English version NIRAオピニオンNo.5 2011.10.28 歪みが制御不能になる前に財政の再建を この記事は分で読めます シェア Tweet 伊藤元重 総合研究開発機構(NIRA)理事長 概要 日本政府の抱える債務残高は世界の主要国の中でも際立って高い水準にあるが、国債の利回りは歴史的に見ても極めて低い水準で安定している。しかし、これにより経済の「活断層」には刻々と歪みが蓄積されており、ある時点でそれが撥ねて「地震」が起これば、日本の金融システムひいては経済社会全体に深刻な悪影響をもたらすことが懸念される。活断層の歪みが制御不能になる前に、着実に財政再建を実行すべきことを提言する。 PDFで読む English(PDF) INDEX 価格高止まりの日本国債 デフレが支える国債価格 経済の活断層にたまる歪み 国債価格の下落を起こす不安要因 財政再建は「増税と社会保障制度の見直し」で 価格高止まりの日本国債 日本政府の抱える債務残高は対GDP比で200%の水準に達しようとしている。世界の主要国の中でも際立って高い水準である。フローで見た財政収支でも、40兆円前後の税収で、90兆円を超えるような歳出を行っている。巨額の国債発行で何とか維持している状況である。誰が考えても健全な財政状況ではない。 さらに深刻なのが、少子高齢化による財政への負荷の増加である。社会保障費は膨れ上がる一方で、今後の財政運営はますます厳しくなるばかりである。過去の赤字が生み出した債務ばかりが取り上げられるが、本当に深刻なのは今後予想される社会保障費の膨張である。 このように数字上は深刻な財政状況であるにも関わらず、国債の価格は過去最高の水準をつけている。国債価格が高いほど国債の利回りは低くなる。10年物国債という長期の利回りでも、1%前後という歴史的に低い水準である。巨額の債務を抱える政府の債務証書である国債を、市場は非常に低い金利で引き受けている。こうした低い利回りは、結果的に政府の財政運営を助けているのである(図表1)。 しかし、国債の価格の高止まりが、ソブリンリスクの懸念を大きくさせる。引き受けた国債の価格が高いほど、そしてその保有残高が大きいほど、国債の価格が下落すれば金融機関は多くの損失を被ることになる。国債の金利が上がれば新規発行や借り換えに際して利払い負担が上がり、政府の財政運営はより困難になる。そもそも、史上最低とも言える超低金利の状態を永遠に続けることはできないだろう。 それでも、金融関係者の間には、国債金利は当分低い状態が続くと見ている人が多いようだ。日本の国債はその多くが日本の貯蓄資金によって消化されている。それを仲介している金融機関、たとえば銀行は、安全資産を潤沢に保有する必要性からも、現在の経済状況の下では国債へ資金を向けざるを得ない。潤沢な貯蓄資金があり、しかもそれを国債に向かわせざるを得ない状況では、国債の売り浴びせは起こりにくい。だから国債の金利は当分低いままだろうと言う。しかし、こんなに多くの国債を保有しても大丈夫か、と重ねて問えば、多くの人が不安な表情を見せる。誰も、国債の価格が今のまま高止まりするという確信は持てないのだ。 図表1 日本の財政状況と国債利回り 国債利回りの低位安定はいつまで続くのか (注)一般政府財政収支、同粗債務残高のGDP比の2011年の値は予測値。(出所)OECD, "Economic Outlook 89 Database,″ Datastreamより作成。 デフレが支える国債価格 多くの経済学者は、10年以上前から財政問題に警鐘を鳴らしてきた。このままの状態を続ければ、いずれ国債価格は暴落し、大変なことになるとも言ってきた。こうした見方に対して、「国債価格は高止まりではないか。経済学者はオオカミ少年だ」、というような批判が一部の政治家や金融関係者の間にあるようだ。しかし、こうした議論は危険だ。あたかも、これからも国債は大丈夫だという間違った見方につながりかねないからだ。 そもそも、ここまで政府債務残高が増えても、なぜ国債の利回りがかくも低いのか、つまり国債の価格がかくも高いのか、という点について確認しておく必要がある。 その要因の1つとしてデフレの存在が大きい。この10年以上、日本経済はデフレ的な状況にあった。物価が低下傾向にあるだけでなく、企業も家計もそして金融市場もそれを反映した行動をとってきた。