谷口将紀
東京大学大学院法学政治学研究科教授
水島治郎
千葉大学法政経学部教授
牛尾治朗
総合研究開発機構(NIRA)会長

概要

 日本の未来に立ち塞がる困難は、開国と明治維新、敗戦と戦後改革に匹敵する険しい道のりである。そう遠くない将来に負担増と給付減、雇用の流動化といった「負担の分かち合い」が政治課題になることは避けられない。換言すれば、遅かれ早かれ課題に立ち向かわなければならないことを前提とした上での課題「解決」に向けた取り組みが必要である。
 政府債務の規模、少子高齢化の水準において、日本は課題先進国であるが、さりとてまったく外国に範を求められない訳ではない。オランダ、ドイツ、デンマーク、カナダ、イギリス各国における課題「解決」例から、今後の日本政治への教訓を得ることは可能だ。
 各国の事例から学べることは、社会が個人の自立を支え、励ます「信頼社会」に向けた政策枠組みが求められるということである。大きな方向性を共有しながら、複数の選択肢を国民に提示する、健全な政党政治のあり方を実現することが急務である。また、それを支える社会、とくに政労使からなるポリシー・コミュニティの形成も必要となる。
 課題先進国から課題「解決」先進国へ。熟議と決定を両立させた民主主義のあり方を、今こそ日本から実現しようではないか*

INDEX

 「絶望するのではなく、行動しよう。共和党の解決策、民主党の解決策ではなく、正しい解決策を求めよう。過去に責任を負わせるのでなく、未来に対する責任をわれわれ自身が引き受けよう」

 60年近く前、ジョン・F・ケネディによる演説の一節である。為政者が後世に評価されるのは、いかに長く印綬や議席を保持し得たかではなく、何を未来に遺し得たかによる。今、この言葉を与野党の政治家に問い掛けたい。

 日本の未来に立ち塞がる困難は、開国と明治維新、敗戦と戦後改革に匹敵する険しい道のりである。1960年代には高度経済成長が日米安保条約改定をめぐる国内対立を癒したが、安保法制の成立を見た今日のわれわれを待ち受けるのは、さらに深刻な社会の亀裂を生み出しかねない難題である。

 グローバリゼーションの中で経済成長を続けるためには、これまで以上に積極的な人や資本の呼び込み、そして生産性の向上が必要になる。企業の収益力、競争力を高めるべく、法人実効税率を引き下げ、労働市場を柔軟化し、産業の新陳代謝を活性化するといった諸施策が唱えられるが、裏を返せば消費税など代替財源の負担、雇用保障の低下など人びとの痛みを伴わざるを得ない。

 こうした痛みを和らげようにも、今や政府が抱える粗負債は名目GDP比200%に達している。資産を差し引いた純負債で見ても、その規模は先進各国の中で突出している。かつてGATTウルグアイラウンドでコメ市場を一部開放したことに対して、6兆円の国内対策費を投じたような大盤振る舞いを、もはや政府には期待できない。

 そもそも日本の人口は2008年の1億2,808万人をピークに下降に転じ、国立社会保障・人口問題研究所によれば、2060年には8,674万人、実に3割超の減少が見込まれる。労働力人口が急減する一方で、高齢化は進行しており、社会保障関係費の伸びがますます財政を圧迫している。もし、このまま収支改善を行なわず、少子高齢化に伴う社会保障関係支出の増大を放置し続ければ、一般政府の債務残高対GDP比は発散すると推計されている。確かに、直近の経済運営においてデフレ脱却、経済成長を優先する議論はあり、これを安倍内閣も採っているところである。2020年頃までのGDP600兆円達成、一億総活躍社会の実現を政府が目標に掲げることについて否定するものではない。マイナンバー制度やインボイス制度を活用して、税や社会保険料の徴収を効率化することも重要だ。

 しかし、現在の目標が達成されたとしても、さらに望みたいのは、グローバルな文脈において、日本社会を再構築する視点である。国際競争が激化する中、各国はグローバルな経営の視点をもって経済・社会の構造改革に取り組んでいる。こうした課題を見通した上で、なお将来にわたって増税や歳出削減を伴わずに日本経済の運営を可能と論じる者は、きわめて少数にとどまっているように思われる。そう遠くない将来に負担増と給付減、雇用の流動化といった「負担の分かち合い」が政治課題になることは避けられない。

