研究報告書 2022.09.02 ロシアのウクライナ侵攻 第4章:ウクライナ侵攻とロシア内政大統領支持率、エリート、異論派 この記事は分で読めます シェア Tweet 油本真理 法政大学法学部教授 概要 ロシア政治・社会の実態理解には固有の難しさがある。とりわけウクライナ侵攻後においては情報が少なく、その客観的な評価が難しくなっている。本稿は、断片的な情報を積み重ねることによって、実態に迫ることを試みる。取り上げるのは、プーチンの政権基盤に関わる重要なトピックである、プーチン大統領の支持率、政権を取り巻くエリートの動向、異論派の統制である。これらについて、侵攻前の状況と侵攻後の状況を比較検討する。 プーチン大統領の支持率は、侵攻前には低下傾向にあったが、侵攻後に上昇した。「旗の下への結集」効果とみられる。エリート層内部の力関係については、侵攻前に内部での勢力に変化があり、保守的イデオローグが台頭したが、彼らの独壇場になったとは言えず、保守的でない者を含むテクノクラートが自律性を保っていた。侵攻後、勢力構図は変わらず凝集性を保っているが、保守派とテクノクラートの間に齟齬も見える。異論派は侵攻直前にはすでに活動の余地を失っており、侵攻後にはさらに統制と抑圧の要素が強まった。ただし、統制しきれない部分も残る。今後の見通しは、多くを戦争の帰趨に依存しており、不透明である。ロシアのウクライナ侵攻・総論:ロシアのウクライナ侵攻・第1章:ウクライナ危機の起源・第2章:ロシアのウクライナ侵攻とアジア・第3章:ロシアへの経済制裁とその影響・第4章:ウクライナ侵攻とロシア内政・第5章:ロシアの対ウクライナ戦争 PDFで読む INDEX 1.実態を見るにはどうすべきか 2.プーチン大統領の支持率 (1)侵攻前の状況 (2)侵攻後の状況 3.政権を取り巻くエリートの動向 (1)どんなエリートがいるのか (2)侵攻前の状況 (3)侵攻後の状況 4.異論派の統制 (1)侵攻前の状況 (2)侵攻後の状況 5.現状の評価と今後の展望 図表図4-1 プーチン支持率の変遷図4-2 2024年以降もプーチンに大統領を続けてほしいか図4-3 ウクライナにおけるロシアの軍事行動を支持するか 1.実態を見るにはどうすべきか 現在のロシアをどう理解すべきか ウクライナ侵攻を始めたロシアではいったい何が起こっているのか。当初、観察者たちは様々な変化の可能性を指摘した。戦争に反対するエリートが出るなど、不和が生じている可能性を指摘する声もあった。また、国内の反戦ムードについてもしばしば指摘されるところであった。さらに、前線の兵士の士気が非常に低いという情報もあった。これらの情報は、プーチン大統領の重病説とも相まって、政権が機能不全に陥っている、あるいは不安定化の可能性がある、などの観測を導き出した。 ところが、本稿でこれから明らかにするように、実際の経過はこうした観測通りにはいかなかった。戦争は長引いているが、人々の政権支持が劇的に低下するような事態は現れていないようである。また、エリートの離反も当初期待されたほど進んだわけではなかった。情報は乏しく、ロシア国内で現状どのような変化が生じているのかを明らかにすることは難しい状況である。 こうした中で我々に求められているのは、可能な限り予断を排して客観的に観察をしようとする姿勢である。侵攻直後の時期に相次いだような、あらゆる事象をロシアの体制の動揺と結びつけるような希望的観測は実態の把握をかえって困難にする。その一方で、ロシアの政治体制の安定性を当然視しすぎることも危険である。様々な情報を、過度に期待することなく、しかし過小評価することもなく、淡々と積み上げて分析していくことがいま最も求められている。 理解の土台づくり では、現在のロシアの内政はどのような状況にあるのか。確かに情報は不足しており、核心部分に迫ることは難しいが、何も分からないというわけではない。現時点で明らかになっている情報を地道に積み上げていくことで、よりクリアな見通しを得ることはなお可能である。 断片的な情報を適切に評価し、位置づけるためには、侵攻前のロシアの内政状況を確認しておくことが必要不可欠である(注1)。本稿は、こうした問題意識から、侵攻前と侵攻後の内政状況を叙述したうえで、何が変化し、何が変化しなかったのかを明らかにする。もっとも、事態は流動的である。侵攻後の変化に関し、本稿では主に2022年6月末までの状況を検討対象としているという点はあらかじめ断っておく(注2)。 内政状況と言ってもその切り口は1つではなく、様々なアプローチがあり得る。本稿では、プーチンの政権基盤に関わる重要なトピックを選んだ。すなわち、プーチン大統領の支持率、政権を取り巻くエリートの動向、異論派の統制を取り上げる。これらはいずれも、プーチン大統領下の政権基盤、また、政治体制の特質を理解するために避けることができないトピックである。以下では、これらのトピックについて、それぞれ、侵攻の前後でどのような変化が生じているのかを明らかにしたうえで、最後に現状の評価と今後の展望についても言及する。 2.プーチン大統領の支持率 プーチン体制の核となるのはプーチン大統領の支持率である。プーチン体制下のロシアは個人独裁体制と分類されることも多く、その政権基盤の確立や維持においてプーチンという人物のカリスマ性が大きな役割を果たしていることは衆目の一致するところであろう。これがどの程度受け入れられているかを最もよく示すのが支持率である。以下では、世論調査の結果を軸としつつ、プーチン政権の様々な政策とその人々による受け止めなどにも注目をしながらこの点を明らかにすることを目指す。 (1)侵攻前の状況 低下傾向の支持率 プーチンが大統領第1期目、第2期目を務めた2000年から2008年にかけ、彼を信任する人々はおおむね高い割合で存在していた(図4-1)。その後、メドヴェージェフ大統領の下の4年間の首相職を経て、2012年に大統領に復帰し3期目を迎えた当初は、その直前の抗議運動などの影響もあって支持率は低迷していた。 この状況を大きく変化させたのが2014年のクリミア併合であった。これを受けて大統領の支持率は跳ね上がり、クリミア・コンセンサスと呼ばれる状況が現れたのである。この効果は当初予想されたよりも長く続き、2018年3月に実施された大統領選挙ではプーチンが76.7%を得票して再選された。 図4-1 プーチン支持率の変遷 (出所)レヴァダ・センター ところが、2018年の夏、懸案となっていた年金支給年齢の引き上げが決定されると、プーチン大統領の支持率は下落した。クリミア併合による支持率高止まりの効果はここにきていよいよ薄れたと見ることができる。クリミア・コンセンサスはこうして終焉を迎えたのである。 また、新型コロナウイルスの流行がこれに追い打ちをかけた面がある(Blackburn and Petersson 2022)。ロシアでは新型コロナウイルスの感染がかなり拡大し、当初は死者数がきわめて低い水準にとどまっているとしていたが、実際には死者数も高い水準であった。ロシアの政権も、他国と同様に様々な対処を打ち出す必要に迫られたが、プーチン大統領は、これまでの自身で対処するスタイルとは異なり、感染症対策で前面に出たとは言えなかった。実際の対策は地方レべルで実施され、モスクワ市などの一部の例外を除けばあまり有効な対策は打たれなかった。ロシアの政権が大々的に打ち上げたのがワクチン「スプートニク」であったが、これは国民から信頼を得ることはできなかった。ここでも大統領の存在感は薄かった。結局、コロナ対策で支持率を落としたかどうかは難しいところだとしても、コロナ対策で支持が上がるようなことはなかった。 かくして、侵攻前のプーチン大統領の支持率は低下傾向にあった。2021年2月のレヴァダ・センターの世論調査によると、2024年以降もプーチンが大統領であることを望む人が48%、望まない人が41%という結果となった(図4-2)。大統領の支持率は2018年以降低下傾向にあったが、ここに来てその低迷ぶりは一層明確になったと言える。 図4-2 2024年以降もプーチンに大統領を続けてほしいか (出所)レヴァダ・センター 強気の政権 しかし、こうした支持率低下により、プーチン政権が思い通りの政策を打てなくなったわけではない、という点には留意が必要である。ここでは2つの例を挙げて、プーチン政権が保持していた能力を示す。 第1に、プーチン政権は、2020年には、大統領の任期のリセットなど、きわめて論争的な内容を含む憲法改正を成し遂げた。プーチンが当初大統領任期の制限に直面した第2期目の終わりに際しては、憲法改正を行わずに、メドヴェージェフに後を譲るという形で対処した。すなわち、少なくとも形式的には、3期連続で大統領職に就くことはできないという憲法上のルールを尊重した。こうしたことを踏まえると、2020年の憲法改正で最長2036年までプーチンが大統領であり続けることを制度上可能としたことは、大きな変化であったと言える。さらに、これを法的には必要のない国民投票という形で行ったことも重要である。プーチン政権は、必要に迫られていなくても、望めば国民投票を行って賛成多数を獲得する力を持っていたことになる。 第2に、2021年9月の下院選挙を乗り切ったことである。前回2016年の選挙は、クリミア・コンセンサスの下で行われ、与党である統一ロシアが大勝した。その時と異なり、2021年には統一ロシアの人気も落ちていたため、選挙の帰趨に注目が集まっていた。実際の選挙結果において、統一ロシアは2016年よりも議席を減らしたが、それでも総議席の3分の2を確保することに成功した。この背景には選挙不正があったことが疑われているが、選挙後も、政権に対する反発や不満は大きくならなかった。強引なことをやったとしても、さして反対されずに既成事実を作り、多少の反発は抑え込むか、気にしないかで済ませることができたのである。確かに政権の支持率はそれほど高くはなかったが、強気の抑え込みを可能にするだけのキャパシティは、政権に確かに存在していた。 内政面での行き詰まりと侵攻の関係 このような内政状況は、侵攻決断にどのような影響を与えていると考えられるだろうか。この点について検討するためには、2014年にウクライナのユーロマイダン革命に介入した際の状況との対比が有用である。2014年当時の政権は、2011年下院選挙後から続いた抗議運動の余波、および支持率の低下に苦しんでいた。こうした内政面の要請が介入の決断に際してどの程度決定的な影響を及ぼしたかについての評価は分かれるが、政権にとっては厳しい状況が続いている中でクリミアが併合され、それが国民の支持を受けたことにより、プーチン政権が抱えていた様々な問題が一挙に解決されたことは事実であった。 今回のウクライナ侵攻が決断された時点の状況も2014年時点と類似している面は確かにある。また、2014年の際のクリミア・コンセンサスが予想以上に長く続いたことも政権にとってはある種の成功体験として受け止められ、攻撃的な対外政策が一層魅力的なオプションに見えた可能性も否定はできない。