翁百合
NIRA総合研究開発機構理事/日本総合研究所理事長
水島治郎
NIRA総合研究開発機構上席研究員/千葉大学教授

概要

 経済社会が大きく変革する中、労働者が企業・産業の枠を超えて成長産業に移動し、能力や志向を活かして就労できる仕組みが求められている。しかし日本は、グローバル時代にふさわしい活力ある雇用社会への転換が遅れている。NIRAフォーラム2023「テーマ3:活力ある雇用社会のビジョン─『失業なき労働移動』をめざして─」では、この課題に対し、多面的な視点から検討を進めるべく、政労使の関係者および専門家を集め、雇用政策のみならず、社会資本の整備や国土政策、地域産業政策などを横断的に議論した。
 切り札となるのは、「失業なき労働移動」である。リスキリング教育を伴うことによって賃金を上げる方向で移動できるという視点を持ち、労働移動を積極的にとらえることが必要だ。労働者が主体的に希望する仕事を選べる環境を実現するためにも、自主的な転職のハードルを下げる必要がある。こうした問題意識は、経営者側と労働者側の双方で共有された。一方で、ジョブ型雇用については、成長分野を慎重に見極め、さまざまな影響を見ながら進めるべきであるという意見もあった。望む人が労働移動できる社会の実現に向けて、何をすべきか、産官学に加えて、地域の関係者も含めて、共通のビジョンを描くことが大切だ。

INDEX

NIRAフォーラム2023「テーマ3:活力ある雇用社会のビジョン─『失業なき労働移動』をめざして─」参加者


・岡崎淳一  公益財団法人産業雇用安定センター理事長
・翁 百合  NIRA総研理事/日本総合研究所理事長
・加賀屋陸  アサヒグループホールディングスHR顧問
・木原隆司  NIRA総研評議員/獨協大学経済学部教授
・小路明善  日本経済団体連合会副会長/アサヒグループホールディングス会長
・酒井 正  法政大学経済学部教授
・佐藤 厚  法政大学キャリアデザイン学部教授
・白塚重典  慶應義塾大学経済学部教授
・田中 修  財務総合政策研究所特別研究官
・板東久美子 NIRA総研評議員/日本赤十字社常任理事
・松浦昭彦  UAゼンセン会長
・三浦章豪  内閣官房新しい資本主義実現本部事務局次長
・水島治郎  NIRA総研上席研究員/千葉大学教授
・武藤祥郎  国土交通省住宅局住宅経済・法制課長
・弓 信幸  厚生労働省職業安定局総務課長
(肩書は当時、敬称略・五十音順)

 産業構造の高度化、デジタル化の進展、ライフスタイルの変化をはじめとして日本の経済社会は大きな変革の時を迎えている。労働者が企業・産業の枠を超えて成長産業に移動し、個々人の能力や志向を活かした就労が可能となる仕組み作りが求められている。

 弊機構は、NIRAフォーラム2023「テーマ3:活力ある雇用社会のビジョン─『失業なき労働移動』をめざして―」と題して、日本に労働移動を促す仕組みを定着させるための議論を行った。今回集まったメンバーは、労働経済学の専門家、企業経営者、労働組合幹部、そして政府関係者であり、シンクタンクも加わった「産官学+中間組織」というコーポラティズムを形成する場となった。当日のモデレーターは、翁百合(日本総合研究所理事長、NIRA総研理事)が務め、また、問題提起は、水島治郎(千葉大学教授)が行った。本稿では、まず当日の議論を整理してまとめ、最後に議論で浮き彫りになった今後に向けた課題を整理する(注1)

失業なき労働移動を実現する

 冒頭では、水島より、労働の流動性と安定性を兼ね備えた「失業なき労働移動」が活力ある雇用社会の実現に不可欠と、以下の通り問題提起を行った。

 現在、産業構造の高度化・情報化が急速に進展し、先端・成長部門が活躍の幅を広げている。それに伴い、人材不足も生じており、労働者がスキルを磨き、新たな部門に移ることへの需要が増している。しかし、日本は、労働の流動性が低いために、労働者が能力を発揮する機会が限られてしまい、イノベーションが生まれないと指摘される。こうした日本の状況を変えるためには、北欧やオランダのような流動性を備えた雇用社会に移行すべきだという意見が聞かれるが、海外の事例をただ真似すれば良いのではない。むしろ、日本独自の要素を加え、活力ある雇用社会をどう描いていくかについて、議論することが求められている。

