國領二郎
慶應義塾大学総合政策学部教授

概要

 クラウドコンピューティングの発達を背景に、研究活動を支援する過程で、研究成果や評価情報を蓄積する国際的プラットフォームが形成されつつある。情報は集積することで、それ自体の持つ価値を高めることができる。この情報の性質が、今、研究成果の情報の集積と分析の競争を引き起こしている。しかしながら、日本は英語を共通言語とする研究プラットフォーム構築競争の中では全く主導権をとれていない。世界の研究状況が、海外プラットフォーム事業者にはリアルタイムで可視化され、日本の研究者には部分的にしか見えないという状況は、日本の科学の進展にとって重大なハンディキャップとなるだけでなく、安全保障上の問題にもなりうる。
 同時に、ネットワーク化が科学のあり方そのものに大きな影響を与えつつあることにも注目すべきである。研究者をつなぐソーシャルネットワーク、市井の研究者もネットワークを介して参画しながら知を発展させるオープンサイエンス、科学的方法論の姿を変えつつあるビッグデータサイエンスなどの動きから日本は落伍してはいけない。
 日本はこれまで個別の研究に注目し、大きな資金を投じてきたが、研究情報の電子化の基盤的なプラットフォーム(デジタルライブラリー、デジタルアーカイブ、電子ジャーナル)やそれを運営する人間の技能に対しては十分な注意を払ってこなかった。その状況を改めるべきである。多言語化やマルチメディア化などで、智のプラットフォームが進化する余地はまだ数多く残っており、これからでも的確な手をうつことでプレゼンスを高めることが可能である*

INDEX

世界の研究データベースを誰が握るか

 例えば安全保障担当者にとって、世界中の「どこで」、「誰が」、「どんな資金を使いながら」、「何の」研究をしており、「誰と協力」しながら行っているか、それが「どんな水準」に達しているか、研究にあたって「どんな他の研究の影響」を受けながら行われているか、そして「評価の高い研究はどれか」などと言ったことを、いつでも調べられるデータベースがあれば、極めて重要な情報源になる。それはどの国がどんな技術を手に兵器を開発したり、経済分野での競争力を手に入れたりしつつあるかを知る重要な手がかりとなる。

 ところがそのようなデータベースは既に存在しているのである。クラウドコンピューティングの発達により、研究活動を論文執筆から共同研究者の探索、成果発表にいたるまで支援しつつ、そのプロセスの中でいつ、どこで誰がどんな研究をし、その成果のうちどれが高く評価されているかについての情報を蓄積する国際的プラットフォームが急速に発展しつつある。例えば、大手商業出版社であるElsevier(エルゼビア)社(オランダ本社)は、抄録・引用文献の巨大なデータベース(Scopus(スコーパス))のサービスを提供している。

 しかも、そのプラットフォームの上に、世界の研究者が無報酬で研究成果を登録し、競い合っている。そのようなデータベースをもとに業績を評価されることが研究機関の評価の基準となっているからだ。現在、世界の大学が血眼になって上位につこうとしている「大学ランキング」なども、データベース上で論文がどれくらい引用されたかに大きな評価ウエートが置かれている。生命科学などを中心にScopusやWeb of Science(Thomson Reuters(トムソン・ロイター)社)と呼ばれる論文のデータベースに論文が登録されていないと、その論文は学術的には存在していないに等しい。そして、そこでの引用数が論文評価や研究機関の評価に直結し、研究費の獲得や学生の獲得にも大きく影響を与えるようになってきている。結果として研究者たちはScopusが対象としている論文誌に投稿するために激烈な競争を行っている。

 国境を超えて形成される智のプラットフォームは、残念ながら圧倒的に英語の世界である。結果として日本語で書れた論文などは国際的に認知されず、日本の大学や研究者が低く評価されることになる。世界の中で評価が低いことは一流の研究者の輪から外されて研究の質も下がっていくことを意味しており、看過できない。

