企画に当たって

熊本地震の教訓

支え合いと学び

谷口将紀

NIRA総合研究開発機構理事/東京大学大学院法学政治学研究科教授

KEYWORDS

人ごとではない、熊本から学ぶ、大都市で教訓を生かす、3日プラス1日分、経験を「翻訳」

人ごとではない地震災害

 2016年4月14日午後9時26分、熊本県を震源とするマグニチュード6.5、最大震度7の地震が襲った。ところが、これは「前震」にすぎなかった。1日置いた4月16日午前1時25分に、マグニチュード7.3、またもや最大震度7の「本震」が熊本を直撃したのである。

 本震の震源である布田川断層帯について、2013年に政府の地震調査委員会は、30年以内に大地震が発生する確率をほぼ0~0.9%と評価していた。この数値は大地震の発生可能性が「やや高い」カテゴリーに入り、予測が全く外れた訳ではないが、さりとて地震が差し迫っているという認識が現地で広く共有されていたとは言えない。日本の陸域には、約2,000もの活断層がある。

 現在、建築基準法が定める耐震基準は、震度6強から震度7程度の地震で倒壊や崩壊しない水準とされている。しかし、震度7が2度起きることは想定されていない。今回の熊本でも、新耐震基準導入以降に建てられたものを含めて、前震には耐えたものの、本震で持ちこたえることができずに倒壊した住家が相次ぎ、被害を拡大した。

 熊本地震の余震は発災後の15日間で2,959回に上り、多い時には県人口の約1割が避難所生活を強いられた。メインアリーナが損傷したこともあり、廊下まで避難者が溢(あふ)れかえった益城町総合体育館の様子を記憶されている方も多いだろう。指定避難所以外に逃れた人や車中泊の人を加えれば、避難者数はさらに増える。

 突然に発生する大地震、想定を超える住家被害、収容能力を上回る避難者。これらは熊本だけが例外なのではない。豊かな自然に恵まれた日本は、災害とも背中合わせであり、今回熊本が経験した事態は日本中のどこでも起こりうる。

 筆者は「くまもと復旧・復興有識者会議」の委員として、発災直後から国・熊本県・自治体・支援団体や住民を挙げた復旧・復興への取り組みを間近に見てきた。熊本に何回も通ううちに、熊本を支援することにとどまらず、熊本地震は人ごとではなく、むしろわれわれが「熊本から学ぶ」ことが必要との思いを強くした。こうした観点から、今号の「わたしの構想」は、さまざまなお立場から復旧・復興に携わってこられた方々にお話を伺った。

平時から災害対応の態勢を整備せよ

 蒲島郁夫熊本県知事は、自治体に向けた教訓として、躊躇(ちゅうちょ)なく支援要請する初動の大切さ、支援物資を各避難所に行き届かせる受援態勢を平時から整えておくこと、過去の事例や他の被災地支援の経験から災害発生時の対応力を高めること、の3点を挙げる。

 自ら阪神・淡路大震災の被災者でもあり、東日本大震災復興構想会議議長やくまもと復旧・復興有識者会議座長を歴任された五百旗頭真兵庫県立大学理事長は、政府や自治体、民間支援の各レベルにおいて、過去の災害で被災して助けられた人が、そのノウハウを蓄積し、次は他の人を助けるというサイクルが確立されつつあると指摘する。

 かねてから「減災」という言葉を提唱してきた、災害研究の第一人者である河田惠昭関西大学社会安全研究センター長は、熊本地震でも浮き彫りになったように、現在の災害救助法では首都直下地震や南海トラフ地震に到底対応できず、「防災省」を設置して災害対応の体制を整えるべきと主張する。

 被災直後から避難所運営の最前線に立った堀田直孝西原村議会議員(当時税務課長)は、かねてから住民全員参加・発災対応型の防災訓練を実施し、また地域の世帯リストを活用しながら避難者自身がそれぞれのスキルを持ち寄って避難所の運営に当たった地域の団結が「奇跡の集落」と呼ばれた人的被害の小ささの要因と振り返る。

 自治体職員には人数の限りがあり、被災地支援にはボランティアの存在が欠かせない。今回、地域のニーズと支援者のマッチングを行い、偏りなく支援が行きわたるために重要な役割を果たしたのが「熊本地震・支援団体火の国会議」だ。同会議で主導的役割を担った樋口務くまもと災害ボランティア団体ネットワーク(KVOAD)代表は、平時から行政・社会福祉協議会・NPOの三者が連携して、受援態勢を整備しておくことの重要性を説く。