 労働者の意識に目を向けると、日本でも転職に肯定的な人は少なくない。特に若い人ほど転職に積極的であることがNIRA総研の調査からもわかっている。また、新たな知識や技能の必要性が転職のハードルだと捉える向きは少なく、若手から中堅世代を中心に情報系の知識を学ぶ意欲もうかがえる。他方、雇用が安定的であることを望む人が多いという結果も得られた。

 これらのデータから見えてくるのは、人々は、労働市場の流動性自体に対してはポジティブである一方、個人の責任で放り出されるような、不安定で安心できない社会に対しては違和感を持つということだ。つまり、労働市場の流動性と安定、この2つを兼ね備える必要がある。

 そこで本会合で提示するのが、「失業なき労働移動」である。このコンセプトを日本の社会の中に構造的に組み込んでいくためには、リスキリングや第2のセーフティネット、そしてイノベーションといったさまざまな観点からの議論が必要だ。

専門家の見解:実効的なリスキリングとセーフティネットを整備する

 こうした水島の問題提起に対して、2名の専門家から基調講演が行われた。

 まず、法政大学教授の佐藤厚氏より、基調講演「国際比較からみた日本の課題:労働移動・職業能力・リカレント教育」が行われ、以下の通り、教育、労働、および両者のトランジションにおいて、日本人のキャリア自律を阻害する要因の改善が指摘された。

 「労働移動」は、企業内移動と企業間移動に分かれる。企業内移動は、異動や配置転換を指す。これは日本で非常に多い。企業間移動は2つのタイプがあり、うち1つは政労使協力型。デンマークやスウェーデンのように、政労使が介入して解雇対象者を新たな職場へ再就職させるタイプだ。中間組織を設けてリスキリングを行うこともある。もう1つは、自発的な離職。民間の人材紹介や訓練プロバイダーを活用するもので、アメリカやイギリスで多い。

 国際比較をすると、日本の特徴は、一度失業すると再就職しにくい国といえる。北欧や英米では、賃金や労働生産性が高く、また、スキル投資が行われている国ほど、労働移動率が高いことが確認されている。このうち、スキル投資のための訓練レジームは、政府と企業の関与の強弱の違いによって4つに分かれる。①政府の関与が強いが、企業の関与は弱い「国家主義モデル」、②政府、企業の関与とも強い「コーポラティストモデル」、③政府、企業の関与とも弱い「リベラル」、そして④政府の関与が弱いが、企業の関与が強い「セグメンタリスト」だ(表1)。

表1 訓練レジームによる国際比較(クリックすると拡大します。)

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     (注)労働生産性は購買力平価換算USドルでみた就業者1人当たりの値。
     (出所)佐藤氏作成資料よりNIRA総研が抜粋、編集。

 日本は④のレジーム、つまり、企業内の訓練で身につけたスキルで生涯のキャリアを全うするモデルである。大学等で学び直しをするという規範が浸透していないし、学校で学んだスキルが企業で評価されにくいことが、日本人のキャリア自律の低さにつながっている。新卒採用、企業内異動、遅い昇進、仕事と教育の関連性の弱さが絡まり合う環境を改善することが、リカレント教育の整備には不可欠となる。

 続いて、法政大学教授の酒井正氏より、「第2のセーフティネットのあり方─求職者支援制度への期待─」と題した基調講演が行われ、以下の通り、雇用保険制度で保障がされていない非正規労働者などに対する求職支援の強化の必要性が指摘された。

 近年、雇用保険に加入していない、あるいは、加入していても受給条件を満たしていない人が増えている。こうした人々は、職を失っても失業給付が支給されない。こうした人々を救うのが「第2のセーフティネット」だ。第2のセーフティネットは雇用保険(第1のネット)や生活保護(第3のネット)で足りないところを補うように、各人のニーズに応じて複数の制度が「パッチワーク」状の形となり、安全網を形成している(図2)。2008年のリーマン・ショックの際に、「必ずしも保険料の拠出を前提とせずに給付を行う」という考え方が登場し、その後、整備されてきた。その1つが求職者支援制度であり、職業訓練に加え、状況に応じて所得保障を行っている。

図2 各セーフティネットの関係

(出所)酒井氏作成資料よりNIRA総研が抜粋、編集。

 しかし、求職者支援制度の利用者数はコロナ禍の期間でも予想ほど伸びていない。なぜか。失業数が政府の政策により抑えられたことは大きいが、一方で、生活福祉資金貸付制度など他の第2のセーフティネットの利用は大幅に増えており、それだけでは説明にならない。制度自体に何らかの課題を抱えている可能性がある。

