わたしの構想No.37 2018.08.10 IT大国 中国の前進 この記事は分で読めます シェア Tweet 急速にIT先進国へと変貌を遂げた中国。その要因は何か。今後世界にその影響は波及するのか。 PDF(日本語) ABOUT THIS ISSUE企画に当たって IT大国中国の前進 それを支えた巨大なサンドボックス 東和浩 NIRA総合研究開発機構理事/株式会社りそなホールディングス取締役兼代表執行役社長 中国のIT産業が急発展している。中国の三大IT企業「BAT」(バイドゥ、アリババ、テンセント)は、今や中国経済のけん引役だ。スマートフォンを活用したEコマースや電子決済等のサービスも次々に提供され、上海や深圳(しんせん)は、シリコンバレーと並ぶイノベーションの拠点とまでいわれている。一昔前までは「世界の工場」と呼ばれていた中国は、なぜ急速にIT先進国へと変貌を遂げたのか。今後、中国のIT技術は世界に大きな影響を及ぼしていくことになるのだろうか。現代の中国の実像に精通する5人の識者に聞いた。 EXPERT OPINIONS識者に問う 中国はいかにしてIT大国となったのか。今後、中国の技術力は世界にどのような影響を与えうるのか。 伊藤亜聖東京大学社会科学研究所准教授 高口康太ジャーナリスト 関志雄株式会社野村資本市場研究所シニアフェロー 林幸秀国立研究開発法人科学技術振興機構研究開発戦略センター上席フェロー 岡野寿彦株式会社NTTデータ経営研究所シニアスペシャリスト インタビュー実施:2018年5月インタビュー:尾崎大輔(NIRA総研研究コーディネーター・研究員)、渡邊翔太(同) 編集:新井公夫 データで見る 多数の革新的な新興企業の存在:世界のユニコーン企業の分布(2018年6月現在) 先進サービスに対する受容性:各国のフィンテック普及率 大規模なマンパワー:主要国の研究者数の推移 豊富な研究資金:主要国の研究費の推移(OECD購買力平価換算) 企画に当たって IT大国中国の前進 それを支えた巨大なサンドボックス 東和浩 NIRA総合研究開発機構理事/株式会社りそなホールディングス取締役兼代表執行役社長 KEYWORDS 電子決済の普及、第4次産業革命、既存技術の組み合わせ、スピード感のある行動と柔軟な発想、サンドボックス 中国IT産業の急成長 「アリペイ」や「ウィーチャットペイ」等のサービスが日本でも訪日中国人向けに始まった。これらは、中国で急速に普及している決済サービスで、現金を持ち歩かなくてもスマートフォンをかざすだけで決済が瞬時に完了する。すでに、中国では電子決済による支払いの比率が約6割を占めている。その水準は、約2割の日本と比べて、圧倒的に高い。日本では、経済産業省が2025年までに、40%到達を目標に掲げたところだ。 こうした中国における最先端のIT技術の普及は、キャッチアップ段階にあった一昔前の中国を考えれば、目を見張るものがある。出張等で中国を訪れる度に、「かつては、先進国を追いかける立場であった中国が今や世界の最先端を走っている」ことを肌で感じる。実際、中国の3大IT企業といわれるBAT(バイドゥ、アリババ、テンセント)をはじめとする多くの中国のIT企業が、巨大な国内市場を背景に世界で存在感を示している。今や、世界のトップIT企業10社のうち、2社を中国企業が占めており、その2社の企業が提供するサービスは、決済サービス・旅行サイト・シェアサイクル等々、多岐にわたる。 なぜ、新興国の中で中国だけが1人抜け出し、第4次産業革命にスピード感のある対応を行い、IT先進国へと変化していったのか。また、今後中国のイノベーションは世界に対して、どのような影響を与えていく可能性があるのだろうか。この問いを、5人の識者に投げかけた。 社会実験を許容する中国政府のスタンス 中国のIT産業が急速な発展を遂げた要因の1つに、新しいビジネスに対する中国政府のスタンスがある。今回話を聞いた識者の多くが、中国政府は民間企業による社会実験を許容する姿勢を持っていることを指摘している。伊藤亜聖氏(東京大学)は、中国は新領域のビジネスでグレーゾーンがあるのはやむを得ないととらえており、経済特区のような形で地域に一定程度の自主権を持たせ、自由な活動を黙認する地方実験の仕組みが、中国にはあると述べている。さらに、高口康太氏(ジャーナリスト)は、政府主導の産業政策ではなく、民間IT企業の自由な事業展開に基づく「野蛮な成長」を公認したことで、世界的な企業が誕生するに至ったと指摘する。