「負担を分かち合う政治」

 それでは、どのようにすれば「負担を分かち合う政治」を実現できるのか。換言すれば、現在論壇をにぎわせている課題の有無や優先順位をめぐる議論ではなく、遅かれ早かれ課題に立ち向かわなければならないことを前提とした上での課題「解決」に向けた取り組み──これが本稿の問題関心である。

 政府債務の規模、少子高齢化の水準において、日本は課題先進国であるが、さりとてまったく外国に範を求められない訳ではない。本稿は、オランダ、ドイツ、デンマーク、カナダ、イギリス各国政治の専門家からヒアリングを行ない、各国における課題「解決」例から、今後の日本政治への教訓を得た。

 以下で紹介する各国の事例は、平島健司・東京大学教授(ドイツ)、菅沼隆・立教大学教授(デンマーク)、岩崎美紀子・筑波大学教授(カナダ)、若松邦弘・東京外国語大学教授(イギリス)からのヒアリング、水島治郎の報告(オランダ)に基づき、著者の文責において取りまとめたものである。

(1)オランダ

 1970年代のオランダでは、オイルショックによる経済不振に加えて、北海産天然ガスの輸出増大に伴って自国通貨は高止まりし、輸出産業が国際競争力を失った(いわゆる「オランダ病」)。失業率は史上空前の規模に達し、これに対して充実した福祉制度を活用した結果、人口1,500万人の国で、就労不能保険給付の受給者が後に100万人に達する福祉国家の危機に陥った。

 これに対して、政労使(政治家・労働組合・経営者団体)3者が協議を重ねた結果、1982年にワセナール合意が成立した。これは、国際競争力を回復するために賃金を抑制する代わりに、雇用を確保するために労働時間を短縮する──日本でいうところのワークシェアリング──政策のパッケージである。

 さらに1990年代になると、「給付よりも就労」を合言葉に、福祉給付の申請希望者に雇用のあっせんや職業訓練を行なったり、女性や高齢者の就労を促進したりする、労働市場への「包摂」が進められた。また、警察官のサービス残業を「摘発」するほどに厳格な労働時間規制、フルタイム・パートタイム間の差別禁止、労働時間選択の自由の保障などワーク・ライフ・バランス政策も促進され、日本よりも高い時間当たり生産性を実現している。

 オランダにおいて、ワセナール合意やそれに続く諸改革を可能にした要因は諸説あるが、中でも政労使の三者協議体制(コーポラティズム)が確立されていた点が大きいといわれている。そこでは経営者団体、労働団体の双方で政策アウトプット志向が高く、それぞれの主張を貫徹することよりも妥協も厭わずに結果を出すことが重視されている。

(2)ドイツ

 国家統一後のドイツは、旧東ドイツの地域で失業率が急騰し、これにケインジアン的な政策対応を行なったために財政赤字も拡大した。現在とは対照的であるが、90年代後半の振るわないドイツ経済は「ヨーロッパの病人」と呼ばれ、遅々として進まない政治のありようは「改革渋滞」と嘆かれた。

 こうした状況は2000年代になると一変し、次々と社会保障制度改革が実現されていった。まず、年金制度については、「リースター年金」と呼ばれる個人年金の導入による年金のマルチ・ピラー化──公的年金のみに拠らず、企業年金・個人年金を含めた「複数の柱」によって年金制度を支えるようにする──が図られた。公的扶助制度については、連邦雇用庁が管轄する失業扶助──失業手当とは別の長期失業者向け給付制度──と自治体が担当する社会扶助(生活保護)が統合されて、就労復帰に重点を置いた給付の適正化が行なわれた。そして、医療保険制度については、非常に細分化され、保険料率もさまざま、基金の運用もそれぞれであった従来の疾病金庫を改めて、全国均一に保険料率を定め、連邦政府が保険料を運用、配分する仕組みとした。

 一連の改革は突如として可能になった訳ではない。

 第1に、平島健司教授及び同氏が依拠するパリエ氏の論考によれば、国家統一以前から、政労使それぞれが学習を積み重ねて、より大胆な対応策の必要性を理解していった改革の軌跡が指摘される。諸改革の実現には、政党政治のダイナミズムが決定的な影響を及ぼした。

