宮尾龍蔵
東京大学大学院経済学研究科教授
新谷元嗣
東京大学先端科学技術研究センター教授

概要

 黒田日銀総裁体制2期目の金融政策運営はジレンマを抱えている。2%物価安定目標の実現にはまだ相応の時間がかかる中、その早期達成を最優先として金融緩和をさらに強化すると、副作用への懸念は強まる。一方、緩和の正常化を急いだり枠組みの変更にまで踏み込んだりすれば、金融環境は不安定化し景気回復を遅らせることになる。
 このジレンマを乗り越える1つのカギは、政策を変更せずとも金融緩和の効果が今後高まっていくかどうかにある。経済の実力が高まっていけば、政策金利の操作目標が仮に同じであっても、緩和の景気刺激効果は強まっていく。金融緩和策のメリットが増大すれば、副作用の問題は相対的には和らぐだろう。本稿では、景気を刺激も抑制もしない中立的な金利水準である「均衡利子率」(自然利子率とも呼ばれる)を推計し、金融緩和の効果が今後高まっていくかどうか検証する。
 推定の結果、複数のモデルから、わが国の均衡利子率は近年上昇傾向にあることが示唆される。さらに、潜在成長率、企業設備投資など他の経済指標からも同様の傾向がうかがわれる。日本の均衡利子率は着実に高まってきており、その傾向が今後も続けば、政策効果、つまり金融緩和のメリットも増大していくと予想される。

INDEX

 黒田日銀総裁2期目の金融政策がスタートし、次の5年間の政策運営に注目が集まっている。2%物価安定目標の実現にはまだ相応の時間がかかるとみられる中、その早期達成を最優先として金融緩和をさらに強化すると、副作用への懸念は強まる。一方、性急な緩和の正常化や枠組みの変更にまで踏み込めば、金融環境は不安定化し景気回復にブレーキをかけることになるだろう。このジレンマを乗り越える1つのカギは、政策変更を行わなくとも金融緩和の効果が高まっていくかどうかにある。本稿では、景気を刺激も抑制もしない中立的な金利水準である「均衡利子率」(自然利子率とも呼ばれる)を推計し、金融緩和のメリットが今後増大していくかどうか検証する(注1)

2期目の黒田体制が抱えるジレンマ

 2013年、黒田総裁が着任して以降の金融政策運営は、2%物価安定目標の早期実現を最優先として必要な政策をすべて実行するというアプローチに転換した。着任直後である同年4月の政策決定会合で大規模な緩和政策──量的・質的金融緩和──を導入し、「2年、2倍、2%」と謳うたって政策アプローチの転換を印象付けたのは、まだ記憶に新しい。2014年10月には緩和を拡大し、さらに2016年1月にはマイナス金利政策にまで踏み込んで緩和の強化を図った。しかし、10年債利回りまでもがマイナスに転じるなど、副作用が意図せざる形で顕在化し、同年9月には長短金利操作(イールドカーブ・コントロール)政策へと移行、現在に至っている。

 この間、日本経済は、当初は家計の消費がけん引し、その後は企業収益や雇用の改善が中心となって、息の長い回復を続けてきた。一方、物価上昇率については、いったんは1%近くのプラス領域へと浮上したものの、全体を通してみれば、上昇圧力は緩やかなものにとどまっている。日本銀行による直近の見通しでも、2019年度、2020年度の物価上昇率はどちらも1.8%と予想されている(2018年4月「経済・物価情勢の展望」)。2%物価安定目標を安定的に実現するには、まだ相応の時間がかかるとみられる。

 2期目の黒田体制は次のようなジレンマを抱えている。1期目と同様のロジックで2%目標の早期達成を最優先として金融緩和をさらに強化すれば、資産価格バブルや金融機関の収益悪化、財政規律の低下といった副作用への懸念は、さらに強まると予想される。逆に副作用のリスクを重く見て、緩和の正常化を急ぐ、あるいは2%目標という枠組みの変更にまで踏み込めば、金融環境は不安定化し景気回復を遅らせることになる。緩和を強化することも後退させることも一筋縄ではいかず、困難な政策運営が予想される。日銀の金融政策運営は現在、このようなジレンマに直面しているのである(注2)

