NIRA総合研究開発機構

概要

 NIRA総研は、2023年2月4日にNIRAフォーラム2023「なぜ、人々の声は政府に届かないのか-人々と政府の意識をつなぐ政策共創-」を開催した。
 人口減少が進行しており、社会全体のパイが増えない中、今の政治には痛みを分かち合う厳しい決定が求められる。政治は、苦い薬ではあっても、将来を含めた人々の幸せを最大化する真の利益を示す必要がある。それは、人々の利害や思いに対してレスポンシブ(反応的)である以上に、自らを含む将来の人々や社会に対してレスポンシブルな(責任ある)方策を共に見出していくことだ。
 そのためには、政府には、時々の状況に対応して、柔軟に方向性を変えられるアジャイル型の政策形成の仕組みを根付かせ、変革を促すための結集力を高めていくことが求められる。また、行政データのオープン化を一層進め、多様なデータを使って、ロジカルな議論を積み上げていかなければならない。
 さらに、人々と政治が非公式かつ自由な討議を通じて、社会に対して責任ある方策を共に見出すための政策共創の場が重要となる。すなわち、話し合い中心の「熟議民主主義」を根付かせ、自分の意見は反映されたという実感を持てるよう民主主義の議論のプロセスを見直す一方、政治も熟議の成果に基づき複数の課題解決の方策を巡って政党間で競争し、意思決定の透明性と説明責任を高める。この2つの方向の仕組みづくりを同時に行っていくことこそが、民主主義のサステイナビリティーを保つための道である*

INDEX

会場の様子

NIRAフォーラム2023登壇者


・牧島かれん 前デジタル大臣/衆議院議員
・宇野重規  東京大学教授
・金丸恭文  フューチャー株式会社代表取締役会長兼社長/NIRA総研会長
・下山紗代子 一般社団法人リンクデータ代表理事
・田村哲樹  名古屋大学教授
・谷口将紀  東京大学教授/NIRA総研理事長
・柳川範之  東京大学教授
日時:2023年2月4日
場所:赤坂インターシティコンファレンス「the AIR」

 冒頭の基調講演では、東京大学教授でNIRA総研理事長を務める谷口将紀氏より、以下の問題提起がされた。

将来の人々に対してレスポンシブルであるために

 昨今の米中対立やロシアのウクライナ侵攻により、国際社会の分断が深刻になっている。これまで世界は、ヒト、モノ、カネ、情報のグローバリゼーションにより経済的な相互依存を深めてきたが、ここにきてグローバル化の行方に不透明感が増している。一方、日本では世界に先駆けて人口減少が進行し、社会保障制度や地域の持続可能性への不安が高まっている。

 社会全体のパイが増えない状況で、今の政治は、痛みを分かち合う厳しい決定を行わなくてはならない。本日のテーマである「なぜ、人々の声は政治に届かないのか」といっても、人々の声というのは、自身の損得勘定からくる賛否ではなく、また、政府や政党に近い、声の大きい人々のことでもない。政府、政党、政治家には、感情レベルの人々の思いを汲み上げるだけではなく、たとえ苦い薬であっても、そう遠くない将来に人々の幸せを最大化するよう、人々の真の利益を示してもらう必要がある。それは、人々と政治の相互作用を通じて、人々の利害や思いに対してレスポンシブ(反応的)である以上に、自らを含む将来の人々や社会に対してレスポンシブルな(責任ある)方策を共に見いだしていくということだ。

 そのために必要なのは、たとえ厳しい選択をするとしても、決して人々のことを悪いようにはしないという政治に対する信頼感ではないか。この信頼感があれば、積極的な賛成は得られなくとも、人々は政治がくだした意思決定を比較的受け入れやすいだろう。ところが、現実は、日本人の政治に対する信頼感は絶望的に低い。「世界価値観調査」によると、日本人の政府に対する信頼度は、調査対象48カ国中41位、政党に対する信頼は38位、国会に対する信頼は40位。文字どおりの「信無くば立たず」である。

 では、合意のための突破口をどうやって見つけるのか。それは、単に政府、政党、政治家に任せるのではなく、また、単に従来型の人々の政治参加を拡大するというのでもない。人々と政府が共に創るという政策共創の場が必要であり、熟議を通じて合意を得るための糸口を見出さなければならない。