 こう述べた後、求職者支援政策の難しさについて付け加えた。

 受講希望者が多い訓練コースで就職率が高いとは限らない。医療・介護分野のような慢性的に人手不足で就職率が高いコースの人気は低い。したがって、個々人のニーズに応えていくだけでは、社会経済にとって望ましい労働移動は実現しない。

 次に、近年「失業なき労働移動」を実践している産業雇用安定センターの理事長を務める岡崎淳一氏から、労働者主導でのキャリアアップの仕組みづくりの重要性について以下のような指摘があった。

 センターが行っている在籍型出向で最も実績があるのは「雇用調整型」で、コロナ禍では航空業、旅行業など一時的に仕事が大きく減少した産業において解雇するのではなく他社に出向して雇用をつなぐ支援を行った。最近は「シニア活躍型」も増加しつつあり、これは役職定年を迎える50代後半頃の従業員をトライアル的に在籍型出向をさせ、相互に満足すれば移籍につなげるものである。

 これから注力していきたいのは「未来志向型」の出向・移籍だ。従前より、新技術の獲得や新分野への進出等を目的とした企業主導の在籍型出向は行われているが、これからは、労働者主導のものを増やしたい。労働者が希望するキャリアアップやキャリアチェンジのために在籍型出向や兼業・副業が活用されるようにしたい。

 この2人の専門家の基調講演と岡崎氏のコメントに対して、質疑が行われた。まず、企業内のリスキリングについて、財務総合政策研究所特別研究官の田中修氏は、OJTで組織文化を徹底的に刷り込むことで、企業が新しい事態に直面した時に柔軟に対応できなくなる事態を懸念する。そうならないように、労働者を若い時に出向させるとともに、40代後半~50代前半での根本的な学び直しも必要と指摘した。また、岡崎氏は、公的な制度面について、教育訓練給付金制度などリスキリングのために使える制度は既に整備されているが、利用しようとする人が少ない点を指摘した。これに対して、利用者を増やすには、佐藤氏や獨協大学教授の木原隆司氏はリカレント教育の成果を企業や社会が評価することが必要と指摘し、木原氏は国家レベルで資格を付与するのがよいと主張した。

経営者の視点:個人が主体となるキャリア形成を支援する

 次に、経営者側から、経団連の副会長を務めるアサヒグループホールディングス会長の小路明善氏が、労働者が自身のキャリア形成に取り組むことの必要性と、企業が国際競争力を維持するための雇用制度の在り方について、以下のような見解を提示した。

 まず、働き手の流動化は手段であって、目的ではない。日本の社会と経済、何より国民生活が持続的に成長するために必要なのが、多様な人材の労働参加率の向上と、成長産業への円滑な労働移動だ。労働移動に対する意識を社会全体で肯定的なものへ変革していく。

 円滑な労働移動の実現に向けた施策の1つは、主体的なキャリア形成である。長期雇用・終身雇用による同一企業内のみのキャリア形成には弊害がある。労働者がエンプロイアビリティを向上させる意欲が低下し、産業構造や市場の変革に対応するスキルを身につけられず、市場で評価されない人材になってしまう。それを乗り越えるために、企業や経営者は労働者の副業・兼業を促進する必要がある。他にも、能力開発・スキルアップや、雇用マッチング機能の強化などが重点策だ。

 加えて、企業としては、日本の企業や産業の国際競争力が大きく低下している現状を打破しなければならない。イノベーションの創出や生産性の向上を実現するため、多様な能力やスキル、価値観を持つ人材を獲得することが不可欠だ。通年採用や経験者採用の拡大、カムバック・アルムナイ採用(注2)、リファラル採用(注3)など、採用方法の多様化が期待される。また、自社型雇用システムの確立にも取り組むべきだ。特にジョブ型雇用や、メンバーシップ型と両方のメリットを取り入れたハイブリッド型へ移行していくことが必要である(注4)

労働組合の視点:生産性の向上を雇用構造の変化につなげる

 これに続いて、UAゼンセン会長の松浦昭彦氏からは、「失業なき労働移動」に関して、個人の自主的な判断による移動が望ましいとして、以下のような指摘があった。

 労働組合としては、労働の移動は必要であるが、労働の尊厳を守り、かつ、機会や選択肢を増やし、定年まで働ける安心できる労働を提供すべきである。人口急減社会を迎えるにあたり、「より少ない労働投入量で生産(サービス)を行う」ことが必要になる。その際、生産性の向上を賃金にしっかりと反映させ、さらなる生産性の向上へ投資できるように財やサービスの適正価格を実現しなければならない。「物価と賃金の好循環」はこれまでも議論されてきたが、まず生産性を向上させ、その分配として賃金を引き上げるという考えだった。しかし、順番にこだわっていてはなかなか進まない。先に賃金が上がり、その中で生産性の向上を企業に求めるという流れも考えていくべきだ。

