宮尾龍蔵
東京大学大学院経済学研究科教授

概要

 今年に入り、海外経済をめぐる不確実性はより高まり、金融市場は不安定な動きが続いている。中国経済の減速長期化、中東情勢や原油安の長期化などの要因がよく指摘されるが、その底流には、米国経済の回復ペースをめぐる不確実性と、そこから生じる今後の利上げ見通しをめぐる不確実性の問題がある。
 日本経済は海外リスク要因からの影響を免れない。米国の中央銀行FRBは将来にわたる利上げ見通しを公表しており、グローバル経済に従来よりも強い金融引き締め効果をもたらす可能性がある。新興国・資源国の減速長期化への懸念も継続するだろう。変動激しい金融市場動向なども加わり、日本の企業や家計のマインドを抑制し続けるリスクがある。
 一方で、堅調な面、潜在的なプラス面を認識しておくことも重要だ。世界的にみて、消費・サービス業関連の回復は総じて堅調である。また、仮に海外発の下振れリスクが長期化・顕現化してわが国の民間貯蓄が増加する場合には、経常収支の黒字基調が強まり、対外純資産を増加させる。それは日本経済全体に対する中長期的な信認の確保に寄与するだろう。
 わが国のマクロ政策運営にとって必要なことは、海外要因がもたらす様々な影響を見極め、また内外の経済構造が変化してきている可能性を十分考慮することである。未踏の領域での政策運営が続くなか、専門的な知見と判断がこれまで以上に求められる*

INDEX

 今年に入り、海外経済をめぐる不確実性はより高まり、金融市場は不安定な動きが続いている。中国経済の減速長期化、中東情勢や原油安の長期化などの要因がよく指摘される。しかし、その底流には、米国経済の回復ペースをめぐる不確実性と、そこから生じる今後の利上げ見通しをめぐる不確実性の問題がある。

 本稿では、基軸通貨国である米国の金融引き締め見通しとその情報発信を軸に海外リスク要因を議論し、それがわが国の経済にどのような影響を及ぼすか、そして、マクロ政策運営の立案や判断にはどのような視点が必要か、といった問題について検討する。

米国経済の回復ペースをめぐる不確実性と「長期停滞論」

 米国経済は、2008年秋のリーマン・ショックから7年以上が経過し、その間、とにもかくにも緩やかな回復が続いてきた。その回復ペースを、雇用を中心に「着実なしっかりとしたもの」とみるか、賃金や物価がなかなか高まらず、「その回復は緩慢で期待外れ(mediocre)」とみるかで意見が分かれている。

 最近は、後者の「期待外れ」とする見方が徐々に勢いを増してきているように見受けられる。かつてクリントン政権時代に財務長官を務めたサマーズ教授などは、「長期停滞論(secular stagnation)」と呼ばれる議論を展開し、経済の需要面、すなわち持続的な需要不足が緩慢な回復の主たる原因であると主張する。一方、スタンフォード大学のゴードン教授はイノベーションの不足が主要因であるとし、供給サイドの低迷を重視する。実際、金融危機後の経済は、過剰設備や過剰債務の調整(デレバレッジ)に時間を要し、前向きな新規設備投資や研究開発投資などが停滞して、需要面、供給面ともに回復に勢いがつきにくい傾向がある。

 また需要面と供給面が相互に作用して低迷が持続する可能性も考えられる。需要面から供給面への相互作用は「履歴効果(hysteresis)」と呼ばれ、たとえば設備投資の低迷は資本ストック成長を抑制し、潜在GDPの成長(つまり経済の供給面)を抑制する。また、供給面から需要面への相互作用は、とくに日本で重要であったとみられている(ゾンビ企業の存続により資源配分は非効率化、生産性は低迷し、それが企業の将来収益や家計の恒常所得の見通しを悪化させて、支出、つまり需要を抑制する)。需要面と供給面の相互作用による低迷は、日本の長期デフレ停滞(「失われた10年/20年」)で実際みられた現象であるが、米国で同様のメカニズムが作用することは、日本の経験からみても、容易に想像がつく。