このような「まずは自由にやらせてみる」という政府の姿勢は、特に今日のハイテク業界における製品・サービス開発のように、新技術を活用して顧客の新たなニーズを探りながら進めていく場面では、より積極的かつ自由にアイデアを実装できるという面で、決定的な差を生む。 また、中国企業はものづくりという点では最先端の技術を生み出すには至っていないが、既存技術を組み合わせて新たな製品・サービスを提案することには極めて優れていると、多くの識者が指摘する。中でも関志雄氏(野村資本市場研究所)は、中国の技術は、かつてコピー(模倣)と揶揄(やゆ)されたが、今や海外の技術を吸収・消化し、積極的に活用する方向に力を発揮していると説明している。同時に、その成功の背景には、惜しみなく注がれてきた中国の圧倒的な人的資源と資金があることを忘れてはならないだろう。中国が持つリソースと政府のスタンス、それと中国企業の長所がうまくかみ合って、現在の中国IT産業の急成長につながったのである。 オリジナリティーに課題 急成長の裏では、課題も浮き彫りになっている。中国は既存技術の組み合わせで新たな価値を生み出すことに優れている反面、林幸秀氏(科学技術振興機構研究開発戦略センター)は、オリジナリティーや基礎技術に裏付けられた開発という面ではまだ弱く、基礎研究に注力できるような研究のシステムも整っていないと指摘している。また岡野寿彦氏(NTTデータ経営研究所)は中国市場の変化に着目し、オンライン市場が飽和し始め、顧客の要求水準が高まる中で、短期で効率的に儲けようとするトレーダー的思考の強い従来のビジネスモデルをいかに変革できるかが課題であると指摘している。これらの指摘はいずれも短期間で解決できるものではないが、今後中国の技術力がさらに発展し、中国発の技術を世界に波及させていくためには、乗り越えなければならない課題であろう。 巨大なサンドボックスたる中国に対峙(たいじ)する 考えてみれば、中国が大きく変貌したのは今に始まったことではない。巨大な社会主義国はいつしか市場経済へと変わり、そして、IT大国へと変身した。中国のたどりつつある道程(みちのり)は、日本がかつて高度成長期に経験した道程にも重なるものがあるが、それにしても、中国の変貌はいかにもダイナミックである。ここで、大きな役割を果たしているのが社会実験の発想であり、中国全体を巨大なサンドボックスにしようという覚悟ではないか。 中国のイノベーション力をどうみるか これまで日本は、エストニアなどに見られる大胆なIT改革について、経済規模の違いから不可能としてきた。しかしながら、隣国の中国は、さらに大きな規模で文字通り「社会」実験を繰り返している。今の日本には、失敗を恐れず、スピード感のある行動と柔軟な発想を生み出す環境が、十分に整っているであろうか。 日本政府も、社会実験の導入に向けて動きだした。競争相手のスピーディーな変化に対応していくには、誰もが迅速、かつ、低コストで社会実験を行えるようにすることが不可欠だ。試行錯誤の積み重ねが、真に必要とされる価値あるサービスの創出につながっていく。その点において、中国はすでに日本の一歩先を進んでいる。「試す人になろう」は本田宗一郎の言葉だが、「試す国になろう」という目標をいま一度日本に取り戻す必要がある。 識者に問う 中国はいかにしてIT大国となったのか。今後、中国の技術力は世界にどのような影響を与えうるのか。 多産多死が支えるイノベーション 伊藤亜聖 東京大学社会科学研究所准教授 KEYWORDS ユニコーン企業、エコシステム、IoT、多産多死、サンドボックス制度 グローバル市場で中国企業の影響力が強まりつつある。それは、ここ数年の研究開発投資の伸びや国際特許出願の数、ベンチャー企業の成長動向など、複数の指標から見ても明らかだ。ラスベガスの世界規模の展示会に中国企業が毎年大挙して押し寄せるのはもはや恒例となっているし、ユニコーン企業と呼ばれる評価額10億ドル以上のスタートアップの数は、中国が米国に次いで世界で2位である。今後、数で米国を超えることもあり得る。 中国から先端的な製品やサービスが次々と生み出され始めている。現地でその様子をつぶさに見ていると、中国国内にベンチャー企業を育てるエコシステムが出来上がっていることがわかる。IoT(Internet of Things)時代は、あらゆるものがネットとつながる。それぞれが演算機能と通信機能を内蔵することで何ができるのか、確たる答えはない。そうした状況で、リスクを負って新しい事業を生み出すことができるのはベンチャー企業だ。野心ある起業家が活発にアイデアを事業化し、競争を通じて多産多死を繰り返す。