ただし、2014年の介入前の状況ほど追い込まれていたわけではなかったことに加え、ここ数年のプーチン政権には望む政策を押し通す力があったことも事実であり、内政面での行き詰まりを打開するために対外政策に訴えるしかない状況だった、とも言い切れないように思われる。今回の侵攻の決断に際し、支持率の低下がどのように作用したのかについては慎重な検討が必要である。 (2)侵攻後の状況 戦闘行為への態度 ウクライナ侵攻は人々の政権支持にいかなる影響を与えたのだろうか。特にここで重要な意味を持つのは、侵攻に際して支持率が上がる「旗の下の結集」効果があるのか、あるとしたらどの程度か、という点である。 この点について検討するためにはまず、そもそも今回の戦争を人々がどのように受け止めているのかという点について触れておく必要があるだろう(注3)。これに関しては、レヴァダ・センターの調査でも、3月22日の段階では53%が「強く支持する」、28%が「どちらかと言えば支持する」と回答しており、その両者を合わせると80%を超える人々が賛成している(図4-3)。もちろん、若い人の方が支持の度合いが低いといったグラデーションはあるものの、かなりの人が支持したことが明らかになっている。 ただし、こうした調査の際に、果たして人々が本音を言うのかという問題がある。特に戦争が進行中の状況下では、強い社会同調圧力が働く。レヴァダ・センターの調査は個人へのインタビューという形式で行われており、これが「社会的望ましさバイアス」を生み出しているとの指摘がある。 図4-3 ウクライナにおけるロシアの軍事行動を支持するか (出所)レヴァダ・センター 実際に、別の調査は支持の割合がもう少し低いことを示唆している。アレクセイ・ミニャイロという選挙監視などの活動に携わってきた市民運動家を中心とした独立した調査グループが、侵攻直後の段階で電話によって行った調査によると、戦争を支持すると答えた人が59%、反対すると答えた人が22%となっている(Исследовательский проект «Хроники» 2022)。どのような調査を行うかによっても調査結果は異なり得るのである。 権威主義体制下では、本音を言うことを恐れている人たちがたくさんいると考えられることから、人々が実際に何を考えているのかを明らかにする研究も盛んに行われている。例えば、直接には答えにくい質問について人々の真意を知るために行われるリスト実験が参考になる。リスト実験では、調査のキーとなる項目を含むリストと含まないリストとを用意し、被験者を複数のグループに分け、それぞれのグループに異なるリストを渡す。被験者は、リストから支持する項目、あるいは支持しない項目を選び、その数だけを回答する。数のみという間接的な回答方法によって、より率直な回答を引き出すことができると考えられている。リスト間で回答数の平均値に統計的に有意な差があれば、キーとなる項目が選択されたことによって生じたと解釈できる。このような方法を用いて調査した結果によると、直接質問した場合、回答者の71%が戦争を支持していると答えているが、リスト実験では61%となっており、両者の間には差がある――すなわち直接質問した場合に嘘をついている――ことが明らかになった(Chapkovski and Schaub 2022)。しかし、本音に近い考えを引き出したリスト実験においてもなお6割を超える人々が侵攻を支持しているという点は、本音の部分でも侵攻の支持が広まっていることを示唆しているとも考えられそうである。 大統領支持率 それでは、プーチンに対する支持はどうか。世論調査は、圧倒的な支持の上昇を示している。多くの調査においてこの数字は跳ね上がったが、世論調査機関の中では独立性が高いと言われるレヴァダ・センターの調査においても、プーチンの支持率は2022年3月から80%を超える数字へと増加した(図4-1)。さらに、2024年以降もプーチンに大統領としていてほしいと答えた人の割合も72%に増加した(図4-2)。これは、2021年2月の段階と比較するとかなりラディカルな変化であると言える。もちろん、この数字についても、侵攻と同じように、本音を言うことのリスクが認識されている可能性が高いため、実際の支持率はもっと低いことを念頭に置いておく必要はあるが(注4)、それでもやはり一定の支持率増加はあると言えそうである。侵攻前の支持率が低かった時期と比較すると、政権基盤はより盤石になっている可能性がある。 ただし、これがクリミア併合時と同様の支持基盤拡大をもたらしているのか、という点については慎重な検討が必要である。社会学者らによると、クリミア併合の際には「ゲオルギーのリボン」をつけている車が多かったが、今回は「Z」のマークを付けている車はほとんど見かけないという(Troianovski, Nechepurenko and Safronova 2022)。このことは、今回の侵攻の受け止めが2014年のクリミア併合時よりも複雑で、必ずしも熱狂を伴うものではないことを示唆している。他方で、西側からの経済制裁などをはじめ、世界中が自分たちの敵になったという感覚が人々を団結させているとも考えられる。一定の異論をはらみつつも、当面はプーチンの下に結集しているとみるのが妥当かもしれない。 3.政権を取り巻くエリートの動向 (1)どんなエリートがいるのか 見えにくい動向 続いて、エリートの動向に目を向けることにしたい。当然ながら大統領が一人で政治を運営するわけではなく、エリートの動向は、それを実体化する可能性という観点からも重要な意味を持つ。