NIRAオピニオンNo.20 2016.03.25 官民連携で学術データビジネスの育成を知識経済の礎を守れ この記事は分で読めます シェア Tweet 國領二郎 慶應義塾大学総合政策学部教授 生貝直人 東京大学大学院情報学環特任講師 市古みどり 慶應義塾大学日吉メディアセンター事務長 小野塚亮 慶應義塾大学SFC研究所上席所員 倉田敬子 慶應義塾大学文学部教授 小松正 小松研究事務所代表 林和弘 文部科学省科学技術・学術政策研究所/科学技術動向研究センター/センター長補佐・上席研究官 概要 学術の研究成果を集積し、発信し、評価を行う学術プラットフォームが重要性を増しており、どこの誰がどんな研究を行い、どの研究が有望であるかといった貴重な情報が集積しつつある。その潜在的な経済価値をめがけて、グーグルやエルゼビアなど欧米のIT企業や出版社が学術データビジネスの覇権を巡り競っている。 しかし、その争いに食い込む日本の事業者はいない。このような状況は、日本の学問および産業界にとってゆゆしき事態である。それを打開するための戦略の1つは、公的資金を得て行われた研究の成果である論文や研究データを多様な民間事業に無償で開放することで、学術データビジネス構築における新規事業者の参入コストを引き下げるというものだ。当初、民間企業による参入が遅い場合には、プラットフォームの構築のために官と民が連携し、公設民営方式をとることも考えられる。官民が連携すれば、旧いビジネスモデルや著作権制度の運用を乗り越え、オープンな情報流通ときめ細やかなサービスの展開を両立させることが可能となる。 PDFで読む INDEX 知識経済から脱落する日本 学術活動の場としての日本の価値を高める 日本がとるべき3つの戦略 求められる具体的な政策 知識経済から脱落する日本 デジタル化の進展で学術の在り方そのものを変えるようなパラダイム・シフトが起きている。論文が紙媒体から電子化され、論文への迅速な流通やアクセスが可能となっただけでなく、出版前の研究データを含む研究活動そのものがネット上で共有・活用されている。そこでは、智の交流の場を提供しながら、世界中の智を集積し、発信し、評価を行う学術プラットフォームが重要な役割を果たす。結果として、どこの誰がどんな研究を行い、どの研究が有望であるかといった、世界の投資家や安全保障担当者にとって垂ぜんの情報が蓄積しつつある。世界では出版社のエルゼビアが、100億円に近い価格で研究ソーシャルネットワークを運営するメンデレーを買収したという報道に見られるように、その潜在的な経済価値をめがけて、産業界がプラットフォーム構築に大きな投資を行い始めている。 エルゼビアのほか、学術データビジネスの覇権を巡っては、グーグルなど欧米のIT企業や出版社が競っている。しかし、その争いに食い込む日本の事業者はおらず、学術のデジタル化において日本企業の姿は見えない。日本がこのように周回遅れに陥っている背景の1つには、出版社、大学図書館、そして研究者が長年にわたり構築してきた学術の流通システムの良好な関係を壊してまで新しい流れを取り込む気運が育っていないことがある。 日本でのこの遅れによる負の影響が及ぶ範囲は学術関連の世界だけにとどまらない。知的活動こそが価値創造の源泉である知識経済では、プラットフォームを含む学術データビジネスはイノベーションにとって不可欠なものだ。そこに集積される研究活動のログ(記録)データで最先端の学術動向を一早く把握できれば、画期的なビジネスイノベーションにもつながる。こうしたチャンスを逃しているのだ。 すなわち、学問と産業界の双方にとって、学術のデータサービスを事業化させる意義は高く、日本の国益の観点からも重要な課題である。従って、本提言は、学術に関わる人だけではなく、政府には学術成果のオープンアクセス(論文への自由なアクセスや再配信)の義務化政策の推進を、産業界にはオープンな学術コンテンツを活用した、多様な学術データビジネスに対する積極的な投資を促したい。 学術活動の場としての日本の価値を高める 必ずしも日の丸学術プラットフォームを構築して勝負すべきというわけではない。より本質的に重要なことは、学術活動の場としての日本の価値を高めることだ。プラットフォームのグローバルな展開が予想されるだけに、全てに日の丸を掲げることは困難だろうし、それを狙うのは孤立への道となる。むしろ、学術データビジネスのグローバルな生態系の中で、日本の得意分野や役割を確立しつつ、海外プラットフォーム事業者に対して日本発の学術成果の発信力を高め、日本にとって実用的な情報の受発信を確保する上での交渉力を獲得することを狙うべきだ。 また、学術データビジネスには、プラットフォーム以外にも、データの加工から分析に至るまで多様な形態がありうる。例えば、英語圏の学術プラットフォームでは日本語での研究成果は国際的に認知されず、研究として存在しないに等しいが、潜在的には大きな価値を持っており、国際的な発信が待たれている。同様の状況が英語圏外でも起きている。多言語支援の多様な付加価値サービスやオープンアクセス化などの新潮流において、日本がリーダーシップをとり、学術の在り方のトレンドセッターとなるべきだ。 