チャールズ・ユウジ・ホリオカ
大阪大学社会経済研究所教授
阿部修人
一橋大学経済研究所准教授
安井健悟
立命館大学経済学部准教授
神田玲子
NIRA研究調査部長
下井直毅
NIRA客員研究員・多摩大学経営情報学部准教授
中込公也
NIRA研究調査部リサーチフェロー
青木周平
NIRA研究調査部ジュニアリサーチフェロー

概要

 日本における生活、雇用、老後などに関する不安・リスクは、「社会」がリスクを公平に負担できていないことに起因すると考えられる。本報告書では、諸外国の政策体系をもとに日本の政策の根本的な欠陥を浮き彫りにした上で、「個人」が過重にリスクを負担する社会から、「社会」が公平にリスクを負担する社会へ移行するための制度設計、つまり、「リスクの社会化」を柱とした政策体系へのシフトを提言した。そのために日本が目指すべき方向性は、①所得再分配における公平性の重視、②市場メカニズムの活用による効率性の重視、③個人にとって柔軟かつ多様な選択肢を持つ社会への転換、の3つに集約される。

INDEX

エグゼクティブサマリー

<総論>

 
20年近くほぼ一貫して続く日本経済の長期停滞は、少なくとも「生活水準の低下」、「生活、雇用、老後などに対する不安・リスクの増大」、「所得格差の拡大」という点で家計に悪影響を及ぼしてきた。このうち、多くの経済学者、政策担当者などは所得格差の拡大に着目するが、本研究会では、家計や個々人が抱える不安・リスクの増大に着目する。その上で、「個人」が過重なリスクを負担する社会から、「社会」が公平にリスクを負担する社会へシフトするための制度設計、つまり「リスクの社会化」を柱とした政策体系へのシフトを提言する。

日本の政策レジームの欠陥
①先進各国のリスク対応策は、
 A)市場メカニズムによる分配を重視する政策レジーム・・自由主義レジーム(アメリカなど)
 B)政府による所得再分配を重視する政策レジームに分かれる。さらにB)は、
 B-1)税制による分配を重視する政策レジーム・・社会民主主義レジーム(スウェーデンなど)
 B-2)組織による共同扶助を重視する政策レジーム・・保守主義レジーム(フランスなど)に分かれる。

②日本の政策レジームは、政府による所得再分配機能が弱い点では自由主義レジームの特徴を、また、家族や企業などの組織による共同扶助を重視している点では保守主義レジームの特徴を有している。

③日本の政策の欠陥は、以下に示すレジームとしての未完結性である。すなわち、自由主義レジームとしてみたときは、市場メカニズムを活用したリスク・シェアの整備が不十分であり、また、保守主義レジームとしてみたときは所得再分配が不十分である。その結果、リスク・シェルターの機能を果たす「共同体(=家庭や企業など)」から外れた一部の個人にリスクがしわ寄せされている。

日本の目指すべき方向性-社会民主主義レジームと自由主義レジームの折衷案に移行すべき
①保守主義レジームからは脱却すべき-「共同体」によるリスク・シェアは限界
 企業間の国際競争が激化する中で、強い雇用規制を課すことで国内企業に過度な雇用コストを担わせることには限界がある。これは、経済のグローバル化に対して背を向けずに、成長の機会として取り入れていくことでもある。

②社会民主主義レジームから参考にすべき点-公平性の重視
 社会のリスクを一部の弱者にしわ寄せするのではなく、男性・女性、正規・非正規社員、青年・壮年・老年がともに公平にリスクを分かち合う社会を構築することが重要である。

③自由主義レジームから参考にすべき点-効率性の重視
 企業に対してリスク・シェルターとしての過度な役割を期待するのではなく、規制緩和に伴う競争力の強化により、経済成長によるリスク軽減の達成に軸足を置くべきである。

以上を踏まえ、日本の3つの政策の柱を示す。

第1の柱:政府による公平なリスクの社会化を実現する。
-高齢者世代へ偏った再分配政策のあり方を見直し、各世代がリスクを公平に分かち合うことのできる制度に変更する。給付に当たっては、ターゲティングの考え方に基づき、真に保障を必要とする人に限定した再分配を行うとともに、窓口における行政の裁量性を排除する。-