どのようなエリート集団がいて、相互にどのような力関係にあるのかは体制の性質を決める上でも決定的な影響力を持つ。 ただし、その実態を把握することは容易ではない。なぜなら、プーチン政権下におけるロシアでは水平的にも、また垂直的にも集権化が進み、基本的にはプーチン大統領の周辺に多くのエリートが集まる体制が作られている。例えば中央と地方の対立や、政党のような目に見える形でエリート集団間の違いが顕在化することがほとんどないのである。違いがなければ競争も見えない。プーチン政権の下では、エリートの動向が非常に見えにくい状態が続いている。裏で抗争している集団があるという噂が出てくる程度である。 おそらく最も一般的なグループ分けは、リベラル派とタカ派というものであろう。この場合のリベラル派とは経済学者・実務家を指し、タカ派はいわゆるシロヴィキ(治安・情報機関などの出身者からなる政治勢力)を指すと考えられる。しかし、こうした二分法は大雑把なものにとどまる。 エリートの分類 こうした見通しの悪さの中でも、観察者たちはエリートをグループ分けして様々な議論を展開してきた。ロシアのエリート分析を数多く発表しているスタノヴァヤは、ロシアのエリートを5つの集団――プーチンの従者たち、プーチンの取り巻き、テクノクラート、保守的なイデオロギーに基づいて現体制を維持しようとする「擁護者」(以下、分かりやすくするため保守派イデオローグと表記する)、政策の執行にあたる人たち――に分ける(Stanovaya 2020)。彼女は、エリートを細かく分類しており、シロヴィキだからタカ派といった単純化に陥ることを避けられる。 以下では、彼女の議論を基にエリート層にどのような変化が生じていたのかを明らかにする。ただし、プーチンの従者に分類される秘書や中央・地方の政策の実施担当者などは、ニュースにほぼ出てこないため、ここでは彼らは省略して、主に保守派イデオローグ、プーチンの取り巻き、政治的テクノクラートについて論じる。 侵攻の意思決定:2014年との比較が必要 2014年2月のクリミア介入は前もって計画されたものではなく、ユーロマイダン革命が急展開を見せる中で、走りながら考えて決めたとされている(Treisman 2016)。クリミア介入の意思決定は非常に狭い範囲のトップエリートの間で行われたとみられる。このことについてはプーチン大統領自身が2015年のドキュメンタリー映画でのインタビューにおいて言及しており、そのメンバーはプーチン大統領に加え、イワノフ大統領府長官、パトルシェフ安全保障会議書記、ボルトニコフ連邦保安局長官、ショイグ国防相であったとみられている。クリミア併合へと至る政策決定プロセスを検討した研究によると、その際に安全保障会議などのフォーマルな会議体で議論が行われたという確たる証拠はなく、インフォーマルな形での意思決定が行われたという(Fortescue 2017)。また、この時から判断に際しての情報の偏りが指摘されていた。 今回の侵攻がいつ、そしてどのように決断されたのかについてはまだ確定的なことは何も言えないが、意思決定メカニズムそのものはインフォーマルなままであり、非常に狭い範囲で決定されたと考えるのが自然だろう。今回の侵攻は2014年以降の積み重ねを経て決定されたものと考えられる。2014年時点と何がどのように変化しているのか、あるいは、変化をしていないのかについての検討は今後に残された課題である。 (2)侵攻前の状況 勢力の変化 ウクライナ侵攻前の段階において既に明らかになっていたのが、保守派イデオローグの台頭であった。この点はスタノヴァヤのみならず、多くの論者によって指摘されている通りである。特に、KGB(ソ連時代の治安機関である国家保安委員会)のバックグラウンドを持つパトルシェフ安全保障会議書記やボルトニコフ連邦保安庁長官の影響力が増していると言われる。彼らはロシア正教会の保守派やヴォローヂン下院議長とも密接な関係を持っている。また、時には陰謀論にも依拠して外国からの脅威に対抗するために社会を動員し、ロシアの人々の生活や政治により厳しい統制を及ぼそうとしている。プーチンが意見を聞く取り巻きの中に、かつてはリベラル派がいたが、近年はいなくなったという。彼らの代わりに、こういった陰謀論的保守派が増えてきたとされる。ただし、シロヴィキだからと言ってこのカテゴリーに入るとは限らないという点には留意が必要である(注5)。シロヴィキはその内部で分裂しており、必ずしも一枚岩ではないのである。 従来、プーチン政権については、プーチンと個人的なつながりを持つ人々からなるインナーサークルが政治を牛耳っているという見方があったが、スタノヴァヤはこれを批判したうえで、こうした取り巻きを三つのグループに分けている。第1のグループとして挙げられるのが、プーチンの権力掌握を助け、それに伴って莫大な国家資産をコントロールするオリガルヒとなった「国家オリガルヒ」である。ここにはセチン・ロスネフチ社長、チェメゾフ・ロステク社長、ミレル・ガスプロム社長、グレフ・ズベルバンク頭取、トカレフ・トランスネフチ社長、チュバイス・元ロスナノ社長などが含まれる。彼らは大規模なビジネスを代表していることもあってロシアの孤立政策などに反対する「体制内リベラル」の役割を果たすこともあり、プーチン大統領との間に距離ができているとされる。第二のグループは国家マネージャーで、ここにはプーチンが大統領になる前から共に働いてきたメドヴェージェフ安全保障会議副議長(前大統領)、コザク大統領府副長官、イワノフ大統領府特別代表、クドリン会計検査院長官(元財務大臣)が入るが、彼らの影響力も低下傾向にある。