、これからの日本社会を担う中核層が軽やかにステップを踏む《機会の大洋》と捉え、彼らを標準とした社会経済政策レジームを構築しなければならない。

 また、シリコンバレーというと、とかく最先端工業都市、未来都市というイメージをもたれがちだが、その実は風光明媚な景色のなかに低層建築のハイテク企業本社が点在する「田舎」である。かつてValley of Heart’s Delightと呼ばれた彼地(かのち)のように、豊かな自然と情報通信技術を結合させて、新たな田園都市構想の下で《真心のふるさと》をわが国の各地域に根付かせたい。

 厳しい現実から目を背けることなく、日本社会の伝統(および、その緩やかな変化)と無理なく接続しながら、日本の内と外で活躍する新たな日本人像を示し、その速やかな実現に邁進する──これこそが現在の各政党・各政治家に課された使命である。

2.中核層の時代に向けて-自らの人生と社会を選び取る人びと-

日本社会の基本条件

 根拠なき楽観と展望なき悲観。現在の日本社会は、両者のあいだを漂流しているように見える。あたかも、景気さえよくなればすべての問題が解決されるように語る人がいるかと思えば、未来への展望を構想することなしに現状の問題点だけを指摘する人もいる。しかしながら、現状の厳しさを正面から認識することは、今後についての明確な指針をもつことと不可分である。いまをより深く知る人のみが、より遠くまでを見通せることを忘れてはならない。

 日本社会が直面しているのは、少子高齢化と財政危機である。2010年に1億2,806万人であった日本の人口は、2060年には8,674万人になり、とくに生産年齢(15~64歳)人口は3,755万人減少し、年少(0~14歳)人口も893万人減少すると予測されている(国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口〈平成24年1月推計〉」)。結果として、老齢(65歳以上)人口割合は23%から40%に上昇し、それに伴う医療・介護サービスの不足や社会保障負担の増大が深刻な問題となる。

 ただし、問題の表れ方は全国で一様ではない。今後日本社会全体としてみれば、2040年ころまでは高齢人口が増加するが(第1ステージ)、その後は安定し(第2ステージ)、2060年ころ以降はむしろ減少に転じる(第3ステージ)。その場合も、これから老齢人口の急激な増加が見られるのは主として都市部であり、地方の多くではすでに第2、さらには第3ステージに突入している。

 結果として、今後東京圏など都市部においては、75歳以上の人口が倍増する地域も多く、医療と介護のいずれも圧倒的な不足が予測されている。現在、世界はかつてない都市化の時代を迎え、グローバルな都市間競争も激しくなっているが、このような状況を放置すれば、日本の都市の致命的なアキレス腱となりかねない。後述するように、日本の都市は知の集積地としても、エネルギー効率においてもきわめて優れているが、その優位性を活かすためにも、高齢化問題を避けて通ることはできない。

 また、日本の多様性の源であり、子育てや環境面でも重要な存在である日本の地域社会をどのように維持・発展させていくかも、劣らぬ難問である。人口が減少していくなか、いかに地域社会の活力を保持し、新たなコミュニティづくりの拠点として発展させていくか。今後、都市と地方のそれぞれの未来像をいかに描くかが、日本全体の今後を考える上でもきわめて重要な意味をもってくるだろう。

 他方、高度経済成長時代が終わりを迎えようとしながら「福祉元年」と社会保障の拡充を図った1970年代、行財政改革の一環として「活力ある福祉社会」をめざした1980年代とは異なって、本格的な高齢化社会を迎えた今日の日本を取り巻く財政状況は危機的な水準にあり、給付減を含めた国民負担の増加は避けて通れない。

 「景気回復なくして財政再建なし」というスローガンはプライマリー・バランスを達成するための喫緊の課題として正しいかもしれないが、内閣府の試算によれば、今後10年(2013~2022年度)の平均成長率が実質2%程度、名目3%程度となる「経済再生」を仮定した場合においても、2020年度における国・地方の公債等残高(GDP比)は185%と依然高い水準にあり、その後も横ばい圏内で推移するとされている(内閣府「中長期の経済財政に関する試算」、平成26年1月20日経済財政諮問会議提出)。

 とはいえ、これらをただ悲観的に捉えるのも一面的であろう。というのも、以上の予測からもわかるように、老齢人口の増加は永遠に続くものではない。今後20年こそ深刻な局面が続くものの、その後は人口減少に歯止めをかけられれば、世代間のバランスを回復することも不可能ではない。むしろ中国をはじめ世界の多くの国々が、今後かつてない規模での高齢化の時期を迎えることを考えれば、いち早く正念場を迎える日本が問題克服への道筋を提示すれば、世界に対してモデルを提供することもできる。

 そうだとすれば、これからの20年から30年を見据え、日本社会の実効性のある未来像を描くことにはきわめて大きな意義がある。眼前の課題に対応するだけで精一杯であり、未来への指針を得られずにいることが、現在の日本を支配する閉塞感の大きな原因となっているとすれば、いまこそ、私たちは自らの視線をより高く、より遠いところへと向けなければならない。

 もちろん、少子高齢化と財政危機という日本社会の基本条件を克服することはけっして容易でない。とくに、国民に社会保障負担の増加を求める一方で、サービス給付についてはよりメリハリをつける必要があることは、民主主義そのもののあり方を問い直すことにもつながる。負担は増えるがサービスも増える(北欧型福祉国家モデル)、もしくはサービスは少ないがその分負担も少ない(アメリカ型自己責任モデル)という二者択一ならば、あるいは選択も可能かもしれない。

 これに対し、負担は増えるが逆にサービスは減るという厳しい条件を、民主主義は受け止めることができるのだろうか。

 成長社会における民主主義は、成長の果実を国民のあいだで分かち合うことで多くの問題を解決してきた。これに対し、成熟社会を迎え、さらには縮小時代に入った民主主義は、むしろ増大するリスクや負担を国民のあいだに再配分していかねばならない。

 しかしながら、誰もがリスクや負担の増大を望まない以上、民主主義は問題を前にして特有の決定不能状態に陥りかねない。はたして縮小時代の民主主義は自らの責任を回避せず、問題に立ち向かっていくことができるのだろうか。

 日本社会の未来像を描くこと、そして新たな日本社会における新たな生き方を模索することが本稿の課題である。自らの未来を決定できずにいる日本社会と、自らの生き方を選び取ることができずに閉塞感に陥っている人びととは、同じコインの表裏をなしている。自分で選んだという自覚をもつからこそ、自らの生き方と社会のあり方に責任をとることもできる。鍵は、日本社会に生きる人びとがあらためて、自らの人生を選び取り、組織や社会との関わりを再認識することにある。

日本社会の未来像

 日本社会の未来像を、最後に本格的に検討したのはいつのことだろうか。1980年に提出された「大平総理の政策研究会」報告書があるいはそれかもしれない。この研究会は大平正芳首相のイニシアティブの下に設立されたものであり、延べ200人以上の若手の研究者や官僚を中心に、「文化の時代」「田園都市構想」「環太平洋連帯」など9つのテーマごとにグループがつくられた。報告書は大平首相の突然の死去によって政治的には大きな意味をもつことがなかったが、その意義はけっして小さなものではない。

 大平首相の問題意識は、ローマ・クラブによる『成長の限界』(1972年)や、第4次中東戦争勃発(1973年)によって始まった石油危機を受け、経済成長に代わるべき日本社会の目標を見出すことにあった。とくに西洋をモデルとした「キャッチアップ」型の近代化を脱却し、日本社会の歴史や現状を踏まえた新たな社会像の確立が大きな課題とされた。経済成長に代わる「文化の時代」や、都市化に対する「地方の時代」、さらにそれを担うべき「中間層」の重視は、グローバル化とIT化の時代を予感させる「環太平洋連帯」や「ソフトパワー」の強調と合わせ、その先見性を示していたといえるだろう。

 実際、この研究会の主力となったメンバーを中心に、『文明としてのイエ社会』(村上泰亮・佐藤誠三郎・公文俊平)や、『柔らかい個人主義の誕生』(山崎正和)などの著作が執筆されている。これらの研究に特徴的なのは、日本社会に見られる個人や組織のあり方を、世界史的に再評価している点にある。このことは、それ以前の日本の社会科学が、日本社会に残る伝統的要素をむしろ、近代化によって乗り越えるべき後進性と見なしたのと対照的である。その後に活発に論じられることになった「日本型組織」論の源流も、ここに見出すことができる。

 「キャッチアップ」型の近代化に代わる新たな日本社会の未来像、そしてグローバル化が進むなかで、地域や環境、文化を重視した新たな個人の生き方を模索する必要性は、ある意味でこの1980年の段階ですでに明らかであったといえる。問題は、その後30年以上を経過したいまの日本社会が、この報告書によって示された課題に対し、十分な答えを示したのかどうかである。いたずらに時間ばかりが経過して、課題はむしろ深刻化したという評価は、はたして酷にすぎるのだろうか。

 「大平総理の政策研究会」が活動したのは、いまだ日本経済の発展が続き、日本社会が「1億総中流」社会の出現を前に、むしろその成熟を迎えつつあった時期である。日本社会のあり方に根底的な疑問を投げかけた大平首相であるが、皮肉なことに、その当時、日本企業はむしろ世界に先駆けて石油危機を克服するなど、その優位性が世界的に注目されつつあった。ハーヴァード大学教授であったエズラ・ヴォーゲルが『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を出版したのは1979年のことである。

 これに対し現在の日本は、すでに述べてきたように人口減少と財政危機を迎えたうえ、グローバル化とIT化の進む世界のなかで、新たな社会や組織のあり方をめぐって、いまだ再編のただ中にある。経済学者の青木昌彦は、日本社会が1993年に始まった大いなる制度改革の時代、すなわち「移りゆく30年」の途上にあるという(『青木昌彦の経済学入門─制度論の地平を拡げる』)。

