English version 研究報告書 2022.07.08 ロシアのウクライナ侵攻 第3章:ロシアへの経済制裁とその影響短期的変化と長期的展望 この記事は分で読めます シェア Tweet 田畑伸一郎 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授 概要 ロシアによるウクライナ侵攻を理由として、欧米諸国を中心に大規模な対ロシア制裁が科せられた。この制裁は、決済システムからの排除、石油・ガスの輸入禁止を含む、これまでロシアに科された制裁とは次元を異にする厳しいものである。制裁に対して、ロシアは輸出規制、為替管理、政策金利の引き上げ、国民福祉基金の運用柔軟化といった措置をとっている。 制裁によるロシア経済への影響は甚大なものになるだろう。2022年の経済成長は-10%程度と予想されている。石油・ガスの輸出は減少が見込まれ、財政赤字を引き起こす可能性が大きい。より長期的には、ロシア経済は世界経済から切り離され、中国経済を通じてのみ世界とつながるという事態が考えられる。 世界経済に対する影響も大きい。ロシア制裁に対して中国やインド等が同調しないことは、アメリカが支えてきた既存の世界経済秩序が世界を覆っているわけではないことを露呈させた。アメリカがもはや世界経済秩序を支える力を持たないため、中国やインドを取り込んだ新秩序を形成する必要があるが、ロシアの侵攻により新秩序におけるロシアの位置づけが不明になっている。またヨーロッパ諸国が石油・ガス輸入の脱ロシア化を進めることで、脱炭素化の動きが早まることが考えられる。ロシアのウクライナ侵攻・総論:ロシアのウクライナ侵攻・第1章:ウクライナ危機の起源・第2章:ロシアのウクライナ侵攻とアジア・第3章:ロシアへの経済制裁とその影響・第4章:ウクライナ侵攻とロシア内政・第5章:ロシアの対ウクライナ戦争 PDFで読む INDEX 1.科された制裁とロシアの対応 (1)これまでにないレベルの制裁 (2)制裁へのロシアの対応 2.制裁によるロシア経済への影響(2022年) (1)経済成長 (2)石油・ガス輸出の大幅減少 (3)財政 (4)インフレ (5)為替市場 (6)株価 3.制裁による世界経済への影響 (1)2023年以降に関する予測 (2)世界経済秩序の再編 (3)戦略的地下資源の今後と脱炭素 図表表3-1 各機関による2022年のロシアの経済成長予測表3-2 著者による2022年のロシアの経済成長予測図3-3 ロシアの支出項目別GDP成長寄与度表3-4 ロシアの石油・ガスの地域別輸出構成(2020年)表3-5 2022年のロシアの石油・ガス輸出量変化のシナリオ表3-6 ロシアの石油・ガス輸出量のシミュレーション結果表3-7 連邦予算の執行表3-8 ロシアの石油・ガス収入図3-9 ロシアの外貨準備と政府系ファンドの推移表3-10 2021年におけるロシアの国民福祉基金の収支表3-11 2022年におけるロシアの国民福祉基金の収支表3-12 ロシアの価格上昇率図3-13 インフレの推移(対前年同月比%)図3-14 インフレの推移(対前月比%)図3-15 ルーブル対ドル公式レートの推移図3-16 ロシアの外貨準備の推移(2022年)図3-17 株価(RTS)の推移図3-18 ロシアの株価指数(RTS)と油価(WTI)の推移 本稿は、ロシアによるウクライナ侵攻に端を発する対ロシア制裁とその影響について論じるものである。まず対ロシア制裁の内容、ロシアの制裁への対応について簡潔に述べ、制裁によるロシア経済への影響、制裁による世界経済への影響について述べる。 1.科された制裁とロシアの対応 今回の侵攻ゆえにロシアに科された制裁についてまずは概略を述べる。多岐にわたる制裁は、これまでにないレベルの厳しさである。また、ロシア政府が制裁にどのように対応したかについて触れる。対応策については、輸出規制、為替管理、政策金利の引き上げ、国民福祉基金の活用の4点に分けて説明する。 (1)これまでにないレベルの制裁 強いインパクトを与えている制裁 ロシアに対して各国が打ち出した制裁のうち、強いインパクトを与えているのは次の4つである。第1に、ロシアへの輸出禁止である。特に高度技術品の輸出禁止は、サプライチェーンへの打撃が大きい。第2に、ロシアの銀行を、国際的な決済ネットワークシステムであるSWIFTから排除したことである。第3に、ロシア進出企業の撤退である。西側の政府が公に企業に対して撤退を要求しているわけではなく、企業の側が自主的に次々と撤退している。第4に石油・ガス等の輸入禁止である。 以前からの制裁との違い 今回の制裁は、以前からの制裁とは次元を全く異にする。ロシアはソ連時代を含めて制裁を何度も受けており、直近であれば2014年のクリミア併合時の制裁がある。