家計部門はひたすら貯蓄に励んできた。将来に不安を抱えるほど、不要な消費は控える傾向にある。 図表2にあるように、株価の変動等による影響が見られるものの、家計部門が保有する(負債を除いた)ネットの金融資産残高の年間可処分所得に対する比率は上昇傾向にあり、最近では4倍前後まで拡大している。他の主要国の数値は低いだけでなく、これほど顕著には増えていないことと比べると、日本の家計部門がいかに防御的な姿勢であったかが分かる。だから内需がふるわないわけだが、同時に膨大な貯蓄資金が金融市場へ流入している。 企業部門も似たような行動をとった。バブル崩壊後、日本の企業はバランスシート調整を進めてきた。負債の額を縮小し、設備投資を抑え、そしてリストラを進めてきたのだ。企業はかつてない規模の手元資金を蓄積している。だから内需がふるわなかったわけだが、企業の貯蓄資金も金融市場に流れ込むことになる。 金融市場に流れ込んだ貯蓄資金は、大量の国債の購入につながる。バブル崩壊、90年代後半の金融危機、そしてリーマンショックと、次々に起きる金融危機の中で、金融市場の資金はリスクの高い資産への投資には回りにくく、デフレと景気低迷で企業の資金需要も弱かった。BISの下での金融規制のルールも、金融機関に「安全資産」である国債の購入を進める誘因を与えている(注1)。 デフレが続く限り、金利は低い水準を続けるだろう。金利が上がらない限り、国債を保有していても問題はない。デフレの下で当分は家計や企業から潤沢な貯蓄資金が金融市場に流れ込んできて、国債を買い続け、国債の低金利の状況は続く。金融市場はそう考えているようである。本当にいつまでも今のような状況が続くのだろうか。 図表2 家計の純金融資産残高・年間可処分所得比率の推移 (出所)OECD, "Economic Outlook 89 Database″より作成。 経済の活断層にたまる歪み シカゴ大学のラグラム・ラジャン教授は、『フォールト・ラインズ』という本の中で、経済の歪みを活断層に例えている。活断層に歪みやエネルギーがたまっていけば、ある時点でそれが撥ねて地震を起こす。同じように経済の活断層に歪みがたまれば、それがある時点でバブル崩壊や国債暴落などの危機を起こす。 活断層に歪みが蓄積されても、地震が来るまでは地面はびくともしない。それでも地震学者は、地層の中の活断層を調べて地震を警告する。東海沖や東南海沖に深刻な地震のリスクがあることは以前から指摘されてきた。これまでの所、この地域では深刻な地震は起きていない。だからといって地震学者をオオカミ少年と批判する人はあまりいないはずだ。 政府債務にも同じような面がある。国債の金利が低い限り、政府債務が巨額に上っても、その存在が目に見える形で問題を起こすわけではない。政府が赤字を垂れ流し続けても、市場が国債を吸収し続ける限り当面、問題は起きない。すでに述べたように、デフレ的状況が続けば、国債を消化しやすい環境が続く。しかし、それによって政府の債務残高が膨らんでいくほど、経済の活断層の存在もより深刻になっていく。地震の場合でも、活断層の歪みが小さいうちに小さな地震が頻発して起きれば、エネルギーが放出されて大きな地震には至りにくくなる。同じように、政府債務がそれほど大きくならないうちに国債利回りが上がるようであれば、問題はそれほど深刻にならなくてもすむ。 残念ながら、問題はより深刻な状況に向かって進んでいる。歳出規模の半分以下の税収しか集められない予算は異常としか思われない。財政規律がまったく働いていない。このまま放置しておけば、事態はさらに深刻になってしまう。国内に潤沢に貯蓄資金が存在すること、そしてそれが国債に向かわざるを得ない状況であることが、結果的に財政の規律を弱めることにつながっている。 現在の状態を続けていったとき、いつ国債価格の暴落ということが起きるのだろうか。地震の時期を当てるのが難しいように、国債市場の異変が起きる時期を当てるのは難しい。いま大変な状況にあるギリシャだが、ほんの数年前まではその国債は安定的に消化されていた。また過去のいろいろな事例を見ても、100%程度あるいはそれ以下の債務比率で財政危機や破綻に陥った国もあれば、300%近い債務比率でも財政再建を果たした第2次大戦後のイギリスのようなケースもある(図表3)。 