 ものづくりの伝統に支えられた製造業をはじめ、日本はいまだ国際的に比較優位に立つ部門を多くもっている。にもかかわらず、現場に蓄積された技術や知を、新たなグローバル化とIT化に向けて戦略的に再編するという課題は、いまだに明確な指針を得られずにいる。サービス部門についても、繊細さや協調といった日本独自の価値を、国際的に優位性をもった産業へと十分に発展させる余地はなお大きい。いまや閉鎖性や硬直性の象徴のようにいわれるようになった「日本型組織」を、21世紀型に再編するために私たちに残された時間は短い。

 たしかに「キャッチアップ」型近代化の時代においては、中央集権化の下、資源と人材を1カ所に集中することは効率的であった。教育や行政を全国一律にすることで、同質的な国民と組織を育てることにも意味があった。これに対し、新たな社会的価値を創造していくことが求められる成熟社会においては、これらの特質は逆に否定的な作用をもたらしかねない。むしろ、多様性に富み、世界に開かれた知識創造社会を形成することこそが求められる。

 いまだ東京への人口や情報の一極集中が続くばかりで、地域の多様性や自律性がむしろ失われつつある今日、地域に根差した新たな文化的価値の創造や、人材の育成をうたった「大平総理の政策研究会」報告書の提言を、あらためて真剣に受け止める必要があるのではなかろうか。

 本稿では以下、以上の考察に基づいて、めざすべき新たな社会像を「信頼社会」として定式化するとともに、それを担うべき主体として「中核層」という概念を提案したい。

信頼社会の構築に向けて

 それではなぜ、グローバル化とIT化の進む世界のなかで、かつてあれほど賞賛された「日本型組織」はむしろその閉鎖性や硬直性が批判されるようになったのか。このことを考える上で鍵となるのが信頼という概念である。

 何らかの選択をするにあたって、他人をどこまで信じることができるだろうか。誰もが必ず約束を守ってくれると信じるのはナイーブだとしても、逆にすべての人を疑ってしまえば何もできなくなる。一般的な信頼関係が存在しなければ、すべてを物理的強制力に頼るしかなくなり、社会全体として巨大な非効率となる。この意味での信頼の存在を、アメリカの政治学者フランシス・フクヤマは健全な民主主義と資本主義の発展に不可欠であると論じ(『「信」無くば立たず』)、同じくロバート・パットナムは「社会関係資本(social capital)」と呼んだ(『孤独なボウリング』)。

 それでは、これまでの日本社会に、どのような信頼関係が存在したのだろうか。近年、グローバル化による社会の流動化によって安定した人間関係が失われ、信頼が急速に失われつつあると指摘される。しかしながら、これはむしろ日本的な「安心社会」の崩壊であって、信頼とは別問題であると社会心理学者の山岸俊男は指摘する(『安心社会から信頼社会へ:日本型システムの行方』)。たとえば、これまで日本企業では終身雇用と年功序列に基づく安定した雇用関係が存在し、企業のあいだにも継続的な取引関係が存在した。日常生活においても、低い離婚率に示されるように安定した人間関係が存在し、人びとはそこで「安心」していることができた。長期的に組織や関係にコミットすることで、さまざまな不確実性を減らすのが「安心社会」の特徴であった。

 しかしながら、ひとたび慣れ親しんだ組織や関係の外に出ると、一般的な社会的信頼が必ずしも高くないのも日本社会の特徴であった。統計数理研究所の調査結果によれば、日本人よりもアメリカ人のほうが他者一般への信頼は強い。1例を挙げると、アメリカ人の47%が「たいていの人は信頼できる」と回答しているのに対し、日本人で同じ答えをしたのは26%にすぎない。一般的な社会的信頼が低いからこそ、特定の組織や関係への関与を深めるというのが、これまで日本社会に多くみられた行動パターンである。

 そうだとすれば、一般的な社会的信頼が低いままに、「安心社会」が崩壊し始めたとすればどうなるか。ある意味で、現在の日本で起きているのはまさにこのような事態である。人びとはもはや、1度大企業に就職すれば、定年までの雇用が保証されるとは期待していない。組織にコミットすれば、必ず長期的に報いてくれるとも信じていない。とはいえ、組織を飛び出すことはあまりにもリスクが高い。結果として、安定的な組織や関係への幻想がつのり参入をめぐる競争が激化する一方、組織に残った人間も、不満があっても組織を出るに出られないという不毛な状況になっている。

 山岸の調査によれば、日本人の多くは「自分自身は集団主義的な考えをしていないが、周りの人たちは集団主義的な考え方の持ち主である」と思っている(『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』)。それゆえに、自分だけが個人主義的に行動すれば不利であると考え、結果として集団主義的に行動してしまう。ある種の不毛なジレンマ状況に自ら陥ってしまうのである。

 そうだとすれば、求められているのは何であろうか。それは真の意味での「信頼社会」の構築であろう。信頼とは本来、人を所属する組織で判断するのではなく、その人物自身を信じてよいのか、一人ひとりが主体的に判断していくものである。そうである以上、今後の日本社会においては、これまでのように閉ざされた関係内部での安心を求めるのではなく、開かれた環境で集団を超えた人と人とのつながりを築いていくことが重要になる。言い換えれば、社会的な不確実性を前提に、だからこそ信頼できるネットワークを自らつくり出していくのである。

 そのような信頼のネットワークは、「あなたがいつか力になってくれると思うから、いまあなたの力になろう」という互恵的な利他主義によって生み出される。それは明示的な契約関係によるものではなく、関係者が相互の義務を尊重するであろうという信頼に支えられている。アメリカで「フリーエージェント社会」の到来を提唱し、IT化の影響により働き方の中心が組織から個人へと移動すると主張するダニエル・ピンクは、そのような社会においてこそ信頼が重要になると指摘している(『フリーエージェント社会の到来:「雇われない生き方」は何を変えるのか』)。

 さらに寿命が長くなった現代日本社会においては、ある個人の一生が1つの組織のなかで完結することは、むしろ稀になっていくだろう。多くの人は定年後も、あるいはそれ以前から、それまで属した組織や業界を超えて活動することになる。その場合、各個人が新たな信頼を構築していくスキルや、そのための社会的仕組みを整備することが、きわめて重要になる。一人ひとりが生涯にわたって学び、信頼を構築し続ける社会こそが、リスクに強い、発展的な社会なのである。逆に組織にとっても、信頼社会の一員となる主体的な人材によって自らを再編することが、グローバル社会における自らの競争力強化につながるであろう。

 もちろん、「イエ社会」の強い伝統をもつ日本において、「安心社会」が完全に消滅することはありえないし、望ましいことでもない。個人と組織の長期的な関係を大切にすることで、メンバーのコミットメントを引き出す「安心社会」のモデルは、形を変えながら続いていくはずだ。とはいえ、このまま「安心社会」が失われる一方で新たな信頼社会を構築することができなければ、日本は単に無縁社会となる。より風通しの良い新たな「安心社会」とそれを支える「信頼社会」の新たなベストミックスを構築しなければ、人びとは孤立していくばかりであろう。

 そのためにも、組織は自らの内へと閉じるのではなく、外に開かれていくことが求められる。また、組織を飛び出したり、あるいはそもそも組織に属したりしないという生き方が可能になるよう、社会全体としてルールの透明性や情報の共有を実現し、人びとが主体的に信頼を構築できるようにすることが必要である。重要なのは、「安心社会」を唯一のモデルとすることなく、それを「信頼社会」によって包み込んでいくことである。

中核層とは誰か

 このような「信頼社会」の主人公となっていくのは、どのような人たちであろうか。本稿では新たな人間像として「中核層(コア・シティズン)」という概念を提唱したい。とはいえ、この「中核層」とは、これまでもしばしば語られてきた「中間層(ミドルクラス)」とどのように異なるのか。

 「(新)中間層」とは文字通り「中間(middle)」であり、「上」でもなければ「下」でもないという消極的な定義に基づくものである。実際、日本社会では自らの生活水準をこの意味での「中」に分類する人が9割を超え、それが日本社会を支える「分厚い中間層」と考えられてきた。

 これに対し、本稿でいう「中核層」とは上下の階層や所属する組織との関係で定義されるものではない。自らの生き方を主体的に選択し、それゆえに積極的に社会を支えようとする自負と責任感をもった人間像こそが、「中核層」である。それはまさしく社会の「中核(core)」を担う存在である。

 他方で、「中核層」はエリートとも区別される。あるいはエリートを含む、より大きな層を指す。エリートがあくまで組織を上から指導する少数の人間を指すとすれば、「中核層」とはより広く、現場にあって、そこで得られる知識や体験をもとにイノベーションを実現していく人びとである。

 経営学者の野中郁次郎らは企業が持続的に成長していくためには、トップだけではなく全社員が現場の「実践知」を備えたリーダーにならねばならないという(野中郁次郎・児玉充・廣瀬文乃「知識ベースの変革を促進するダイナミック・フラクタル組織:組織理論の新たなパラダイム」)。企業のビジョンを具体的なコンセプトや計画に落とし込み、現場において対話や実践の場を醸成することで組織的に知を生み出す「実践知」の担い手が、自律分散的に存在する企業こそがしなやかな強さをもつ。逆に停滞する企業の多くは、現場と本社との物理的・精神的距離が広がり、有効なコミュニケーションがとれずにいることが多い。このような距離を縮めるのも「中核層」の役割である。

 このような考え方は、経営のみならず、広く社会一般にも適用可能であろう。企業や行政、NPOやコミュニティなどに広く現場の「実践知」に基づくイノベーターを養成していくことが、「中核層」を実現していく上での第1歩となる。高齢者を含むあらゆる世代のすべての男女がイノベーションの担い手になりうる社会こそが、知識創造社会にほかならない。

 しかしながら、イノベーターだけが「中核層」ではない。「中核層」の第2のイメージとなるのはネットワーカーである。イノベーションが相互に孤立したままでは、大きな社会的な力とはなりえない。イノベーションとイノベーションを結び付け、またノード(後述)とノードをつないで有機的な連携をつくり出していくのがネットワーカーである。あるいはむしろ、人と人、人とアイデア、さらには人と場をつなぐことから、イノベーションが生まれるというべきだろう。