大都市でいかに教訓を生かせるか

熊本地震の経験から何を教訓として学べるか

 5氏が挙げた教訓の中には、大都市でも直ちに生かせるものが多い一方で、熊本だからこそ可能であった部分もある。たしかに、地域のつながりや人間関係が希薄な大都市で、それぞれの住民の職業やスキルを平時から把握し、避難所での共助に役立てるのは難しいかもしれない。しかし、例えば3日分の食料や水を備蓄するようにとされているところを、「3日プラス1日分」に改め、その「プラス1日分」は地域の要支援者や帰宅困難者のために役立てるなど、熊本の経験を全国に向けて「翻訳」できるはずだ(ちなみに東京都では、事業者に対しては、外部の帰宅困難者のために10%程度の量を余分に備蓄するよう勧めている)。紙幅の都合で、本企画で紹介できたのは熊本で起きたことのごく一部である。関心のある読者はぜひ「熊本地震デジタルアーカイブ」を訪れていただきたい(https://www.kumamoto-archive.jp)。

熊本地震の被災者の皆さまに心からのお見舞いを申し上げます。

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熊本の経験から何を学ぶべきなのか。自治体や国、住民はどのような教訓を得ることができるのか。

「初動」・「受援」・「対応」―熊本地震 3つの教訓

蒲島郁夫

熊本県知事

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初動の重要性、遠慮の文化、受援態勢の整備、不測の事態への対応力、スピード感

 熊本地震から2年が経過した。この間の皆さまからの温かいご支援にあらためて御礼申し上げるとともに、熊本地震から得た3つの重要な教訓を全国の自治体に伝えたい。

 1つ目は、「初動の重要性」。発災後、まずは行政が被害状況を把握して、「手に負えない」と判断してから自衛隊等に派遣要請を行うものと考えがちだが、それでは手遅れになる可能性がある。行政には「遠慮の文化」があるが、それを捨てないと初動が間に合わない。熊本では、地震発生の夜、1時間後に躊躇なく自衛隊に災害派遣を要請したことで、前震から2日後の本震にも対応できた。自衛隊や消防、警察等で約1,700人を救助することができたのは、迅速な初動対応の成果だ。

 2つ目は、「受援力」。熊本地震では、県からの要請を待たずに、国から「プッシュ型」で水や食料等の支援物資を送ってもらい、県民の安心感につながった。しかし、受け入れる側の体制が整っておらず、結果として物資が滞留し、各避難所に行き届くまでに時間がかかったことは失敗だった。平時から受援体制を整えておくことが大事だと痛感した。

 3つ目は、不測の事態への「対応力」。どれだけ備えていても、災害はいつどのような形で起こるか分からない。阪神・淡路大震災、東日本大震災、そして今回の熊本地震の経験を学び、今後に生かさねばならない。何が起こり、何が問題となったのか、良かった点も悪かった点も記録に残し、包み隠さず発信していきたい。熊本県では、発災から3カ月間の応急対応についての検証報告書を書籍化した。また、4カ月目以降の対応についても検証を行い、その結果を公表した。これらをぜひ全国の首長や自治体職員に読んでいただきたいと願っている。各地の自治体職員を被災地へ派遣し、災害対応のノウハウを学んでもらうことも、「対応力」を高めることにつながるはずだ。

 熊本県では、地震発生直後から、刻々と変わるフェーズに応じて全力で対応してきた。しかし、今なお35,000人以上の方々が仮設住宅等で生活されており、この方々のすまいの再建を第1に、引き続き復旧・復興にスピード感を持って取り組んで参りたい。

識者が読者に推薦する1冊

五百旗頭真〔2016〕『大災害の時代―未来の国難に備えて』毎日新聞出版

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熊本の経験から何を学ぶべきなのか。自治体や国、住民はどのような教訓を得ることができるのか。

これまでの経験を生かし、巨大災害に備えよ

五百旗頭真

兵庫県立大学理事長/ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長

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創造的復興、ノウハウの蓄積、国民共同体的な準備、日本列島の地震活性期

 阪神・淡路大震災でわが家が全壊し、私のゼミ生を含め6,434名が犠牲者となった。その悲惨な状況は戦後日本の平和な時代の認識を超える。その体験から、災害対処が私の宿命だと考え、被災地の復旧・復興に関わってきた。幾度かの大震災を経て、日本社会は変わった。まず、単なる復旧か、復興か、どこまで国費で支えるのか、という問題がある。阪神・淡路の際は、公共施設を「元に戻す」までしか国費の対象にならなかったが、東日本大震災では「創造的復興」を基本方針として、まちの再建を国費で100%負担することになった。熊本でも、例えばがれき処理について、99.75%まで国費負担とした。責任感を共有するため、わずかでも地元が負担することが大切だ。また、阪神・淡路の3年後の立法により、個人の住宅再建にも国費が投じられるようになった。