このエコシステムの有無が新技術の普及と社会実装に直結する。中国のベンチャー投資は日本の30倍の額にも達する。多くの倒産も同居しながら、出資を受けたベンチャー企業が成長して、投資家はさらに投資するという好循環が生まれている。 改革開放以来の実験的な制度改革の歴史も強みになっている。新領域ではグレーゾーンがあることはやむを得ないととらえ、経済特区のような形で地域にある程度自主権を持たせ、自由な活動を黙認する地方実験の仕組みがある。その過程では、地方政府も多くの企業を惹(ひ)き付けるために魅力的なエコシステムを形成しようと、時に補助金合戦のような弊害を生みながらも、しのぎを削っている。一時的に規制を緩和する「サンドボックス制度」を念頭に置くと、過去40年の中国の「改革開放」路線は、事実上のサンドボックス制度のように機能してきた。グレーゾーンを飼いならしてきたのだ。 ドローン市場では深圳(しんせん)のDJIが世界シェア7割を占めている。今後、3次元マップの策定が本格化すると、中国が標準化の重要なプレーヤーとなるかもしれない。新領域のビジネスに対してルール化しつつも産業の発展を抑制しない智慧(ちえ)が求められる。 伊藤亜聖(いとう あせい) 中国を中心に、アジアや新興国経済の研究に精力的に取り組む。定量的な経済分析に加え、丹念なフィールドワークを重ね、現地の最新事情にも精通。慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学、博士(経済学)。人間文化研究機構研究員などを経て、現職。主著の『現代中国の産業集積』(名古屋大学出版会、2015年)では、2016年度日本ベンチャー学会清成忠男賞、第33回大平正芳記念賞を受賞している。 識者が読者に推薦する1冊 遠藤環・伊藤亜聖・大泉啓一郎・後藤健太(編)〔2018〕『現代アジア経済論―「アジアの世紀」を学ぶ』有斐閣ブックス 識者に問う 中国はいかにしてIT大国となったのか。今後、中国の技術力は世界にどのような影響を与えうるのか。 「「野蛮な成長」で生まれたIT企業」 高口康太 ジャーナリスト KEYWORDS 野蛮な競争、双創、シェアリング・エコノミー、社会実験、人口ボーナス 中国経済は、2000年代には平均10%以上で成長したが、17年には6.9%と減速している。足元を見ても地域ごと、産業ごとに好不況がはっきり分かれる「まだら模様」だ。それでも中国に勢いがあるのは民間IT企業の高成長があるためだ。5年前には中国企業の時価総額上位は国有企業が占めていたが、現在はアリババやテンセントが上位を占める。中国政府は国家主導で大型国有企業を育成する産業政策を推進してきたが、その外から自由かつ苛烈(かれつ)な競争の末に強靱(きょうじん)な民間企業が生まれてきた。 その典型ともいえるのが携帯電話メーカーだ。2000年代初頭、政府は製造免許を8社にしか認定せず、有力企業の育成を狙ったが、無認可メーカーの作る携帯が圧倒的に勝利。政府も免許制度撤廃に追い込まれた。最盛期には3,000社が乱立する「野蛮な競争」の果てに、シャオミやOPPOなど世界的なメーカーが誕生している。 近年では「野蛮の成長」を政府自らが推進している。2014年には「双創」(大衆の創業、万民のイノベーション)を打ち出したほか、ベンチャー投資の規制を緩和した。また、ライドシェア等のシェアリング・エコノミーは、政府が法律に抵触するような新事業であっても「社会実験」として許容することで巨大産業に成長した事例だ。 しかし、民間企業主導の好況も転換点を迎えている。中国の成長を支えてきた「人口ボーナス」は失われつつあり、国内市場だけでは高成長は望めない。政府は地方政府および企業の債務を削減するデレバレッジを進める構えで、緊縮経済が中小ベンチャーの重荷となる可能性は高い。一帯一路政策を追い風に海外進出を次なる成長スポットにする動きも見られるが、決して簡単ではない。1つには、中国政府が資本流出を警戒し海外への投資を規制しているためだ。映画会社やホテルを華々しく買収していたワンダグループは、政府に投資を差し止められ退却を迫られた。もう1つには、進出を受け入れる海外が、中国企業に対する警戒感を強めているためだ。先日も、通信機器大手のZTEが対イラン・北朝鮮輸出違反を理由に米国から制裁を受けたばかり。海外進出は今後、これまで以上に摩擦を増す可能性がある。 高口康太(たかぐち こうた) 千葉大学人文社会科学研究科博士課程単位取得退学。二度の中国留学を経て、現在は中国の社会・経済を専門とするジャーナリストとして活躍。