 さらに問題は、相互作用も加わって需要・供給の両面の停滞が長引くと、企業行動がより慎重化する点である。たとえバランスシート調整を終えて、企業収益が順調に回復しても、企業は設備投資や賃金増に資金を積極的に振り向けず、慎重姿勢をなかなか崩そうとはしなくなる。そして、企業貯蓄・現金保蔵が積みあがる。こうした企業行動の慎重化も長期停滞経済に共通する特徴といえる。

米国金融政策の正常化をめぐる不確実性

 米国の景気回復ペースに関する不確実性は、金融政策にも重要な意味合いをもつ。金融政策は、実体経済の回復や減速に歩調を合わせて運営されることを基本とし、中央銀行は、先行きの景気見通し基づいて、かつ政策効果の発現にタイムラグがあることを考慮して、前もって政策対応を判断する。たとえば将来、景気の力強い拡大やインフレの高進が予想されるならば、早めに金融引き締めに転じることが望ましい。しかし、経済や物価の先行きに高い不確実性があれば、その引き締めが強すぎて景気を過度に抑制してしまう恐れがあり、金融政策のかじ取りは難度が増すことになる。

 米国は昨年12月、利上げを実施し、リーマン・ショック以降長く続いた大規模な金融緩和政策から、正常化へ向けて一歩を踏み出した。政策金利を、0~0.25%のレンジから0.25%分引き上げて、0.25~0.5%とした。米国が利上げできることは、それだけ経済が正常化し、景気回復の動きが広がってきたことを意味する。したがって、それ自体、歓迎すべきことだ。しかし問題は、いま述べたように、景気回復の基調がどの程度しっかりしたものか、そして、今後の利上げのペースが景気回復に見合ったものか、という点である。

 この点、米国の中央銀行(連邦準備理事会=FRB)が、金融引き締めの局面において、将来の政策金利見通し(すなわち利上げ見通し)を公表していることが、問題を難しくしている。

 FRBはこれまで、金融緩和を強力に推進するなかで、先行きの政策金利見通しに関する情報を発信してきた。ゼロ金利を将来にかけて継続することを事前に公表し約束することで、更なる緩和効果を追求するという、政策金利に関する「先行きの指針(フォワードガイダンス)」を示してきた。

 具体的には、たとえば「少なくとも2014年終わりごろまでゼロ金利を続ける」、「失業率が6.5%を上回り、1~2年先のインフレ予想が2.5%を上回らない限り、ゼロ金利を続ける」といった指針である。また2012年からは、そのガイダンスをより明確化・充実化させ、各政策委員会メンバーが考える2~3年先までの政策金利の予測値を「点(ドット)」で図示し、将来の政策金利に関する中心シナリオについての情報を発信してきた。

 この「ドット・チャート」は、これまでの緩和局面では「将来どれだけの期間ゼロ金利を継続するのか」という見通しを提供して、緩和的な金融環境に寄与してきた。つまりゼロ金利見通しの公表自体が、緩和を強化する政策手段の1つだったのである。しかし、それが現在のような正常化局面に差し掛かると、「今後どのようなペースで政策金利を引き上げていくのか」という将来にわたる金融引き締めの情報発信に変わることになる。緩和を強化するために編み出されたフォワードガイダンスが、現在の局面では逆に、従来よりも強い引き締め効果を持つ可能性がある。

 この金利見通しは、あくまでも政策決定会合時での各メンバーの「予測」であって、確定した経路を意味するものではない。将来の経済金融情勢が想定と異なれば、金利見通しも変わりうる。しかしそれは、基軸通貨国の中央銀行が予測するもっとも蓋然性の高いシナリオであり、極めて大きな影響力を持つ情報であることに間違いない。昨年12月時点の金利見通しによれば、「2016年末の政策金利は1.25~1.5%程度」という予測が公表されていた(政策委員会メンバーの中央値。表1を参照)。すなわち、1回につき0.25%刻みで変更されるとすれば、本年末までに合計4回の利上げが実施されるという見通しが、当局のメインシナリオとして、全世界に発信されてきたことになる。

表1 米国の政策金利見通し
政策委員会メンバーによる予測の中央値(各年末)(単位:%)

