柳川範之
総合研究開発機構(NIRA)理事

 正社員ならば安心という時代は終わった。世界経済が急速に変化する昨今、大企業すらいつ経営危機に陥るかわからない。求められるのは、 職場を変えても一人ひとりが生き生きと働ける社会を構築することであり、 そのためのセーフティネットを社会全体で作り上げることである。それには、 人生のいつの時点でも時代の変化に即した学び直しが出来ることが重要となる。閉塞感漂う日本の雇用状況を打開するための新しい雇用とセーフティネットのありかたを提示する。

INDEX

正社員でいれば安全なのか

 我々が求める、安心が保証された働き方とは、どのようなものだろうか。学校を卒業して就職した会社でずっと「正社員」として働き続け、給料も勤続年数につれてあがっていく。万一にもその会社が倒産し働く場所を失っても、手厚い社会保障によって生活が保証される。日本人がこれまで求めてきた理想的な姿は、このような「正社員」を中心に実現する安心して働ける社会だったのかもしれない。

 しかし、現実はどうだろう。1つの企業に在籍し続けることが、果たして本当に将来の安心を保証してくれるのだろうか。「正社員」であることでどれだけ安心が確保できているだろうか。

 今、日本企業がおかれている環境は、大きく変化しつつある。それは大企業であっても例外ではない。少し前までは、テレビがこれだけ販売不振になり、日本の電機メーカーが苦境に陥るとどれだけの人が予想できただろうか。環境変化の主要因は、世界経済の構造変化と、ITの進展によるスピードの変化だ。新興国の急速な経済発展を主軸として、世界全体の経済構造は大きく変わろうとしている。いかに業績の良い日本企業であっても、この変化に対応できなければ、いつ経営危機に陥ってもおかしくない。また、IT産業の進展は、IT産業のみならず他産業の変化のスピードを速くしている。そのため、どの産業でも、求められる能力や知識は今後かなりのスピードで変化していくだろう。

 このような環境変化の下では、どれだけ盤石な経営基盤を持った企業でも、この先何十年もの安泰を保証することはできない。ましてや、多くの働き場所のなくなった従業員を抱えていくだけの体力を維持できるものでもない(図表1)。

 つまり、これからの時代は、どんな大企業に勤めていてもリストラや倒産の可能性があることを前提に、社会のあり方、安心感のある働き方を考えていく必要がある。実際、その可能性を既に多くの国民が感じている。大企業で働く中高年の「正社員」も自社のリストラや将来の業績不振による倒産におびえているのが実情だろう。

 それでは、そのようなリストラや倒産の結果生じる失業者を、すべて社会保障で支えることは可能だろうか。個々の労働者からすれば、手厚い社会保障を望むところであろう。しかし、財政状況は厳しい状況にあり、それはとても現実的な解決策とはいえない。人口が減少し、そもそも労働人口が大きく減っていく中で、多くの失業者を失業者のままで手厚く保護し続ける余裕はないのだ。

図表1 産業別就業者推移

(注)各産業で1980年の就業者数を1としている。
(出所) 内閣府「国民経済計算」経済活動別国内総生産を基に作成。

変化に対応する雇用形態の柔軟性が、社会全体で必要

 このような状況下において、我々に今求められているのは、企業という不安定な存在にしがみつくセーフティネットではなく、それぞれの個人が、おかれた環境に応じて柔軟に働けるようなセーフティネットを構築することである。

 そのためには、あらゆる世代に対して、その時々の必要に応じた知識や技能を身に着けられる構造が、社内ではなく、社会全体として備わっている必要がある。そして、必ずしもひとつの会社でずっと働き続けなくても、それぞれの年代に合わせて働き場所や働き方を選んだとしても、安心して生活ができる社会を構築していく必要がある。

社会が多様な働き方を求めている

 そもそも、今までの「正社員」の働き方は極めて画一的であり、価値観が多様化している現代社会に適した働き方とはいえない。もっと、働き方の多様性を高めなければ、個人の希望にあった充実した労働、充実した生活は望めない。