中国、新興国の実態を鋭く描き議論するニュースサイト「KINBRICKS NOW」を運営する。『ニューズウィーク日本版』『週刊東洋経済』『Wedge』『Business Insider』等多数の雑誌、ウェブサイトでも情報発信を行っている。主著に『現代中国経営者列伝』(星海社新書、2017年)等がある。 識者が読者に推薦する1冊 梶谷懐〔2011〕『「壁と卵」の現代中国論―リスク社会化する超大国とどう向き合うか』人文書院 識者に問う 中国はいかにしてIT大国となったのか。今後、中国の技術力は世界にどのような影響を与えうるのか。 急発展を支える海外技術の吸収・消化と緩い規制 関志雄 株式会社野村資本市場研究所シニアフェロー KEYWORDS デジタル・ディバイド、緩い規制、コピー(模倣)技術、チャイナ・スタンダード、安全保障上の懸念 情報通信技術(ICT)が発達すればするほど先進国と途上国の格差、すなわちデジタル・ディバイドがさらに拡大する、というのが通説であった。しかし今日の中国に目を向けると、モバイル決済、ネット通販、シェアサイクル等が世界に先駆けて普及しており、この仮説は当てはまらない。なぜ、中国は違うのだろうか。 まず、カギとなるのは、規制よりも試行錯誤を先行させるという政府のスタンスだ。中国には、鄧小平以来、政府や社会に根づいてきた実験志向がある。計画経済のイメージとは裏腹に、新しい分野では規制が相対的に緩い。このことは、チャレンジ精神が豊富な民営企業に大きなビジネスチャンスを与えている。 また、中国のR&D(研究開発)を見ると、「R」(研究)は米国や日本に及ばない面が多いが、「D」(開発)では後発の優位性を生かし、既存の技術を組み合わせて新たな価値を生み出すことに成功してきた。中国の技術は、かつてはコピー(模倣)と揶揄(やゆ)されたが、今や海外の技術を吸収・消化し、積極的に活用する方向に力を発揮している。 さらに、イノベーションを支える、多くの優秀な人材がいる。大学教育の普及に加え、海外から戻ってくる多くの留学経験者が、新たな産業の担い手となってきている。2017年には約48万人の留学生が帰国した。これは、同年出国する留学生の8割に相当する。 そして、国内総生産は日本の2.5倍、米国の6割という、巨大な国内マーケットがある。マーケットが大きければ、チャイナ・スタンダードはそのままグローバル・スタンダードになりうる。昨今は、「中国市場を制覇すれば、海外で通用する」という認識を、中国企業も外国企業も持つようになってきた。 現在、中国のハイテク企業は技術獲得のために、先進国への進出に強い関心を示している。これに対して、米国等は最先端技術やデータの流出を強く警戒しており、安全保障上の懸念を理由に、外資規制を強化している。今後、中国が世界のICTの分野における影響力を拡大していくためには、技術力のみならず、摩擦の背景にある社会・政治・経済的な課題を克服する必要があるだろう。 関志雄(かん しゆう) 中国経済・日中関係に精通。目まぐるしく変化する中国の経済政策や諸問題に対し、積極的に情報を発信している。経済産業研究所コンサルティングフェローも務め、同研究所のウェブサイトで「中国経済新論」を主宰。香港出身。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了、経済学博士。香港上海銀行本社経済調査部エコノミスト、野村総合研究所経済調査部アジア調査室長などを経て、2004年より現職。著書に『中国「新常態」の経済』(日本経済新聞出版社、2015年)等がある。 識者が読者に推薦する1冊 沈才彬〔2018〕『中国新興企業の正体』角川新書 識者に問う 中国はいかにしてIT大国となったのか。今後、中国の技術力は世界にどのような影響を与えうるのか。 技術力を支える人材戦略 林幸秀 国立研究開発法人科学技術振興機構研究開発戦略センター上席フェロー KEYWORDS 圧倒的なマンパワー、豊富な資金力、海亀政策、科学技術進歩法、千人計画 中国の科学技術は、7万人の研究者を有する中国科学院や多くの優れた大学などで支えられている。中国の強みは何といっても、圧倒的なマンパワー、そして豊富な研究資金だ。国内の大学や研究所に多額の資金を投入し、研究環境を充実させることで、欧米で活躍している優秀な中国人研究者に帰国を促す、いわゆる「海亀政策」を進めている。例えば、『ネイチャー』等のトップジャーナルに論文が掲載されると、教授として中国の大学に戻る仕組みが整備されている。