図表3 過去の財政危機/破綻事例における政府債務残高のGDP比 財政危機/破綻を引き起こす政府債務の水準は事例によってまちまち (注1)「財政危機」とは財政悪化を背景に金利高騰や通貨暴落等に陥ったり、IMF等に支援を要請したりする状態、「財政破綻」とは政府債務のデフォルトや急激なインフレ等が発生する状態を指す。(注2)第2次大戦後のイギリスは、終戦による軍事支出の縮小や、戦後の経済成長、インフレ等の好条件の下で極めて高い水準にある政府債務残高の引下げに成功した。(出所)NIRA(2011)「財政再建の道筋―震災を超えて次世代に健全な財政を引継ぐために」NIRA研究報告書. 国債価格の下落を起こす不安要因 国債価格の下落を起こすような要因はいくつか考えられる。1つはデフレの終焉である。これまでの説明からも明らかなように、デフレが終息し企業の資金がより積極的に投資に向かえば、国債購入を支える資金が細ってくる。また、市場にインフレ予想が生まれてくれば、金利がそれを反映して上昇し始めるだろう。日本のデフレはそう簡単に解消するような状況にはないが、だからといっていつまでもデフレが続くべきでもない。 もう1つは、海外で起きている財政問題だ。欧州で起きている財政危機は、とりあえずは「安定資産」である円への資金移動を起こしている。これが円高要因であり、国債の価格をさらに高いものにしている。しかし、先進国が一斉に高齢化するなかで、欧州でも米国でも政府の財政運営が難しくなっている。財政問題は先進国共通の問題であり、それがソブリンリスクという形で表面化し、国境を超えて日本に波及してこないという理由はない。 第3は高齢化の進展である。日本の家計部門の貯蓄は旺盛であると言ったが、高齢化によって引退世代が増える中で、足下での家計部門の貯蓄率は下がってきている。このままの状況が続けば、日本の貯蓄資金が日本の国債をすべて支えるという状況は、いずれは崩れる。 不安要因はまだある。政治リスクである。市場が国債を低金利で支えているのは、いずれは財政健全化が実行されると期待されるからだ。日本国民の税負担はまだ低い。増税が行われて社会保障制度の改革が実行されれば、長期的に日本の財政は健全化する。そう考えれば、当面は政府債務が増えても心配することはない。市場はそう見ているようだ。ただ、財政運営を巡る政府の混乱を見ていると、本当に今の日本の政治が財政健全化を実現できるのかという悲観的な見方が広がってくる可能性がある。そうした事態になれば、国債価格が高止まりしているという保証はないのだ。 「皆で渡れば怖くない」。これは資産市場での群集心理をうまく言い当てた表現である。多くの金融機関が国債を購入しているのだから大丈夫だ、というのが群集心理である。しかし、群集心理は1つ間違えると、逆方向に動きだす可能性がある。他の金融機関が国債を売りに出たとき、自分だけ持ち続けるというわけにはいかないからだ。政治の動きはこうした群集心理に影響を及ぼす可能性がある。 財政再建は「増税と社会保障制度の見直し」で 「震災と原発事故が起き、世界的な景気後退が懸念される今のような状況の下で増税などもってのほかだ」。景気刺激積極論者はこう主張する。別に今に限ったことではない。バブルが崩壊してから20年近く、いつもこの論議で増税は先送りにされてきた。こんな議論を続けていたら、永遠に増税はできないだろう。政府の財政再建が先延ばしになるほど、財政再建のソフトランディングは難しくなる。その典型的なケースが今のギリシャだ。ギリシャ政府は懸命に増税と歳出削減をしようとしているが、これは強烈な劇薬だ。この劇薬で国民の生活は大打撃を受け、景気がさらに悪化すれば税収がさらに減少する。そこでさらに強い財政健全化策が求められる。悪循環である。国民はそうした政府の姿勢に反発を強めている。 外から見れば、ギリシャ国民の行動には納得がいかないだろう。公務員天国で放漫な公費支出に依存しきってきたから財政がおかしくなる。財政再建で生活が苦しくなったからといって文句を言うのはおかしい。ギリシャの3分の1程度の所得しかないスロバキアは、厳しい財政健全化でEUに加盟した。なぜあの身勝手なギリシャ国民を、貧しい自分たちが救わなくてはいけないのだ、とスロバキア国民は考えているはずだ。 しかし、これが財政再建の難しさの本質だ。財政がおかしくなるのは、国民の税負担が軽すぎるか、過剰な歳出が行われるからだ。