 第2に、それぞれの改革を推進した政治主体の存在も見逃せない。失業扶助制度改革においては、ペーター・ハルツ首相顧問の率いる「ハルツ委員会」がポリシー・アントレプレナー(政治的起業家)となり改革をリードし、また同委員会に採用された政策アイデアは、以前から連邦労働省労働市場政策局長のベルント・ブーフハイトらを中心とし、州や自治体の政策担当者を含むポリシー・コミュニティにおいて煮詰められていた。もう一方の医療保険制度改革においては、キリスト教民主・社会同盟と社会民主党の二大政党が大連立政権を結成していたことが、両党が与野党に分かれている場合と比べて妥協を容易にした。

(3)デンマーク

 デンマークの国民負担率は67.7%(2011年)と、日本(41.5%、同)と比べ非常に高い。個人所得税率は、累進課税分に加えて、地方税、労働市場税、健康税などを合わせて約45~60%に上り、そこに失業保険料、労働市場付加年金保険料負担が加わる。さらに、付加価値税率は25%で、軽減税率はない。それどころか、自動車取得税が180%のほか、コーヒー・紅茶・ミネラルウォーター税、チョコレート・甘味菓子・アイスクリーム税などの物品税が課されている。法人税率は1990年代に引き下げられ25%程度となっている。

 しかも、デンマークでは労働市場が柔軟である。菅沼隆教授の調査によれば、同国における年間転職率は30~35%であり非常に高い。このうち自分で仕事を見つけて転職する者が3分の2以上と推計できる。デンマークは解雇が容易であるが、それに増して転職が活発で、労働市場が流動的になっている。

 このように労働者が高い国民負担と解雇の自由を受け入れている背景には、以下の諸点が挙げられる。

 第1に、労働市場の柔軟性は、寛大な失業手当と充実した職業訓練システムと組み合わされている。まず、労働者は解雇された場合でも、働いていたときの9割の失業給付を受けられる。高賃金者になると給付率は漸次低下するものの、給付期間も2年間あり、日本と比べて長い。そして、失業期間には(さらに在職中においても)、各業界・企業のニーズに応じた具体的、実践的な職業訓練プログラムが提供される。失業しても、所得を保障されて、職業訓練を受けて再就職できる仕組み──労働市場の柔軟性(フレクシビリティ)と生活保障(セキュリティ)を組み合わせた「フレクシキュリティ」──が実態として存在している。

 第2に、デンマークの政党システムは20世紀初頭以来単独政権が成立したことがなく、連立政権の経験が長い。しかも議会レベルで極右・国民党から左翼・統一リスト党まで8党がひしめき合っている。だが、雇用政策については労使自治を尊重したコーポラティズムが定着している。このためフレクシキュリティは与野党横断的な国家戦略としておおよそ共有されている。移民政策や欧州連合に対する態度では激しく対立しながらも、経済成長戦略と生活保障戦略を組み合わせることについては、与野党間の乖離は小さい。

 第3に、デンマークでも、企業単位を超えた労働組合と経営者の労働市場に対する社会的責任が自覚されている(ソーシャル・パートナーシップ)。とくに、労働組合は職業別組合・一般組合が主流で、企業横断的に組織され、賃金も企業横断的に決定される。職業訓練プログラムも労使共同で開発していることがフレクシキュリティを可能にする一要因である。

(4)カナダ

 カナダは、1993年総選挙で勝利した自由党政権の下で財政再建が進められた。この結果、1998年には財政赤字が解消され、その後10年以上、黒字財政を継続した。

 自由党による財政再建の成功には、物品サービス税(売上税)導入や累進税率の細分化などの税制改革、そして国内の比較劣位産業には不人気な北米自由貿易協定(NAFTA)や米加自由貿易協定(CUSTA)締結など、政権交代前の進歩保守党政権の政策遺産を活かせたという背景がある。また、好景気による歳入増が、増税なき財政再建を可能にしたという好運にも恵まれた。

 しかし、歳入増の一方で、カナダが厳しい歳出削減を実施したことも事実である。岩崎美紀子教授によれば、そこにはいくつかの要因が指摘される。

 第1に、財政再建を自己目的化せず、strong economy, secured society(強い経済、強い社会)という目的に対する手段、理念の実現に向けての戦略として位置付けたことが挙げられる。「国民1人当たり何百万円の公的債務を抱えている」という日本型の論法に留めずに、「100ドル税金を支払っても、そのうち半分が借金の元利払いに回っている。このような有様では強い経済や安心して暮らせる社会を実現できない」と分かりやすいプレゼンテーションが行なわれている。