 たとえば、これからの社会は、もっとベンチャー企業による挑戦が必要な社会だ。また、利益を求めるベンチャー企業だけでなく、社会貢献を目的としたNPO(非営利団体)やNGO(非政府組織)を通じた活動をしたいという人達もこれからは今まで以上に増えてくるはずである(図表2、図表3)。

図表2 米国労働市場におけるベンチャー企業の役割

(出所)米国ベンチャーキャピタル協会および米国雇用統計を基に作成。

図表3 労働力人口に対する非営利部門における有給スタッフ数の割合

(注)1.宗教団体は含まれていない。2.データは1995~2002年を対象。
(出所)ジョン・ホプキンス大学市民社会研究センターのデータを基に作成。

 ベンチャービジネスは、単にイノベーションを促進させるだけでなく、雇用を拡大させていくうえでも重要である(注1)。1社1社の雇用数は小さくても、多くの起業家が会社を立ち上げれば、たとえば1社が10人の雇用を作り出せば、企業数の10倍の雇用ニーズを生み出すことができ、雇用へのインパクトは大きなものになり得る。しかし、現状では、日本で大学を卒業してすぐに、ベンチャー企業を立ち上げる精神的ハードルはかなり高い。ベンチャー企業にリスクはつきもので、結果的に事業に失敗する人達も多く出るのが現実なのに、現状の「正社員」を中心とした雇用システムでは、このような事業を経験した人が、通常の民間企業に再就職するのが難しいからである。

 また、NPOやNGOにしても、永続的に事業を続けるのではなく、目的とした社会問題がある程度解決したならば、その活動を終え、別の活動に移ることも少なくない。けれども、その際の再就職はかなり難しい。

 このように考えると、ベンチャービジネスやNPO等の活動を積極的に後押ししていくためには、その活動をやめても他に働き場所がある、あるいは他に充実した活動場所があることが決定的に重要である。それがないと、多くの人が失敗のリスクを恐れ、ベンチャービジネスやNPO等に挑戦しないか、たとえ会社を立ち上げたとしても、極めて限定的な活動しかできない結果となってしまう。もっと働き方や働く時期に多様性をもたせ、同じ会社に居続けなければ「正規」の働き方ではないという構造を改める必要がある。

 また、子育てや介護の必要性も大きなポイントだ(図表4)。人口が減少していく社会では、子育てをそれぞれの親が望む形でしっかり行うと同時に、両親ともに子育てを犠牲にすることなく働ける環境を整えることが不可欠である(注2)。そのためには、たとえば小学校までの6年あるいは義務教育終了までの15年子育てに専念した後でも、充実して働くことのできる社会を構築する必要があり、そのような生き方、働き方も「正規」とする仕組みづくりが必要だ。

 介護のために休職しなければならない状況も、高齢化社会を迎えて増えてきている(注3)。介護が子育てと決定的に異なる点は、いつまでという期限がみえない点である。そのため、介護の問題に直面した人々が、休職どころか退職せざるを得ない状況に追い込まれる場合が少なくない。そして長期の離職後に再就職先が見つからないとすれば、これはただでさえ労働人口が減少している中で、大きな社会的損失であろう。

図表4 就業を希望する非就業者が求職活動を行わない理由(年齢別)

(出所)総務省統計局「平成19年就業構造基本調査」のデータを基に作成。

有期雇用に関する誤解

 現行制度の問題点は、「正規」の雇用契約が、期限の定めのない雇用契約となっている点だ。これは、終身雇用で雇い続けることのみが正常な雇用契約だと考えるならば、ある程度合理性のあるものだろう。しかし、上で述べたように多様な雇用形態を正常な雇用形態だと考えるのであれば、もっと多様な形の正規雇用を考える必要がある。