 そもそもIT化とは、単にインターネットなどの技術的普及だけを指すものではない。その背景にあるのは、これまで企業が独占していたコンピューターや通信手段を個人にも所有可能なものとし、個人と個人の知をつなぐことで社会的諸問題を解決していくという理念にある。そのような知のネットワークはテクノロジーによって自動的に実現されるものではなく、あくまでそれを媒介する人間によって可能になる。

 『創発』などの著作で知られるアメリカの著作家スティーブン・ジョンソンは、近著で「ピア・ネットワーク」を提唱している(“Future Perfect:The Case for Progress in a Networked Age”)。「ピア」とは仲間や同等者を指す言葉であり、社会の革新は大きな政府や大企業ではなく、仲間・同等者のネットワークから生じるという。社会において満たされないニーズが発生したとき、一部の専門家が上から画一的な指示を出すのではなく、ピア・ネットワークのなかでメンバー自身が自由なアイデアの交換を通じて問題を解決していく。その意味で、ネットワーカーの役割は今後ますます大きくなっていくはずである。

 「中核層」の第3のイメージは、社会の結節点としてさまざまな局面で個人のケアを担う「コミュニティ・ノード」である。ノードとは「結び(nodus)」を語源とする、ネットワークを構成する1つ1つの要素、いわばネットワークの結び目を指す。働き方の中心が組織から個人へと移動する時代だからこそ、コミュニティのネットワークを張り直し、一人ひとりの個人が孤立に陥ることを防ぎ、感情面を含め支えていくことが重要である。その意味で、コーチングやカウンセリングが時代のキーワードになることには必然性がある。医療や介護などケア・ワークに従事する人びとはもちろん、各種の教育者もまた、ここでいうノードに相当するであろう。人びとをケアし、その成長を支援する役割は、自らイノベーションを生み出す役割に劣らない。

 このように、イノベーター、ネットワーカー、コミュニティ・ノードに代表される新たな「中核層」は、地域や組織の中心を担い、社会に貢献することで自己実現を図っていく人びとである。彼ら、彼女らは、社会のなかに確固とした「持ち場」をみつけ、自分たちこそが、組織やコミュニティを支えているという気概をもつ。このような「中核層」に権限を与えることで、自らを律し、社会に対して責任と自覚をもつ人びとによって支えられる新たな「信頼社会」が可能になるだろう。

グローバル都市とコミュニティ

 以上、深刻な少子高齢化と財政危機と向き合うためにも、これまでの日本社会を支えた「安心社会」から「信頼社会」へのパラダイムチェンジを進め、それを担う「中核層」を強化していく必要性を論じてきた。このような社会において、若者から高齢者まで、すべての世代の男女が生涯にわたって知的創造を行い、社会的イノベーションの担い手となることが期待される。また、これまで必ずしも活かされてこなかった人材も、より適切な場とネットワークと出合うことで活躍していくだろう。

 都市部と地方の関係についてはどうだろうか。これまで両者のあいだでは財政調整によって富の再配分が行われてきた。また均衡ある国土の発展の名の下に、都市部の発展を抑制してきた。しかしながら、現在、世界各地で都市化が進み、いわばグローバルなレベルでの都市間競争が進んでいる。人と情報が集積する創造的な都市の発展なしに、地域全体の発展もありえないだろう。

 トロント大学のリチャード・フロリダは、創造力ある人間が集まる創造力ある都市こそが経済成長の源であるとし、日本についてとくに「広域東京圏」「大阪=名古屋」「九州北部」「広域札幌圏」に注目している(『クリエイティブ都市論:創造性は居心地のよい場所を求める』)。この知的集積は、世界的にみても巨大である。またアナリストの増田悦佐によれば、日本の都市は、鉄道網が充実していることが自動車中心の社会に比べ、エネルギー効率においてはるかに優れている(『高度成長は世界都市東京から:反・日本列島改造論』)。日本の都市を競争的に連携させることで、世界的な優位を確立すべきである。日本の都市は世界に向かうべきである。東京は香港やシンガポール、上海などアジアのグローバル都市と競争すべきであるし、グローバル都市になる可能性を秘めた日本の都市は、東京だけではない。

 他方、多様な個性と伝統をもつ日本の各地域を活性化することなしに、日本全体の回復がありえない。そのためには地域の歴史、文化、価値観といったソフト資源を新たな技術と結び付け、地域の魅力を高めていく必要がある。そのためにも、日本の地域は自らの伝統を大切にし、人びとに心のよりどころを提供すると同時に、他の地域からの人びとを受け入れ、多様性に対応していく必要があるだろう。開かれた、ダイナミックな地域コミュニティを発展させていくことが、都市部との有効な相互補完関係を生み出す。

 本稿の冒頭でも述べたように、現代日本社会を覆っているのは、根拠なき楽観と展望なき悲観である。これに対し私たちは、根拠ある、賢明な進歩主義(プログレッシブ)でありたい。たしかに現代日本社会が直面している課題は多く、それを乗り越えるのは容易ではない。とはいえ、すでに指摘したスティーブン・ジョンソンも強調しているように、目には付きにくいものの、現場では今日も新たな取り組みがなされ、社会全体として少しずつ前進していることを忘れてはならない。今後に期待される民主主義とは、すべての個人に、それぞれの「持ち場」でのイノベーションを実現する機会を保証するものでなければならない。私たちが本当に大切にしなければならないのは、目に見えやすい「改革」や「革命」の劇的変化よりも、日々の漸進的なイノベーションの蓄積なのである。

 現在日本が向き合っているのは世界的な課題である。これからの日本の取り組みが、世界に対してもっとも有効な発信となることを忘れてはならない。これからの20年、30年先の社会をどのようにデザインするのか。次世代にどのような日本を伝えるのか。一人ひとりの個人が自らの人生を選び取ったと実感でき、それゆえに社会を支えようとする気概をもてる日本を構築していくために、いまこそが正念場なのである。

3. 続 中核層の時代に向けて-地方を創生するのは誰か-

行政サービスを公共サービスと捉え直す

 東日本大震災からの復興も、デフレ脱却も、税と社会保障の一体改革も、外交の立て直しも、どれもわが国の一大事である。一内閣一仕事にしても足の竦(すく)むような峨峨(がが)たる稜線を、安倍内閣、そして将来引き続く政権には脚踏実地に歩んでいただくよりほかはない。それでもなお、政権与党に限らず野党を含めて、わが国の政治に対して「遠慮なければ近憂あり」の言を呈さなければならない。

 これからの日本社会が直面するのは、少子高齢化と財政赤字の複合危機である。

 日本創成会議・人口減少問題検討分科会が5月に発表した、市区町村の半数に消滅可能性があり、とくに約3割はその可能性が高いという予測は、社会に衝撃を与えた。指摘された市町村のすべてが本当に消えてなくなるかどうかはさておき、これから迎える人口減少は、単に昔の頭数(人口規模)に戻るだけではなく、いまだかつてない高齢化社会をもたらす。

 さらに重く圧(の)し掛かるのは、こうした行政サービスの需要拡大に対して、もはや政府はそれを十分に賄えないという事実である。4月末の財政制度等審議会財政制度分科会に提出された長期推計によれば、たとえ2060年度まで名目経済成長率が平均3%で推移したとしても、対GDP比11.94%の恒久的収支改善を行わなければ政府債務を抑制できないという。要するに未曾有の社会の転換期にありながら、負担増加と行政サービス減少のおそらく両方を避けられない、ということだ。

 「2.中核層の時代に向けて 自らの人生と社会を選び取る人びと」(本誌第2章)において、われわれはこうした複合危機に立ち向かう日本社会の素描を試みた。高成長期に可能であった成長の果実の分配から負担やリスクの分かち合いに相貌を変えた低成長期の社会においては、自分自身の生き方を主体的に選択している自覚があってこそ、人びとは積極的な意味での社会の担い手となる。そのためには、企業や伝統的共同体など集団内部での相互的モニタリングに基づく「安心社会」(山岸俊男)を開き、それぞれの現場に特化した実践知の汎用性を高めて、オープンな環境で集団外部での活躍を可能にする「信頼社会」(同)のダイナミズムを取り込むことが重要であると論じた。

 新しい社会で主役となるのは、「中核層(コア・シティズン)」と呼ばれる人びとであり、中核層が活躍するためには、パブリック(public)──以下「公共」という定訳を用いる──という言葉の意味を理解することが重要になる。もともと公共とは「広く人々に関わること」であって、上位権力なかんずく政府を意味する「おほやけ」と同じではない(渡辺浩「『おほやけ』『わたくし』の語義」佐々木毅・金泰昌編『公共哲学〈1〉公と私の思想史』所収)。

 たとえばイギリスでは、パブリック・スクールは私立学校であるし、街のパブリック・ハウス(パブ、居酒屋)は国営ではない。そこで、従来の行政サービスを公共サービスと捉え直し、その第一義的な担い手としての中核層を再定義する。

 われわれが意味する中核層とは、いわゆる中流または中間階層、いわんやエリートではない。上下の階層や所属する組織を問わず、自らの生き方を主体的に選択した上で、社会のあり方を考えようとする人、さらに進んで積極的に社会を支えようとする自負と責任感をもった人のことを指す。社会において果たす機能から、いくつかのイメージを挙げれば、社会のあり方に関する新たなアイデアを生み出す「イノベーター」、人と人、人とアイデア、さらには人と場をつなぐ「ネットワーカー」、そして社会の結節点としてさまざまな側面で個人のケアを担う「コミュニティ・ノード」という3つがある。