 第2に、財政再建という戦略に向けた戦術として、財政削減目標を定め、それを達成するように政府事業の見直しを進めたことが指摘できる。その際の基準として、地方でできるものは地方に、民間でできるものは民間に、といった日本でもおなじみの項目に加えて「厳しい財政状況下であえて支出する意味があるか」という問い(affordability test)が有効であった。これと表裏をなして、citizen beyond consumers(消費者にとどまらない市民)、すなわち単に税金を払うだけでなく、市民が政府に代わって公共の役割を果たそうという機運──正しく「中核層」──が高まったことも特筆される。

 第3に、まず基礎的財政収支を均衡させ、次に国債発行を止める、そして累積債務を減らす、というロードマップを示し、単年度黒字に伴う歳出増の誘惑をあらかじめ封じたことが挙げられる。予算を上回る歳入を得られているにもかかわらず、基礎的財政収支均衡に向けた道のりすら見通せない日本にとっては、耳の痛い指摘である。

 そして第4に、実業家出身で野党時代から財政危機を訴え、政権獲得後は財務大臣として財政再建を推し進めた、ポール・マーチンというポリシー・アントレプレナーの存在が指摘される。

(5)イギリス

 イギリスでは、2007年の住宅金融会社破綻に端を発した金融危機に、翌年のリーマン・ショックが拍車をかける形で景気後退に陥った。これに対して当時の労働党政権が財政出動による景気浮揚策を採った結果、財政赤字は急増し、2009年の単年度赤字はGDP比10.7%に達した。これは、日本(6.6%、2015年)を超える規模である。

 問題の所在は経済成長の鈍化にあるとして、景気回復を第1に考えた労働党政権に対して、2010年に政権交代を実現したキャメロン連立政権(保守党・自由民主党)は、債務問題こそ危機の根源であり、景気回復のためにも財政再建が必要という立場を採り、緊縮財政に舵を転じた。1930年代以来最大の削減といわれるほどの大鉈を振るった結果、2015年の財政赤字はGDP比4.4%まで回復し、また同年に行なわれた総選挙ではキャメロン率いる保守党が単独過半数を得て勝利した。

 イギリスで財政再建を可能にした要因としては、以下の諸点を指摘できる。

 第1に、キャメロン政権では、ギリシャのような財政破綻を避けるために財政再建が必要、という一般的な言説に加えて、景気回復のために財政再建が必要という論理が前面に押し出された。若松邦弘教授の説明によれば、持ち家率が高いイギリス経済にあっては、資産(住宅)価格の上昇が消費・投資を促進し、雇用を拡大する鍵と解釈でき、そのためには財政再建によって金利急騰・信用格付けの低下を防ぐというロジックが、低所得中間層や一部労働者層も含む有権者に訴求力をもった。

 第2に、歳出削減に際しては、社会保障関連予算も聖域とはされなかった。2015年総選挙にあたって保守党が掲げた公約では、選挙後の2年間で300億ポンドの支出を削減するうち、120億ポンドが福祉予算から捻出されることになる。

 第3に、イギリスではもともと首相(与党党首)に権力が集中しているところに、2010年に議会の任期固定法(原則として5年間は議会を解散しない)を成立させたことにより、キャメロン首相は解散の駆け引きや与党内からの圧力を回避できた。事実、キャメロン政権成立後しばらくの間は、緊縮財政に伴う痛みもあって、政党支持率で野党・労働党が保守党を大きくリードする時期が続いた。しかし、キャメロン内閣は短期的な不人気に動じることなく計画を進めた結果、2015年総選挙までに住宅価格の上昇(2012年)、失業者数減少(2013年)、実質賃金の上昇(2014年)と景気回復を達成し、同年の総選挙で保守党に勝利をもたらした。

 第4に、制度と人材の両面に財政再建を推し進めたアクターの存在を指摘できる。まず、アメリカやオランダと同様に、各省庁から独立した予算責任局(OBR)が作られ、政治性、恣意性を排して財政状況を客観的に評価、監視する仕組みが作られた。これと共に、イギリスにもジョージ・オズボーン財務大臣というポリシー・アントレプレナーが見られた。

「信頼社会」に向けた政策枠組みの共有と競合

 以上の事例から、日本は何を学べるだろうか。

 まず、現下の厳しい環境から、日本が今後取り得る政策オプションは、きわめて限定されている。望むと望まざるとにかかわらず、人材や資本を呼び込み、生産性を向上させるために、法人実効税率の引き下げと労働市場の柔軟化は避けられない。