 現状では、会社を移ることが大きなリスクとなっており、そのため多くの人々が今の会社に(たとえリストラや倒産のリスクを感じつつも)しがみつく形になっている。

 環境変化のスピードが速くなるにつれて、それまで有効だった技能や知識が急速に陳腐化する可能性も高まっている。それまでの能力では、これからの社会で通用しないリスクが高まっているのだ。だとするならば、今の会社にしがみつくことは、本質的な安心の保証にならないことは明白だろう。そして、それを続けると会社は多くの従業員に対して高い給料を保証し続けなければならず、それは結果的には倒産やリストラのリスクを高めてしまう。

 この点を改善するには、どこの会社に所属することになろうと、新しい環境に適応していける能力を身に着ける必要があり、それには、ある程度年齢を経た世代においても、本格的な知識や能力を身に着ける機会を与える必要がある。これからのセーフティネットとは、実はそういうものである必要があろう。

 この点は、今でも大手企業内においては、社員教育という形で行われてきている。しかし、それでは明らかに不十分である。それが可能な企業は日本全体からすれば、ごく限られているし、また大企業でもだんだんとそのような教育を提供する余裕がなくなってきている。さらに、既存企業内で行われる社員教育は、既存産業内の知識や技能開発に限られてしまう問題点もある。

 したがって、本格的な能力開発が、たとえば35歳から40歳位の間に行われることが、変化の激しい時代に75歳まで生き生きと働くためには不可欠なのである。そして、より理想的には、どの世代でも本格的に技能や知識を学び直せる仕組みが必要である。

非正規でない有期雇用を

 有期雇用契約になったとしても、すべてを今の非正規雇用のような雇用形態にしてしまうわけではない。長期の雇用契約も可能であるべきだし、また継続的な雇用契約も可能にすべきである。

 現行の非正規雇用の問題は、それが有期であることにあるのではなく、継続的な契約をすることに大きな制約があることだ。そのため、企業側にしてみても技能を高めさせるインセンティブに著しく欠ける。なぜ継続的な雇用契約に制約がかかっているかといえば、期限の定めのない雇用契約こそが「正規」であり、継続的に雇用するのであれば、その「正規」にすべきだという発想があるからだ。しかし、現実には継続雇用することと、期限の定めのない正規として雇用することには大きなギャップがあるため、多くの企業が正規としないことを選び、結果として継続的な雇用がされず、技能蓄積もされなくなっている。

 また、正規であれば技能形成が十分に行われているかといえば、この点についても大きな疑問符がつく。多くの企業に余裕がなくなっており、また正規社員であっても、いつ退社するか分らない状況下において、多大な投資を社員に対して行えなくなっている企業も少なくない。

 したがって、これはもはや、有期であれば問題で、期限の定めがなければ問題がないという単純な構図ではない。必要なことは、どのような雇用形態、どのような雇用期間であっても、将来にわたって活躍していけるような技能習得や、能力蓄積が行われる社会にすることである。

 今の日本ではスキルアップのための投資が全体としてうまく行われていない。これでは、環境変化に十分対応することができない。大きな問題がそれによって発生する前に、より積極的に、再教育が受けられるシステムを先回りしてきちんと用意しておく必要がある。

比較的長期の有期契約を継続させる

 そのためには、まず比較的長期の有期契約をうまく継続させていく、そのひな型の構築が必要である。その下で木目の細かい再教育・スキルアップの仕組みを構築していく必要があるだろう。これを企業内だけで行うのは、ほぼ不可能である。大学や大学院等の学校教育も積極的に活用していくことが求められる。

 現在、少子化にともなってどこの大学も、十分な定員を確保するのに苦慮している。このような環境下においては、再教育をうける中高年を受け入れて、適切な技能・能力開発を提供することは大学にとっても大きなプラスになるはずである。各企業で働いていた技能経験者を講師等として雇い入れることができれば直接的な雇用対策にもなる。

 もちろん、すべての能力開発を企業外でやったほうがよいとは限らない。ある程度、社内で働いてみないと身に着けられない能力や、社内での経験が必要な分野もあるだろう。そのためにも、試用期間的な雇用や、労働者側の希望による一時的な出向等、多様な働き方を認める必要がある。