これに対し、近年影響力を増しつつあるのが第三のグループである。このグループには、プーチン大統領に近いオリガルヒとして知られるローテンベルク兄弟やコワルチュク兄弟、ティムチェンコ、シャマロフ一族、プリゴジンらが含まれる。彼らはイデオロギー的にも保守の立場をとっており、資金の調達をはじめ、サイバー工作や紛争地への傭兵の派遣、反体制派の抑圧など、様々な形でプーチンを助けている。 テクノクラートと保守派イデオローグの齟齬 ただし、比較的リベラルな価値観を持っている人々が凋落し、保守派イデオローグに取って代わられたというほど話は単純ではない。当然ながら、保守派イデオローグと呼ばれる人々が単独で政権を運営できるわけではない。ここで重要な意味を持つのがテクノクラートである。テクノクラートは官僚機構の中心的な核となる人々であり、替えが効かないという点において自立性も有している。政治的な志向が必ずしも保守的でない者も含まれている。例えば、ミシュスチン首相、キリエンコ大統領府第1副長官、グロモフ大統領府第1副長官、ベロウソフ第1副首相、シルアノフ財務大臣、ラヴロフ外務大臣、ショイグ国防大臣、ナビウリナ中央銀行総裁、ソビャーニン・モスクワ市長らといった人々が挙げられている。 テクノクラートと保守派イデオローグは潜在的に相容れない面があると指摘される。政治的テクノクラートは欧米との関係をより重視し、進歩的な政策を取ろうとする一方で、保守派イデオローグはこうした動きを警戒する。彼らは時には陰謀論も持ち出して外国の脅威を強調し、市民に対してより強い統制を導入しようとするのである。両者のトーンの違いは新型コロナウイルスの対策においても観察された。感染症対策に際してはプーチン大統領が指揮を取ろうとしなかったこともあり、テクノクラートがその役割を担うことになったが、これに対して保守派イデオローグはより思い切った方策をとることを主張したという。 このように一定の齟齬を含むものでもあったが、結局のところ、プーチンの周辺でエリート間の紛争が表面化することはなかった。エリートの凝集性が明らかに崩れるという事態は回避されたのである。 (3)侵攻後の状況 凝集性を維持するエリート 侵攻後、エリートの各グループはどのような動きを見せたのだろうか(注6)。侵攻前との対比を分かりやすくするため、ここでも先ほどのエリートグループの順にその動向について概観することにしたい。 まず、今回の事態を後押ししたとみられる保守派イデオローグは、他のグループに対する優位性を証明したとも見ることができるが、その実態は不明なことが多く、実際のところどうなっているのかはよく分からない。例えば、2月21日の安全保障会議において、プーチン大統領がナルイシュキン対外情報庁長官を追い詰めていた光景は多くの人々に注目されたが、これがいったい何を意味していたのかは謎のままである。この内部の動向をつかむことは困難である。 次に、プーチン大統領の取り巻きにもいくつかの動きがあった。特に注目を集めたのは、国家オリガルヒの一員に数えられ、2020年から気候問題のロシア大統領特使のポストについていたチュバイスが3月に辞任して国を出たことであった。しかし、チュバイスに続く大々的な離反の動きは見られなかった。また、プーチン大統領の長年の側近であるメドヴェージェフは、かつてはリベラル派の「星」と見られた人物であったが、このところ政権に過剰に同調し、過激な発言を繰り返している。彼が再び政治の表舞台に立つことを目指してそうしているのか、あるいは地金が出ただけなのかは意見の分かれるところである。 離反の動きが出るのではないかという観点から観察者たちの関心が最も高かったのがテクノクラートである。侵攻はさらなる国際的孤立及び経済的苦境をもたらし、彼らのこれまでの努力を無に帰するようなものだったからである。しかし、実際のところ、あまり表立った動きは見られなかった。むしろ、幹部の継続性が重視される中で、彼らは引き続き以前と同じポジションで執務にあたっている。ミシュスチン、ベロウソフ、ソビャーニンらは経済の運営を任された。ナビウリナは辞任を申し出たという説もあったが、プーチンは彼女を中央銀行総裁に再任命した。また、キリエンコはウクライナ東部の内政を管轄する役割を与えられている。 亀裂と齟齬 ただし、エリートの凝集性の高さを疑わせるような情報も出てきてはいる。1つには、国防・治安機関とプーチン大統領の関係の変化が挙げられる。まず多くの観察者が注目したのが、ウクライナの侵略が当初の予定通りには進まなかった責任をだれが負うのかという問題であった。この点に関しては、連邦保安庁の対外諜報部門のトップであるセルゲイ・ベセダらが、ウクライナ情勢に関して不正確な情報を報告した廉(かど)で逮捕されたとの報道が広く知られている。ショイグ国務大臣の処遇をめぐっても諸説入り乱れている状況にある。また、現在の政権の計画の是非に関する意見の相違も観察されている。特に、軍などにおいては、より好戦的な立場から、プーチン大統領の方針では不十分だという批判が出ているとの指摘がある(Soldatov and Borogan 2022)。このように、潜在的には亀裂が生じている可能性はある。しかし、現状ではこれが目に見える形で表れるには至っておらず、一連の情報の裏付けをとることは困難である。 もう1つ挙げられるのは、テクノクラートと保守派イデオローグの齟齬である。これもあまりはっきりとした事例は明らかになっていないが、秋の統一地方選挙を実施するかどうかという問題で、両者の間に対立があったという報道がある。