それら過去の制裁と、今回のそれは比べものにならない。1つは規模あるいは範囲が大きい。例えばロシアへの輸出禁止にしても、非常にいろいろなものが禁止リストに入ってきている。輸入の禁止についても同様に非常に広範な品目がリスト入りしている。また、内容的にも、ロシアに進出した企業が撤退する、あるいは石油・ガスの輸入禁止に踏み込む、といったような前例がないものとなっている。制裁をすれば反作用が必ず出るものであり、前例のない制裁を実施すれば、反作用も重大なものになり得る。今回、制裁を科す側は、反作用による打撃を覚悟の上で制裁に取り組んでいる。これも今までになかったことである。以上のように、現在の対ロ制裁は、規模・内容共に歴史上これまでなかったといってもよいほど強力なものである。 (2)制裁へのロシアの対応 輸出規制 ロシア側からの輸出規制が始まったのは、開戦直後の2022年2月末から3月初めにかけてである。かなり広範な品目が規制の対象となり、機械・設備・輸送機器等、さらに白糖・粗糖、穀物などが含まれている。これらの輸出につき規制がかけられ、認可制を導入したり、輸出関税を重くしたりといった措置がとられた。こうした措置は西側に対する嫌がらせという性格を持つかもしれないが、それ以上に国内市場への供給を確保するという意味合いを持つと考えられる。また、この時期、物価が大きく上昇しており、インフレ対策という側面もあったろう。 為替管理 為替管理は、やはり開戦直後の2月末に急激にルーブルが下落したため、それに対する対応として行われた。内容的には、まず、外貨を獲得した企業は、そのうち80%を義務的に為替市場で売却しなければならなくなった。この措置はかなり効果を持ったといえる。また、個人および法人が外貨を引き出す際に、例えば1万ルーブルを上限とする規制を設けた。こうした対応策によって、為替レートの防衛が試みられ、ルーブルの暴落を防ぐこととなった。 政策金利 政策金利の引き上げも重要な対応策である。それまでの8.5%から、2月末に20%に大幅に引き上げた。その後、17%、14%と下げてはきたが、非常に高い水準に政策金利を引き上げたのは、まずは預金保護のためである。戦争および制裁のショックから人々が自分の預金を引き出そうとして銀行取り付けが起きるのを防ぐという意味合いがある。政策金利を上げれば民間銀行も金利を上げるため、預金引き出しの抑制が期待できる。また、金利引き上げによってインフレを抑制しようとしたと考えられる。 金利を20%に上げてから17%、そして14%に引き下げたことには、投資を促す意図もあっただろう。西側の制裁に対応して、今後、ロシアは経済構造を変えていく必要がある。これまで輸入していたものをロシアで製造するという、いわゆる輸入代替を行っていかなければならないからである。いったん引き上げた金利を徐々に下げていったことには、経済構造を変化させるための投資を促す意味があったと考えられる。 国民福祉基金 国民福祉基金は、いわゆる政府系ファンドである。その前身は2004年に設立された安定化基金であり、石油・ガス収入の一部を積み立て、将来の財政赤字に備えるものとして発足した。その後、2度の改組を経て2018年に現在の制度となっている。現行の国民福祉基金の財源も、石油・ガス収入の一部である(表3-10も参照)。 この国民福祉基金は、ロシアの財政において非常に大きな役割を果たしている。特に財政赤字になった際には、この国民福祉基金から資金を引き出して財政赤字をまかなってきた。年金給付の一部も、この基金から支出されている。 制裁に直面した現在、ロシア政府は、国民福祉基金の運用を非常に柔軟化している。この措置の明らかな目的は、財政が破綻するのを回避することである。また、株の買い支えに国民福祉基金を投じ得ることも決定されており、今後、株価の回復のために支出されることも予想される。 2.制裁によるロシア経済への影響(2022年) 制裁はロシア経済にどのように影響するだろうか。ここでは短期的に、すなわち2022年に生じるであろう影響について述べる。経済成長、石油・ガス輸出、財政、インフレ、為替市場、株価の各側面から論じる。 (1)経済成長 2022年経済成長予測 ロシアの経済成長見通しについては、各機関がGDPの年率変化予測を出している(表3-1)。いずれもマイナス10%程度であり、コンセンサスがあるといえる。 著者による推計は表3-2の通りである。GDP変化率は-11%と予測する。数値としては他機関のものとほぼ同じである。以下、項目別に説明すると、まず家計消費が10%ほど減る。所得は必ずしも大幅に落ち込んでいるわけではないが、インフレがおよそ20%であれば、仮に所得が10%増えても、インフレの影響で実質的に所得は10%減る計算になる。