(出所)Federal Open Market Committee Projections Materials, FRBを基に作成

FRBの利上げ見通しと市場の見方とのギャップ

 一方市場では、年内1回程度の利上げという予想が依然大勢である。マーケットは、年内1回の利上げしかできないほど、今後の景気回復やインフレ上昇ペースに対して慎重な見方をしているのである。長期金利も2%を下回る水準にとどまっており、先に述べたような「期待外れ」の回復の蓋然性をより重視している可能性が示唆される。FRBと市場の見方にこれほどギャップが生じるのはかつてないことである。仮に市場の見方に基づけば、FRBの利上げペースは性急な金融引き締めを意味することになる。

 今年に入り、海外経済をめぐる不確実性はより高まり、その要因として、中国経済の減速長期化、中東情勢や原油安の長期化などの要因がよく指摘される。しかし、その底流には、こうした米国経済の回復ペースをめぐる不確実性と、そこから生じる利上げ見通しをめぐる不確実性があるとみられる。上記のような金利引き上げ見通しは、新興国・資源国に無視しえない影響を及ぼしてきており、昨年12月の利上げ開始によって、その影響がさらに強まった可能性がある。

 実際、中国は、ドルとの連動性を維持するために、利上げではなく為替介入を断続的に実施し、元安や外貨準備の動向が金融市場の不安を高めてきた。ドルと負の相関の強い資源価格もその水準を切り下げてきた。基軸通貨国によるハイペースの利上げ見通しは、グローバルな金融環境をタイト化させ、世界経済の下振れ要因として作用したとしても不思議ではない。

 FRBは今年3月半ばの決定会合において、グローバル経済と金融市場動向をリスク要因として明記し、その金利見通しを大幅に引き下げた(表1の太字部分を参照)。これまで年4回としていた利上げ見通しを、年2回という中心シナリオに引き下げたのである。市場では、事実上の金融緩和と受け止められており、金融環境はいくぶん安定を取り戻した。原油価格も持ち直し傾向がこれまでのところ続いている。こうした安定化へ向けた動きは今後も持続するのか、そして今後の景気回復ペースと利上げ見通しとの足並みは揃うのか、予断を持たずに注視していく必要があろう。

日本経済も海外リスク要因からの影響を免れない

 こうした海外要因による不確実性の高まりは、日々加速する経済・金融のグローバル化というリンケージを通じて、わが国経済にも影響を及ぼしてきている。

 新興国・資源国経済の減速傾向は続いており、わが国の輸出への下押し要因として作用している。製造業・貿易財関連の弱めの動きは、資源・エネルギー関係を筆頭に、グローバルに共通する現象といえる。中国の過剰供給構造の調整が今後本格化することを踏まえると、この傾向はやや長い目でみて持続する可能性がある。

 この間の変動激しい金融市場動向なども、わが国企業や家計のマインドを冷やしてきたとみられる。年初からの株価や為替レートの調整は大幅であり、国際金融市場でのボラティリティ(VIX指数)は1月から2月にかけて高水準で推移した。各種の消費者マインド指標は足元弱含み、企業の景況感にも慎重化傾向がうかがえる。今後、企業の「守りの姿勢」が再び強まり、賃金引き上げや新規設備投資などの取り組みにブレーキがかかることになれば、経済の下振れが長期化する可能性にいっそう留意しなければならない。

ただし堅調な面や潜在的なプラス面も認識すべき

 一方で、堅調な側面や潜在的なプラス面の存在を認識しておくことも重要であろう。

 わが国の消費支出は減速傾向にあるが、主に耐久財消費の低迷が要因であり、サービス消費は堅調さを維持している。米国や中国でも、消費・サービス業関連では堅調な回復が続いている。中国はじめアジア新興国の1人当たり所得水準は上昇しており、日本の高品質な消費財・サービスに対する需要(インバウンド需要)は今後も堅調な増加が期待できる。旺盛な外需を掘り起こす取り組みをさらに強化していけば、下振れリスクを抑制し、景気回復メカニズムを下支えすることも可能となる。

