企画に当たって

翁百合

本腰の医療改革

翁百合

NIRA総合研究開発機構理事/日本総合研究所副理事長

KEYWORDS

医療費の増加、医療の持続可能性、社会保障支出抑制策、フィロソフィーを考え直す

 今後日本は急速な高齢化、医療技術の進歩により医療費の増加が予想されている。健康長寿社会を築き、困難な病気と闘う人たちのために医療を高度化、充実させることは日本社会にとって重要な課題である。同時に、医療の持続可能性を確実にし、深刻な財政状況を改善するためには、医療費増加を抑制しながら医療の質を向上させる両立策を考えることが求められている。

 現在、2020年度プライマリーバランス黒字達成という財政健全化の観点から、社会保障支出抑制策が政府や与党内で議論されている。6月にとりまとめられる政府の財政健全化策には、様々な医療費の効率化案が入ると予想され、関心が高まっている。そこで本号では、財政、医療の各分野の専門家、実務家の方から、より中長期的な視点から、医療の質を向上させつつ医療費増加を抑制するには何が必要と考えるか、ご意見をうかがった。

 今回の「わたしの構想」から浮かびあがってきた共通の視点は、単なる支出抑制策ではなく、国民の健康を支える様々な仕組みについて、原点に立ち帰りそのフィロソフィーを考え直す必要があるという点である。例えば、医療保険は、大きなリスクを皆で支えあう制度に再設計すべく保険適用の在り方を考え、保険者は本来目指すべき従業員の生活改善に本格的に取り組む。また、終末期医療は、専門職の人たちが患者に豊かな生き方を提案し、患者が主体的にケアを選択することを可能とする、といったことである。今後の高齢社会を考えると、医療については、病気の治療だけでなく、健康を増進し、生き方選択のできる環境をどう作るかまで踏み込んで、医療関係者や私たち国民が正面から議論をすることが課題となりそうだ。

 識者の意見には、持続可能で充実した医療制度を実現するために、私たちが深く考えなければならないテーマが多く含まれているように思われる。

識者に問う

医療の質向上と費用抑制を、どう両立すればよいのか。

吉川洋

保険の原点に立ち戻れ

吉川洋

東京大学大学院経済学研究科教授

KEYWORDS

2025年、大きなリスクを皆で支え合う、高額療養費制度、マイナンバー、地域差の是正

 日本の医療制度は、先進国の平均水準並みの医療費(対GDP比)で、世界一の平均寿命を達成しており、高く評価できる。しかし今後は、団塊世代がすべて75歳以上になる2025年までに、医療費は1.5倍になることが見込まれている。財源をどう確保していくかが課題だ。毎年増える医療費の増加を「抑制」することが必要になる。

 財政面で強い制約を受ける一方、医療の質を落としてはならない。そのためには、保険の原点に立ち返って「大きなリスクを皆で支え合う」ための皆保険制度に再設計するべきだ。公的保険の主柱である高額療養費制度の認知度が低いが、これは高額の治療を受ける際に家計が大きな圧迫を受けないよう、月々の自己負担に上限額を定めた(標準で9万3,000円)ものだ。この制度を、今秋以降に導入されるマイナンバーを活用して合理化する。患者の個人負担を積み上げ、窓口で上限以上の支払いをせずに済ませ、また、個人負担の上限額を生涯の合計額で設定するようにすべきだ。こうすれば、国民も安心できる。一方、風邪や切り傷くらいの小さなリスクは3割負担にこだわらず、定額負担などで負担を引き上げることも考えられる。

 もう1つの課題は、高齢率や疾病を調整してもなお残る医療費の地域差を是正することだ。病床数や医師数の地域別の違いが都道府県ごとの医療費に影響を与えているといわれている。都道府県で検討が開始された「地域医療構想」では、都道府県がリーダーシップを発揮し、地域の医師会や大学病院と協力しながら、地域特性を踏まえた計画を作ることが重要だ。地域の医師会の取組に期待している。