 自らを律し、社会に対して責任と自覚をもつ彼ら中核層が地域や組織の中心を担う。伝統的な地域共同体あるいは近年注目されているNPOのような新旧の組織に限らず、一人ひとりがその人生経験を社会に還元しようという思いを抱くとき、彼らは中核層となるのだ。そして、このような中核層に権限を与えることで、自らを律し、社会に対して責任と自覚をもつ人びとによって支えられる新たな信頼社会が可能になる。

 以上の次なる課題として、中核層が主役となる信頼社会における政府とくに地方自治体の役割は何か、そして中核層が活躍できる公共をどのように実現するのか、あるべき政治の姿を本稿は考察してみたい。

地方政府のあり方を問う

 政策決定はできるだけ小さな単位で行われるべきで、そのレベルでは不可能だったり非効率だったりすることに限って上位の単位で行う、という考え方は「補完性の原理」と呼ばれている。この原理は、従来ともすれば国から広域自治体(都道府県)へ、広域自治体から基礎自治体(市区町村)へという権限委譲を支え、また自治体と住民の関係にあってはまずは個人の自己責任を勧奨する論理と捉えられがちであった。これに対して本稿は、まずは基礎自治体、そして広域自治体、最後に国という大枠を維持しながらも、そこに中核層の活動を措定することによって、こうした補完性の原理をもっと人びとに身近で優しく、スムーズなものにしたいと考える(図3-1)。

図3-1 中核層と自治体の役割分担

 まずは、われわれにとって身近な存在である、基礎自治体を念頭に置いて、話を始めよう。人口減の時代には、点在する公共施設を整理統合して自治体の負荷を軽減する──街を「たたむ」(藤村龍至)──ことが必要といわれる。1つひとつの自治体内部にとどまらず、複数の自治体が一部事務組合をつくってごみ処理を共同で行ったり、大きな消防署をもっている隣の自治体に消防・救急事務を委託する代わりに近隣自治体の住民も利用できるような公園を整備したり、といった自治体間の水平補完も少しずつ進められており、こうした動きは今後さらに加速されることになろう。

 ただ注意すべきは、たとえ行政サービスの拠点を集約しても、とくに地方においては住民が点在・散在しているため、たとえば在宅サービスにおける出張・配送費用や通所サービスにおける到達費用の高さが示しているように規模の経済を望みにくい、という点である(金井利之「第30次地方制度調査会の役割と今後の自治制度の方向性」『市政』2013年8月号)。強制的に人びとの住まいを中心市街地に移転させることはできない以上、従来の自治体に代わって、あるいは自治体と共に中核層が住民に対して公共サービスを提供し合う「もう1つの水平補完」が必要不可欠であり、こうした中核層を育て、中核層の自由な発想に基づく公共活動のスタートアップを支援・促進し、中核層と協働することがこれからの自治体の役割である。

 そこでは行政サービスを民間部門にアウトソーシングするという意識ではなく、中核層と共に地域社会を形成するという意識改革が重要である。

 ショッピング・モールでは、当該商業施設の開発・運営会社(核となる大型スーパー)がすべての店舗を直営するのではなく、さまざまな小売店舗が入居して地域の商業拠点を形成する。ならば市役所にあっても、従来どおり自治体が直接担当するサービスの窓口の横に、中核層が提供するさまざまな公共サービスのデスクが並ぶ「パブリック・モール」が構想されてもよかろう。市役所の庁舎に限った話ではない。従来はもっぱら消費生活に特化してきたショッピング・モールの一角に、所在地の自治体が出張所を設置した例は各地に見られるが、もっと利用者本位でモールに集う人びとが住む周辺自治体の窓口が並び、さらにその地域の中核層によって担われる公共サービスの拠点が併設される「パブリック・フロア」があってもよいではないか。

 実現可能性に首を傾げる向きも、インターネット上で公共サービスのワン・ストップ・サービスを可能にするウェブサイト(パブリック・ポータル)を想像すれば、たんなる夢物語ではないことを理解いただけるはずだ。自治体が提供する行政サービスと中核層による公共サービスをシームレスに連携させることが重要であって、その入り口がフィジカルであるか、バーチャルであるかの違いにすぎない。

 こうした基礎自治体と中核層の協働を前提に、広域自治体である都道府県に新たに求められる役割として、以下の3点を指摘できる。

 まずは、基礎自治体に対する助言・提案である。人口構成の長期的な見通しに基づいて周辺自治体も含めた地域全体のビジョンを提示すること、他の県や地域における成功事例の横展開やそれらの各市町村におけるカスタマイズを支援すること、そして市町村間を取り持って水平補完を促進することは、都道府県ならではの仕事となる。

 中核層との連携をもってしても基礎自治体としてのフルセットの機能を果たしえなくなった小規模な市町村に対しては、一部の事務を都道府県が肩代わりする、いわゆる垂直補完も2つ目の役割と想定されなければならない。この点で「(前略)都道府県が事務の一部を市町村に代わって処理することができるようにすべきである」という第30次地方制度調査会の答申を受けて、地方自治法改正等を通じて新たな広域連携に向けた第一歩を踏み出したことは評価できるものの、現状は微温的な試行にとどまっている。垂直補完に対しては基礎自治体の「格下げ」である、地方分権の流れに逆行するといった懸念も存在しようが、これまで強調してきたように住民自治の主体は市町村ではなく住民なかんずく中核層であって、市町村と都道府県間での垂直補完と市区町村から住民へという住民自治の深化とは本来両立可能なはずである。

 都道府県に望まれる3つ目の機能は、地域の主役となるべき中核層の育成である。地方大学の多くは、それぞれの特色や社会的役割として地域社会との連携、地域に役立つ人材の育成を掲げている。しかし、こうしたミッションを実現するため大学に残されたリソースは少なく、態勢は貧弱である。

 たとえば、文部科学省は「地(知)の拠点整備事業」「私立大学等改革総合支援事業」等の施策を進めている。目的には賛同できるが、実際に展開されている事業には抜本改革というよりも一過性の小ぢんまりとしたプロジェクトにとどまっている例もある。国際教養大学や立命館太平洋アジア大学などにおける進取の精神に富んだ取り組みをはじめ、地方国公立・私立大学に溢れるアイデア──まさに実践知──を実現に導くため、提案募集方式による地方大学の改革推進に重きを置くべきだろう。その際は、将来地域の担い手となる人材の確保という観点から都道府県こそがイニシアティブを取って、地方国公立・私立大学による一層大胆な取り組みを支援することが望まれる。

地域に応じた課題

 ここまでは基礎自治体と広域自治体を区別して中核層が主役となる信頼社会の構築に向けた地方政府のあり方を論じてきたが、次に地域に応じた課題の諸相を見ておこう。

 以下は地方制度に関する総務省や国土交通省による議論の枠組みを一定程度利用しているものの、そこに中核層の視点という補助線を引くと、役所による「上から」目線の計画がガラリと一変することを示すのが本節の眼目である(表3-1)。

表3-1 各自治体のめざすべき方向:中核層が活躍する場を広げるために

 まず、持続可能な信頼社会を構築するためには、東京が国内はもとより、世界中からイノベーターやネットワーカーの集まる拠点にならなければならない。まずめざすべきは、上海や香港、シンガポールに劣らない研究開発・生活環境を提供して、アジアにおける知の集積地をめざすことである。

 東京論は枚挙に遑(いとま)がなく、論点も多岐にわたるので、1つの例として著者(および元東大助教授である舛添都知事)にとり身近な大学を取り上げよう。シリコンバレーとスタンフォード大学の関係に見られるように、とくに基盤研究においては、大学や国公立の研究機関こそが、民間に散在するアイデアの種を結集し、それを世界的な人材の手で芽吹かせ、果実を社会に還元する拠点にならなければいけない。

 しかし、こうした目的を国や都はどこまで真剣に捉え、それに見合う手段を講じているだろうか。往々にして見られるのが、シニア教員から外国人や若手教員へ1500人分のポストを振り替えさせるといった短絡的な手法で、それでは知識の「集積」という目標を研究者1人当たりの「生産性」向上、要するに椅子取り合戦に矮小化するだけである。少なくとも文部科学省が「世界最高の教育研究の展開拠点」をめざすべきと考える大学が外国に人材を求める場合には、その部分を教員定員や人件費管理の枠外にするなど、より柔軟で機動的な人材登用を可能にする根本的な取り組みが求められる(そもそも国公立大学教授の給与は米国の一流大学に劣り、一線級の研究者を採用することは困難である。誤解のないよう付言しておくが、これは既存教員の待遇改善という趣旨ではない)。

 そして、国および東京都には、世界的人材の生活を支える環境の整備──たとえば、住居、子弟の教育、外国語対応医療機関など──に向けて大きな役割を果たすことが期待される。これまでのような国と都、あるいは各省庁による漸進主義的な調整にとどまらず、外国人の視点も取り入れながら、国家戦略の観点からより広範かつ大胆な施策を講じなければならない。

中核層が連携した地域社会をつくる

 次に、横浜市・川崎市・千葉市・さいたま市など首都圏の政令指定都市については、今後高齢化が進行すると見込まれる。一方で、これらの市はそれなりの市域をもち、また昼夜間人口比率(夜間人口100人当たりの昼間人口)が比較的小さい──たとえば、横浜市は91.5、川崎市は89.5──など人口・税収の割に行政サービスの需要が相対的に抑えられるアドバンテージがある。

 これらの大都市においては、基本的に現行の地方自治制度をベースとしながら、より長期的なビジョンに基づいた政策展開が求められる。統治機構の大幅な変更をとくに必要とせず、また人的リソースにも相対的に恵まれており、前節に述べた中核層と連携した地域社会の形成に向けて、先進的な取り組みの事例を全国に発信していくことが期待される。

 同じ東京近郊であっても、多摩地域や神奈川・千葉・埼玉県の政令指定都市ではない市町村は、これから東京23区を上回るペースで生産年齢人口・年少人口が減少する一方で、老年人口は増加する、すなわち高齢者比率が急伸する地域である。これらの地域では平成の大合併は進んでおらず、現在の市域や周辺市とのごく限られた水平補完で万全の対応を取りうるのか不安が残る。他方、郊外型都市は、人口密集地域のため、行政サービス拠点を集約した場合のスケール・メリットが見込め、また中核層による各種公共サービスのネットワークを張りやすいという長所をもっている。