低い税負担と手厚い公的支援は国民の望むものであるが、それをやりすぎるのは「衆愚政治」(ポピュリスト政治)以外の何ものでもない。衆愚政治が進めば、苦しみを伴う財政再建のソフトランディングは困難になる。ギリシャは、ユーロ圏に入っていなければ、とっくに財政破綻というハードランディングになったはずだ。もちろん、ユーロ圏に入っているからといって、今後財政破綻にならないという保証はない。 日本は衆愚政治なのだろうか。私は政治の専門家ではないので、コメントは差し控えたい。ただ、増税ができないまま、そして社会保障費を見直せないまま、ただひたすら赤字を垂れ流し続けるのであれば、「衆愚政治」と言われても仕方ない面はある。 財政健全化にはマジックはない。一部の政治家に、意識的にインフレを起こせばよいと考える人たちがいる。たしかにデフレ脱却のためにより積極的に金融政策を活用するという可能性はある。しかし、巨大化した政府債務を大きく縮小させるようなインフレ策が仮に可能であったとしても、それが経済に及ぼす影響は甚大なものになるだろう。それこそハードランディングである。 財政再建でソフトランディングを実現するには、増税と社会保障制度の見直しを進めていくしかない。それも、改革を先延ばしするほど、そのソフトランディングは難しくなる。 財政再建には時間がかかる。しかし、できるだけ早い段階で長期的な財政再建の姿を明らかにし、それを着実に実行していく姿勢を見せることが重要である。日本の財政は長期的にサステイナブル(持続可能)であると市場に見せることが、国債価格の暴落を防ぐ最良の手段であるからだ。 政府債務の問題を、活断層を比喩として説明した。現実の活断層は地表から掘っていってその歪みを除去することは不可能である。地震の可能性があったら、その事実を受け止めて、被害が最小に抑えられるようにするしかない。しかし、経済の活断層は違う。政府債務の歪みは、政策的な対応によって除去することが可能であるのだ。歪みが制御不可能になるまで巨大化する前に、一刻も早く経済の活断層の歪みを除去しなくてはいけない。 参考文献 NIRA(2011)「財政再建の道筋―震災を超えて次世代に健全な財政を引継ぐために」NIRA研究報告書.Raghuram G. Rajan(2010), Fault Lines: How Hidden Fractures Still Threaten the World Economy, Princeton University Press. 邦訳はラグラム・ラジャン著、伏見威蕃他訳(2011)『フォールト・ラインズ―「大断層」が金融危機を再び招く』新潮社. 伊藤元重(いとう もとしげ)総合研究開発機構(NIRA)理事長。東京大学大学院経済学研究科教授。東京大学経済学部卒。ロチェスター大学大学院経済学博士号(Ph.D.)。専攻は国際経済学、流通論。93年東京大学経済学部教授を経て、96年より同大学大学院経済学研究科教授、2006年2月より総合研究開発機構(NIRA)理事長。 引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。伊藤元重(2011)「歪みが制御不能になる前に財政の再建を」NIRAオピニオンペーパーNo.5 脚注 1 BIS規制とは、銀行の財務上の健全性を確保することを目的として国際決済銀行(Bank for International Settlements)で合意された銀行の自己資本比率規制を指す。銀行の自己資本を分子、リスクの大きさを分母とする自己資本比率について一定の水準を維持することを求めているが、分母となる資産等の額を算定する際に適用されるリスク・ウェイトは、自国の国債等については0%とされている。 1 BIS規制とは、銀行の財務上の健全性を確保することを目的として国際決済銀行(Bank for International Settlements)で合意された銀行の自己資本比率規制を指す。銀行の自己資本を分子、リスクの大きさを分母とする自己資本比率について一定の水準を維持することを求めているが、分母となる資産等の額を算定する際に適用されるリスク・ウェイトは、自国の国債等については0%とされている。 シェア Tweet ⓒ公益財団法人NIRA総合研究開発機構※本誌に関するご感想・ご意見をお寄せください。E-mail:info@nira.or.jp 研究の成果一覧へ