第2の柱:市場メカニズムを最大限に重視した政策を実現する。と同時に、市場での競争を支えるインフラ整備を行う
-規制緩和をはじめとする市場メカニズムを活用した効率性重視の政策を実現し、企業の競争力を強化する。また、企業や個人がリスクを取ることができるように金融市場を活用したリスク・シェアや寛容な破産法制の整備を行う。-

第3の柱:雇用規制による一律の保護ではなく、個人が自分にあった働き方を主体的に選択できるようにする。
-規制によって個人を保護するのではなく、個人が、自分に合ったリスクとリターンの組み合わせを選択し、主体性を発揮できる社会を築く。同時に、性別・雇用形態・年齢によって差別されない公平な社会を築く。-

<各論>

第1章:家計をとりまく所得リスクの現状
-日本の家計では、若年世代間でさえ不平等な所得リスクが存在している-

●日本における所得リスクの傾向
 日本の家計が抱える所得リスクに関して、実証分析により、「40代家計に比べて30代家計が抱える所得リスクは大きい」という傾向を確認した。具体的には、①30代家計では、40代家計と比べて所得ショックが長期的に持続する傾向にあること、②さらに、持続的所得ショックに直面した家計は、配偶者が就業することでそのリスクを軽減していること、の2点が明らかになった。年金制度などにおいて現役世代と引退世代の世代間格差が問題視されている状況下で、この結果は現役世代間でさえ所得リスクが公平にシェアされていないことを示唆している。

●海外における所得格差・所得リスクの現状と長期的な趨勢
 近年の実証研究によれば、過去30年に所得格差・所得リスクは、特にアングロサクソン諸国で大きく拡大している。税や所得移転などの再分配政策は、格差の水準を縮小するのみならず、格差の長期的な拡大を抑制し、景気循環に伴う拡大などを和らげる役割を果たしている。

第2章:雇用リスクへの対応策を考える-実証研究のサーベイ
-雇用者の過剰な保護は弊害もあり、就職氷河期の就職支援が必要-

 所得リスクの主因である雇用リスクに関する既存の実証研究を整理した。
 
 欧米では、強い解雇規制が労働者の失業期間を長期化させ、かつ壮年世代と比較した若年世代の失業率を高めることなどが確認されている。日本においても強い解雇規制が就業率を引き下げていることのほかに、

 ①最低賃金の引き上げは、低賃金労働者を中心とする一部の層の雇用を奪う可能性があること、
 ②失業給付の過度な充実は再就職を抑制すること、
 ③自己啓発や職業訓練給付は必ずしも労働者の賃金を高める効果がないこと、などが明らかにされている。

 また、就職するタイミングである学卒時点の雇用状況の悪化が、その世代の非正規雇用や無業の確率を高め、年収を低下させる傾向があるとされている。つまり、進学するという行動を除けば、本人が回避行動のとれないリスクに晒されていることになる。

 このような世代間の不公平を是正するためにも、不況期に就職を迎える世代が、他の世代と近い条件で就職することを可能にするための支援が必要だろう。

第3章:諸外国におけるリスクへの政策対応

 各国の政策体系を評価する上で重要なことは、それぞれのレジームに生じうる欠陥を補完するためのメカニズムが有効に機能しているかどうかである。諸外国における欠陥を補完するメカニズム、さらに、諸外国の所得再分配制度との比較から浮かび上がる日本の課題について示す。

●各政策レジームの欠陥を補完するメカニズム
 ①自由主義レジームの国々では、政府による所得再分配が極端に小さく、人々はリスクに晒されやすい。しかし、リスク・シェア機能としての金融商品の活用(融資など)がレジームの欠陥を補完している。

 ②所得再分配政策を重視するレジームの国々でも、手厚い給付によって労働意欲の減退や労働供給の減少という問題が生じる。これを回避するために、スウェーデンでは、政府が保育サービスを提供することで女性の就労を促進するなどの措置を講じている。
 