 幸い、「被災して助けられた人が、そのノウハウを蓄積し、次は他の人を助ける」という順繰りができている。例えば、阪神・淡路の時は、被災地の要請に基づく支援が原則であり、必要物資が被災地に届くのが遅れた。それを体験した関西広域連合の自治体は、東日本大震災に際して、要請を待たずに、必要と思われる物資を送った。今回の熊本地震では、政府自身が「プッシュ型」支援を敢行した。

 民間支援者の質やスキルも上がっている。阪神・淡路大震災は「ボランティア革命」と言われたが、実は素人の集団だった。その後の中越地震などを経て専門化し、災害支援のNGO、NPOが組織された。彼らが最新の知識やノウハウを蓄積するのに対し、被災地はいつも初体験であり、受援態勢ができておらず、熊本も当初、戸惑いを隠せなかった。

 「この地に風水害はあるが大地震はない。」かつて関西でよく言われていた言葉が、熊本でも通念となっていた。しかし、アジア大陸と太平洋の両側から圧迫されている日本列島は、どこでも被災地になりうる。日本列島の地震活性期はまだ続く。今後起こりうる超巨大災害を前提に、自助・共助・公助を結ぶ国民共同体的な準備が必要だ。

識者が読者に推薦する1冊

五百旗頭真〔2016〕『大災害の時代―未来の国難に備えて』毎日新聞出版

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熊本の経験から何を学ぶべきなのか。自治体や国、住民はどのような教訓を得ることができるのか。

「防災省」設置で被害を小さくする努力を

河田惠昭

関西大学社会安全研究センター長

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減災・縮災、国家経済への打撃、FEMA、防災省、超巨大地震に備えた準備と対策

 いざ災害が起これば、被害を「ゼロ」にすることはできない。ならば事前に準備し、被害を極力小さくすることが重要である。私は30年ほど前から「減災」を唱えており、最近ようやく定着してきた。加えて、被災からの復旧・復興を早める「縮災」も重要だ。

 しかし、70年前に作られた現在の災害救助法では、首都直下地震、南海トラフ地震などの災害に、到底、太刀打ちできない。現行法では、政府・自治体が避難所で食料などを被災者に無料で支給することを定めているが、熊本地震でも搬送が滞り、実行できなかった。そこで、私も参加した内閣府のワーキンググループでは、超巨大地震が起きた際の、支援のあり方や物資輸送の円滑化、被災者の生活環境などについて議論し、準備と対策を求める報告書を政府に提出した。それを受け政府は、これから起こりうる大災害に備えるところだ。

 わが国の重要な課題の1つは、災害による甚大な被害の費用をどのように負担するかである。2017年夏に巨大ハリケーンがアメリカに襲来し、史上最大の経済・社会被害をもたらした。しかし、アメリカでは経済被害を90%以上保険でカバーしているので、国の経済はびくともしないですんでいる。一方、巨額の債務をかかえる日本では大きい災害が起こると、経済に大きな打撃となる。

 さらに、体制が脆弱(ぜいじゃく)であることも問題だ。アメリカでは連邦緊急事態管理庁(FEMA)に常時4,000人が働いており、さらに災害時には4,000人が一時的にサポートする体制になっている。中国でも今年の全人代で、危機管理省の創設を決議した。他方、わが国では、内閣府の防災担当はわずか90人ほどで、それでは国難災害に到底対応できない。日本も「防災省」を設置し、災害対応の体制を整えるべきだ。国が衰退するという一大事に関わることなので、国民的な議論をして理解を深めながら進めていきたい。

 減災といっても特効薬があるわけではなく、価値観が多様化している中で被害を小さくし、復興を早くするといった正解のない問題を解いていかなければならない。

識者が読者に推薦する1冊

河田惠昭〔2018〕『津波災害 増補版―減災社会を築く』岩波新書

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熊本の経験から何を学ぶべきなのか。自治体や国、住民はどのような教訓を得ることができるのか。

住民の意識が「奇跡」を起こす

堀田直孝

熊本県西原村議会議員

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奇跡の集落、住民に震災を意識させる、住民共助の避難所運営、得意分野を生かした役割分担

 西原村は、熊本地震の震源となった断層の上に位置していながらも、人的被害を小さく抑えることができたことから、「奇跡の集落」と呼ばれている。それは偶然ではなく、普段からの備えがあったおかげで起こせた奇跡である。