 ただし、それはもっぱら労働者に負担を強いるのではなく、ひとつの企業に解雇されても、相当程度の所得を保障された中で実践的な職業訓練を受け、労働力需要の高い産業・職種に再就職できる「生活保障」──各労働者の自己責任ではない──戦略と組み合わされなければならない。

 また、企業の視点からは労働力の確保と生産性の向上、労働者の視点からはライフステージに合わせた多様な働き方を可能にするため、労働時間規制の厳格化を軸とした「ワーク・ライフ・バランス」戦略も合わせて実施されることが求められる。

 これらは経済政策面から見た、社会が個人の自立を支え、励ます「信頼社会」に向けた政策枠組みともいえる。こうした大きな方向性を共有しながら、片やプロビジネス、片やプロレイバーといった優先順位、軸足の置き方において複数の選択肢を国民に提示する、健全な政党政治のあり方を実現することが急務である。

 言い換えれば、現在の日本政治に求められるのは、政策空間に「枠をはめる」ことである。それは一寸の逸脱をも許さないものではないにせよ、政権交代が行なわれるたびに前政権の取り組みをゼロに戻し、賽の河原で石を積むものであってはならない。そのためには、政党、政党以外のアクターそれぞれに、果たすべき役割がある。

(1)責任ある政党政治の確立

 まず、税と社会保障の一体改革で萌芽を見た、政党間競争とはいったん切り離されたところでの与野党間の政策協議を実質化させ、経済政策の大きな方向性に関するコンセンサスを形成することが重要である。戦後日本の政党間競争は「反対のための反対。漸進的なるものに対する拒否。同じことでも自分が主導してやるのでなければイヤ」(坂口安吾「戦後合格者」)。すなわち、政策的な論理一貫性を省みることなしに、ライバルに対する逆張りによって行なわれてきた。それは吉田自由党に対する鳩山民主党然り、自民党に対する日本社会党然り、そして時代は下って自民党に対する民主党然りであった。

 歴史の教訓として、負担増を未来永劫回避しながら財政再建を可能とするなどという幻想は、この際政権担当能力をアピールする各党の政策選択肢からは排されなければならない。コンセンサスといっても、外交・安全保障政策や経済政策における優先順位や、社会的な価値観のすべてを一致させることまでを求めているのではない。各政党が社会に根差すところ、拠って立つ価値観の差異はなくならないにせよ、主要政策における課題認識や解決策のパッケージに関する大きな方向性が共有されるようにすべきである。

 各政党内も同じで、それぞれ責任ある政策体系の追求を目指せる組織体制を整える必要がある。政権公約の策定をめぐって活発な党内論議が行なわれるのは好ましいことだが、政策的なアウトプットに対して責任を取るのではなく、主として選挙に際して党中央に異論を唱えることによって多元性の証とする中選挙区制や、政策研究や人材育成を大義名分としてかつての金権政治を閑却したところに唱えられる派閥の復活論など、構造的な無責任体制・イモビリズムに対するノスタルジアは断乎として否定されなければならない。

 以上の課題を主要政党についてブレイク・ダウンすれば、次の諸点が指摘されよう。

 まず、自民党は、2012年から14年にかけての選挙で国民から与えられたマンデートは、第1に経済政策であることを再認識する必要がある。アベノミクス第1、第2の矢は、本論が指摘したような抜本的政策レジーム転換の猶予を設けるためのカンフル剤であって、安全保障政策で費消してしまうつもりではなかったはずだ。こうした課題と正対するためには、自民党は藪から棒にアベノミクス第2ステージ──本来「新三本の矢」は矢(手段)ではなくして、的(目的)である──を提唱するのではなく、自民党の理念(綱領)に立脚した、中長期的ビジョン・戦略・戦術の各層からなる経済・社会政策の体系を明確に示す必要がある。グローバル化した経済を前提として、自民党はどのような日本の将来社会像を目指しているのか。これなくして、同党の中小零細企業や農林漁業に対するスタンスは定まらず、よって国民の生活保障戦略は人生の可視化に程遠いものに終わるであろう。

 民進党は、自民党に対する「逆張り」が支持回復には繋がらないことを認識すべきである。外交・安全保障政策然り、経済政策然り、大きな方向性としての国家戦略を共有しながら、制約条件下で生活者、納税者、消費者、働く者の生活保障を軸にした責任ある政策パッケージを国民に問わなければならない。その過程では、労働市場に対する社会的責任を求めるなど、企業別労働組合主義に対する距離感も合わせて再検討される必要がある。