識者が読者に推薦する1冊

識者が読者に推薦する1冊

桐野高明〔2014〕『医療の選択』岩波新書

識者に問う

医療の質向上と費用抑制を、どう両立すればよいのか。

堀田聰子

地域で予防から看取りまで支えきる

堀田聰子

国際医療福祉大学大学院教授

KEYWORDS

QOLを持続可能な形で高める、穏やかな最期、患者主体、地域のチームスピリット

 コスト削減そのものを目標とする政策はなかなか成功しないといわれる。QOL(いのち・暮らし・人生の質)を持続可能な形で高めることが第1の目標であり、私たちが主体的に生をまっとうする結果としてコストが下がるモデルの追求が重要だ。

 例えば、多くの日本人が延命治療をしてまで長生きしたくない、自宅で死にたいと考えているにもかかわらず、人生の最終章を意識なく寝たきりのまま病院のベッドで過ごす人々は国際的にみてもかなり多い。住み慣れた地域での「大往生」はずっと幸せで、そんなにお金もかからないという物語をエビデンスとともに積み上げていくことが大事だ。

 東京都新宿区の高齢化率50%に上る大規模団地に開設された「暮らしの保健室」は、日々の暮らしのなかでの医療や介護にまつわるさまざまな小さな不安に対応し、地域でつながり支え合う場となり、住民はむやみに救急車を呼ばなくなったという。

 滋賀県東近江市のある医師は、日頃から「ご飯が食べられなくなったらどうしますか?」と問いかけ、本人の意思がはっきりし、家族や周りの人たちもそれを共有したうえで、穏やかな最期が迎えられる地域をつくっている。

 生きづらさを抱えながらも安心して暮らし続けられる地域づくりに向けては、専門職にも急性期医療とは異なるコンピテンシーが求められる。あらためて患者がケアの主体であるという考え方のもと、先の見通しと選択肢を示しつつ、患者と専門職という立場を超えて、同じ地域で暮らす生活者として地域のチームスピリットを高めることが鍵となる。

識者が読者に推薦する1冊

識者が読者に推薦する1冊

花戸貴司・國森康弘〔2015〕『ご飯が食べられなくなったらどうしますか?』農山漁村文化協会

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医療の質向上と費用抑制を、どう両立すればよいのか。

赤塚俊昭

保険者が効率化のカギ握る

赤塚俊昭

健康保険組合連合会参与/元デンソー健康保険組合常務理事

KEYWORDS

健康保険組合、費用対効果の検証、医療データによる予防、意識改革

 健保組合は健診と医療費のデータを持ち、定量的に医療データを分析し、費用対効果を検証できる唯一の機関だ。増加する医療費の適正化に保険者として果たすべき役割は大きい。デンソー健康保険組合では、企業とも協力して組合員に生活改善を促す保健事業や予防に取り組んでいる。

 例えば、過去10年間の医療データの追跡調査を行った結果、健診でBMI指数が25以上の肥満の人では、10年後の医療費が標準の人の2倍になり、さらに血圧値が高いと、医療費は4倍になる。また、医療費を診療科目別にみると歯科医療への支出が最も高い。歯周疾患の人は歯科以外の併発率が高く、予防歯科に力を入れた事業所は、1人当たり総医療費が低下した。歯科予防に力を入れると、歯科の支出は増えるが、総医療費が減少し、組合員の生活の質の向上とともに、財政改善にもつながる。こうした情報を組合員に「見える化」したことが、意識改革につながっている。

 日本企業はQC(品質管理)と効率化で世界のトップランナーになったが、医療の世界は保守的で、システム化やIT化といった面は、今でもかなり遅れている。紹介した取組は、製造現場でのQC活動とプロセス管理を医療とヘルスケアにも適用することで健康のリスク管理を行い、症状が悪化する「前工程」の段階でデータとエビデンスを示しながら従業員を説得し、医療費抑制に成功した例である。

 医療費削減の「決め手」はない。健康診断・医療データを積み上げ分析し、情報化と共有化によって、診療所や病院間の連携にもつなげ、予防から治療までのプロセスをデータで効果検証しながら、いかに効率化するかがカギとなる。