 東京近郊において、中核層のアイデンティティは1駅ごとに変わる市域以上に、湘南なり多摩──市名ではなく地域としての──といったより広域に対して、少なくとも重層的に帰属している。これらの自治体においては、アイデンティティや課題を共有するなかで、あたかも欧州連合の加盟国になったような意識で水平補完と中核層とのリエゾンを大幅かつ強力に推進する必要がある。万一、市町村独自の取り組みが十分な成果を生み出せなければ、東京都や各県がイニシアティブを取る可能性も出てこよう。

 地方都市のうち大阪市・名古屋市・福岡市などは、政治経済の中枢でありながら、労働力などの供給を周辺の都市に依存している「大都市(圏)の中の大都市」である(北村亘『政令指定都市』)。これらの都市では高齢化に加えて、夜間人口(住民数)を大きく上回る昼間人口に合わせて道路や水道などのインフラストラクチュアを整備・更新しなければならない課題を抱えているが、都市圏全体としての自主的な財政調整は期待薄である。なかでも大阪は中心部と郊外(とくに西側)との平均所得格差が大きく、中心部と郊外との大阪都構想をめぐる橋下大阪市長と周辺市の温度差に表れているとおり、自治体間の水平補完の深化には難航が予想される。北村氏が主張するように、首都圏と並んで全国的な経済発展を牽引させるべき都市には、国からの権限委譲や財政的な特例措置が講じられなければならない。

 これらに準じる各地方の中心都市圏──総務省のいう地方中枢拠点都市とその周辺、あるいは国土交通省のいう地方中核都市圏。要するに県庁所在地プラス・アルファ──は、増田寛也氏らの用語によれば再生産構造にとっての「防衛・反転線」である。そのためには国と道府県のイニシアティブの下、周辺市町村との水平補完を強力に進め、行政コストを抑制することが重要である。ここでの水平補完とは東京近郊で述べたほぼ同規模の自治体間での役割分担ではなく、第30次地方制度調査会のいう「集約とネットワーク化」すなわち中心となる市と近隣市町村のあいだでハブ・アンド・スポーク型の連携である。

 ただ、自治体間では事務の綱引きまたは押し付け合いが不可避的に生じるのに対して、それぞれの住民は、自宅はA市、職場はB市、学校はC市、買い物はD市、スポーツや映画を楽しみに行くのはE市……という具合に、日常茶飯に自治体の境界を越えて活動する(図3-2)。中核層も同じであり、中核層とくにネットワーカーとコミュニティ・ノードが紡ぐ地域の網の目は、たやすく市町村境を超越する。水平補完を自治体間の事務分担の問題にとどめず、まずは中核層にとっての活動のしやすさという住民本位の視点から始めて、中核層のアクションを支援することが肝要である。

図3-2 自治体を超える生活圏

 たとえば、自治体が主導するバスやトラムによる中心市街地における公共交通の活性化策はよく知られているが、そこにライドシェアリング・サービス──自動車の相乗りサービス。インターネットを利用して、車を利用したい人と車に乗せたい人をマッチングする。アメリカではUber、Sidecar、Lyftなどのサービスがタクシー業界を脅かすほどに発達しており、日本でも一部のサービスが始まっている──が加われば、交通網をさらに広く、きめ細かにできる。このように中核層は自治体間調整の緩衝材となり、また中核層とITが相まってハブ・アンド・スポークをくもの巣状の密なネットワークに進化させ、地域を自らのものとして高めることが期待されるのである。

 地方の中心都市圏を「防衛・反転線」と呼ぶことに不安を感じるのは、これに基づく施策の反射的(不)利益で「地方切り捨て」を含意しているように響く点である。たしかに老齢人口を含む人口減少が進む地域に、従前の意味における地方開発を目的としてリソースを振り向ける余裕は、現在の日本から失われつつある。近隣市町村と水平補完を進め、定住自立圏を形成できればよいが、人口減少のスピードに比して、質量両面で──何らかの定住自立圏形成協定を締結または定住自立圏形成方針を策定したのは、2014年1月現在で全国78圏域にとどまっており、連携分野も全面展開というには程遠い──残された課題は大きい。水平補完によっても中長期的ビジョンを描けない自治体に対しては、その規模に応じてグラデーションをもちながら、都道府県による垂直補完に軸足を移さざるをえないだろう。

 さりとて声を大にしたいのは、地方における地方自治体による行政サービスの効率化は、中核層にしてみれば多様な生き方、選べる人生を可能にするフロンティアの再来と捉えるべき点である。たとえば、一般社団法人移住・交流推進機構のウェブサイトには、完全移住にとどまらず、週末や季節別などパートタイムの地方暮らしを含めたさまざまなライフ・スタイルの事例が紹介されている。GDPや経済成長率といった従来の評価指標を転換して、むしろ人口当たりの自然エネルギー量が大きく、未稼働の資産が多く残されている地域にこそ大きな可能性があるという「里山資本主義」(藻谷浩介・NHK広島取材班『里山資本主義─日本経済は「安心の原理」で動く』)は、示唆に富んだアイデアである。

 また、経済学の立場からも、岩井克人氏と佐藤孝弘氏はそれぞれの地域が東京にはない優位性を極限まで活用することを主張する。仮にあらゆる財やサービスで東京に対して生産性が低い場合(絶対劣位)であっても、それぞれの生産性の比率をみて相対優位の分野にリソースを集中することによって国全体の生産性を高められる(「比較優位の地域サバイバル戦略─東京に負けない経済構造を目指して」東京財団ウェブサイト)。

 「ふるさと」は生まれ育った場所だけではなく、何かの形で「そこにかかわること」によって新しい「ふるさと」への誇りと価値が作り出される、という政府のふるさとづくり有識者会議のコンセプト・ステートメントはけだし名言である。あえていま1つを望むとすれば、同会議が示した啓発資料は、委員たちが集めてきた各地域の先進的な取り組み以上に、中央各省庁による関連事業のカタログになってしまっている点である(内閣官房「ふるさとづくり推進のために─施策・取組事例集」平成25年11月19日)。本稿の問題意識からして、まずは中核層、次いで自治体、都道府県、そして国というこれからの社会構築主体の優先順位を違えてはならない。

国は何をすべきか

 前節で述べたような地域づくりのため、国は何をすべきか。まず確認しておきたいのは、財政危機が本稿の出発点であり、各省庁が行う「○○補助事業」「△△交付金」の類を頼りにできないし、してはならないという点である。まして選挙が近づくたびに打ち上げられる花火のような大盤振る舞いでもない。前提となるのは「上から」「中央から」地方を作り変えるのではなく、市区町村と中核層による現場レベルでの取り組みを引き出すために、国は厳しい財政的制約を前提として何ができるのか、という問題意識である。中核層が活躍するための土台づくりという観点から、以下の3点を指摘しておきたい。

 人びとは自身の生き方を自ら選び取っている自覚があってこそ、真の意味での社会の担い手になる。中核層の多様な人生の選択を可能にすることが、国の第1の責務である。たとえば、女性はどうか。人びとが自分の意思に基づいて人生の選択と機会の幅をもっているかを国際的に比較する数値として、国連開発計画の「人間開発指数(HDI)」がある。2014年版のHDI──今年の発表セレモニーは東京で、首相も同席して行われた──では、日本(男女全体)は全世界中17位と比較的高位にあるものの、その男女格差(平等性)は79位にとどまった。男女間の所得格差が低迷の原因と見られる。育児と働きがいを両立させようとしている女性を、3歳児神話なる不合理な根拠に基づいて家庭に押し込めてはいないか。男女共同参画の問題に限らず、月曜日から金曜日の午前9時から午後5時まで──果ては深夜や週末まで──都内のオフィスで顔を突き合わせていなければ生産性を最大化できないのか。学位の濫発を防ごうとするあまり、性悪説に立った細かすぎる大学教育規制が、結果的に働きながら学ぼうとする人びとの意欲を挫いてはいないか。保育園、幼稚園、学校、大学、企業、役所といった各組織の都合によって人生を特定の鋳型に填め込むのではなく、多様な生き方を実現するという理念を第1にした、社会経済制度の根本的な見直しが急務である。

 第2に、国が地方行財政の自律性を確保することである。国と地方(都道府県・市町村)の政府支出のうち地方のウエイトは約6割に達しているが、その実、地方一般歳出の大部分は国庫補助関連事業や、国から実施を義務付けられたり基準を設定されたりする事務によって占められている。今後、財政危機が深刻になるにつれ、地方財政計画で自治体の歳出総額に見合う歳入を確保するという「出ずるを量って入るを制す」式の地方財政スキームは実質的な限界を迎えるだろう。行政サービスの減量を余儀なくされるときに、国の関与を受ける事務でがんじがらめにして、中核層と自治体が創意工夫を発揮する余地を奪ってはならない。国による義務付け・枠付けの見直しを加速し、それでもなお残る国が関与する部分に関しては自治体に対する財源保障を確保しつづけることが必要である。

 第3に、負担の分かち合いを可能にする意思決定の仕組みを、国が率先垂範することである。もはや全員に気前よくパイを配分することができない現在の政治においては、さまざまな立場の意見に耳を傾け、討議を通じて自らの意見を再検討し、必要に応じて修正する熟議のプロセスが重要である。最終的に自分の意見が採用されなかった場合においても、その意見が十分に考慮されるプロセスを経ていれば、結果を正当なものとして受け容れる者が多くなる。

 さりとて熟議の名の下に、小田原評定を正当化するものであってはならない。たしかに昨夏以降の第2次安倍内閣は両院で安定多数を得た。しかし、2007年から09年にかけて、あるいは攻守所を代えて10年から12年末までのように、衆参両院の多数派が異なるケースは今後も十分発生しうるし、ねじれ国会における意思決定のルールや智慧が制度的にも慣例としても確立されたわけでもない。財政危機と人口減少のなかで厳しい決定を余儀なくされるこれからの政治を考えるにあたり、安倍内閣の施政に対する賛否と一般論としての──自民、非自民のいずれが政権の座にあっても逢着しうる政治状況に対する──制度デザインの問題は切り分けて考えねばならない。1990年代の政治改革の成果を踏まえつつ、両院制や国会審議のあり方などなお残された課題に取り組むなかで、「熟議」と「決定」を両立しうる政治システムの構築に向けて粘り強くアタックすることが重要である。

政党が果たす役割とは?