ジレンマを乗り越えるには:金融緩和のメリットは増大していくか

 このジレンマを乗り越える手だてはないのだろうか。その1つのカギは、政策を変更せずとも金融緩和のメリット──つまり景気刺激効果──が増大していくかどうかにある。

 一般に、金融政策の緩和度合いは、政策金利の水準(典型的には短期金利)と、経済や物価に影響を及ぼさない中立的な金利水準である均衡利子率(あるいは均衡実質金利とも呼ばれる)との比較を通じて評価することができる。もし政策金利(予想インフレ率を差し引いた実質値)が均衡利子率よりも低ければ金融政策スタンスは緩和的、逆に、政策金利が均衡利子率よりも高ければ引締め的と判断される。したがって、仮に政策金利の目標水準に変更がなくとも、経済の実力が高まるなどの要因で均衡利子率が上昇すれば、金融緩和の度合いは強まり、景気刺激効果は高まっていく地合いとなる。このように、緩和政策のメリットが増大するのに対して、副作用に対する懸念は一定であるとすれば、副作用の問題は相対的に和らぐことになる。その結果、ジレンマはジレンマとして抱えつつも、それを乗り越えていくことができるのである。

 もっとも、緩和が長期化するもとで、副作用への懸念を所与、つまり一定とみなせるかどうかは議論の余地がある。非伝統的金融政策に関する主なリスクとしては、(ⅰ)金融面の不均衡(資産価格バブルなど)、(ⅱ)金融システムへの影響(金融機関の収益悪化など)、(ⅲ)財政政策との関わり(財政ファイナンスのリスクなど)、などが指摘される。(ⅰ)については、経済の実力が高まっていく場合に人々の期待が過度に強気化しないかどうか、(ⅱ)については、金融機関の低収益環境が構造的に続く可能性があり、金融システムの脆弱(ぜいじゃく)性が高まらないかどうか、(ⅲ)については、財政ドミナンスと呼ばれるような状況(政府は財政規律を欠き、中央銀行はその政府に従属・追随する状況)に陥らないかどうかなど、今後もそれぞれに対し丁寧な点検が必要であることは言うまでもない(注3)

均衡利子率の概念:長期的なトレンド要因とそれ以外の変動要因

 ここでは、本稿の主題である均衡利子率について、より詳しく説明しよう(注4)

 先にも触れたように、一般に均衡利子率とは、経済・物価に対して緩和的にも引締め的にも作用しない中立的な実質金利を指す。理論的には、「価格が伸縮的で完全雇用が達成されているもとで、貯蓄と投資をバランスさせる実質金利」と定義される。もし現実の実質金利が均衡利子率を上回れば、産出量は完全雇用水準(均衡産出量、自然産出量とも呼ばれる)を下回り、物価を押し下げる方向に作用する。逆に、実質金利が均衡利子率を下回れば、産出量や物価を押し上げる方向に作用する。

 この均衡利子率を経済成長モデルの枠組みで考えると、それは長期の最適成長経路上で実現する実質金利(つまり価格が伸縮的で需給がバランスする均斉成長経路と整合的な実質金利)と位置付けることができる。均衡利子率は均衡産出量(=完全雇用産出量)に対応する概念なので、均衡産出量の成長率である潜在成長率に対応することは直感的にも理解できる。フォーマルには、最適成長理論のベースとなる家計の最適な消費・貯蓄行動(「消費のオイラー方程式」)から明示的に導出され、その結果、均衡利子率は、長期の潜在成長率に対応する部分(生産性成長率など)と、それ以外の短期的な変動要因(家計の選好の変化や財政政策などの需要ショック)で説明される部分の合計として表される。すなわち、以下のように表現できる。