 続いて、基調報告として、前デジタル大臣で衆議院議員の牧島かれん氏より、以下の問題提起がされた。

アジャイル型政策形成で多様化した時代に応える

 日本で若い世代の皆さんと意見交換をすると、「政治家のやっていることが見えない」、「政策についての説明が足りない」、「難しくて分からない」という声が聞こえてくる。デジタル時代になり、政治家と人々との距離は縮まったが、政治的な話題でつながることは多くはない。

 多様化した時代に応える政策を実行するために、アジャイル型の政策形成を定着させなければならないと強く感じている。「アジャイル」とはシステム開発用語で「機敏な」という意味だが、政策形成では「柔軟な」という意味合いで使われる。去年正しかったことが、今年正しいとは限らない時代であり、政策転換を迫られることもある。「変えないほうが安心だ、ダメージが少ない」という政策当局者の意識をとり払い、政策形成の柔軟性を高める必要がある。

 アジャイル型政策形成の一例として、デジタル庁でのワクチン接種記録アプリの開発がある。民間アプリと同様、ユーザーからのフィードバックをもらい、常にアップデートをかけるという発想で開発を進めた。首長、医療従事者、住民をはじめとした、地方自治体の皆さんからフィードバックをもらい作っていった。これにより、各市町村の日々のワクチン接種状況をデータで確認し、地域差があることもわかった。どういうインセンティブを働かせれば目標を達成できるのかを検討し、政策を随時更新していった。こうした柔軟な政策形成は、「危機時だったからできた」で終わらせるのではなく、平時にも定着させる必要がある。最後に、私が今懸念しているのは、世の中に存在している複雑な出来事を、あまりにも短時間で分かったつもりになろうとして、単純化し過ぎてはいないだろうかということだ。分かりやすい説明は大事だが、複雑なことを単純化しようとすれば、真実の姿を見失うことにもなりかねない。丁寧に言葉を尽くして、説明していくことが重要だ。

 以上の谷口将紀氏、牧島かれん氏の講演を踏まえて、パネリストによる議論が行われた。

個が多様化する中で、結集力を高める

 デジタル化、個の多様化が進み、共通の話題を見つけることが難しい時代なった。かつては、みんなが知っているドラマ、音楽があり、それを話題にすれば初対面の人とでもある程度話ができた。ところが、ネット上で多種多様なものを見られるようになり、みんなが違うものを見るようになった。これはある意味で幸せなことだが、共有できるものがないことは意見を集約するときに困難を伴う。

 東京大学教授の柳川範之氏は、人々が多様な意見を持つようになった今、平均的な対策を講じても、平均的な人が存在しなければ意味がなく、国民の声に応えることが非常に難しくなっていると指摘する。

 多様化した人々の声を政治に届けるには意見集約が必要だが、そのためにはロジカルな議論を重ねる必要がある。論理的に議論を進めないと、単なる感情論に終わってしまう恐れがあるからだ。特に、SNS上では単純化した議論や意見対立が起きている。極端な議論が先鋭化すると、ロジカルに考えると正しいと思われる政策でも、その実効が困難になる局面もある。価値観の違い、見ているデータの違い、時間軸の違いなど、なぜ意見の違いが生じるのかを、ロジカルに理解することが意見集約の前提だ。

 もっともそれだけでは意見集約はできない。業界団体のように仕事がかかっている人たちの声は大きくなりがちで、個々人の意識は弱くなってしまう。人々の声を集約するために、つながりや信頼感、納得感をどうつくるかが大事になるだろう。

 フューチャー株式会社代表取締役会長兼社長でNIRA総研会長の金丸恭文氏は、改革には「結集力」の必要性を強調する。改革を進めようとすると、必ず既得権益層や現状に満足している人の現状維持力が発生し、改革しようとする力と拮抗する。実感として、組織の声を重んじなければならないといった同調圧力が強いと改革する力が負けてしまう。時のオピニオンリーダー、メディア、そして、トップの一押しの支援があれば、現状維持力を勝り、世の中をよりよくする方に変えていけるが、その一押しがなく、中途半端で終息する状況が続いてきたように思う。このことが「人々の声が届かない」という不満にもつながっているのではないだろうか。若い官僚のボトムアップ力、それをまとめ上げる局長、大臣のリーダーシップは不可欠だ。諦めず、結集力を高めて取り組むほかない。