 抜本的な生産性の向上が不可欠な中で、労働組合としても、仕事の機械化や中長期的な労働移動は必要だと認識している。ただし、人が行う仕事として何が残るのかという構造変化に際し、労働の2極化が起こらないように注意したい。雇用の確保は第1に求めるが、単に仕事があれば良いのでなく、人が就く仕事に「労働の尊厳」を守る必要がある。

 GXにより産業構造が変化し、否応なく労働移動を考えなくてはならなくなった。「失業なき労働移動」に対して労働組合は、個人の自主的な選択による雇用の流動化が望ましいとのスタンスをとる。連合側が学生向けに行った調査では、定年まで働きたいという人が8割近くいた。まず転職への認識を変えることが必要であり、そのためには、安心を創り、魅力を創ることが重要だ。その上で機会や選択肢を提示できるようにすべきだ。さらに、労働組合は職務給化を必ずしも必要だとは考えていない点も強調したい。ジョブ型雇用もまだ定義が曖昧であり、果たして「失業なき労働移動」につながるのか、懸念している。

政府の取組みと議論

①ジョブ型への移行が提示する課題

 次に、政府から、内閣官房、厚生労働省、国土交通省の3者が議論に参加し、それぞれの視点や現在の取り組みの状況を踏まえた意見が出された。

 まず、新しい資本主義実現本部事務局次長の三浦章豪氏は、リスキリング、職務給の導入、労働移動の円滑化による構造的賃上げの実現が基本的な考え方であることに加え、以下の考えを示した。

 構造的賃上げのために何が必要かという議論を開始したところだ。日本で機能する個々の企業の実態に応じたジョブ型人事・職務給のあり方を検討していく。ジョブが定義され、そのジョブに必要なスキルが明らかになれば、当該スキル獲得のため労働者が自発的に勉強する学び直しにつながる。労働者起点の発想が大事だ。

 こうした動きに対して、岡崎氏は、そのような議論をする際には、どの職業分野のことを念頭に置いているのか、日本の経済社会の発展のためにはどの分野での流動化が必要なのか、関係者の認識を一致させなければならないと指摘した。これに関連して佐藤氏は、日本で流動化していないのは中間管理職の層であるとし、管理職が非常に幅広い職務と重い役割を担っているため転職しにくいという日本の特徴を説いた。また、松浦氏からは、職務給という表現が高齢者の賃金を下げる方便になっているのではないかという懸念が示された。

②兼業・副業の促進を阻むもの

 次に、雇用政策を担当する、厚生労働省職業安定局総務課長の弓信幸氏からは、「労働市場の見える化」などの同省の以下のような取り組みが紹介された。

 「ジョブカード」は、学習履歴や職務経験等の情報を証明できるツールであり、経営者側からも期待が集まっている。また、職業ごとの賃金水準や必要な資格・経験、企業情報などを情報発信していくことは、目的意識を持ったリスキリングや転職活動にも資すると考えられる。賃金の上昇を伴う労働移動の円滑化に向けた重要な施策として推進していく。

 こうした労働者の主体的な移動の促進に関して、三浦氏は、個人のキャリアアップや労働移動の円滑化の観点から、主となる仕事を持ちながら違う職を体験することが重要だとし、そのためにも兼業や副業を促進するべきだが、日本の大企業は、特に若い人の離職を心配して兼業・副業させない傾向にあるのではないかと発言した。これに対して、小路氏は、大企業でも兼業・副業の制度の導入は進んでいるが、健康配慮義務に基づく労働時間の算定や管理の煩雑さがネックになっているとする。自己の責任制へ移譲していくことも考える必要があるのではないかと意見を述べた。

 岡崎氏は、人材流出を恐れて在籍型出向や副業・兼業に消極的な企業も多いが、人材を抱え込むのではなく、その人がより活躍できるよう後押してもらえるかが焦点だと指摘した。慶應義塾大学教授の白塚重典氏は、企業サイドが、労働者に選んでもらえる企業になっていく、労働生産性を高めて魅力ある職場を作っていくという意識変革が大事だと指摘した。