 こうしたなかで、国と自治体、都道府県と市町村、市町村間、そして政府と中核層というさまざまな政治主体を統合する存在として、これまで以上に重要な役割を果たさなければならないのが政党である。政党とは、単に政治権力に与(あずか)ることをめざすのみならず、共通の政策的な目的を実現するためにつくられる団体である。自治体間の水平補完をめぐってA市とB市が、垂直補完をめぐってC市とX県が対立しているとき、本来ならば各県・各市に首長や議員が輩出している政党こそが、その共通の政策的な目的を公約数として諸利益を集約すべきである。砂原庸介氏は、選挙区という空間を超えて有権者に支持を訴え、政治家個人が辞めても組織としての決定が残る政党こそが、時間と空間を超えて民意に責任をもちうる、地方政治制度改革の鍵と主張している(砂原「橋下『大阪都構想』に立ちはだかる地方自治の壁」『中央公論』2014年4月号)。

 また、前述した中心都市圏をめぐっては、総務省は61の地方中枢拠点都市、経済産業省は243の都市雇用圏、国土交通省は60~70の高次地方都市連合と、早くも各省間の縄張り争いの兆しが表れている。増田寛也氏はこのような各省の概念を調整し、政府として統一の戦略を練り上げることの重要性を力説されているが(7月13日付『毎日新聞』)、本筋においてその統合主体となるべきは政党であり、調整・戦略策定の基礎となるのが綱領・政権公約・施政方針であり、そして調整の任を担うのが政権党のリーダー即ち首相である。間違っても、与党政治家が予算分捕り合戦に勤(いそ)しむ、一党優位時代の悪しき政党のあり方を復活させてはならない。

 以上の観点から、各党には綱領において、財政危機と人口減少という現実を直視した上で、その向こうにめざすべき新しい社会像を描くことが求められる。描きうる社会像やそこに到達しうる道程は1つではなく、その複数性に基づく対立が今後も政党間競争の源泉となるであろう。

 しかし、こうした差はあっても大きな時代・課題認識は共有可能なはずであり、そこに熟議と決定を可能にする建設的な政党政治を鍛え直す鍵があるとわれわれは信じている。既成政党に対する批判は高まる一方だが、それでもジェームズ・ブライスが遺した「政党なしで代議制民主政治を運営可能であることを示した者は誰もいない」という命題(『近代民主政治』)は、いまなお保たれている。ならば、政党政治の再生に懸けるのが筋であり、その際に中核層が重要な役割を果たすことに期待したいのである。

(写真左から)谷口将紀、牛尾治朗、宇野重規

宇野重規(うの しげき)

博士(法学)(東京大学)。専門は政治思想史、政治哲学。著書に『政治哲学へ―現代フランスとの対話』(東京大学出版会、渋沢・クローデル賞LVJ特別賞)、『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社、サントリー学芸賞)など。

谷口将紀(たにぐち まさき)

博士(法学)(東京大学)。専門は政治学、現代日本政治論。総務省政治資金適正化委員会委員、日本政治学会理事を歴任。著書に『現代日本の選挙政治―選挙制度改革を検証する』(東京大学出版会)、『政党支持の理論』(岩波書店)など。

牛尾治朗(うしお じろう)

東京大学法学部卒。卒業後東京銀行に入行。カリフォルニア大学大学院留学を経てウシオ電機を設立。経済同友会代表幹事、内閣府経済財政諮問会議議員、日本生産性本部会長などを歴任。著書に『わが経営に刻む言葉』(致知出版社)など。

付録 対談「中核層」が主導する情報社会の変革-政府と市場の亀裂は修復可能か-

牛尾治朗

総合研究開発機構(NIRA)会長/ウシオ電機株式会社代表取締役会長

公文俊平

多摩大学情報社会学研究所所長

脱原発論にも似た「ゼロ成長論」

牛尾 『Voice』2013年7月号で、私は、日本が情報化やグローバル化に適応していくためには、「中核層」を軸に社会を築く必要があると書きました(本誌第1章)。中核層とは、自分の生き方を選択し、社会とのつながりを意識して生きていく人びとのことです。かつて高度経済成長の末期に大平総理が9つの政策委員会を設置し、そこから「新中間層」という言葉が生まれました。これも、時代の変革期に、社会の軸となる層が必要とされたからだと思います。

 本日は、当時の議論に参加され、その後も情報社会をご専門に研究しておられる公文俊平先生と対談する機会を与えていただきました。まずは、当時のお話をお聞かせいただけますか。

公文 大平内閣時代で、私の記憶にいちばん鮮明に残っているのは、佐藤誠三郎(元東京大学教授)、香山健一(元学習院大学教授)、私の3人が一緒になって取り組んだ仕事です。3人のなかでは私がいちばん若く、2人のあとに付いていろいろなことをやっていました。私たちは、当時、マルクス主義、学生運動が盛んだった東京大学の駒場で学生のときに知り合った。戦後体験は同じ、いってみれば大人不信であり、貧しさを何とか克服しなければならないということでした。そんな共通項もあり、お互いに信頼できる仲間だと思ったのです。

 ところが実際に関わった学生運動は、失敗そのものだった。社会主義・共産主義の国の現実とはどうかというと、これも、とんでもないということがわかってきた。また左翼の見方では、国民は貧しくなる一方で明日にも革命が起こるというけれども、当時の日本では、復興と経済成長が順調に進んでいて現実は全然違うことに気付きました。

 その後、大学院を卒業してからは、私たちは別々の研究活動に入りました。香山さんは、社会学者の清水幾太郎さん(元学習院大学教授)のゼミや研究会で活躍して、未来学者として世の中に知られるようになりました。そのころから牛尾さんともだんだん接点ができていったのだろうと思います。佐藤さんは日本政治、とくに「55年体制」の意味をポジティブに評価して頭角を現していったと思います。私は1960年代の初めに米国に留学して、ソ連論それからシステム論、社会システム論を勉強しました。

 その後、われわれ3人が再び活動を共にするようになったのは、近代経済学も含めた社会科学それから科学技術の有用性を積極的に認め、現体制を批判するだけが能ではなくて、むしろ体制に積極的に参加して貢献すべきではないかということで、考えが一致したからです。これも別に申し合わせたわけではないのですが、気が付いてみると、同じように考えるようになっていたということです。

牛尾 当時の日本経済は、ニクソン・ショックとオイル・ショックに直面し、「円安・エネルギー安」という成長から「円高・エネルギー高」という新しい局面に移行せざるをえなかった。小型化と省石油による発展を選択した日本は、科学技術の進歩を無視するわけにはいかなかった。

公文 そうです。しかし一方で、このまま人口増加や産業化などが続けば100年以内に人類は衰退に向かう、というローマ・クラブの「成長の限界」論が出されました。香山さんがすぐに、これを議論せねばならぬというので、ローマ・クラブの日本委員会に入って研究会を組織し、私も参加しました。しかし、当時のゼロ成長論は、いまの反原発・脱原発論にも似たところがあって、やみくもに「くたばれGNPだ、ゼロ成長だ」と言い募るので、これはちょっとおかしい、むしろ技術進歩による成長の可能性を現実的に評価すべきだと考えた。

 世の中は一種の魔女狩りのような様相を呈しまして、公害企業がたたかれ、自動車の排気ガス問題などが非常に大きな話題になっていた。じつはそのとき、とても実直な技術者の方から「本当のところ、いまの排気ガス規制(米国マスキー法)をクリアするのはとても無理です」という話を聞かされた。そこで、牛尾会長が設立し私たち3人が拠点としていた社会工学研究所で行った「現代の魔女狩り」批判のなかで、自動車の排気ガス規制は行き過ぎだということをいろいろ書いたのですが、その後すぐにホンダが低公害エンジンを開発し、あっさり排気ガス規制をクリアした。

 そこでわれわれは、何で日本はこんなに強いのだろうか、どうやって日本の近代化は成立したのか、あるいは可能であったのか、ということを真面目に研究してみる必要があると考えた。そのころ駒場の同僚だった村上泰亮さんが、日本の近代化の歴史をさかのぼってみなければいけない、日本社会の特徴や現在の日本の国のあり方は過去の歴史と緊密に関係しているに違いないと言い始めたのです。佐藤さんと私も大賛成で、当時、イエ社会とかムラ社会ということがいわれていたのですけれども、いろいろ調べてみると、ムラよりも、イエが重要なのだ、日本の社会進化の中心にあるのだということで、「イエ社会の近代化」論を3人で展開しました。

牛尾 日本の企業では従業員を大切にする企業一家主義という流れがあって、私は、当時「従業員シンジケート」という論文を書いたりもしていました。

公文 そうですね。私も刺激を受けました。その後、『文明としてのイエ社会』を79年にようやく3人の共著として出版し、その延長線上で、新中間層というか村上さんの言葉でいえば「新中間大衆」に多くを期待する議論が展開されました。しかし、ここで問題がありました。はたして、イエ社会の強さは今後も続くのか。とくに石油危機のような危機を日本は乗り越えていけるだろうか、ということです。当時の状況からみて、イエ社会が適応していけることは間違いないと私は思ったのですけれども、経済界では、これまでのように企業が丸抱えのイエ型企業をやっていくのは無理なのだ、という減量経営論が主流になりました。