従って、インフレの影響を考慮して、家計消費はおよそ10%減ると見込まれる。政府消費は、戦争によって財政支出が増え、また、さまざまな制裁対策も導入されると見込まれるため、少し増えると考えられる。固定資本への投資はおよそ20%減るだろう。これらの数値については、各機関の予測も同様である。 他方、在庫品の増加については、予測がやや厄介である。在庫品の増加は、家計消費あるいは固定資本への投資と比較してGDPに占める割合はあまり大きくないが、図3-3に示すように、年によっては非常に大きく変化して重大な影響を与える。例えばリーマンショックが起きていた2008年および2009年に大きな値となったことがあり、在庫品増加の予測の難しさを示している。今般の制裁でいえば、西側からさまざまな商品が入ってこなくなるため在庫が減るとの見方を、世界銀行もロシアの中央銀行もしている。しかし、例えば石油や石炭が輸出できなくなり在庫が増加することもあり得るため、著者は慎重を期して前年並みと推計する。 図3-3 ロシアの支出項目別GDP成長寄与度 (出所)ロシア統計局ウェブサイトから作成。 また、輸入については少し説明が必要であろう。輸入はおよそ30%減るとの予測は各機関と共通である。これは経済成長に対して実はマイナスにはならない。むしろプラスの要因である。例えば2020年には輸入が大幅に減り、経済成長にプラスの影響を与えた。逆に2021年には輸入が増え、経済成長にマイナスの影響を与えている。 鉱工業生産と製造業(3月の対前年同月比) 対前年同月比で、鉱工業生産について3月の数値を見ると、かなり増加している。他方で製造業は、全体としてはマイナス、0.3%ほどのマイナスである。ただし、分野によって大きく差がある。例えば、自動車は45.5%減であり、電気機械は11%減である。大幅なマイナスの原因は、ロシアから西側の企業が撤退したことに求められる。ロシア国内で生産していた西側の自動車製造各社は相次いで撤退していった。この影響が3月時点ですでに出ている。また、別の影響として、西側諸国による輸出禁止でサプライチェーンが機能しなくなり、従来輸入していたさまざまな部品が入手できなくなっていることが挙げられる。これらの影響が今後どのように出てくるかは予想しがたく、3月時点での数字で判断するのは困難である。 (2)石油・ガス輸出の大幅減少 現状の確認:2020年のデータ まず2020年のデータから現状を確認する。表3-4は、石油・製品の輸出量を西側諸国と非西側諸国に分けて記したものである。西側諸国とは、ロシアが本年3月に指定した非友好国を指す。すなわち、EU諸国、アメリカ、日本、韓国、台湾、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランドといった広範な地域にまたがる計48カ国である。これらに含まれる諸国に対して、ロシアは2020年に原油で輸出量全体の60.2%を輸出し、石油製品は76.5%、天然ガス(気体)は72.8%を輸出している。LNG(液化天然ガス)だと9割近くが西側向けである。非西側では、原油であれば中国向けの割合が大きい。LNGに至っては中国以外に輸出先がない。他方で、天然ガス(気体)については、ほかの国々、すなわちベラルーシ、トルコ、カザフスタンの輸入量の方が中国のそれよりも大きい。石油製品の輸出先は、非西側においてかなりばらつきがある。 表3-4 ロシアの石油・ガスの地域別輸出構成(2020年) (注)「西側」は、ロシアが指定した非友好国を指す。(出所)ロシア税関庁、ITCのウェブサイトから作成。 ではこの状態から、今どのような方向に進んでいるかというと、西側はロシアからの石油輸入を停止する方針でいる。もちろん今年すぐに輸入を止められる国ばかりではない。とはいえ今後3年ほどの間に、輸入を停止していく方針を次々と宣言している。 シミュレーション 2022年の西側諸国による石油・ガスの輸入停止についてシミュレーションを行ったのが表3-5である。シナリオ1は、6月以降、2020年と比べて輸入量を3分の2に減らすというものである。そうすると西側への輸出は年間で、2020年と比べて81%の水準になる。シナリオ2では、6月以降、3分の1まで減らすと想定しており,年間で61%の水準になる。シナリオ3は、可能性は低いが、6月以降、西側がロシアの石油・ガスの輸入を完全になくしてしまうというもので、2020年と比べて年間で42%の水準になるとの計算になる。 表3-5 2022年のロシアの石油・ガス輸出量変化のシナリオ これらのシナリオに従った場合、世界全体へのロシアの石油・ガス輸出量が2020年と比べてどれだけ減るかをシミュレーションしたのが表3-6である。