 均衡利子率=長期的なトレンド部分(潜在成長率に対応)
 +それ以外の変動部分(需要ショックなどにより変動)

 しばしば「均衡利子率(あるいは自然利子率)≒潜在成長率」という近似に基づいた議論が見られるが、それは上式に基づけば、右辺第2項の短期的な変動要因の影響が無視できる長期のトレンド要因に着目した見方であると理解できる。

 このように均衡利子率を長期的なトレンド要因とそれ以外の変動要因とに分ける考え方は、次に述べる推計アプローチに反映される。

均衡利子率の推計アプローチ

 上記をふまえ、ここでは均衡利子率の推計手法を紹介しよう。主要な推計アプローチとして、⑴ 1変数の時系列アプローチ(Hodrick-Prescottフィルター〔以下、HPフィルター〕)、⑵ Laubach-Williamsモデル、⑶ 動学的確率一般均衡(Dynamic Stochastic General Equilibrium〔以下、DSGE〕)モデルの3つを取り上げ、それぞれの概要と特徴を説明する。

⑴ 1変数の時系列アプローチ(HPフィルター)

 1つ目の1変数の時系列アプローチ(HPフィルター)は、現実に観察される実質金利データからトレンド成分を統計的に取り出す手法である。現実の実質金利は、均衡利子率の周りを常に変動しているという想定に基づき、HPフィルターを用いて均衡利子率の推定値を抽出する。

 HPフィルターの最大の特徴はその簡便さであり、潜在GDPや潜在成長率の推定に利用されることもある。一方でこのアプローチは、単純に1変数のデータの変動を均(なら)すという統計処理だけに依存するものであり、経済理論的な意味合いが含まれていない点には注意が必要である。

⑵ Laubach-Williamsモデル

 Laubach-Williamsモデルは、標準的な経済理論(IS曲線、フィリップス曲線など)を明示的に想定して均衡利子率を推計するアプローチである。

 すでに述べてきたように、均衡利子率とは、経済・物価に対して緩和的にも引締め的にもならない中立的な実質金利である。Laubach-Williamsモデルでは、経済の総需要についてはIS曲線を想定し、実質金利が均衡利子率を上回れば(下回れば)総需要あるいは需給ギャップが減少(増大)するという関係を明示する。また、経済の総供給面では伝統的なフィリップス曲線を仮定し、インフレ率は、人々の適応的なインフレ予想と需給ギャップ(=実質GDPマイナス潜在GDP)によって説明される。さらに潜在成長率は、そのトレンド部分が確率的に変動するランダムウォーク変数と想定される。同様に、需要ショックもランダムウォーク変数として定義される。Laubach-Williamsモデルの均衡利子率は、先の式でいえば、第1項のトレンド部分だけでなく第2項の需要要因による変動部分も含んだ形で(そしてどちらもショックの影響が永続する確率トレンドとして)定式化される。

 Laubach-Williamsモデルの特徴は、ややインフォーマルではあるものの、経済モデルの構造を明示している点である。次に述べるDSGEモデルのように、家計や企業の動学的な最適化行動までは明示されていないが、IS曲線、フィリップス曲線はいずれも標準的なマクロ経済理論で用いられる関係式であり、そうした理論メカニズムが考慮されている点は、1変数の時系列アプローチにはない特徴である。また、潜在成長率に起因するトレンド部分とともに、需要ショックによる変動も考慮されており、その意味でもより一般的なアプローチといえる。実際、米国FRB(サンフランシスコ連銀John Williams総裁本人のウェブページ)ではLaubach-Williamsモデルによる最新の推定値が公表されており、その重要性の大きさがうかがわれる。