 なお、フランスでは、就労抑制的である家族手当や失業給付のウェイトがスウェーデンよりも高く、就労が抑制されている可能性もある。

●所得再分配政策における日本の課題
 ジニ係数や相対的貧困率などの数値が示す通り、日本は政府による所得再分配機能が弱いと考えられている。しかしながら、日本の所得再分配制度自体は、スウェーデン、フランスと比較して表面上は遜色ない。日本の問題は、社会扶助給付制度における捕捉率の低さ等にみられる行政による制度運用に裁量性が大きい点であると考えられる。

図表 各国における公的支出の世代別の再分配状況(対GDP比,%)

(注)報告書p.9図表1。使用したデータおよび詳しい注は、報告書の図表1を見られたい。

目次

<総論>
「市場か、福祉か」を問い直す -日本経済の展望は「リスクの社会化」で開く-
チャールズ・ユウジ・ホリオカ、神田玲子


<各論>
第1章 家計をとりまく所得リスクの現状
 1.日本における所得リスクの傾向
 阿部修人
 2.海外における所得格差・ 所得リスクの現状と長期的な趨勢
 青木周平

第2章 雇用リスクへの対応策を考える: 実証研究のサーベイ
安井健悟

第3章 諸外国におけるリスクへの政策対応
青木周平、下井直毅、中込公也

図表

図表1 各国における公的支出の世代別の再分配状況(対GDP比,%)
図表2 有業と無業の子どもの貧困率(2000年代半ば)
図表3 フランスにおける家族手当給付と保育サービス給付の推移(対GDP比%)
図表4 日本の政策の基本的方向
図表1-1 家計属性
図表1-2 家計所得水準分散
図表1-3 対数所得分散の推移
図表1-4 家計所得変化分散:30代
図表1-5 家計所得変化分散:40代
図表1-6 家計所得変動の共分散構造:30代
図表1-7 家計所得変動の分散分解:30代
図表1-8 家計所得変動の共分散構造:40代
図表1-9 家計所得変動の分散分解:40代
図表1-10 30代家計の所得変動における恒常所得変動の推移
図表1-11 恒常所得変動と配偶者の就業状況
図表3-1 経済パフォーマンスの各国比較
図表3-2 再分配・貧困の各国比較
図表3-3 公平性の各国比較
図表3-4 幸福度・自殺率の各国比較
図表3-5 G7諸国の家計における負債額-可処分所得比率(2008年)
図表3-6 育児介護部門の実質的な税率と女性の就業率
図表3-7 労働市場政策に対する支出(2006年)(対GDP比、%)
図表3-8 スウェーデンの期間別失業者の割合の推移
図表3-9 スウェーデンの年齢階級別失業率の推移
図表3-10 日・米・仏・スウェーデンの解雇規制と有期契約への規制
図表3-11 各国の労働組合組織率(1995年、2005年)
図表3-12 各国の所得再分配前後におけるジニ係数・相対的貧困率について(2000年代半ば)
図表3-13 日本におけるジニ係数、相対的貧困率について(2000年代半ば)
図表3-14 各国の社会扶助受給者における制度上の現金給付額水準(2005年)
図表3-15 各国の社会保障費における財源負担割合(1997年、2005年)
補足図表3-1 主要国の家族政策の概況(2007年4月)
補足図表3-2 各国の失業保険制度について(2005年)-22年間就業した子のいない40歳単身労働者-

研究体制

委員
チャールズ・ユウジ・ホリオカ 大阪大学社会経済研究所教授(座長)
阿部修人 一橋大学経済研究所准教授
安井健悟 立命館大学経済学部准教授

NIRA
神田玲子 研究調査部長
下井直毅 客員研究員・多摩大学経営情報学部准教授
中込公也 研究調査部リサーチフェロー
青木周平 研究調査部ジュニアリサーチフェロー

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)チャールズ ユウジ ホリオカ・阿部修人・安井健悟・神田玲子・下井直毅・中込公也・青木周平(2010)「「市場か、福祉か」を問い直す日本経済の展望は「リスクの社会化」で開く-」総合研究開発機構

ⓒ公益財団法人NIRA総合研究開発機構

※本誌に関するご感想・ご意見をお寄せください。E-mail:info@nira.or.jp

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