例えばシナリオ1の場合、原油が12%、石油製品が15%、天然ガスが15%減る。こうした変化が経済成長に対して与える影響を単純な仮定を置いて試算してみると、シナリオ1の場合で約1%のGDP引き下げ効果が想定される。シナリオ2の場合で2%程度、シナリオ3の場合は3.4%それぞれ引き下げ効果がある。さらに財政歳入の中の石油・ガス収入がどのぐらい減少するかを推計すると、シナリオ1で14%、シナリオ2で27%、シナリオ3で41%それぞれ減少する。このように、石油・ガスの輸出が減ると、それなりに大きな影響が出ると考えられる。 表3-6 ロシアの石油・ガス輸出量のシミュレーション結果 西側は石油・ガスの輸入禁止を打ち出しているが、それが実際にいつ始まって、今年どうなるかはまだよく分からない(EUは5月30日の首脳会議で、ロシア産石油について今年末までに90%の輸入を停止することで合意)。どのように決定され、どう実施されるかによって、今年のロシア経済に対する影響が変わってくる。 (3)財政 連邦予算実績(1~3月) 次に財政について見る。ロシアには、連邦の予算と地域の予算があり、両者を合わせたものを国家予算と呼ぶ。ここでは連邦予算を扱う。 表3-7は、昨年と今年の1~3月の実績をロシア財務省のシンクタンクEconomic Expert Group(EEG)が整理したものである。これを見ると、歳入は1~3月で見ても3月だけで見てもかなり増えている。なぜかというと、石油・ガス収入の増加が寄与したからである。3月だけをとれば、2022年は2021年の倍以上になっている。EUによる禁輸措置を前に駆け込みで輸入を増加させている国もあるかもしれない。 表3-7 連邦予算の執行 (出所)EEG『経済概況』2022, No. 4. この石油・ガス収入が何から構成されているかを示したのが表3-8である。ロシア財務省が非常に詳しいデータを出している。これによると、石油・ガス収入のうち採掘税と輸出関税の2つが大きい。この表で2021年の1~4月と、2022年の1~4月を比べると、かなり増えていることが見て取れる。増加率で見ると、総額は1.9倍である。採掘税と輸出関税については2倍以上に増えている。 表3-8 ロシアの石油・ガス収入(クリックすると拡大します。) (出所)ロシア財務省ウェブサイトから作成 なぜ増えているかというと、第1に、価格が上がっているからである。昨年と比べ石油も天然ガスも大きく値上がりしている。第2に、本年1月から3月、4月にかけては、まだ必ずしも西側は石油・ガスの輸入を制限していないからである。アメリカが輸入をやめたとしているが、アメリカの購入量はごく限られている。ヨーロッパ諸国等が購入している限り、これだけの収入がある。表3-7で示した石油・ガス収入の増加ぶりは、こうしたことに負っている。石油・ガス外収入は、昨年比で本年1~3月には増えているが、3月だけを見ると減っている。すなわち、全体として収入が増加したのは石油・ガス収入が増えたからである。 石油・ガスの国際市場価格は上昇しているものの、中国をはじめとして、ロシアに対して強気に出てディスカウント価格で輸入している国があるという話も一部にある。しかし、上記のデータを見る限り、そのような影響はあまり見受けられないところである。 表3-7で歳出と歳入を比べると、歳出の増加が歳入の増加を上回っている。しかし、そうはいっても歳入が歳出を上回っていて黒字である。1~3月で見ると黒字であって、財政は赤字になっていない。国防費の数字も出ており、対前年同期比で17%増加しているが、歳出総額全体で20%ほど増えているので、国防費の伸びが歳出全体の伸びを上回っているわけではない。 国民福祉基金 1(2)で述べたように、国民福祉基金はロシアの政府系ファンドである。図3-9の赤線はこの政府系ファンドのドルで示した統計数字である。2019年から少しずつ増えていたことが分かる。では、国民福祉基金はどのように増減するか。 図3-9 ロシアの外貨準備と政府系ファンドの推移 (注)各月初現在。 (出所)ロシア中央銀行、ロシア財務省のウェブサイトから作成。 表3-10で2021年における国民福祉基金の収支を見てみよう。年初残高と年末残高を比べるとルーブル建てではほとんど変化がないことが分かる。まず、収入を見ると、基金に入ってくるのは石油・ガス収入の一部である。すなわち、石油・ガス収入が多ければ基金に繰り入れられる。2021年に繰り入れられるのは、2020年の石油・ガス収入であり、2020年は石油価格がそれほど高くなかったため、繰り入れられる額は非常に少なかった。従って昨年、国民福祉基金はほとんど増えなかった。次に国民福祉基金の重要な使途は、連邦予算の赤字補填、年金への支出である。