選挙をめぐっては様々な議論が噴出し、選挙中止論もたびたび出ていた。キリエンコらテクノクラートは選挙の実施を求め、選挙の取りやめを主張するシロヴィキたちとの間で意見の相違があったとされる。最終的には選挙を実施する方向で固まった。この過程で、キリエンコが大統領を説得したという説も出ている(Перцев 2022a)。それ以外にも、モスクワ市のソビャーニン市長は、3月のクリミア併合記念イベントのほかは、愛国的イベントに姿を見せておらず、戦争から距離をとろうとしているようだ(Перцев 2022b)。いずれの場合についても断片的な情報しか得られないが、一定の温度差があるということは言えそうである。 こうした状況を見ると、エリートたちが気持ちを同じくしているわけではなさそうだ。とはいえ、おそらく彼らも今はプーチンについていくしかないと考えており、離反の動きを見せにくい状況にあるのだろう。エリートたちは、現段階では、少なくとも目に見える形ではそれほど目立った変化が生じているわけではないようである。プーチン大統領の政策には、おそらくより保守的な見地からも、またよりリベラルな見地からも批判の余地は多分にあるが、今のところプーチンの周辺に集まっているのである(Stanovaya 2022)。噂と憶測が先行し、つかみづらいところではあるが、エリートたちの動向は、プーチン政権の今後に最も影響すると考えられるため、不確かな情報も含めて観察を続けていく必要がある。 4.異論派の統制 内政においてもう1つ忘れてはならないのが、異論派にどう対処するかという問題である。近年のロシアにおいては、こうした勢力は選挙から締め出されており、議席の獲得の可能性もほとんどない状況にある。この異論派には様々なカテゴリーが含まれており、すべての面において政権に対して批判的とは限らない。以下では、異論派とは、政権の公式な言説体系には収まらず、それに挑戦しようとしていると政権に見なされている団体やメディア、一般人などを指すことにする。このような統制がどのように行われているのかということも、政治体制の性質を決める上で決定的な意味を持つ。 あらかじめまとめておくと、異論派は、侵攻前の段階で相当に抑え込まれており、侵攻後には抑圧がさらに強化されている。こうした事態を受けて、ロシアの政治体制は全体主義になったという観察者も現れている。 (1)侵攻前の状況 抗議運動の取り締まり プーチン政権下では異論派に対する抑圧も徐々に強められていった。特にその傾向は、2012年に彼が大統領に再登板した後に顕著になった。この背景には、彼が大統領に返り咲く直前に起こった抗議運動の影響があったと考えられる。この時期の抗議運動の盛り上がりは再選を前にしたプーチンにとっては大いなる脅威であった。そのため、ひとたび大統領に返り咲くと、規制を強化したのである。 再登板直後のプーチン政権が熱心に取り組んだのが抗議運動の取り締まりであった。選挙へのアクセスが制限されて、特定の勢力しか参加できない仕組みが構築される中で、抗議運動は反体制派にとっての重要なツールの1つとなっていた。しかし、政権は抗議運動に様々な制限をかけ、高額な罰金を科すなどした。また、集会などの実施に必要な当局の許可を得にくくしたり、許可なく路上に出た活動家の身柄をすぐに拘束したり、あるいは活動家の自宅などを家宅捜索したり、抗議運動の開始予定時刻直前に活動家を逮捕したりといったように、法制度づくり以外の側面からも抗議運動を非常に行いにくい環境を作り出した。また、こうした抗議運動の実施に関する規制は、新型コロナウイルスの流行拡大によって一層強化された。 外国のエージェント さらに、抗議運動に限らず、異論派の活動を広く直接的に抑圧する法制度も作られるようになった。その際に特に重要な役割を果たしたのが2012年の「外国エージェント法」である(СЗРФ 2012)。この法律により、外国の資金援助を受けて政治活動に携わる非政府組織(NGO)などの団体を「外国のエージェント」として登録・管理できる制度が導入され、規制や監視を強化した。これにより、選挙監視を行うゴーロスや、世論調査機関のレヴァダ・センター、人権団体のメモリアルなどが外国のエージェントとされた。外国のエージェントと認定されても活動が不可能になるわけではないが、当局に対してさまざまな報告義務を負うため、統制は強化された。 また、2015年5月には、「好ましくない」と判断された外国NGOまたは国際NGOのロシアにおける活動を禁止し、それに参加した場合には罪に問われるとする法律が成立した(СЗРФ 2015)。同法の成立後、全米民主主義基金やジョージ・ソロスのオープン・ソサエティ財団などが「望ましくない」組織に認定された。 その後、外国エージェントの適用範囲が拡大し、統制は強化されている。2017年には外国から資金を受けているメディアも「外国エージェント」の対象に加えられた(Болецкая и Чуракова 2017)。この法改正は、同じ時期にアメリカにおいてロシアのロシア・トゥデイ(RT)が、アメリカで同様のカテゴリーに入れられたことに対抗して行われたものであり、BBC、ドイチェ・ヴェレ(ドイツの国際公共放送)、自由欧州放送などの外国メディアも対象とされることになった。現在、同法の適用範囲は個人にも拡大されている。 一線を越える政権 こうした抑圧の強化にもかかわらず、政府批判のブログで著名になったナヴァリヌィ陣営は、2017年にメドヴェージェフ首相の腐敗を告発する動画を発表し、デモを呼びかけるなどの抗議運動を組織し始めた。