牛尾 石油危機を機に、日本の企業一家主義が崩れ始め、日本社会が大きな変革期を迎えたのだと思います。

公文 そのころ、悔しかったのは、大平内閣になって第2次石油危機が起こったときのことです。東京でサミットが開催され、各国の原油の割り当てを減らすという話になった。サミットの期間中に、日本抜きで各国首脳が集まりました。日本を標的にしたのです。大平さんは、何とかひどい削減にならないようにというので、本当に苦労された。ところが、私たちがデータを調べてみると、すでに石油原単位は低下していてそんなに石油は必要ない状況になっていることがわかった。このまま行けるなら、サミットでいうようなハードルは存在しないに等しいのだと気が付いて、それも申し上げた。しかし、当時の通産省の考えは違っていました。しかも、あのときに、あろうことか備蓄の積み増しをやったんです。

 そのときに、備蓄は役に立たないと痛感しました。使うべきときに使わない備蓄は、備蓄がないより悪いですね。あのとき本当に大平さんは体を壊されて寿命が縮まったのではないかと、いまでも悲しいです。

牛尾 西欧社会が石油消費を急激に増やす日本に対して排他的だった。だからいっそう夜眠れなかったんだよ。

公文 ええ。そういうなかで、私たちは田中内閣時代からはっきりしてきた福祉政策、福祉の拡大への批判を行おうとしたのです。福祉の拡大自体は別に悪くはないけれども、これをやり過ぎたらとんでもないことになる。まして人びとがそれを当然の権利と見なして、ますます多くを要求するようになったら、これは日本がもたないと思いました。そこで、「日本の自殺」という論文を香山さんが書いて、『文藝春秋』1974年6月号に匿名のグループ名で載せました。いわゆる「パンとサーカス」の批判です。それが土光さんの目に留まったのです。私はそのグループの1人でしたが、メンバー全員の名前は、いまでも伏せられています。皆他界してしまったことは残念でなりません。

 その後、匿名でやるのもいいけれども、表に出て本格的に政権を学者が支える、あるいは官僚も一緒に入って支えるべきだということになりました。

時代を循環で捉えた「15年周期説」

牛尾 そこで大平内閣が設置した政策研究グループに参加することになった。

公文 そのときに面白かったのは、関西から大挙して多くの識者が参加されたことです。おそらくは、梅棹忠夫さんが大号令をかけたのだと思います。

牛尾 高坂正堯先生と山崎正和先生は当初から入っていたが、梅棹さんが田園都市国家構想の座長になって、彼の親しい仲間が加わった。

公文 そうなんです。それで東京の連中だけに任せてはおけん、行けというので、みんなやって来たということを聞きました。それが非常によかったですね。京都と反目するんじゃなくて、一緒に手を組んでやった。しかも、その研究会は座長には大物の先生方をお願いしたんですけれども、中心の運営は若手の幹事でした。

 当時、アメリカとの対外経済摩擦が生じ、アメリカからの要求が厳しくなった。そのため、何とかしなきゃいかんという話になった。しかし政策研究グループの結論が出るのはだいぶ先だから、幹事が中心になって機動的な対応をすることになった。そこで学者を中心とした幹事が集まって、かなり時間をかけて相談をして、文書をつくりました。しかし内部から異論が出て、結局正式なものにはなりませんでしたが、のちの「前川レポート」なんかに近いような内容のものでした。それはともかく、全体としての大平研究会はかなり順調に進んだと思います。

牛尾 大平研究会は、学者の人が自分の考えを精いっぱい発露して、行政にも影響を与えながら考え方をまとめた唯一のケースでしょう。

公文 そうですね。このときに私が刺激を受けたのと同時に知恵を絞ることになったのは、大平さんの哲学、時代認識です。大平総理は、いまは近代を超える時代であると考えられて、「経済の時代から文化の時代へ」とおっしゃいました。しかし、私は、どう考えても近代が終わるとは思えませんでした。近代を反省するのはいいけれども、近代を超えるのは困難ではないかと思いました。経済の時代から文化の時代へというけれど、経済の時代がなくなるわけもないだろうとも。ではいったいどうしたらいいだろう、というので非常に悩みました。

 それがいまに至っているのですけれども、そのとき考えたことが2つありました。1つは、短期の問題として、いわば経済が云々されている時代から文化が云々されている時代に移ることは当然ありうるだろうと考えました。そこで目を付けたのが、「15年周期説」です。

 石油ショックの直後から、15年周期説的な議論が論壇に出てきました。経済の時代が1960年から75年まで続いた。その前の45年から60年までは、いわば政治の時代で、その前の30年から45年は戦争の時代だったじゃないか。さらにその前の15年間は、いわば大正末から昭和初めの文化の時代といっていい。というふうに考えると、文化、紛争、政治、経済というようなかたちでほぼ15年ごとに、全体としてはほぼ60年ごとに、時代というか局面が循環していると考えたらいいではないか。

 ならば、これから2度目の文化の時代になり、さらにその先の15年はかつての戦争の時代に匹敵するような混乱と紛争の時代になる。ただ、軍事的な戦争は考えにくいので、いってみれば経済摩擦、経済戦争の時代になるのではないか、と考えてみました。

 もう1つ、より長期的にはどうか。近代そのものにいくつかの局面があると考えるべきではないか。近代の始まりを国際政治学でいう主権国家が生まれたころと捉えると、16世紀の後半から200年ほど、いわば軍事政治国家中心の局面が続いた。その後、18世紀の後半から200年ほどが、まさに経済中心の産業化の局面になった。そう考えると、20世紀の後半から、近代のなかでの新しい第3の局面に入ることになります。そこで、これだと思ったのが、そのころからいわれていた情報化、情報革命です。香山さんは、情報化の研究の先駆者でしたが、日本では1960年代に世界に先駆けて「情報化」という言葉と「情報社会」という言葉ができたのです。それがフランスやロシアに伝播して、「情報化」については「アンフォルマチザシオン」(フランス語)や「インフォルマチザーチヤ」(ロシア語)という言葉が作られました。英語では、「インフォーマチゼーション」という言葉がようやく市民権を得つつあります。「情報社会」に対応する「インフォメーション・ソサエティ」も、まずヨーロッパで、それからアメリカに広がっていきました。それが、まさに大きな意味での経済を超える時代の到来ということになるでしょう。そういうわけで私は、それから「情報社会学」を言い出したのです。

牛尾 15年周期説で考えると、2005年から2020年は何の時代になりますか。

公文 これは新しい「政治の時代」になるはずです。ネット政治を含めてですね。ただし、今度は展開がだいぶ遅いですね。もっとも戦後の復興期でも、52~53年ぐらいまでは、まだまだ日本が大きく発展できるなんていうことを思っている人はほとんどいなかった。

牛尾 そうすると、これからのあと7年ぐらいがいちばん重要だということですね。

公文 ええ。非常に変わっていくと思いますね。

内に向かう日本のアカデミズム

牛尾 先生方は、アカデミズムの枠を超えて積極的に日本社会の変革に関わろうとされた。それに対して、いまの日本のアカデミズムは、外に出て行くというよりは、いまだに内部での評価が重視されているように思えます。いまだに、外に出て行くことに対して否定的な評価がされている気がします。

公文 それは、アカデミズムだけではないかもしれませんね。「グローバリゼーション」という言葉は独り歩きしているけれども、日本では、じつは逆に内に向かう動きのほうが強いことは、ジャパン・ウオッチャーは皆指摘していますね。

牛尾 たしかに、日本の行政も、グローバルな社会の流れにダイナミックに対応できていませんね。内向きになっているアカデミズムと行政とを、どのように変えていけばよいのでしょうか。

公文 大きくいうと、アカデミズムといったような世界がなくなるというか、そういう領域とか境界が融けていくと考えています。いま、現にそうなりつつあるし、そうなってほしいと思います。

牛尾 アカデミズムと官とが一体となって、行政に関与していく必要があるということでしょうか。

公文 そう思います。そういえば、当時、私たちは大学改革をやろうという共通の思いを抱いていました。そこで、佐藤さんと相談して、官との人事交流をやるのがいいんじゃないかという話になった。官庁から若手のエース級の人を2年間駒場に出してもらって、それが終わったらまた次の人と交代するという仕組みをつくりたいと考えたのです。私は経済企画庁から官庁エコノミストを呼んでくる、君は外務省でいい外交官を探してきてくれということでだんだん話が進んでいるうちに、駒場のある同僚が、「何かおかしいですよ。外務省は交流なんかする気ないです。あなた方はだまされているんじゃないですか」と。まさかと思ったんですけれども、心配になったので、すぐ佐藤さんのところへ行って「こんな話を聞いたよ」といったら、彼はカラカラと笑って、「そんなことない。大丈夫だ」というんですね。それでしばらくたつと、たしかに現役の課長を出してくれたんですよ。しかし、外務省は交流する気はなかった。出しっ放しで終わりました。

 経済企画庁のほうは、駒場のなかに強い反対があった。「官庁エコノミストを連れてくるとは何事か」とか、「官庁とつながりができたら大学は腐敗する」とか、です。しかし何とか頑張って、のちに日銀の副総裁にもなった岩田一政さんを出してもらいました。ところが1カ月もしないうちに駒場で反対を唱えていた連中が突然豹変して、彼の留任運動、つまり役所に帰らないでくれという懇請をして、結局彼は大学にずっと残ることになった。したがって、これも1回だけで終わりました。

従来のエリートが不要になる

牛尾 あの時分は官庁が強かったからね。

公文 それも時代のなかの1つの出来事です。私は、そうした仕組みをつくることは難しいけれども可能だといまも思っています。むしろ大学のほうから行政官として入っていくほうが難しいでしょうね。

牛尾 そうですね。しかし、アカデミズムには、政府と市場とのあいだに入って、両者の対立を緩和するような役割が期待されていると思います。最近のリーマン・ショックは結局、政治と市場が対立してしまい、それで大きなクラッシュが起きてしまった例ですが、アカデミズムの役割をもっと積極的に捉えてもよいのではないですか。