これらも昨年は多くはなかった。ロシアでは、基本的に財政赤字は国民福祉基金でまかなう。日本も含めて国債で赤字をまかなうのが一般的だが、ロシアの場合は基本的に国民福祉基金でまかなう。そのほか、為替の差益・差損、ズベルバンクやアエロフロートといった保有株の含み益も昨年は多くはない。これらも含めて、昨年の国民福祉基金の増減はほぼなかった。表3-11は、2022年のデータである。2月の株価の含み損が目を引く(株価については後述)。また、上に述べたように使途が柔軟化されており、今年は支出が増える可能性があるが、3月までのデータではそれはまだ現れていない。 表3-10 2021年におけるロシアの国民福祉基金の収支 (注)プラスは繰り入れ、マイナスは引き出しを示す。(出所)ロシア財務省のウェブサイトとMinfin(2022)から作成。 表3-11 2022年におけるロシアの国民福祉基金の収支 (出所)ロシア財務省のウェブサイトから作成。 図3-9において2019年前半までは国民福祉基金が減っていた。なぜかというと、当該時期には積み立てよりも財政赤字の補塡(ほてん)等の支出が大きかったためである。ところが、2019年以降は、積み立てのルールを変えたこともあるが、徐々に増加している。 国債残高(OFZ、4月1日現在) ロシアの国債残高は、本年(2022年)初めの時点で対GDP比12%ほどである。おおむね、国民福祉基金と同様の規模である。日本では、国債残高がGDPを大きく超えており、他の主要国でもGDP比50%、60%といった国があるが、ロシアの場合、国債にはあまり頼っていない。 以上のように、現在のところ財政は健全な状態を保っている。今年通年では赤字への転落が予想されるが、短期的には国民福祉基金を用いて赤字を埋めることができるだろう。しかし、長期的には赤字がもっと拡大すると予想される。最大の要因は、石油・ガスの輸出が、今後、制裁の影響で減っていくことが見込まれることにある。石油・ガス収入は、表3-7が示すように、ロシアの連邦予算で大きな比重を占めている。制裁の影響で石油・ガス収入が減れば、当然、歳入は落ち込む。石油・ガス収入を財源とする国民福祉基金を積み増すことも難しくなる。従って、赤字を補填する同基金は減る一方となる。他方で、戦争が長期化して戦争関係の支出が増え、歳出が長期的に膨らんだままになることが予想される。そうなると、国民福祉基金で財政赤字を補填することは不可能になってくる。 (4)インフレ 開戦直後 表3-12は2014年以降のロシアの価格上昇率を示したものである。昨年の消費者価格指数は8.4%であった。 表3-12 ロシアの価格上昇率 (出所)ロシア統計局のウェブサイトから作成。 次に対前年同月比でインフレ率を見てみよう(図3-13)。青が消費者価格指数で、内訳が、食品(オレンジ)、非食品(黄色)、サービス(グレー)である。本年(2022年)2月までは前年と変わりがないが、3月に急に跳ね上がっており、ロシアで大幅なインフレが起きたと話題になった。3月は16.7%、4月は17.8%という数字である。ただし、これらの数値が対前年同月比であることに注意が必要である。すなわち、対前月比で3月に8%ほどの異常な上昇があった。特に顕著なのは非食品の上昇である。恐らく、この上昇は、ロシア人が制裁の実施に反応し、今後のことを考えてパニック的に買い物をしたということで基本的に説明できるだろう。加えて、ルーブル安が起きたために輸入品の価格が上がったことも、インフレを押し上げたと考えられる。 図3-13 インフレの推移(対前年同月比%) (出所)ロシア統計局資料から作成。 こうした3月の物価の急上昇に対して、図3-14で示すように対前月比で見ると4月にはインフレ率が大きく下がっている。2月までの数字と比べると、非食品はほとんど同程度にまで低下した。食品はまだ高い数字を示しているが、全体として、3月のインフレ率急上昇は一過性のものだったように見える。 図3-14 インフレの推移(対前月比%) (出所)ロシア統計局資料から作成。 2022年の予測 2022年のインフレ率を計算してみる。例えば今後、各月の価格上昇率が2021年と同じ程度だと仮定すると、3月に急激な上昇があったため、年間のインフレ率は18%という計算になる。こうした計算でロシア中銀も18%から23%という予測をしていると考えられる。今年のインフレ率はこの予測の範囲に入るだろう。3月は異常値であって、それが再発する可能性は低いと考える。 (5)為替市場 ルーブルの急落と回復 為替市場で、ルーブルはインフレ率と同様に2月末から3月末にかけて激変が生じ、急落した。図3-15で示されるように、急激に下がっている。