③地方からイノベーションを

 最後に、国土交通省住宅局住宅経済・法制課長の武藤祥郎氏は、失業なき労働移動を実現させるには持続的な成長が欠かせないとして、以下の通り、地域単位のイノベーションの重要性を指摘した。

 「イノベーションは新結合である」というシュンペーターの理論に基づくと、イノベーションの現場で大事なのは、人と出会う空間的な近接である。「イノベーション地区」と呼ばれる、研究施設と人の生活に必要な物理的資産を狭い範囲に集めた例が示すように、対面は創造的な活動を促す。半径400メートル以内に企業・研究機関が集積し、住宅、オフィス、小売店を備える地区を形成することが求められている。

 これに対して、日本赤十字社常任理事の板東久美子氏は、現状、地方はリスキリングの機会も十分でないことに留意し、地方のイノベーションを促す形で労働移動を実現する重要性を挙げた。また、地方からテレワークで仕事ができるようになり、フリーランスを含めた多様な働き方もある中で、個人の能力を上手く活かして新しい場へ投入する方策も考えるべきだと指摘した。さらに、水島も、地方でニーズの高まる医療介護の現場に、若い労働者を低賃金で縛り付けてしまうようなことになれば、ますます人口流出を招くと懸念を述べた。むしろ先端技術をいかに活用して労働の質を高め、介護を受ける側としても望ましいケアを実現していくか、地方におけるイノベーションに期待を寄せた。

終わりに─雇用ビジョンを描く

 どの立場であれ、思い描いているのは「望む人が労働移動できる社会だ」─この酒井氏の言葉が示すように、労働移動を避けるのではなく、リスキリング教育を伴うことによって賃金を上げる方向で移動できるという視点を持ち、労働移動を積極的にとらえる必要があるという点で参加者の問題意識は共有された。労働者による自主的な労働移動は、主体的に仕事を選ぶ雇用を実現するためにも重要な手段であり、活力のある雇用社会にもつながるといえる。

 実際、経営者、労働組合側ともに、労働移動の必要性を認識している点が印象的であった。労働組合は、産業構造の変化を考えれば、特に能力開発による労働者のエンプロアビリティの向上が、重要な課題だと述べている。しかし、ジョブ型雇用については、ハイブリット型も含めて期待を寄せる経営者側に対し、失業なき労働移動に結びつくか不透明という点において労働組合側は慎重な姿勢を見せていた。

 今回の会合での議論から、成長分野に人を移動していくために取り組むべき課題は3つに分けて整理することができる。1つ目はAIなど最先端のイノベーションへ向けて、リスキリングやジョブ型への移行に取り組むこと、2つ目は転職を望む人を含む、幅広い層の労働者について、移動に備えて主体的に能力開発を行い、人材レベルを底上げできる環境にすること、3つ目は厳しい状況に置かれている人たちへ向けて、セーフティネットの整備、特に次の仕事へのシフトに対応することである。これらの課題に同時に取り組むことが重要である。

 そして、雇用の移動は、きわめて地域性が強いという視点も忘れてはならない。産官学に加えて、地域の関係者も含めて、望む人が労働移動できる社会の実現に向けて、何をすべきか、共通のビジョンを描くことが大切だ。

翁百合(おきな ゆり)

NIRA総合研究開発機構理事、日本総合研究所理事長。京都大学博士(経済学)。著書に『金融危機とプルーデンス政策』(日本経済新聞出版社、2010年)など。金融審議会委員、財政制度等審議会委員等を務める。

水島治郎(みずしま じろう)

NIRA総合研究開発機構上席研究員、千葉大学大学院社会科学研究院教授。博士(法学)(東京大学)。専門は、オランダを中心とするヨーロッパ政治史、ヨーロッパ比較政治。著書に『ポピュリズムとは何か』(中公新書、2016年)など。

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)NIRA総合研究開発機構(2023)「失業なき労働移動を実現するために―政労使による議論を経て―」NIRAオピニオンペーパーNo.70

脚注
1 NIRAフォーラム2023「テーマ3:活力ある雇用社会のビジョン─『失業なき労働移動』をめざして─」は2023年2月4日に赤坂インターシティコンファレンスにて開催された。
2 退職した元社員を再び雇用する制度。
3 社員が知人や友人を紹介し、選考・採用する方法。
4 ジョブ型雇用は、職務や勤務場所、勤務時間が限定された働き方等を選択できる雇用形態を指す。一方、メンバーシップ型は、新卒一括採用、長期・終身雇用、年功型賃金、企業内人材育成等を特徴とする日本型雇用システムを指す。

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