日本がとるべき3つの戦略 ではどうすればよいのか。3つの戦略を掲げよう。 第1の戦略は、日本の巻き返しにあたっては、現在の勝ち組のモデルに追随するのではなく、新しい世代に「先回り」することである。今、学術プラットフォームの分野では、過去の「出版物」をベースとするものから転換し、研究現場でのデータ記録から、それを加工し、研究仲間と共有しつつ、研究アウトプットとして編集するところまでを一貫してサポートする「研究プロセスの情報化」を支えるものが目指されている。その中で、既存の有力プレーヤーは過去の出版のビジネスモデルに縛られ、新しい世代への対応が難しい。後発プレーヤーの競争戦略としては、イノベーションのジレンマに悩む既存プレーヤーの頭を超えて、データ記録、成果発信やデータの再利用などを含むデジタル化されたあらゆる研究活動を、即時にアーカイブ化できるようなプラットフォーム構築で大きな役割を演じる道を志向すべきだ。 第2の戦略は、プラットフォーム構築のための官と民の連携を進めることである。学術プラットフォーム構築の全てを市場に頼ることは困難である。データビジネス、特にプラットフォームの構築では規模の経済性が決め手となるため、後発の新規事業者が世界の市場で伍していくためには、新規事業者の参入コストを引き下げる必要がある。具体的には、公的資金を得て行われた研究の成果である論文や研究データを、それらを活用するビジネスに無償で提供することで、民のデータビジネスのコストを下げる。それでも当初参入が遅い場合には、のちの民営化を前提に、利用者数が採算のとれる一定規模に達するまで官が出資を行い、民が事業を立ち上げる公設民営方式をとることもありえるだろう。 このような官民連携を提唱するのは、日本が形勢不利で民間だけでは勝てないからではない。それが(1)旧いビジネスモデルや著作権制度の運用を乗り越えてオープンな情報流通と、(2)ビジネスによるきめ細かなサービスの展開を両立させる道だからだ。 図1は縦軸にオープンアクセス性を、横軸に運営主体を示している。オープンアクセスの二象限は、ネットのメリットを大いに生かすものでありながら、自由なコピーを許すことでビジネス化しにくい欠点があった。そこで、官が行う「オープンー官型」か、グーグルのように「ビジネス(広告)で得られる資金を活用してコンテンツを囲い込みながら限定的に公開する形式」に分かれていた。前者は官業による制約があり、後者には規模の経済性によって集中度を高めている特定事業者にプライバシー情報を含むログデータを管理されるという課題がある。 これらに対して、われわれの提唱するモデルは、固定費がかかるオープンアクセスコンテンツの生成(それは主として研究費によって担われる)を、多様な民間事業に情報資源として、開放しようとするものである。 ここで強調されるべきは、民間が主体となることで、大小さまざまな事業者が参入し、多様な学術プラットフォームが構築される可能性は格段と高まるという点である(注1)。 上述の通り、新規参入企業が海外事業者であることもあるだろう。われわれは、日本の学術の国際的競争力を高めるものであれば、という条件の下で、日本で展開されるプラットフォームの構築企業の国籍についてはこだわらないし、また、問うべきではないと考えている。 図1 プラットフォームの構築モデル ※PMC(注2) 第3の戦略は、上記の戦略を具体的に展開するためにも、日本自身が学術のオープン化を積極的に主導し、グーグルなど世界のプラットフォームが蓄積するデータを万人に開放するよう海外の政府・事業者に対して働きかけることだ。それは、学術情報のグローバル企業による囲い込みを阻止することとなる。エルゼビアなどが収集・蓄積した学術データが、著作権や利用規約(Terms of Use)を利用したビジネスによって、高額な費用との引き替えなどの制約の厳しい形でしか提供されなくなりつつある。こうした事態を回避するためにも、日本がオープン化の実践者として、オープン化されたデータの活用制度を一早く整備するという戦略をとるべきだ。 求められる具体的な政策 オープンサイエンス(個々の研究者に閉じられていた研究データを含む研究活動そのものがより社会に開かれる動き)への取組の重要性は、政府も認識しており、各種計画を決定している。しかし、施策の実現時期が明確にされておらず、また、官によるプラットフォームが念頭に置かれているなどの問題を抱えた内容である。先述の戦略を実践するため、政府・自治体に期限を区切って、次の個別の施策を講じることを求めたい。 ①オープンアクセス化のための制度整備 政府主導で、研究者・論文・研究データに対する国際的に唯一無二の識別子を整備し、かつ、その使用を義務づける。また、論文のメタデータを機械可読な形式で整備した上で、公的資金が投入されている研究成果(含データ)は原則オープンアクセスとするとともに、大学・研究機関はオープンアクセスポリシーを定める。 