過去、2014年~2015年にも、制裁に加えて石油の価格が下落した影響もあってルーブルが非常に下がったことがあったが、それと比べても大幅な下落である。しかし、その後完全に回復している。 図3-15 ルーブル対ドル公式レートの推移 (出所)ロシア中央銀行ウェブサイトから作成。 外貨の義務的売却と外貨準備 なぜこのように回復することができたか。さまざまな要因を考えられるが、最も大きな影響を及ぼしたのは、輸出企業にドルなど外貨獲得額の80%を為替市場で売却する義務を課すという措置である(5月23日に50%に緩和)。開戦後も石油の輸出が続き、外貨が入ってきているため、この外貨売却の義務の下ではルーブルが回復するのは当然である。 図3-16は本年(2022年)におけるロシアの外貨準備高を示す。ロシアはおよそ6,300億ドルの外貨を保有しており、これは世界4位の水準である。しかし、図3-16を見ると、2月18日の6,400億ドルをピークとして減少していることが分かる。5月6日までの間に511億ドル減っている。この原因は不明である。というのも、これまでは発表されていた詳しいデータが発表されなくなっているからである。原因の1つとして考えられるのは、中銀による為替市場への直接介入である。ただし、2月25日および28日に行われたこの介入の額はわずか12億ドルである(https://www.cbr.ru/hd_base/valintbr/)。従って、外貨準備の取り崩しや中銀の介入がルーブルの回復をもたらしたわけではない。ルーブルの回復は、やはり外貨を稼いでいるからということになる。今後の推移は、石油・ガスの輸出がどうなるかにかかっている。 図3-16 ロシアの外貨準備の推移(2022年) (出所)ロシア中央銀行、ロシア財務省のウェブサイトから作成。 (6)株価 株価の推移 株価は、図3-17が示すように、2月後半に急激に下落した。ロシアはモスクワ取引所を2月24日から約1カ月閉鎖し、その後、部分的に徐々に開いていった。株価は少しずつ回復しているが、しかし、侵攻前のレベルまでは回復してない。 図3-17 株価(RTS)の推移 (出所)モスクワ取引所のウェブサイトから作成。 株価と油価 株価の動きに影響を及ぼしている要因については、今後分析する必要がある。ロシアの株価は、たいていの場合、油価と連動する。図3-18に、株価を青い線で、油価(WTI原油価格)を赤い線で示している通りである。なぜ株価と油価が連動するかといえば、ロシアの株価の5割、6割ぐらいは石油・ガスの会社の株だからである。ゆえに、油価が上がれば株価が上がるのが通常であった。ところが昨年の11月頃から、油価が上がっても株価は下がるという現象が起きている。この株価の動向は、今の段階では要因がよく分からない。 図3-18 ロシアの株価指数(RTS)と油価(WTI)の推移 (注)株価は各月の最初のデータ、油価は月平均。(出所)RTSとEIAのウェブサイトから作成。 3.制裁による世界経済への影響 制裁は長期的にどのような影響をロシアに、そして世界に、もたらすだろうか。ここでは、まずロシア経済に関する長期的な見通しについて述べ、さらに世界経済がどのような変化をたどっていくかについても論じる。 (1)2023年以降に関する予測 ここでは2023年以降の影響について予測を交えて考えてみる。 世界経済からの切り離し まず、明らかに起きると考えられるのは、ロシアの世界経済からの切り離しである。これまでとは貿易相手国が変わり、中国の比重が増大する。また、外国の直接投資は激減する。これによってロシアへの技術移転も激減する。このようにして、世界経済から切り離され、国内で輸入代替が進展すると考えられる。 ただし、世界経済から切り離された後の輸入代替には大きな限界がある。外国の自動車企業がロシアで生産することも輸入代替に含まれ、この場合には技術移転があり、品質の良いものを製造することができる。しかし、外国の直接投資が激減する中で、輸入代替においては技術移転が期待できず、品質の悪化は避けがたい。 石油・ガス依存の終わり さらに、ロシア経済はこれまでのように石油・ガス依存を継続できない。このことが何を意味するかについては考えるべき点が多くあるが、差し当たり、経済構造が大きく変化すると予想できる。貿易構造も非常に大きく変化するだろう。例えば石油・ガスの西側へ輸出がなくなれば、石油・ガス輸出は現在の3割の水準になる。これだけでロシアの輸出総額は、これまでの65%の水準に下がる。そうなれば、恐らく輸入も減ることになる。財政についても、石油・ガス生産・輸出の減少だけで、連邦予算の歳入は、計算上、これまでの7割ぐらいの水準まで減る。石油・ガス関係の税収が減れば、ほかの法人税とか付加価値税の税率を引き上げる必要も出てくる。このように、ロシア経済への影響はかなり大きなものになるだろう。