公文 『Voice』2013年7月号に牛尾さんが書かれた論考(本誌第1章)には、なかなかいいことがいろいろ書いてあって、私は赤線を引きながら読みました。要するに、政府と市場との役割分担が基本であって、アカデミズムというのは、どちらかといえば一歩離れた場所にいるというのがこれまでの関係ですよね。例外的なのは、経済企画庁とエコノミストとの関係、これはもとからかなり緊密なものがありました。

 しかし問題は、この政府と市場がどちらも制度としては失敗している面が強くなってきていて、それをどうするかというときに、いわば第3の原理を考える必要がある。いや現に、第3の原理が生まれつつあるといっていいでしょう。たとえば、米国の気鋭の評論家にスティーブン・ジョンソンという人がいますね。10年ほど前に、『創発(イマージェンス)』という本を書いて、一気に名声を高めた人ですけれども、彼の最新作が『フューチャー・パーフェクト』(未邦訳)です。そこで彼は、この20年間、じつはいろいろな面で社会は大きく進歩していると主張しています。それを支えているのが、新しいタイプの組織であって、彼の言葉でいうと、ピア(仲間)のネットワーク。牛尾さんのいわれる「中核層」はまさにそれだなと思います。私は、「智民」という言葉を使ってきたんですけれども。

牛尾 いま先生がおっしゃった、政府と市場のあいだでアカデミズムというものの存立する余地がないのは、結局構成している知識や情報や思想をもっている人が、個別にそれぞれ参加する時代になるということですか。

公文 ええ。中央とか上部ではない、「ピア(仲間)」が重要な役割を果たすようになると考えています。それは高い権威をもった知識人ではなくて、他の人びとと同じ平面で、自分たちの能力を生かして参加できるようなグループを考えられないかということです。政府と市場とのあいだに入ってポジティブな役割を果たせるような個人やグループが生まれる。また、それを支えるいろいろなソーシャル技術やソーシャルメディアが出てくる。さらに、ものづくりのほうにも間違いなく、「ソーシャルファブ」と私は呼んでいますが、新しい方式が出てくると思います。

牛尾 それは、従来のエリートは不要になるということでしょうか。

公文 そうですね。情報が集中するコンピューターのクラウドを牛耳るトップクラスの少数者は残るでしょうが、それは社会的階層としてのエリートというようなものではないでしょうね。他方、牛尾さんのいう「中核層」が中央政府の民主的な政策の意思決定に直接関与するというのは、実際には難しくはないでしょうか。

 しかし、ローカル(地域)だったらそうとうやれると思います。自分たちの仕事の現場、住んでいる地域のことはよくわかっているのですから。そこで、いわば中核層のなかの中核になる人びとがいろいろな運動を始めたり、情報を集めて、予算の配分なんかについて意見を述べることは可能なはずで、もうそれは、現にたくさんの例が世界中で生まれつつあるということを先に挙げたジョンソンの本には詳しく書いてあります。

行政を補完するピア・ネットワークの誕生

公文 それから、情報を集めるのも、米国では電話で「311」という仕組みがあるんだそうですね。たとえば、自宅の前の道路に穴が開いているというようなことを、311番に電話をして報(しら)せる。そうするとニューヨークだったら、180カ国語で相手をしてくれて、すぐに対応してくれる。

 その仕組みが、いろいろな地域に広がっているそうですけれども、それが数年たってみると、まさにビッグデータが集まってくるわけですよ。国中の至るところの細かい状況が自然に集まってきて、いまこの町のここはどうだということが詳しくわかる。それを基にしていろいろな意思決定もできるようになるでしょう。そういう情報収集の仕組みを地方政府は取り入れる一方、行政面では、ピアグループに運営をかなりの程度委ねるという仕組みをつくるべきだと思います。もちろんマーケットが不要になるわけではないけれども、マーケットだけに任せておいてはできないようなニーズをくみ上げるのは、ピアグループになる。いわば中央政府、市場と、そしてローカルな分野でのピアグループという3本立てのかたちで、これからの社会進化を考えることができる。

牛尾 市民の情報を蓄えれば大変な地域情報になりますね。アメリカでは「311」だけではなくて、ウェブを使って市民の声を直接集めている自治体も出てきているようです。日本では、いま千葉市が始めているようです。たとえば電灯が切れているとか、全部オンラインで集めているんです。それを役所が確認して、急ぐものはすぐ対応する。あるいは、直す作業もやってください、お金を渡すから自分で直せるものは直してください、といったことを市民に対してフィードバックしてくる。

公文 そうですね。それともう1つ、非常に気になる本があります。ジャロン・ラニアーという音楽家で、昔、『バーチャル・リアリティ』(未邦訳)という本を出して有名になった人がいます。彼は、シリコンバレーの有能なIT技術者でもあり、思想家でもあるんですけれども、その彼が、『Who owns the future?(未来は誰のものか)』という本を最近出しました。

 私にいわせると、彼はまさに情報社会のカール・マルクスです。今世紀に入って情報化が一段と進むなかで、先に挙げたスティーブン・ジョンソンだけでなく、マット・リドレーとかケビン・ケリーといった人びとが、前世紀後半に支配的だった悲観論を排する「新しい楽観論」を唱えるようになっています。かつて『ホール・アース・カタログ』で一世を風靡したスチュアート・ブランドも、極端なエコ志向から「エコプラグマティズム」に転向しました。私も、大きくはそうした楽観論に与(くみ)していますが、それに対するラニアーの批判論は避けて通るわけにはいかないと思います。

 彼は、今日の経済ではありとあらゆるデータが少数のサーバーに集まってきて、ここで全部処理されて、利益も基本的に全部ここから生まれるという超独占ないし超寡占状態が発生しつつあるといいます。しかも、そうしたサーバーの所有者・運用者たちは、その基になっている情報をほとんど全部ただで取っている。アマゾンにしても、グーグルにしてもそうです。人びとは、サービスの多くがただになったといって喜んで使っているけれども、自分たちが提供している価値ある情報の対価は受け取っていない。しかも仕事の多くは機械がするようになる。だから人間のほうは職も減り所得も下がる一方だ。つまり、ほとんどの人が貧しくなっていくなかで、ごく少数の人だけが極端に豊かになる。この動きは、このままでは避けられない。これにどう対処すべきかというのが彼の問題提起です。

 しかも、それが含意していることは、これまでの知識人とか管理者とか役人の多くが職を失う、要らなくなることでもあります。典型的な例は、言語学者を全部追放することで生まれたといわれるグーグルの素晴らしい辞書や自動翻訳システムです。大学の授業も、いまや基本はオンラインの方向に移っていて、一部の有名な先生がそこで講義をすれば、ほかの人は要らなくなる。たかだかアシスタント的な役割を果たせば済むことになります。さらに、単純労働もどんどん機械に置き換えられていくでしょう。そうすると、人びとの生活を保障する別の仕組みを補わなければならなくなりますが、いずれにせよ、情報社会ではわれわれは経済的には豊かになれないかもしれません。

牛尾 そうすると、いまの動きというのは200年、300年ぐらいのスパンで見て、1つの変革期にあるということですか。

公文 200年は続くと思いますが、変革自体はもう数10年前から始まっていたものが、今世紀になって非常に目に付くようになりました。著名な経済学者のロバート・ソローが、「コンピューターは至るところにあるけれど、生産性統計にだけは出てこない」といったのは、97年か98年でしたが、その後数年で目に見えるようになってきた。

牛尾 なるほど。

公文 ラニアーはそれだけでなく、サーバーにいろいろな情報が集まるといってわれわれは喜んでいるけれども、それは全部断片的な情報であって、人間そのものではないと批判しています。要するに、断片化された人間と、富とコントロールがベキ法則にしたがって極端に集中する「超ベキ社会」「超不平等社会」が生まれる傾向をどう修正することができるのかというのです。

 現在は、「大停滞の時代」どころか、技術の発展や改善が「ムーアの法則」に代表されるようなものすごい勢いで進んでいる時代です。その帰結が超不平等社会の定着になるのを許してはならない、といっているわけです。

牛尾 たしかに、情報社会のマイナス面への対応も必要ですね。最近の中学生、高校生、大学生を見ていると、フェイスブックであれ何であれ、インターネットに出入りして結構会話が行われている気がするんです。そういうエデュケーショナルな効果を、ネット自体がもつような仕組みというのはつくれるんですかね。

公文 いろいろなグループができていて、やっているんですが、どちらかというと仲間付き合いから、いじめや中傷が広がったり、楽しい社会を創り出す方向に大きく動いているとまではまだいえないかもしれませんが、たとえば「ニコ動」や「ニコニコ学会β」などにみられるような、よい方向に向かうポテンシャルはあるんじゃないでしょうか。何か、それこそラニアーの指摘する問題を回避できるようなうまいアーキテクチャーをつくって、楽しくやっていけるような工夫がほしいですね。

公文俊平(くもん しゅんぺい)

多摩大学情報社会学研究所所長。東京大学経済学部卒業。専門は社会システム論、国際関係論。

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。​
宇野重規・谷口将紀・牛尾治朗(2014)「中核層の時代に向けて」NIRAオピニオンペーパーNo.12

脚注
* 本稿「1.「中核層」を軸に信頼社会を築けー財政再建、国民負担増の先にある日本社会の姿とは?」は、月刊誌『Voice』(PHP研究所)20137月号に、「2.中核層の時代に向けてー自らの人生と社会を選び取る人びと」は、同誌20146月号に、「3.続 中核層の時代に向けてー地方を創生するのは誰か」は、同誌201411月号に、「付録 対談「中核層」が主導する情報社会の変革ー政府と市場の亀裂は修復可能か」は、同誌201312月号に、それぞれ掲載されたものをもとに加筆・修正等を加えたものである。

ⓒ公益財団法人NIRA総合研究開発機構

※本誌に関するご感想・ご意見をお寄せください。E-mail:info@nira.or.jp

研究の成果一覧へ