智のプラットフォーム構築競争

 大きな求心力が生まれる中で、プラットフォームにデータを収集する手法もどんどん進化している。例えば、この文章を作成しているワープロソフトには、筆者が文献を引用するときに文献情報を瞬時に探せるサイトにつながるプラグインが搭載されているが、そのプラットフォームは、たった今、世界のどこでどの研究者がどの文献が重要だと思いながら引用しているかをリアルタイムに知っていることになる。そして、書かれた論文は後述の研究者SNSに格納されて、直ちに研究仲間と共有されることになる。このような研究者の日常的な研究活動を支援しつつ行為を記録することで、誰が、どこでどんな調査をしているかの情報が収集される。その道具を使うか否かで研究者としての生産性が大きく左右されるので、特に若手の研究者にとっては必須の道具となりつつあるし、個々の研究機関は導入を促進せざるをえない。

図表1 発展する研究プラットフォーム

 このような研究データベースの発展の背後に論文の電子化があることは言うまでもない。単に電子化しただけではなく、急激に論文がネットワーク化されつつある。結果として雑誌の査読、編集、公開、そしてデータベース化などのスピードを劇的に向上させている。その流通も同じく加速しつつあり、世界の研究者がリアルタイムに近い即時性で、新たに発表された論文を手にすることができるようになっている。

 これまでは雑誌という単位で流通していた論文が、論文単体で流通できるようになったことも注目に値する。すなわち、これまでは、流通コストの大きさが原因となって、論文が数点たまった時点で、まとめて編集、印刷を行って流通させる方式がとられていたのに対して、今では、論文を単体でネット上に登録することは非常に簡単であり、それを短時間で大量に複製して世界中に届けることも、コストをほとんど考えずに行うことができる。それどころか、仕掛品を継続的にネット上に掲載し続け、フィードバックを受け続けながら完成させていく、といった手法をとることも可能である。

 このようにして、論文の電子化を背景に、データベースを含む一連の研究サービスプラットフォームが急速に形成されつつあり、その覇権をめぐって、Elsevier社、Thomson Reuters社、Google社などが熾烈な競争を展開している。しかし、残念ながら日本のプレーヤーの姿を国際舞台で見ることはない。

ソーシャル化、オープン化する研究コミュニティー

 智のプラットフォームの進化は、論文などのアウトプットのネットワーク化だけでなく、研究プロセスのネットワーク化を進めていることにも注目したい。アカデミアに特化したSNS(ソーシャルネットワークサービス:Research Gateなどが台頭しつつある)などを使いながら、研究者の人的ネットワーク形成を支援しながら進行しているという意味で、研究のソーシャル化と言ってもいいだろう。自分が重要視している研究者が、今どんな研究を行いつつあるかが、刻々と流れてきて、それに対してコメントしたり、自分の関連研究を紹介したりすることが研究者としての日常的なルーティンになりつつある。そして、その輪の中に入っていない研究者は研究者としての存在が見えなくなってしまうのである。

 研究者のつながりが重要になり、コミュニティーの強化が進む一方で、そのつながりは従来の「象牙の塔」を超えて、広がりのある「オープンサイエンス」となっていく傾向をもっていることにも留意したい。例えば、研究者というアイデンティティーも、従来の大学や組織の研究機関に所属している人間だけが持つのでなく、市井の研究者とプロの研究者の間の垣根が低くなっていく。すなわち(研究分野にもよるが)、大きな装置を必要としないような研究分野では、フリーランスの研究者といった層が現実に生まれつつある。従来の「象牙の塔」を打ち壊す動きとも言える。

 オープンサイエンスの動きは、今のところ既存の研究組織を脅かすような存在にはなっていない。しかし、それは電話会社のみが通信を行っていたところに、(当初は)性能的に劣ったインターネットが登場したときと似ており、今はとるに足らなくても、トレンドに注意すべきである。対応が遅れると、いったんは電子立国ニッポンの立役者となった大企業群が、台頭してきたシリコンバレーのベンチャーに苦戦したのと同じような現象が起こりかねない。ネットワーク化が根源的な変革をもたらしていることに、注意を向けるべきである。

ビッグデータで科学そのものも変わる

 ビッグデータの波も押し寄せてきている。ここで重要なのは、それが科学の姿そのものを変えつつあることである。背後にあるのが、世の中のあらゆる情報をリアルタイムで把握し、集約することのできる、センサーネットワークと、それを集約するプラットフォームの登場である。