彼は2018年の大統領選挙への出馬を目指しており、その選挙キャンペーンにおいて、抗議運動の実施は1つの重要な柱となったのである。また、ナヴァリヌィらは選挙へのアクセスは有していなかったが、「スマート投票」キャンペーン――「統一ロシア」以外の野党候補のリストを作り、投票を呼び掛けるもの――を呼びかけるなどの活動を続けていた。 このような中で、2020年夏に起こったのがナヴァリヌィの毒殺未遂事件である。ナヴァリヌィの容態は重く、ドイツで治療を受けることとなった。プーチン政権はこの事件への関与を否定しているものの、ナヴァリヌィは英国に拠点を置く調査報道機関のベリングキャットと協力して調査を行い、事件に関与した連邦保安庁の工作員の名前を公表している。 翌年、ナヴァリヌィがロシアに帰国すると、当局は彼を空港で拘束した。これに対しては大規模な抗議運動が起こったが、政権は参加者たちを容赦なく拘束し、運動を鎮圧する断固とした姿勢を示した。同年2月、裁判所は過去の執行猶予判決を覆す形で2年8か月の自由剥奪刑を言い渡した。2022年3月にさらに9年の刑期が申し渡された。当局はナヴァリヌィのみならず、彼の組織に対しても抑圧の度合いを強めた。2021年6月、ナヴァリヌィの組織は「過激派」に認定され、活動が継続できない状況に追い込まれた。その結果として、活動家のほとんどは同年夏頃までに国外への亡命を余儀なくされた。 このように、プーチン政権下においては2021年までには既に異論派が一掃されていた。それまでも抑圧は厳しかったが、ナヴァリヌィ陣営に対する対応は一線を越えたものとなったと言える。彼らは活動を続けてはいたものの、国外からのアプローチを余儀なくされ、その国内的な影響力は低下せざるを得ない状況に置かれていた。 (2)侵攻後の状況 反戦デモ 先に紹介した世論調査の結果からも明らかなように、ウクライナ侵攻の受け止めは多様であり、反対意見を持つ人も少なからず存在している。オンラインでの署名集めや、戦争反対を訴える声明などが次々と発出された。こうした声の1つの表れとなったのが反戦デモであった(注7)。人々は侵攻当日から路上に出て戦争の廃止を訴えて路上に出た。参加者の多くはすぐに拘束されたが、こうした人々の勇気ある行動は国際的にも大きな注目を集めた。ただし、前年のナヴァリヌィの拘束に反対する抗議運動ほどの人出はなかった。この背景には様々な要因が考えられるが、当局による締め付けがかつてないレべルで強化されたことが人々を委縮させた面はあるだろう。また、先にも指摘した通り、全体として政権支持が高まっている状況でもあり、こうした行動には出にくかったという面もあるかもしれない。いずれにしても、戦争への異論が明確に表明されたことは確認しておく必要がある。政権は、こうした運動に抑圧一辺倒の態度をとっている。 足で投票する人々 開戦後、戦争に突入したロシアを忌避して国外へ脱出する動きが見られた。多くのロシア人が近隣の旧ソ連諸国やその他の国々へと移動した。こうして脱出した人々を対象として行われた調査によれば、回答者の7割は侵攻前からSNSへの投稿を行っており、侵攻後には5割の人が当局の許可を受けない集会に参加したという(Zavadskaya 2022)。この調査結果は、「足による投票」が実際に生じていたことを示唆するものである。 ただし、この国外脱出の規模を過剰に見積もるべきではない。一時は何百万人という数字が大きく報道されたが、侵攻開始直後の時期に出国したロシア国民の数は数十万レべルと見積もられている。また、こうした人々のその後の動向も不透明である。先の調査によると、現在の滞在先にとどまると答えた人は43%であり、さらなる移動を予定している人が18%、未定が35%、そして3%がロシアに戻ると答えている。戦争が長引くにつれ、移住先での滞在資格の問題、生活基盤の整備、経済制裁の影響、経済的な理由などで長期の滞在に困難をきたす人も少なからずいるものとみられる。 メディア統制 ロシアの当局はメディアに対する統制をあっという間に強化していった(注8)。ロシア検察当局は3月1日、ロシアのウクライナ侵攻に関する「偽情報」を流しているとして、リベラル派と位置づけられてきた独立系のラジオ局「モスクワのこだま」およびテレビ局「ドーシチ」の視聴に規制をかけるよう通信監督当局に要請した。3月3日には両放送局とも放送を終了した。ノーヴァヤ・ガゼータは、3月下旬になって新聞の発行停止を表明した。 その翌日の3月4日には、ロシア軍に関する「虚偽情報」の拡散、ロシア軍の信用失墜、ロシアに対する制裁の呼びかけを取り締まる法律が制定された(СЗ РФ 2022)。このフェイクニュース法の影響は大きく、この法律が成立したことにより、メディア報道にさらなる圧力がかかるようになっただけでなく、そうした情報を拡散した個人や、抗議運動でプラカードを掲げるなどといったことも含めて厳しい処罰の対象とされることになった。 抑圧の強化 また、抗議運動に対する抑圧も一層厳しくなったことが指摘できる。抗議運動の参加者の摘発は今回もまた容赦なく行われ、反戦メッセージを掲げる人々は次々と拘束された。その拘束の割合は、既にそれまでにない規模の拘束が行われていた2021年のデモの際よりも高かった。人出があまり多くなかったために拘束が容易であった面もある。国外にいる元オリガルヒのホドルコフスキーやナヴァリヌィ陣営がデモを呼びかけた3月6日には、反戦デモの期間中最多の5,500人を超える拘束者が出る事態に至っている。