識者が読者に推薦する1冊

識者が読者に推薦する1冊

田中滋・川渕孝一・河野敏鑑(編著)〔2010〕『会社と社会を幸せにする健康経営』勁草書房

識者に問う

医療の質向上と費用抑制を、どう両立すればよいのか。

土屋了介

中医協主体の保険適用を見直せ

土屋了介

神奈川県立病院機構理事長

KEYWORDS

公的保険の適用範囲、治療の有効性、中央社会保険医療協議会(中医協)、混合診療

 新しい治療法や新薬が次々と登場し、また長寿化により慢性疾患を患う高齢者も増える。こうした医療費の自然増は受け入れるべきであり、それを税、保険、自費の3つで、どう負担し合うかに知恵を絞るべきだ。医療の無駄を抑えることは必要だが、医療費の総額が40兆円に迫ろうという時に、薬の過剰投与や重複などは数百億円程度の話にすぎない。重箱の隅をつつくような議論をしていると本質を見失う。

 最大の課題は、科学的な根拠の低い治療まで保険適用となっていることを改めることだ。そのためには、中央社会保険医療協議会(中医協)における公的保険の適用範囲や診療報酬の決め方を変える必要がある。中医協は労使交渉のようなもので、薬価の決め方が複雑で非科学的である。政治的な圧力が働きやすい中医協で審議する前に、医療の専門家が適正であるかどうかを判断する2段階方式がよい。そうすれば、治療データで有効性を確認できない治療を保険適用する必要はなくなり、医療費の抑制につながる。また、風邪のように寝ていれば治るものまで保険を適用することは避け、本当に必要なものに保険を適用するメリハリが重要だ。

 さらに、その延長線上として、混合診療(保険診療と保険外診療の併用)に賛成している。反対論者は「金持ちだけが受けられて不公平だ」というが、根底の原理に踏み込んで議論していない。治療の有効性が確認できていない保険適用外のものを自費で支払い、危険を冒して実験に加わって、治験データが収集できると考えるべきだ。

識者が読者に推薦する1冊

識者が読者に推薦する1冊

貝塚啓明・財務省財務総合政策研究所(編著)〔2010〕『医療制度改革の研究―持続可能な制度の構築に向けて』中央経済社

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医療の質向上と費用抑制を、どう両立すればよいのか。

川渕孝一

有効性により薬剤を分類せよ

川渕孝一

東京医科歯科大学大学院教授

KEYWORDS

薬の保険適用、薬剤費適正化、有効性による薬価分類

 日本では、1万7,700品目の薬剤が保険適用となっているが、これほど多くの薬を保険適用にしている国は少ないのではないか。急増する薬剤費を適正化するには、製薬業界や医師、医療機関、保険薬局、さらには保険者や患者を含めてWin-Winの関係を構築し、少しずつ社会を動かしていく必要がある。というのも、後発品へのシフトを促すだけでは、新薬創出の動機付けが乏しいからだ。ポイントは、費用対効用を考慮に入れつつ、“努力する者が報われる”仕組みに薬価制度を改変することだ。

 そこで提案するのが、薬の有効性に基づき保険対象を「松竹梅」など3つに分類する方法だ。例えば大衆薬に近いもの(梅)は、保険適用するにしても、患者の自己負担率を5~9割に引き上げればよい。実は、処方箋薬のうち129品目は、処方箋なしの一般医薬品(OTC)に切り替え可能で、その市場規模は約1.5兆円となり、医療費も節約できる。OTCは世界で当然のように販売されているが、日本では限定的だ。次に、特許切れで既に後発品が出ている「長期収載品」(竹)は、一定の上限価格を決めて、超過分は患者負担にしてはどうか。

 他方、有効性・安全性に優れた高価な薬や画期的な新薬(松)は、莫大な研究開発費がかかるので、アメリカやドイツのように自由料金にして、開発インセンティブを高めてはどうか。ただし、そうすると高値安定で薬へのアクセスが制限されるので自己負担を1割位に下げ、患者負担を軽くする。

 このように科学的な根拠に基づいて薬剤を幾つかのグループに分類し、保険の適用範囲や自己負担率を変えることで、財政規律と成長戦略の共存が実現される。

識者が読者に推薦する1冊

識者が読者に推薦する1冊

川渕孝一〔2014〕『“見える化”医療経済学入門』医歯薬出版

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)NIRA総合研究開発機構(2015)「本腰の医療改革」わたしの構想No.12

ⓒ公益財団法人NIRA総合研究開発機構
編集:神田玲子、榊麻衣子、川本茉莉、原田和義
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