八代尚宏
NIRA客員研究員/国際基督教大学客員教授
島澤諭
NIRA研究調査部主任研究員
豊田奈穂
NIRA研究調査部主任研究員

概要

 日本の社会保障制度は、毎年の赤字国債の発行により支えられており、その発行規模は、今後、持続的に拡大することが見込まれる。2040年代前半に訪れる高齢化のピーク時に備えて積み上がるはずの社会保障基金は、既に取り崩しが始まっており、今後20年程度で枯渇する可能性が高い。基金の枯渇後は、毎年取り崩してきた分を、赤字国債に追加的に依存しなければならない。こうした事態が認識されれば、国債の信認が揺らぐ契機となる可能性がある。
 この事態を回避し、高齢化のピークが過ぎる2050年まで社会保障基金が維持されるためには、年金給付の削減が必要となる。給付の削減は、高齢者が大きな政治力を持つシルバー民主主義の下では困難であるかもしれない。しかし、給付を国債に依存し続けるという年金の抱える高リスク構造が高齢者に十分に認識されれば、部分的な給付の削減によって年金制度の安定性を確保することへの合意形成は不可能ではない。しかし、その合意を得るためには、現行の年金制度の抱えるリスクについての徹底した情報開示が前提となる。米国の「社会保険報告書」のように、公的年金保険の会計検査を行う独立機関が必要とされる。

INDEX

エグゼクティブサマリー

1.赤字国債に依存した社会保障制度のリスク

取り崩されている社会保障の積立金

 急速に進展する高齢化と、経済の長期停滞の下で、社会保障の給付水準は、現世代が負担する社会保険料をはるかに上回って増え続けている。この差額は、毎年の赤字国債の発行により賄われ、その発行規模は、団塊の世代が75歳以上となる「高齢者の高齢化」とともに、今後、一層拡大することが見込まれる。
 こうした給付額の持続的な増加は、消費税率の10%程度への引き上げ程度で賄えるものではない。赤字国債を持続的に発行し、後世代へ負担を先送りしている現状は、中長期的に維持可能なものではなく、その資金を賄ってきた日本国債の市場の信認を脅かす大きな要因となる可能性が高い。
 厚生労働省は、年金積立金が2100年まで維持される「100年安心年金」であることをアピールしてきた。しかし、高齢化のピーク時に備えて積み増されるはずの社会保障積立金は、当初の見込みに反して、過去5年間で2割減と急速に取り崩されている。

現実とかけ離れた想定値

 積立金に「想定外」の事態が生じている大きな要因は、経済の実勢からかけ離れた前提NIRA社会保障制度に関する研究報告に基づいて積立金の水準が試算されたためである。しかも、そのために、本来実施されるべき必要な改革が先送りされてきた。2004年に厚生労働省が公表した「財政再計算」では、3.2%の運用利回りと2.1%の賃金上昇率(いずれも名目値)が長期的に維持されるという、楽観的な想定に基づいていた。その後、実績値と乖離している状況を踏まえて実施されたはずの「財政検証(2009年)」では、それらの経済指標の前提が、運用利回りは4.1%、また、賃金上昇率は2.5%に、さらに引き上げられた。このため、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が自主運用を開始した年金積立金の運用収益率や賃金上昇率の実績値との差は一層広がっている(注1)
 仮に、制度改革がなされないまま年金積立金が枯渇すれば、毎年、取り崩されている積立金と同額の国債(約10兆円)が、持続的に発行されることになり、過去10年間の平均発行額(約35兆円)に、その分が上乗せされることになる。これは債券市場に大きな影響を与えざるを得ない。このため、年金積立金の残高が少なくなるほど、国債の投資家にとっての信認リスクは高まる可能性が大きい。仮に国債の新規発行が困難となれば、年金給付等の社会保障費も、社会保険料収入の範囲内(現状給付額の6割程度)にするための大幅な削減が避けられなくなる(ハードランディング・シナリオ)

図表1 年金積立金の見通し(厚生年金および国民年金の合計値)

(注)2012年の実績値については第2四半期末の値。
(出所)厚生労働省「平成23年度年金積立金運用報告」、「平成21年財政検証」をもとに作成。

2.安心できる年金制度維持のためのシナリオ

ソフトランディングのために

 こうしたハードランディング・シナリオを避けるためには、より現実的な経済指標の前提の下で、少なくとも高齢化のピークが過ぎる2050年頃まで積立金を確保する「40年安心年金」を実現することが望ましい。そのため負担と給付の調整を目指す必要がある(ソフトランディング・シナリオ)。

 2009年財政検証の「100年安心年金」ケースに対して、積立金の運用利回りの想定値を、GPIFの2001-2011年の実績値に置き換えて試算したケース①では、積立金の枯渇する時期は2060年に早まる。さらに同じ運用利回りの下で、名目賃金上昇率をケース②では1%、また、ケース③では0%に引き下げると、積立金の枯渇時期は、各々、2038年、2032年と、一層、早まることになる。

給付削減はやむを得ない

 こうした新たな経済前提の下で、2050年まで積立金を維持するためには、まず、年金保険料率を、現在の予定(注2)以上に、大幅に引き上げることが考えられる。例えば、ケース③の場合には、2013年から毎年0.598%ポイントの引き上げで2040年に33.26%と、現行予定されている水準(18.3%)の1.8倍を上限とする必要がある(注3)
 仮に、保険料率を現行で定めた水準以上に引き上げることができないとすれば、年金給付額の削減が不可避となる。その場合、ケース②の前提では2013年から2割、ケース③の前提では4割弱が削減される。こうした年金給付の削減は、受給者にとって受け入れ難いものといえるが、より大幅な年金給付の削減を求められるハードランディング・シナリオを防ぎ、安定した年金制度を維持するためには、やむを得ない措置といえる。