OVD-infoが発表している累計の拘束件数も戦争開始後の4月中に15,000を超えた(注9)。こうした抑圧を受け、3月中旬頃には既に、路上での集会という形での抗議運動の継続は困難な状況になっていった。勇気ある人は、1人でも抗議のメッセージを携えて広場に立っていたりするが、集団での運動は極めて難しい。それでもフェミニスト団体などは抗議運動を継続しているが、オンラインでの活動などが中心になっている。こうした団体は、これ以前も様々な形で抗議運動を行っていた経験から独自のノウハウを持っている。 このようにして、侵攻開始後のロシア内政は瞬く間に抑圧的な傾向を示すようになった。異論派は既にほとんど追い出されており、既に活動の余地はかなりの程度小さくされていたが、侵攻後のそれは圧倒的なスピードで進んでいったのである。 統制の限界 上記のように抑圧が強化される一方で、政権が統制しづらいところもある。インターネットである。政権によるインターネットの統制も侵攻開始前から始まっていたが、侵攻開始後から一段と強まった。ロシア国内からは外国メディアのサイトへのアクセスが制限され、FacebookやTwitter、InstagramなどのSNSも遮断された。 しかし、政府はインターネット空間を完全に統制することはできていない。まず、まだいくつものプラットフォームが残っている。反体制的あるいは批判的な番組を視聴することができるYouTubeも規制の対象になるのではないかと言われていたが、結局規制はされなかった。また、メッセージング・アプリであるTelegramには様々なチャンネルが開設されており、重要な役割を果たすようになっている。それに加えて、人々はVPNを用いて規制を回避することも可能である。 現在のロシアでは、見たい情報を見ようと思えばほとんどの情報にアクセスが可能である。他方で、積極的に情報を探しに行かない人々、特に調べてみようとは思わない人々は、国営メディアのプロパガンダにさらされることになるだろう。かくして、情報の二極化が起きていると考えられる。 5.現状の評価と今後の展望 本稿ではここまで、侵攻前後の各要素の変化について確認してきた。ここから明らかになったことは、それぞれに少しずつ異なる背景があり、異なる変化が生じていたということである。特に変化が大きく表れたのは、支持率の上昇と、異論派への統制の強化であった。その一方で、エリートの動向については、様々なことは指摘されつつも、結局のところその実態はよく分からない。現段階で明らかなのは、少なくとも目に見えるような大きな亀裂は目立っていないということだけである。これらの変化は、少なくとも短期的には、プーチン大統領の政権基盤は大きく揺らぐことはなく、むしろ、強化されている面もあるということを示唆しているように思われる。 しかし、言うまでもなく、こうした傾向が永続的なものであるとは限らない。不確定要素は多々存在している。目下問題になり得るのは、侵攻のコスト――とりわけ人的なそれ――をだれが担うのかという点である。現状では、ロシアは戦争状態を宣言しておらず、戦地に派遣されているのは契約軍人である。また、その出身地などにも偏りがあり、ダゲスタン共和国やブリヤート共和国などの出身者の犠牲が多いとされる。 動員に対する忌避感はかなり強く、徴兵事務所への火炎瓶の投げ込みなどが相次いでいる。総動員に反対する声は根強い。ここから示唆されるのは、戦争が他人事であるから支持している可能性である。政権は動員をかけるのではないかという噂も断続的に出ており、兵力不足が顕著になる中で、いつどのような展開があっても不思議はない状況にある。今回の侵攻が他人事と思えるうちはよくても、その距離が維持できなくなった場合には困難な状況に陥るだろう。 また、より長期的に見た場合でも、様々な不確定要素がある。まず大前提として、戦争の行方に多くの部分が依存しているという点は確認しておく必要がある。短期間であれば我慢ができたとしても、あまりに長引き、また目立った成果がないのだとすれば、侵攻の受け止めも、また政権の支持にも影響が出るだろう。 経済制裁の影響も見逃せないところである。ロシア国内の社会経済状況に関しては、侵攻開始後の一部の予想よりは落ち着いた状況にあるとも見られていたが、経済制裁は元来即効性はないということが指摘されてきたもので、むしろ長期的に及ぼす影響が大きいと考えられる。 なお、今後どのような展開をたどるにせよ、念頭に置いておく必要があるのは、政権は自らが蒔いた種により、文字通りの暗中模索を強いられる可能性が高いということである。すなわち、あまりにも統制を強めすぎたがために、実際に人々が何を考えているのかが見えにくくなっているということである。世論調査は定期的に行われているが、その数字の信頼性には大きな疑問符が付く。反戦デモも弾圧によりその実施が困難になり、今回の戦争に反対する人々の声は目に見えなくなっている。ロシアの政権は、水面下で何が生じているのかを把握することが極めて困難な状況の中で、こうしたかじ取りをしていくという難題に取り組まなければならないのである。 編集:河本和子 NIRA総合研究開発機構上席研究員/一橋大学経済研究所ロシア研究センター専属研究員 参考文献油本真理(2022)「ウクライナ侵攻とロシア国内の反戦デモ」『IDEスクエア』溝口修平(2022)「ロシア国民はウクライナへの軍事侵攻を支持しているか?」『日本国際問題研究所 研究レポート』Blackburn, M., and B. 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