⑶ DSGEモデル

 DSGEモデルによる均衡利子率の推定では、家計や企業の動学的な最適化行動が明示的に考慮される。そのエッセンスを簡略化して述べると、代表的な家計は消費と余暇から得られる効用を将来にわたって最大化する。代表的な企業は毎期利潤を最大化し、将来にわたる調整費用も考慮して価格を設定する。また本稿で用いるモデルでは、中央銀行はゼロ金利制約を考慮した金融政策ルールに従うと想定する。経済構造を完全に特定化したもとで、最終的に得られる均衡利子率は複雑な非線形方程式の解となり、推定にも高度な手法が要求される。加えて、線形モデルで近似すれば、IS曲線とフィリップス曲線に相当する式が導出され、上記のLaubach-Williamsモデルとの対応関係も議論できる。

 DSGEモデルは、現代のマクロ経済分析をけん引する主力の分析ツールであり、各主体の行動が完全に描写された構造モデルとなっている点が最大の特徴である。また、政策分析に伴う「ルーカス批判」も回避できる。他方で、その設定にはさまざまなバリエーションが考えられ、推定結果はモデルの前提に依存する。したがって、モデルの構造や想定されるパラメータに関する頑健性を調べる点が重要となる。本稿の分析においても頑健性に注意を払って分析を進める。

均衡利子率は近年上昇基調にあると示唆される

それでは、上記3つの推定手法に基づく結果を順に説明しよう。

 まず図1には、HPフィルターに基づく推定値が示されている(青の実線、HP1系列)。HP1の系列に基づけば、1990年前後に5%を超えた均衡利子率は1999年までは単調に低下している。その後、2000年代前半と2010年前後にわずかな上昇が見られるものの、ほぼ横ばいで推移し、足元ではわずかに負の領域に低下していることが観察される。

 ただし、HPフィルターは現実の実質金利データのトレンド部分を抽出するという手法であることから、実質金利から持続的に乖離(かいり)することは定義上容認されない。とりわけ足元の均衡利子率はマイナス領域まで低下しているが、それは観察される実質金利が低下基調にあることを反映しているためである。このような、HPフィルター固有の特徴を反映した結果であることに留意が必要である。付言すれば、HPフィルターによる推定結果は、端点(サンプル終期)において不安定であることが知られており、データの追加によって結果が大きく修正される可能性についても注意しなければならない。

図1 HPフィルターに基づく均衡利子率

(注)実質金利は、コールレート(無担保オーバーナイト物)から予想インフレ率(自己回帰モデルによる推定値)を引いた系列。HP1はHPフィルタ―に基づく均衡利子率推定値(平滑度のパラメータ=14,400)、月次、1981年1月~2017年12月。
(出所)筆者による推定値。

 次に、図2にはLaubach-Williamsモデルによって算出された均衡利子率(リアルタイム推定値)が示されている(注5)。Laubach-Williamsモデルによる推定値は、1990年代前半に5%周辺でピークを迎えた後、2000年代前半にごくわずかに負の値になるまで、ほぼ一貫して低下している。これはHPフィルターによる推定値と整合的である。その後、正の値に戻り、若干の振れを伴うもののほぼ横ばいで推移している。さらに世界金融危機の直後には、-1%を下回る値まで急低下するものの、その後はほぼ単調に増加し直近では2%程度に回復している。この背後では、潜在成長率の推定値も上昇している。一方、HPフィルターによる推定値では、世界金融危機後の期間、ほぼ横ばいか緩やかな低下で推移しており、この点については対照的である。また2000年以降、潜在成長率が均衡利子率を上回って推移していることから、その他の変動要因(需要ショック要因)がマイナス値となり、均衡利子率に対する下押し要因として作用し続けてきた様子がうかがわれる。さらにIS曲線の利子弾力性のパラメーターを変化させてみたが、定性的な結果は変わらず頑健であった(バックグラウンド・ペーパーの図4、図5を参照)。