これらの実現を前提とし、データ作成貢献の視覚化と再利用促進を図るため、論文の作成に使用した研究データを大学や研究所の機関リポジトリ、専門のデータリポジトリ、データジャーナルなどで共有ないしは出版する。データ管理計画の普及やデータの公開は、研究活動における不正行為の防止としても有効である。 なお、オープンアクセス化に際して、研究プロセスに関わるプライバシー保護の在り方も同時に検討すべきである。 さらに、機関に属さない独立研究者へも学術情報を提供するとともに、一般市民によるシティズン・サイエンスを促進する。それを通じて、気象や野生生物の調査など、人手不足のため生じていたデータの空白域の問題を解消するとともに、市民が科学研究に直接触れる機会を増やし、科学・学術への理解の向上を図る。②多様な評価方法の確立 研究過程で生まれる研究成果がID付きで公開されれば、ウェブ上の反響が比較的容易に定量的に把握できる。これを活用して、研究成果の社会的、教育的、経済的影響度など研究を多面的に測定する指標を開発する。 さらに、研究活動を正しく評価できるシステムを構築するため、ウェブベースでの研究活動や成果公開の在り方を検討しつつ、広義で研究に関わった貢献者の見える化を行う。研究データの公開や共有への貢献を研究評価の一環として位置づける。③文化資源のデジタル化・蓄積・提供 全欧州の文化施設が保有する5,000万点以上の文化資源(ミュージアム・図書館・文書館の所蔵資料に加え、映画・歴史的音源・3Dデータなど)を収録し、欧州の知的蓄積を発信するためのデジタルアーカイブ・ポータルとして機能しているヨーロピアナは、集約された情報のオープンデータ化を進め、それを利用した研究教育やビジネス活動を促進するためのプラットフォームの役割を担っている。 これを参考に、日本でも文化資源のより一層のデジタル化やその公開支援、少なくとも公的資金によって管理・公開されているデジタルコンテンツや著作権保護期間が満了しているものの自由な再利用を認める。 さらに、文化資源のデジタル化・公開促進、横断検索やアクセスの向上のために、技術支援やメタデータ集約に責任を持つアグリゲータを分野・地域ごとに明確化し、ナショナルポータルに全てのアーカイブが接続可能な体制を構築する。 また、日本語で書かれた論文を即時に英語でも公開できることを目指し、学術書の原著と翻訳書データを元に、学術情報に適した自動翻訳のための対訳コーパスを形成する。④既存の民間事業者との調整 現在、著作権法などの制約のために、内容検索ができない画像データで管理されている、国立国会図書館の270万冊以上のデジタル化された資料を、著作権の改正などを行うことにより、全文検索を可能とする。 また、データ管理においては、知財などでの活用や産業振興の観点から、いったんは、クローズドアクセス戦略をとることは妨げないが、その場合でも、オープンアクセスデータとして共有・活用できるようにするため、知財として活用した後、一定期間の後に公開するインセンティブをそなえたデータ登録の仕組みを、セキュリティーを考慮しながら作る。⑤学術データビジネス育成策 民間企業による参入が遅い場合には、のちの民営化を前提に、利用者数が採算のとれる一定規模に達するまで官が出資を行い、民が事業を立ち上げる公設民営方式を採用する。 國領二郎(こくりょう じろう)慶應義塾大学総合政策学部教授。 生貝直人(いけがい なおと)東京大学附属図書館新図書館計画推進室・大学院情報学環特任講師。 市古みどり(いちこ みどり)慶應義塾大学日吉メディアセンター事務長。 小野塚亮(おのづか りょう)慶應義塾大学SFC研究所上席所員。 倉田敬子(くらた けいこ)慶應義塾大学文学部教授。 小松正(こまつ ただし)小松研究事務所代表。 林和弘(はやし かずひろ)文部科学省科学技術・学術政策研究所科学技術動向研究センターセンター長補佐・上席研究官。 引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。 (出典)國領二郎・生貝直人・市古みどり・小野塚亮・倉田敬子・小松正・林和弘(2016)「官民連携で学術データビジネスの育成を」NIRAオピニオンペーパーNo.20 脚注 1 クラウドファンディング、産学連携型研究、パトロネージュ、CSRなどの新しい研究ファイナンスを促進するプラットフォームや、多言語・多面評価学術成果プラットフォーム、オープンサイエンスのプラットフォーム、研究者間コミュニケーションプラットフォームなど。 1 クラウドファンディング、産学連携型研究、パトロネージュ、CSRなどの新しい研究ファイナンスを促進するプラットフォームや、多言語・多面評価学術成果プラットフォーム、オープンサイエンスのプラットフォーム、研究者間コミュニケーションプラットフォームなど。 2 PMC(パブメドセントラル)。米国国立衛生研究所が運営するオープンアクセスプラットフォーム。 2 PMC(パブメドセントラル)。米国国立衛生研究所が運営するオープンアクセスプラットフォーム。 シェア Tweet 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