先行きは明るくない。 経済構造はどう変わるか 石油・ガスの輸出に依存して富を得てきたロシアであるが、その体質を変えなければならないという議論は、ソ連時代末期のペレストロイカの頃からある。メドベージェフ政権下では、ハイテクや航空機、造船といった分野にてこいれがなされたが、うまくいっていない。 比較的うまく行きそうなのは、農業、食品関係、化学品である。2014年以降の経済制裁への対応として、これらの分野では生産が少し伸びており、輸入代替の成果が出ている。成果が出ているのは、まず政府が非常に力を入れ、補助金等を出しているからである。また、農業についていえば、ロシアが経済制裁に対する逆制裁を行い、食肉を含む食料品の欧米諸国からの輸入を止めたという事情もある。結果として、ロシアの農業と食品産業が非常に発展した。このところ穀物の輸出も大きく増加している。極端にいえば、石油・ガスから収入を得る見込みが少なくなれば、ロシアは農業で生きていくことになるかもしれない。 そもそも帝政期までさかのぼれば、ロシアはヨーロッパへの穀物輸出大国であった。現在では、ロシアの穀物の輸出先は、基本的には中東、北アフリカである。こうした地域への穀物輸出は、世界経済からの切り離しの後でも減らないかもしれない。 (2)世界経済秩序の再編 世界は変わった 2022年2月24日で世界が変わった。世界経済も変わらざるを得ない。上に述べたように、ロシアと世界経済とは完全に切り離されてしまい、いわば「少し大きな北朝鮮」のような存在にロシアはなろうとしている。世界経済の中からロシアがいなくなるという事態をわれわれは考えなければならないだろう。 侵攻と制裁を背景に、西側企業はロシアから次々と撤退している。こうなると中国を通じてのみロシアは世界経済とつながることになるだろう。ロシア国内に残る企業は中国企業のみで、ロシアはあらゆる外国製品を中国から買う。ロシアは消費財の40%を輸入している。これまでは、消費財の輸入先は、もちろん中国からもあったが、自動車、家電などは、やはり欧米および日本が多かった。これらの諸国は輸入先から消えることになり、その影響は大きいだろう。 こうした変化を、世界経済の分断と表現する向きもあるが、そうではない。中国はこれまで通り世界経済とつながり続ける。ロシアが消えるという変化が世界経済に生じる。 さらに、より大きな話をすると、第二次世界大戦後のブレトンウッズ体制、あるいはIMF・WTO体制と呼ばれる、ドルを基軸とする自由貿易体制に変化が生じると考える。以下で、このアメリカ中心の経済秩序にかかわる問題について述べる。このほか、(3)で述べるように、ロシアのエネルギー資源輸入禁止により脱炭素は予定より早く進むと考えられる。 第二次世界大戦後の秩序と中国の台頭 第二次世界大戦後、アメリカ中心の世界経済秩序がずっと続いてきた。アメリカが世界経済の秩序を維持する役割を負ってきたといえる。冷戦時代には、ソ連をはじめ共産圏はこの秩序の中に入っていなかったけれども、共産圏は世界経済全体を考えたときにはマージナルな、それほど大きな存在ではなかった。 ソ連が崩壊して、この体制が世界全体を覆ったと見られていた。しかし、10数年たった2000年頃になると、そうではない展開になってきた。すなわち中国が台頭してきた。中国という非常に異質な存在が、しかもかつての共産圏のようにマージナルではない、今やGDPで世界1位になろうというような、貿易でも大きな存在感のある国が台頭してきた意味は大きい。今までの秩序を維持できない事態が生じたのである。 既存の秩序が維持できなくなってきたことは、アメリカのトランプ政権のときに明らかになった。トランプ政権がアメリカ中心主義を打ち出したことは、アメリカが秩序維持者として振る舞うことができなくなったと宣言したことを意味する。つまり、既存の秩序に中国を組み込めないという状況が、トランプ以降の世界だった。 ロシアによるウクライナ侵攻が意味すること 中国を組み込んだ新たな秩序の創出が課題となっていた状況で起きたのが、今般のロシアによるウクライナ侵攻である。古い秩序が壊れ、まだ新しい秩序が生成されていない、その間隙(かんげき)を突いた行為といえるかもしれない。 侵攻は、ロシアが従来の秩序の外にあったことを示しただけではない。インドをはじめとする発展途上国が制裁に賛成していないことは、これらの国々も、既存の秩序に十分には組み込まれてはいなかったことを示すものである。これまでのアメリカによる経済秩序は、欧米諸国や日本だけのものであったといえよう。 また、ロシアによるウクライナ侵攻は、新たな世界経済秩序の形成という観点から見れば、少なくともかく乱要因であり、新秩序の形成にマイナスの影響をもたらすと考えられる。