 熊本は地震のない安全な地域と言われていたが、西原村では断層の存在をリスクと認識して「いつか必ず地震がくる」と考え、毎年、住民全員の参加、発災対応型の防災訓練を実施してきた。「まさかないだろう」という気持ちでなく、「震災があり得る」と想定して常にシミュレーションを行うことで、住民のマインドも変わる。「想定外」の震災を「想定内」にしておいたため、適切な避難行動や人命救助をすることができた。

 熊本地震の直後、西原村の河原小学校に設置した避難所には、約800人の村民が避難していたが、村の職員はわずか5人。当時、村の税務課長であった私が「総括」となり、「役場の支援は見込めない。ここにいる皆さんで生き抜きましょう」と呼び掛けた。避難所は行政が運営することになっているが、実際には自治体職員の人数は少なく自身も被災しているため、現実には難しい。「住民共助の避難所運営」が必要である。

 避難者の中には、さまざまな職業の人がおり、それぞれが持っている技術を集めれば、いろいろなことができる。消防団が作成していた地域の世帯リストには、住民の氏名や世帯構成だけでなく、職業や資格なども明記していたため、避難所での役割分担に大きく役立った。看護師や保健師の方には救護係、学校給食のベテラン調理師には炊き出し係、元自衛官には炊き出し訓練の経験を生かし配給係を担当してもらった。避難者が得意分野を生かすことで、スムーズな運営ができた。また、子供たちも掃除や小さな子の世話などを担当した。全員が役割を担い、一人ひとりが存在感を持つことで、ストレスのない避難所生活を送ることができたのだと思う。

 災害が起きた時、公的な支援が本格的に始まるまで最短でも3日間かかる。その間、ただ支援を待つのではなく、いかに住民の自助・共助で生き残るかが大切である。

識者が読者に推薦する1冊

円城寺雄介〔2016〕『県庁そろそろクビですか?―「はみ出し公務員」の挑戦』小学館新書

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熊本の経験から何を学ぶべきなのか。自治体や国、住民はどのような教訓を得ることができるのか。

NPO、行政、社協の三者連携が「受援力」を高める

樋口務

くまもと災害ボランティア団体ネットワーク代表

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連携のネットワーク、支援のモレ・ムラ、JVOAD、ニーズと人のマッチング

 被災直後に、全国から集まるボランティアに十分な活動をしてもらうには、被災地側が態勢を整備しておくことが重要だ。蒲島知事は、外部からの支援を受け入れる力である「受援力」の不足を反省点として挙げているが、それは、被災状況の情報を関係者間で共有し、連携のネットワークを使って支援団体と被災した人々とをつなげる仕組みを作ることで克服することができる。東日本大震災の時は、ボランティア活動や支援が全体に行き届かず、支援に「モレ、ムラ」が見られた。情報が偏り、一部地域だけに支援が集中したのだ。その反省から、地域、分野、セクターを超えて、NPO組織やボランティアの情報収集や分担の調整を行う「全国災害ボランティア支援団体ネットワーク(JVOAD)」の設立準備が進められていた。その最中に熊本震災が起きた。

 今回が初めての支援活動となったJVOADは、発災直後に、NPO・NGO団体だけではなく、国や県の行政機関なども交えた情報交換や連絡調整の場を作った。「熊本地震・支援団体 火の国会議」だ。当初は、頻繁に報道される一部地域だけに支援が集中し、県南部は見過ごされてしまったが、地域のニーズと活動団体や人のマッチングを行うことで支援の偏りは解消した。NPO同士の連携は進んでいるが、やはり、行政や社会福祉協議会も含めて三者が連携することが重要であることを痛感した。

 ピーク時には支援活動の団体数は350に上ったが、時間とともに域外からの支援も減ってきた。この連携を一過性のつながりに終わらせたくないという思いから、地元の団体・組織に声をかけて、熊本における活動団体「JVOAD」を組織した。情報収集、連絡調整に加えて、復旧・復興に向けた支援策の提言、支援人材の育成を行っている。

 2016年5月に修正された政府の防災基本計画や2017年度の防災白書では、それまで社会福祉協議会のみがしていたボランティアの受け入れを、国や自治体、NPOなども協力して行うことや、県域でNPOと行政が連携することが盛り込まれた。熊本地震がいい見本になったのだと思う。

識者が読者に推薦する1冊

稲垣文彦ほか(著) 小田切徳美(解題)〔2014〕『震災復興が語る農山村再生―地域づくりの本質』コモンズ

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)NIRA総合研究開発機構(2018)「熊本地震から学ぶ」わたしの構想No.36

ⓒ公益財団法人NIRA総合研究開発機構
編集:神田玲子、榊麻衣子、川本茉莉、新井公夫
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