四則演算で考える民主主義

 これまでの議論で、現代の代議制民主主義制度では、必ずしも人々の声が政府には届かないという限界があらわとなった。人々と政府の意見の隔たりをいかに埋めていくか。以下では、そのための考え方や実践のヒントを探り、民主制度のプロセスを見直していくことの重要性を指摘する。

 古代ギリシアで生まれた直接民主主義を理念とする「デモクラシー」と、中世ヨーロッパ以来発展した「代議制民主主義」の仕組みは大きく異なる。前者は「普通の人々が力を持っている」という意味であり、普通の人々が政治に参加し、参加するが故に責任を持つ「参加と責任のシステム」だ。後者は選挙によって選ばれた代表者を通じて自分たちの意思表示をするというシステムだ。

 東京大学教授の宇野重規氏は、両者がいずれも「民主主義」と言われてしまうために、構造的な「ずれ」が生じていると指摘する。民主主義は自分たち一人一人が主人公で参加できるシステムのはずなのに、その実感を持ちにくいというずれだ。このことが、「私たちの声が届いていない」という不満をもたらす原因ではないだろうか。

 このずれを解消するためには、議論のプロセスが大切になる。KJ法を開発した川喜田二郎氏の教えでは、民主主義は四則演算とされる。最初は「足し算」。みんなの意見を全部出してもらう。次に「掛け算」。出てきた意見をぶつけ合い、新しいアイデアを出す。次に「引き算」。どのような選択肢があるのか絞り込む。最後に「割り算」。どの選択肢にどれだけの人が支持するか。こうしたプロセスをきちんと積み上げることで、自分たちは参加した、自分の意見は反映されたという納得感が得られるのではないだろうか。

「届かない」と共に「届き過ぎる」時代の熟議民主主義のすすめ

 人々の声は届いていないといわれるが、実は、人々の声が「届き過ぎる」時代でもある。SNSを通じた意見表明も、社会の中で大きく意見が分かれている分極的な意見も、政治家や政党、社会の私たちにダイレクトに届いてしまう。さらに、デジタル技術の進展により、画像データや音声データといった「声ならざる声」まで届いてしまう。

 田村氏は、「届かない」と共に「届き過ぎる」問題を次のように指摘し、届きすぎる声を調整する上でも、話し合い中心の民主主義である「熟議民主主義」の役割が大きくなっていると主張する。

 熟議民主主義には大きく2つの役割がある。1つ目は、選挙型代表制の既存回路では「届かない」声を届けることだ。人々の声を政党や政治家を通じて届けるのが難しい時、話し合いの場を設けることで、選挙型代表制に期待された回路を「修復」できる。特に最近注目されているのは、抽選によって、これまで「届かなかった声」も届けようとする試みだ。くじ引きでたまたま選ばれた人が集まり、ある特定のテーマについて熟議することで、選ばれなければ届かなかった人々の声を届けられるようになる。

 2つ目は、「届き過ぎ」という状況の調整役だ。人々の声は届けばよいというわけではない。「届き過ぎる」意見は、政府・政党・政治家を戸惑わせ、あるいは、決然と無視する振舞いに繋がるかもしれない。民主主義にとって大事なのは、「私たち」で考えを決めていくことだ。そのためには、「私」の声を「適切に(納得できる形で)手放す」ことも大切になる。そもそも私たちの意見や認識は、間違っていることもある。ゆえに、届ける声は練られる必要があり、熟議はそのための調整役となるだろう。

 もちろん、熟議をした結果、合意できるとは限らない。しかし、たとえ合意できなくても、「熟議を経た不合意」には意味がある。当該問題が深刻な問題であることを政治や社会に広く伝えることができ、より慎重な対応や再検討に繋がり得る。対立意見の相互尊重をもたらすことも期待できる。意見が割れていることを、相対的に納得して受け止められるようになれば、剥き出しの対立や分断の緩和に繋がるだろう。