雇用契約に標準的な流れを作る

 現状でも、それぞれの個人がその気になれば、何歳であろうと大学に入り直したり、新たな技能を習得するために退社することは可能なはずである。しかし、多くの人がそのまま働き続けている中で、自分だけ退社して学び直すことには、心理的抵抗も含めて大きなコストを伴う。我が国においては、このような大きな行動変化を社会全体で実現しようとすれば、ある程度制度化をして、ほとんどの人がそのような行動をとるよう仕向ける必要がある。

 そのためのひとつの方策は、期限の定めのない雇用契約は、20年の雇用契約として取り扱い、それ以外の、たとえば40年の雇用継続が必要と判断される場合には、明示的な長期有期契約をもってそれを行うようにすることである。それによって20年をひとつの区切りとすることが、標準ひな型契約(デフォールト契約)になれば 、20年を区切りとして学び直しをする基本構造が作りだされ、多くの人があまり抵抗なく学び直しをすることが可能になるだろう。ただし、そのための費用は必要になるため、短期的にはこのような教育費用を政府や企業がある程度負担することも必要になるだろう。また、その前に先に述べたような教育機関や教育機会の充実も必要となってこよう。教育プログラムを用意する側からしても、20年区切りで学び直すことが標準となれば、かなりの市場規模が期待できるので、プログラムも用意しやすくなる。

 もちろん、当事者双方が合意するのであれば、このような再教育の期間をとることなく、雇用の延長をすることも可能であるし、また最初から30年あるいは40年の長期雇用契約を妨げるものではない。有期契約は、その契約で明記された雇用期間の契約で実行される形にし、継続雇用も認める形とすればよい。

あくまでも一人一人がより生き生きと働けることが目標

 このようにすれば20歳から40歳、40歳から60歳、60歳から75歳までに、それぞれの望ましいと考える働き場所を選択する土壌ができあがることになる。繰り返しになるが、これは必ずしも、それぞれの期間で働き場所を変える必要がある、会社を転職する必要があることを主張しているものではない。働き場所によってはあるいは職種によっては、75歳までずっと同じところで同じ仕事をすることが、本人にとっても社会にとっても望ましい場合ももちろんあるだろう。そのようなケースで無理やり転職を強制するものではない。

 しかし、現実には、職場が自分に合わなくなったり、有する技能が周りの環境に合わなくなったり、やりたいことが変化したりと様々な理由で働き場所や働き方、技能を変化させたいと考える人たちが多くいることも事実である。それらの人たちが変化すると不安だからという理由でじっと固まって現状にしがみつく状況を打破する必要がある。それらの人たちが望み通りの働き場所を得て、より生き生きと働ける環境を提供すること。それこそが、政府が行うべき適切なセーフティネットの提供であり、またそうでなければ、労働力人口が急速に減少していく日本が、活力のある社会を実現していくことはできない。

柳川範之(やながわ のりゆき)

総合研究開発機構(NIRA)理事。東京大学大学院経済学研究科教授。慶應義塾大学経済学部卒。東京大学Ph.D.。専門は契約理論、金融契約。著書に『法と企業行動の経済分析』(2006)日本経済新聞社(日本経済図書文化賞)等。


引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
柳川範之 (2012)「多様な働き方が、あたらしいセーフティネットをつくる」NIRAオピニオンペーパーNo.8

脚注
1 日本証券業協会の第2回グリーンシート銘柄制度の検討に係る懇談会において、経済産業省より提出されたプレゼンテーション資料は、新規に創設されたベンチャー企業等は創業初期に従業員数が大幅に増加しており雇用創出効果が高いことを示している。
2 東京都が2011年に実施した「均等法、改正育児・介護休業法への対応等企業における男女雇用管理に関する調査」によると、労働基準法および雇用機会均等法に定める母性保護に関する制度をすべて有している事業所の割合は2割台半ばである。また、8割の事業所が男性の育児休業取得の取り組みを行っておらず、6割弱の事業所が女性育児休業取得者の復帰へのサポートを実施していないという結果である。
3 同調査によると、「要介護状態の家族がいる従業員」がいる事業所は4割弱に達している。

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