 おおさか維新の会は、一過性のプロジェクト政党に留まりたくないならば、政策一貫性のある社会・経済政策パッケージを示し、それを急進的な統治機構改革よりも前面に掲げることが必要である。その政策が負担増と給付減を伴わずに済むならば、なぜそのような(万人に歓迎されるべき)政策が外国や過去の日本において採用されなかったのか、また、当該政策効果の見積もりをエビデンスに基づいて人びとに提示する必要がある。一見派手な「改革」を看板にして、人びとに白日夢を抱かせることよりも、バラ色ではなくともしっかりとした将来展望を描かせることが、現下の日本の課題である。

(2)ポリシー・コミュニティの形成

 責任ある政党政治は政治家のみによって構成されるものではなく、それを支える社会、とくに政労使からなるポリシー・コミュニティを形成する必要がある。霞が関に蓄積された情報や検討結果も取り入れながら、しかし官僚主導ではなく改革案を練り上げ、各党にポリシー・アントレプレナーを供給し、合わせて人びとにグローバル・メガトレンドに耐え得る政策体系を提示する。この点で、政策シンクタンクが担うべき役割は大きい。今後は主要各党の政策担当者が参加して、政党横断的な認識の共有を促すことも重要である。

 一方、経営者団体、労働団体もミッションの再定義を行ない、責任ある政策アウトプット志向の頂上団体を形成する必要がある。まず、経営者団体は、法人税引き下げや労働市場の緩和など「国際標準」の経済政策を要求する一方で、各国で根付いているインボイス方式の導入に反対するのは筋が通らない。

 他方、従来日本では、企業単位での労使協議(ミクロ・レベルでのコーポラティズム)は民間大企業・製造業を中心に見られたが、中央での労使協議は互いの主張を交わすに留まり、妥協して政策枠組みを形成しようという機運に乏しかった。連合は、正規労働者の既得権防衛に留まらない、攻めの労働政策追求に舵を切るべきである。労使共、単なる利益集団の枠から踏み出して、国家運営の参画者としての自負をもつことが期待される。

「より悪くない」民主主義のあり方

 「民主主義は最悪の政府形態である」

 ウィンストン・チャーチルはこのような箴言を残した。1人または少数の賢者が統治するのと比べて、大勢が政治決定に携わる民主主義は、とかく時間が掛かるし、しばしば衆愚政治に陥る危険すらある。ただ、この言葉はしばしば2重の意味で誤解されているようである。

 まず、彼は「決められる政治」の必要性を説いているのではない。この演説が行なわれたのは1947年、アトリー労働党政権の桎梏となっていた上院を改革しようとする動きに対して、車の「ブレーキ」、即ち民主主義における熟議の重要性を野党党首として訴えたものである。

 かといって、チャーチルはブレーキが拒否権になること、即ち「決められない政治」を美徳としているのでもない。彼の言葉はイギリスのマジョリテリアン・デモクラシー(多数主義的民主政治)を前提とした戒めであり、さらにアトリー政権下では、ケインズ主義的経済政策、社会民主主義の要素を取り入れた福祉国家形成をめぐって保守・労働二大政党の政策が重なり合う戦後コンセンサスが成立されつつある中での出来事である。

 課題先進国から課題「解決」先進国へ。熟議と決定を両立させた「より悪くない」民主主義のあり方を、今こそ日本から実現しようではないか。

谷口将紀(たにぐち まさき)

東京大学大学院法学政治学研究科教授。博士(法学)(東京大学)。専門は政治学、現代日本政治論。

水島治郎(みずしま じろう)

千葉大学法政経学部教授。博士(法学)(東京大学)。専門はオランダを中心とするヨーロッパ政治史、ヨーロッパ比較政治。

牛尾治朗(うしお じろう)

NIRA会長。ウシオ電機株式会社代表取締役会長。経済同友会代表幹事、内閣府経済財政諮問会議議員、日本生産性本部会長などを歴任。

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)谷口将紀・水島治郎・牛尾治朗(2016)「課題「解決」先進国をめざせ」NIRAオピニオンペーパーNo.22

脚注
* 本稿は、月刊誌『Voice』(PHP研究所)2016年5月号に掲載されたものをもとに加筆・修正等を加えたものである。

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