 さらに、仮に経済への下振れ要因が長期化した場合でも、その潜在的なプラス面として、わが国の経常収支の改善基調が維持されるという点を指摘しておきたい。

 すなわち、企業・家計が「守りの姿勢」を強め、貯蓄や現金保蔵を増やすことは、景気・支出面ではマイナスである一方、経常収支に対しては増加要因となる。低迷している原油価格動向も、資源輸入国の日本にとって明確にプラスであり、経常収支の改善をサポートする。高齢化により貯蓄の取り崩しが進むと懸念されるなかで、経常収支の黒字基調が維持されれば、対外純資産は増加を続け、日本経済全体への中長期的な信認は確保されるだろう(図1を参照)。

図1 対外純資産と経常収支(単位:兆円)

(注)対外純資産は年度末(2015年は9月末の確報値)、経常収支は暦年
(出所)日本銀行「資金循環」、財務省「国際収支統計」を基に作成

マクロ政策運営に必要な視点

 上記に見てきたように、米国経済には「長期停滞論」が示唆する下方リスクがあり、新興国・資源国経済にも米国金融政策の正常化などに起因する不確実性が存在する。そして日本経済にもマイナス面、潜在的なプラス面の両方の影響が考えられる。こうした経済金融情勢は、内外の経済構造がやや長い目でみて変化している可能性を示唆するものである。そしてその可能性は、わが国のマクロ政策運営やその検討プロセスにも重要な意味合いを有する。

 ここでは次の3点を指摘しておきたい。第1点は、やや長い目でみた景気下振れリスクへの目配りが必要となる点である。海外発の不確実性や下振れリスクがなかなか解消されないとすれば、わが国景気への下押し圧力も継続し、マクロ的な委縮の連鎖(合成の誤謬)に陥る恐れがある。それに備えるマクロ的な需要刺激策の検討を進めることは重要である。

 その際、人々の需要を持続的に喚起し、経済の活性化や供給面の改善につながるような施策が求められる。たとえば、よく指摘される施策ではあるが、予算上の制約や各種の規制を緩和するなどして保育士や介護士などの待遇を抜本的に改善すれば、サービスの供給力が増えて多くの潜在需要も満たされ、若者や女性など働く世代の労働供給と所得は持続的に高まるだろう。委縮傾向にある民間部門の賃上げを促し、所得と支出への波及効果を高めるには、きっかけとして公務員給与の引き上げも選択肢となりうる。やや長い目で見た下振れリスクに対処するには、ヒト、モノ、サービスの動きを活発化させ、保蔵されているお金が所得と支出の形で回り続けることが重要である。

 第2に、一方で、仮に下振れリスクが長期化・顕現化して民間貯蓄が増加し、経常収支の黒字基調が強まる場合には、わが国の財政危機のリスクは抑制される方向に作用する。政府による中長期の財政健全化へのコミットメントは堅持されるもとで、対外純資産の増加により日本経済全体の信認が確保されることは、その一部を成す国家財政の破たんリスクを抑制するであろう。そうした状況は、第1点で指摘した需要刺激策を検討する余地が生み出されることを意味する。

 第3に、適切なマクロ政策を策定する際、政策効果や副作用を分析・検討するプロセスが重要だが、その際、近年の経済構造が変化してきている可能性を十分考慮する必要がある。先進国の「長期停滞」や新興国・資源国の減速長期化などが議論されるような近年の経済構造においては、たとえば緩和的な金融環境に伴って従来から懸念されてきた景気の過熱や将来予想への過度の強気化、信用拡大を伴う資産価格バブルといった事象が起こる蓋然性は限定的であろう。また、企業行動の慎重化が続いて現金保蔵が積み上がり、賃金の伸びが加速しないもとでは、インフレ率が急騰することも考えにくい。

 未踏の領域でのマクロ政策運営が続くなかで、経済構造とその変化の可能性を見極め、その含意を正しく認識しなければならない。そのための専門家の知見と判断がこれまで以上に求められる。

宮尾龍蔵(みやお りゅうぞう)

東京大学大学院経済学研究科教授。博士(経済学)(ハーバード大学)。元日本銀行政策委員会審議委員(2010年3月~2015年3月)。専門は金融、マクロ実証分析。

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)宮尾龍蔵(2016)「不安定な海外経済動向とマクロ政策運営」NIRAオピニオンペーパーNo.23

脚注
* 本稿は、月刊誌『Voice』(PHP研究所)2016年6月号に掲載されたものをもとに加筆・修正等を加えたものである。

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