 科学はその登場以来、実証された理論を演繹することで新たな仮説を立て、それを検証することで、新たな理論を導き出す、論理実証主義の伝統によって成立していた。ところが近年のビッグデータに基づく研究では、あらかじめ仮説を立てることなく、母集団の諸変数間の共分散構造を観測し、仮説を帰納に導出することが一般的に行われるようになってきた。

 直近(これを書いているのは2015年5月)の動きとして注目に値するのは、Natureを初めとする、一流雑誌がデータを出版するという動きを見せていることである。これは、データを中心とする考え方の反映であると言ってよい。すなわち今日では、論文ではなくデータそのものが重要な時代となってきており、観測された現象と関連したデータを、正確かつ、迅速に報告し、そこに見られるパターンを特定する競争となっている。そのプラットフォームも日本の手の中にはない。潮流の変化に日本の学会がどれほどついていけるか、その基盤が整備されているかも今問われていると言っていいだろう。

研究基盤が孤立する日本

 関係者の名誉のために書くならば、日本も無為に過ごしているわけではない。科学技術振興機構による電子ジャーナル刊行プラットフォームであるJ-STAGEの取り組みや、国立情報学研究所における日本の論文を検索するためのCiNii Articlesの取り組みなどは、世界的に見ても遜色のない質の高い取り組みとなっている。しかし、それらはいかんせん、一部の図書館スタッフなどのみが関心をもち、乏しい予算の中で、国際的な展開をうかがうようなものとはなっていない。研究の世界が急速にグローバル化していることを考えると、ローカルシステムとして存続することもおぼつかなく、日本語で書かれた研究なども全て、海外のプラットフォーム事業者のデータベースの中で埋もれていく姿が予想される。

 「言語」も壁となってきた。グローバルに展開するプラットフォームは基本的に英語の世界である。これまで日本のプラットフォームは、日本語による著作などをデータベース化したり、オンラインによる研究活動を支援したりすることに注力してきた。しかし、そのような孤立化した研究プラットフォームの中にいるだけでは、グローバルな研究コミュニティーの中に入っていくことはできない。データ、研究方法、成果などを世界の研究者コミュニティーと共有し、進化させていかなければ、世界的なレベルではすぐに時代遅れになってしまう。グローバルな研究プラットフォーム構築に関与していかなければ、日本の科学技術立国戦略そのものが危うくなる。

 日本はこれまで個別の研究には注目し、大きな資金を投じてきたが、研究情報の電子化の基盤的なプラットフォームやそれを運営する人間の技能に対しては十分な注意を払ってこなかった。そこに起因する問題が顕在化している。

多言語化などで役割を果たせ

 このように、智の覇権をめぐって、世界で深遠かつ、大きな動きが始まっており、日本はその中で極めて不利な立場に追い込まれている。政府レベルでの認識に加えて、産業界リーダーにも、このことの持つ重要性を認識していただきたい。智のプラットフォームに関与できるか否かが、その国の科学力を左右するほどの重要事となる。

 産業界にとって、これが単なる守りではなく、攻めのチャンスであることも提起しておきたい。Google社などが研究情報の収集とデータベース化に大きな熱意をもって取り組んでいることに象徴されるように、世界の情報産業(出版社、SNS運営企業、調査会社など)は、研究情報の世界を高付加価値のビジネスとして育てようとしており、そこに大きな投資を行っている。本稿でそれが英語の世界になっていると解説したが、それは逆に言えば、日本がプラットフォームの多言語化に役割を果たしうることを意味している。

 表現媒体の多様化なども、まだ不完全であるからこそ、今からでも参入できるビジネスチャンスのある分野と考えていいだろう。研究をめぐる映像データベースや、設計情報データベースなど、これから統合していかなければならない分野は多い。智のプラットフォームビジネスにおける主導権をとるビジネスのダイナミックな動きが望まれるし、それは十分可能なはずである。

國領二郎(こくりょう じろう)

慶應義塾大学総合政策学部教授。慶應義塾常任理事。博士(経営学)(ハーバード大学)。専門は経営情報システム。

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)國領二郎(2015)「孤立する日本の研究プラットフォーム」NIRAオピニオンペーパーNo.15

脚注
* 本稿は、筆者が座長をしているNIRA研究プロジェクト「日本における学術智場の将来性に関する研究」の議論を参考に筆者の責任でとりまとめたものである。

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