合意形成のためにデータ活用を一層進めよ

 一般社団法人リンクデータ代表理事の下山紗代子氏は、人々と政府の乖離を埋めるために、データを共有し、合意形成のために活用すべきと説く。

 先行事例として、バルセロナ市の「スーパーブロック構想」がある。車道を段階的に制限することで公害問題を改善し、人々の公共空間として利用するための計画だ。バルセロナ市は同構想により、交通量、汚染物質の飛散量、騒音がどの程度減るかをシミュレーションにより算出し、具体的な数値で効果を示すことで、合意形成に成功した。今では、交差点があった空間に地域住民の憩い場ができており、素晴らしい町づくりが進んでいるという。

 合意形成が成功した背景として、第1にデータの蓄積がある。バルセロナ市はスマートシティとしても進んでおり、町中にさまざまなセンサーが設置されている。日常的に得られる様々な情報をデータとして使える形で蓄積しており、合意形成を進める上での基礎となった。第2にオープンデータ化である。バルセロナ市には、「行政データは市民のものなので返さなければならない」という考えがあり、オープンデータ化が進んでいる。従来は専門家だけが使っていたデータを、誰でも使えるようする「データの民主化」と言われる動きだ。オープンデータ化が進めば、行政と民間の情報の非対称性を解消でき、官民協働の取り組みが円滑になる。また人々が同じデータを見ることで、目線を合わせた議論もしやすくなる。

 ただしデータ活用には留意点もある。柳川氏は、データをベースにした議論は重要だが、1つのデータで判断すると間違える場合があることを指摘する。ある課題に対して様々なデータが出てくることが大事であり、それらを包括的に見ながら、取捨選択や解釈を参加者がロジカルに行っていく必要がある。

 また、宇野氏は効率性や利便性が高いツールさえあれば、政策議論が活発化するわけではないと述べる。バルセロナでの取組の成功には、市民の社会参加が積極的という背景があった。また、政策議論を行っていく前提として、互いに信頼できる社会を築かなければならないという。例えばマイナンバーカードをめぐっては、個人の情報を政府に出すことに対して日本人は危機感を持つ。自分たちのデータをみんなで利用するために、信頼があることがまず大切になる。自分たちが社会に参加しているという日々の草の根の民主主義の実感が結び付いてこそ、初めて民主主義は活性化する。

これからの政策共創に向けて

 フォーラム全体を通じて、パネリストに共通したのは、デジタル化が進み、個が多様化するなかで、いかに人々の声を適切に集約し、合意形成していくかという問題意識だ。中間層という社会の同質性が失われ、人々の多様性が強調される一方、SNS上では極端な議論が拡散している。登壇した識者が論じたように、人々の声を届ける回路を作る一方、「届きすぎる」声を調整することも、適切な意見集約、人々の納得感を高める上で不可欠だ。そのためには、ディスカッションの中で指摘されたように、民主主義における議論のプロセスの見直し、すなわち多様なデータを使ってロジカルな議論を積み上げていく過程の設計に加え、人々の意見がなぜ違うのかを論理的に掘り下げていくことが重要だ。同時に、人々の声を受けとる政策側も変わっていかなければならない。社会の状況や人々の声に耳を傾け、柔軟に方向性を変えられるアジャイル型の政策形成の仕組みを根付かせ、変革を促すための結集力を高めていく必要があるという指摘も説得力をもつ。

 いかなる政治体制も無謬ではありえない。だからこそより多くの人々が参画した、非公式かつ自由な討議を通じて政治課題を掘り起こし、こうした人々による熟議の成果を公式な議論の場につなげるとともに、政治の側も、複数の課題解決の方策を巡って政党間で競争し、また、意思決定の透明性と説明責任を高めることを通じ、所期の効果を得られなかった、あるいは結果的に誤った施策を速やかに修正できるしなやかさを持つ。この2つの方向の仕組みづくりを同時に行うことこそが、民主主義のサステナビリティを保つための道である。

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)NIRA総合研究開発機構(2023)「なぜ、人々の声は政府に届かないのかー人々と政府の意識をつなぐ政策共創ー」NIRAオピニオンペーパーNo.67

脚注
※ 本稿は2023年2月4日に開催したNIRAフォーラム2023「なぜ、人々の声は政府に届かないのか-人々と政府の意識をつなぐ政策共創-」での発表及び議論の内容をとりまとめたものである。本稿の編集は、NIRA総合研究開発機構研究コーディネーター・研究員の井上敦が担当した。

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