図表2 年金制度改革のシナリオ

(注1)厚生労働省「平成21年財政検証」関連資料(第15回社会保障審議会年金部会平成21年5月26日開催)6頁にある機械的な試算④。
(注2)GPIFの自主運用開始時からの平均値(2001-11年)
(注3)各数値は厚労省試算結果。
(注4)2040年時点の保険料率
(注5)2013年度からの給付額の一律削減。

シルバー民主主義を超えて

 高齢者が大きな政治的な発言力をもつシルバー民主主義の強まりの下で、既受給者も含めた年金給付削減の実現は現実的でないという批判がある。しかし、将来世代への借金に大きく依存した現行の年金は、子どもや孫の世代に多くの負担を先送りする「不公平」な制度であるだけでなく、実態とかけ離れた経済前提に基づいた不安定なものである。仮に、現行の年金給付水準が、自分の生存中に維持されれば、負担を後世代に押しつける分だけ「高リターン」が得られるものの、他方で、制度が破綻すれば大幅な給付削減を強いられる「高リスク」の資産でもある。
 こうした現状が十分に認識されれば、リスク回避度の高い高齢者が、年金を終身の安全資産とするために部分的な削減を受け入れる可能性は少なくない。そのことは、高齢者世帯の金融資産選択行動からも裏付けられる。今回行った分析でも、世帯主の年齢が高まるほど、株式や債券等のリスク資産の保有比率は低下する傾向にあり、高齢者のリスク回避度の高さが明らかとなった。
 また、仮に、年金資産からの収益は変化せずに、年金積立金の減少でリスクの上昇だけを認識するならば、家計の効用は低下してしまうはすである。このため、たとえ年金の給付水準が引き下げられても、その代わりに40年後まで年金積立金が確保され、確実に受給できるという安定性が保証されることになれば、高齢者の満足度は向上する可能性が高い。
 その意味では、年金給付の削減を、高齢者世代が自らの利益のために受け入れる可能性がある。すなわち、年金が、「確実に保証される資産」であれば、それを政府の都合で一方的に削減されることへの高齢者の抵抗は大きい。しかし、それが事実上の不良債権と化している実態が明らかとなれば、その一部をカットすることで、残りの資産価値を保全するという市場取引に類似した手法の方が、高齢者にとっての合理的な選択としては、より受け入れ易いのではないだろうか。
 ただし、そのための大きな前提として、年金の制度的リスクについての徹底した情報公開が必要とされる。現行制度には、デフレから脱却すれば物価スライドが発動され、そのなかから、高齢者が気付かぬように年金給付額を実質的に削減する、マクロ経済スライドの仕組みがある。しかし、「100年安心年金」の看板を降ろさないまま、そのような手段で対応できなくなっているほど、年金の持続性リスクは高まっているといえる。

制度改革の工程表作成を

 65歳以上が一律の給付を受け取る年金と比べて、医療や介護給付は、「高齢者の高齢化」の進展とともに、それに比例して増加するだけでなく、医療技術の進歩に伴う経費の増加等から、将来の医療・介護保険財政は、一層深刻な状況にある。これらを将来とも維持可能な制度とするためには、とくに高齢者医療費・介護費用を合理化し、国民の負担が可能な経済成長の範囲内への抑制することが大きなポイントとなる。そのためには、①家庭医制度の導入等で病院と診療所との役割分担の適正化、②介護保険給付の重点化、③医療保険の対象範囲の明確化、等の改革が必要とされる。年金や医療・介護の費用を、際限なき赤字国債の発行を通じて後代世代に転嫁するこれまでの仕組みは、市場の規律によって抑制されざるを得ない時期が近付いている。社会保障費を現世代が負担できる範囲内に抑制することを基本的な原則として、そのために必要な制度改革の工程表を速やかに作成することが必要である。 

目次

本論
1. はじめに
2. 社会保障制度改革の必要性
3. 年金制度の持続性を維持するための改革のシナリオ
4. 世代間利益調和の手法
5. 医療・介護保険制度を維持するための制度改革
6. おわりに

付論
1. 使用したモデルの解説
2. 家計の資産選択モデル

図表目次

図表1 社会保障収支の推移
図表2 社会保障給付費の将来推計
図表3 社会保障基金の積立金の推移
図表4 年金積立金の見通し(厚生年金および国民年金)
図表5 男性の平均寿命と年金支給開始年齢の国際比較
図表6 年金制度改革のシナリオ
図表7 シナリオ別積立金の推移
図表8 老後の生活資源(2012年)

付図表1 家計のポートフォリオ
付図表2 年金が潜在的リスク資産となったケース
付図表3 年金制度改革後のポートフォリオ
付図表4 推計結果
付図表5 使用データの記述統計量

研究体制

八代尚宏 NIRA客員研究員/国際基督教大学客員教授
島澤諭  NIRA研究調査部主任研究員
豊田奈穂 NIRA研究調査部主任研究員


引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)八代尚宏・島澤諭・豊田奈穂(2013)「国債に依存した社会保障からの脱却-シルバー民主主義を超えて」総合研究開発機構

脚注
1 2001年-2011年までの年平均値では、運用収益率は1.4%、賃金上昇率は-0.7%。
2 0.354%ポイントの毎年引き上げ、2017年の18.3%を上限とする。
3 これに医療や介護保険料もの上昇することを考えれば分も合わせれば、被用者や事業主が負担できる限度をはるかに超えるものとなってしまう。

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