図2 Laubach-Williamsモデルに基づく均衡利子率

(注)Laubach-Williamsモデルに基づく均衡利子率推定値(リアルタイム、四半期推定値、1982年Q1~2017年Q4)。
(出所)筆者による推定値。

 最後に、図3にはDSGEモデルによって算出された均衡利子率が示されている(注6)。1980年代中盤に1%をやや下回るものの、その後は増加する傾向を見せ、1990年代初めには3%を超える。その後1990年代後半まで次第に低下していき、1990年代後半と2000年代前半には負の値をとるが-1%を下回ることはなかった。世界金融危機直後には-2%に近づくほどの急激な低下が観測される。その後上向き基調に転じ、直近では0%と1%の間を推移している。他の設定に基づくDSGEモデル(線形モデル、ゼロ金利制約なしの非線形モデル、ゼロ金利制約と線形モデルの組み合わせの設定)についても推定を行ったが、定性的な結果は変わらず頑健であった(バックグラウンド・ペーパーの図7を参照)。

図3 DSGEモデルに基づく均衡利子率

(注)DSGEモデルに基づく均衡利子率推定値(非線形・ゼロ金利制約付き、四半期推定値、1983年Q2~2017年Q4)。
(出所)筆者による推定値。

他の経済指標からも、均衡利子率の上向き傾向がうかがわれる

 上記の推定結果以外にも、均衡利子率に関して示唆が得られる経済指標がいくつか存在する。1つは、潜在成長率の指標である。先の式で述べた通り、潜在成長率は均衡利子率の長期トレンド部分に対応しており、「均衡利子率≒潜在成長率」と近似して議論されることも多い。図4には、内閣府と日本銀行が算出した潜在成長率を表している。両者とも標準的な生産関数に基づいて推定されており、基本的な動きは共通している。当初の高い水準から1990年代前半に大きく低下し、世界金融危機を契機にさらに落ち込んだ後、近年上向きつつあるという動きは、全体として、図2、図3で示したLaubach-WilliamsモデルとDSGEモデルの推定結果とも整合的である。

図4 潜在成長率も近年上向きつつある

(注)半年データ、1983年度上期~2017年度上期。
(出所)内閣府、日本銀行。

 別の経済指標として、企業の設備投資動向も参考になる。図5には企業設備投資(実質値)が示されており、近年増勢を強めてきているのが見て取れる。2016年末にはGDP統計の基準改定が実施され、新系列(2008SNA)において研究開発投資が新たに含まれることになった。近年の設備投資の活発化には研究開発投資の拡大が寄与しており、資本深化と全要素生産性の両面から潜在成長率の伸びを後押ししている。

図5 企業設備投資も増勢が続く

(出所)内閣府「国民経済計算」。

 さらに図6には、わが国全体の労働生産性の指標を表している。ここで労働生産性は、実質GDPを就業者数×労働時間数(マン・アワー)で除した値である。2000年から現在に至るまで、労働生産性は安定した成長を続けており、近年の就業者数の拡大のもとでも失速することなく着実な伸びを示している。こうした供給サイド全般の安定した改善基調も、均衡利子率の伸びを支える要因となると推察される。

図6 労働生産性(マン・アワー・ベース)も安定した伸びが続く

(注)四半期データ、労働生産性=実質GDP(兆円)/[就業者数(万人)×総実労働時間指数(2015年=100)]。
(出所)内閣府「国民経済計算」、総務省統計局「労働力調査」、厚生労働省「毎月勤労統計」。

金融緩和のメリットは増大していく地合いにある

 均衡利子率の3つアプローチに基づく推定値、および他の経済指標などを勘案すると、全体として、わが国経済の実力は着実な改善を続けており、均衡利子率も上向く傾向にあると推論できる。

 この傾向が続けば、仮に政策変更を行わなくとも──つまり同じ長短金利の操作目標を維持するもとでも──金融政策の緩和度合いは強まり、景気刺激効果も高まっていくことが予想される。もとより金融緩和の波及メカニズムには、政策金利と均衡利子率との乖離という伝統的な金利経路にとどまらず、株価や為替レート、銀行信用など多様なルートが存在する。米国など海外経済も改善基調が続く中で、海外の潜在成長率や均衡利子率も下げ止まり、もしくは持ち直しに転じてきているとみられる(その結果、米国の利上げも緩やかに進むと予想される)。グローバル経済の回復という側面も加わることで、緩和効果はさらに高まっていくだろう。