さらに、侵攻は、これから作られるべき秩序におけるロシア自身の位置づけを困難にした。この意味でロシア自身にとっても全く余計なことであったろう。 ブロック化ではない新たな世界経済秩序の必要性 世界経済における中国の存在は今や非常に大きい。中国と比べればロシアの存在感は小さい。貿易に占める比重で考えても、中国経済が少しでも変調をきたせば世界に影響がある。このように重要な位置を占める中国であるが、ロシアやインドなどと連合して西側と対決するという、かつての冷戦のような構造にはならないと考える。 というのも、中国経済は、サプライチェーンを考えてみても、西側諸国と相当に結びついており、その結びつきがなくなるとは思えない。少なくとも当面は、中国と西側諸国との経済的結びつきは続くだろう。他方で、中国の通貨がドルに代わって基軸通貨になることも今は考えられない。世界全体の金融資産ストックで考えれば、欧米諸国の資産の方がまだまだ大きい。他方、アメリカ大統領がトランプからバイデンに代わったからといって、アメリカが世界経済を引っ張っていくことができるようになるわけではない。 そうであれば、政治的には米中対立が続くとしても、その対立や緊張をコントロールして、経済的にはアメリカと中国が何とかうまくやっていける体制を作ることを考えざるを得ないのではないか。1人当たりの指標で見ると、中国はまだまだ先進国の水準には程遠い。中国にはさらなる経済成長の可能性と必要性があると考えられる。西側にはそれを押さえつける権利も能力もない。そのような無駄な努力をするくらいならば、中国を秩序に取り込んだ方が得策である。さらにいえば、中国の後には、アジア、アフリカ、中南米などの途上国も、経済発展を遂げていくかもしれない。中国を取り込める世界経済秩序を構築しておかなければ、こういった国々が経済発展したときにやはり秩序に取り込めない事態が発生し得、結局、世界経済秩序が存在しないか、機能しないかのどちらかの状態に陥る可能性がある。 (3)戦略的地下資源の今後と脱炭素 世界的な脱炭素は重要な課題として、昨年春から秋にかけて世界中で議論されたところである。しかし、今や脱炭素よりは脱ロシアという課題に注目が集まっている。脱炭素の動きは、脱ロシアによって早まると考えられる。というのも、西側諸国がロシアからの輸入の完全な代替先を見つけるのは無理であり、他の手段を考えざるを得ないからである。 西側の石油・ガス調達の脱ロシアは、行き着くところまで行くだろう。現在のところ、ロシアからの輸入禁止の対象は、差し当たり石油だけである。まだガスについてはEUレベルで禁輸の合意はない。ただし、フィンランドなどロシア側が供給を停止した例があるほか、禁輸を主張する声も大きい。今年中は無理だとしても、戦争が長期化する場合(長期化は必至であると予想される)、石油だけでなくガスも含めて脱ロシア化が進むと考えられる。この1、2年の間に中東が西側への供給源となる。西側の中東依存度がもっと高くなることが予想される。 他方で、ロシアも、西側に代わる代替的な輸出先を見つけるのは難しいだろう。どう考えても、中国、インド、アフリカなどが輸入を増やす余地は当面大きくないし、今後も難しいだろう。確かにロシアから中国などへの輸出は増えるだろう。しかし、ロシアの現在の輸出水準の維持は不可能である。 編集:河本和子 NIRA総合研究開発機構上席研究員/一橋大学経済研究所ロシア研究センター専属研究員 参考文献加藤学(2022)「ロシア向け経済制裁の動向」『ロシアNIS調査月報』5月号(第67巻第5号), pp. 41-58.田畑伸一郎(2022a)「ロシアの経済・財政状況:2021年の回復と迫る暗雲」『ロシアNIS調査月報』5月号(第67巻第5号), pp. 2-25.田畑伸一郎(2022b)「制裁のロシア経済への影響」2022年3月9日,SRC緊急セミナー「経済制裁とロシア:緊迫するウクライナ情勢」. 引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。(出典)田畑伸一郎(2022)「ロシアへの経済制裁とその影響―短期的変化と長期的展望―」河本和子編『ロシアのウクライナ侵攻』NIRA総合研究開発機構 ※本誌に関するご感想・ご意見をお寄せください。E-mail:info@nira.or.jp シェア Tweet 関連公表物 ロシアのウクライナ侵攻 第1章:ウクライナ危機の起源 松里公孝 ロシアのウクライナ侵攻 第2章:ロシアのウクライナ侵攻とアジア 加藤美保子 ロシアのウクライナ侵攻 第4章:ウクライナ侵攻とロシア内政 油本真理 ©公益財団法人NIRA総合研究開発機構※本誌に関するご感想・ご意見をお寄せください。E-mail:info@nira.or.jp 研究の成果一覧へ