 金融緩和のメリットが増大していくことは、冒頭述べた金融政策のジレンマを乗り越える可能性を高める。政策効果が高まれば、副作用の問題は相対的に和らぐからである。無論、均衡利子率の上向き傾向が今後も続いていくのかどうか、また副作用のリスクが高まらないかどうか、丹念な検証と点検が必要である。他方、表立った政策変更や枠組みの修正は、緩和方向、引締め方向どちらにも相応のコストが予想される。退屈にみえる金融政策運営が、実は総合的には最適であり、かつ大きな緩和効果を発揮し続けていくというシナリオは十分にありうるということを忘れてはならない。

宮尾龍蔵(みやお りゅうぞう)

東京大学大学院経済学研究科教授。Ph.D.(経済学)(ハーバード大学)。元日本銀行政策委員会審議委員(2010年3月〜2015年3月)。専門は金融、マクロ実証分析。

新谷元嗣(しんたに もとつぐ)

東京大学先端科学技術センター教授。Ph.D.(経済学)(イェール大学)。専門はマクロ経済学、計量経済学。

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)宮尾龍蔵・新谷元嗣(2018)「金融政策はジレンマを乗り越えられるか」NIRAオピニオンペーパーNo.38

脚注
1 本稿で示される推定の詳細は、NIRA総研ホームページで公開されるバックグラウンド・ペーパー「均衡利子率の推計手法および推定結果について」を参照
2 本稿では、今後の主要政策である長短金利操作に焦点をあて、政策金利と均衡利子率とのギャップを通じた金融政策効果を議論する。なお、これまで量的・質的金融緩和において重視されてきた「量」の側面――大規模なマネタリーベース拡大と長期国債買入――の政策効果については、まだ検証が続いているが、株価や為替レートなどを通じた明確な景気刺激効果も報告されている(宮尾龍蔵『非伝統的金融政策―政策当事者としての視点』有斐閣、2016年、第3章など)。日本銀行は、今後も物価上昇率の実績値が安定的に2%を超えるまで、マネタリーベースの拡大方針を継続することを表明しており、「量」の面からの景気下支え効果も続くと期待される。
3 詳しくは、たとえば宮尾龍蔵「ICTの進展と金融政策運営」(NIRAオピニオンペーパーNo.33、2017年12月)の議論を参照。
4 均衡利子率に関する解説としては、小田信之・村永淳「自然利子率について:理論整理と計測」(日本銀行ワーキングペーパーシリーズNo.03-J-5、2003年10月)、岩崎雄斗・須藤直・西崎健司・藤原茂章・武藤一郎「わが国における自然利子率の動向」(日銀レビュー、2016-J-18、2016年10月)などが参考になる。
5 Laubach-Williamsモデルでは、潜在変数の計算の際にカルマンフィルターが用いられるが、その際、評価する時点で利用可能な情報のみを用いたリアルタイム推定値(片側推定値)と、将来も含めサンプル期間すべての情報を用いた平滑推定値(両側推定値)の2種類の系列を計算することができる。Laubach-Williamsモデルの国際比較研究では前者のリアルタイム推定値が採用されていることから、本稿でもリアルタイム推定値を報告する。なお平滑推定値の結果については、バックグラウンド・ペーパーの図3で報告している。
6 非線形・ゼロ金利制約付きモデルによる推定。ここで、均衡利子率の全期間の定常値は0.46%と推定された。モデルの解法と推定方法の詳細については、バックグラウンド・ペーパーの技術的補論を参照。

©公益財団法人NIRA総合研究開発機構
発行人:牛尾治朗
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