帰国後も海外の研究者とのネットワークは強固に保たれ、共同研究、研究者・学生の派遣など国際的な人的つながりも強化される。 これらの圧倒的な人的資源に加えて、莫大(ばくだい)な研究資金が、今日のITに代表されるような短期で成果に結びつきやすい分野に集中的に投入されている。中国全体の科学技術の投資水準を、GDPの伸びを超えて増加させることを定めた「科学技術進歩法」が制定されたため、中国の研究開発資金は激増している。その豊富な資金を使って、研究施設や設備への投資を急速に進めており、その規模は日本の比ではない。中国の研究設備は今や世界一ではないだろうか。 しかし、その反面、成果が出るまでに長い時間を要する基礎研究は欧米に及ばない。特に、ライフサイエンス分野は立ち遅れている。また、発展著しいITや軍事技術でも、外国の既存技術の改良が中心である。研究者に対する評価も短期的かつ数値中心で、責任や成果が直ちに研究者個人の処遇に及ぶことが多いため、リスクの大きいオリジナルな研究は進みにくい。このままでは、中国は、ブレークスルーを起こすような技術開発はできないおそれが強い。 とはいうものの、中国では何が起きるかわからない。今後、圧倒的な人口と巨大な市場から得られる膨大なデータから、革新的な技術が生まれるかもしれない。外国人を含む優秀な海外の研究者に、中国国内での研究・教育にも従事してもらう「千人計画」のような国際的な取り込みも行われている。中国の突き抜けた規模をもってすれば、近い将来「量が質を凌駕(りょうが)する」可能性も否定できない。 林幸秀(はやし ゆきひで) 科学技術庁入庁後、原子力、宇宙開発、海洋開発、科学技術政策等に従事し、退官後は科学技術政策の国際比較、特に中国の科学技術政策やその実態の調査・研究で活躍。東京大学大学院工学系研究科修士課程修了。文部科学省科学技術・学術政策局長、内閣府政策統括官(科学技術政策担当)、文部科学審議官などを経て、2010年より現職。ライフサイエンス振興財団理事長。宇宙航空研究開発機構(JAXA)副理事長等も歴任。主著に『科学技術大国中国』(中公新書、2013年)等がある。 識者が読者に推薦する1冊 林幸秀〔2017〕『中国科学院―世界最大の科学技術機関の全容 優れた点と課題』丸善プラネット 識者に問う 中国はいかにしてIT大国となったのか。今後、中国の技術力は世界にどのような影響を与えうるのか。 政府との二人三脚による急成長、新たな競争の局面をいかに克服するか 岡野寿彦 株式会社NTTデータ経営研究所シニアスペシャリスト KEYWORDS プラットフォーマー、インターネット+、社会信用体系、オンライン市場の飽和、ネットとリアルの融合 成長する中国IT産業をけん引するのが、アリババやテンセントに代表されるプラットフォーマーである。流通業等の未発達による生活の不便さ、中小企業の事業機会・資金確保の制約、代金回収リスクといった「社会の困りごと」に対し、アリババらは、プラットフォームの特性とデジタル技術を生かして、社会的価値のあるサービスを提供することで成長してきた。 IT企業の急速な成長の背景には、まず、社会秩序の維持・雇用確保、中国企業の国際競争力を課題とする中国政府の意識がある。中国政府は、高度成長によって生じた所得格差等の国民の不満にも対応しつつ、経済の質や生産性を高めていく道を模索している。その重点政策の1つが「インターネット+プラス」である。「インターネットを介した『つながり』によるイノベーション」を経済成長の切り札と位置づけ、「まずはやらせて、必要に応じて規制をする」姿勢をとることで企業のサービス創出を支持している。加えて、中国市場が抱える高い取引コストを「円滑な信用創造」により軽減させる目的で打ち出された政策が「社会信用体系」である。これによって、民間企業や政府機関による、国民や企業に関する情報の収集と活用が促進され、企業の急発展を導いたといえる。 他方、中国人企業家の、地道な開発よりも短期で効率的に儲けようとするトレーダー的思考が、デジタル技術を活用したサービス開発にマッチしていたことも重要な点だ。豊富な資金提供者や、失敗に対して寛容な社会が、こうした企業活動を後押ししている。 現在、オンライン市場が飽和し始めたことから、「ネットとリアルとの融合」によって新たな価値を提供する方向に競争軸がシフトしている。アリババの生鮮スーパー「盒馬鮮生」や中国平安保険の「自動車保険」が、「デジタル技術+人海戦術」でリアルを組み合わせて顧客満足の向上や効率性を実現しているのは好事例だ。人件費の高騰、顧客の品質や個人情報に対する意識の高まり、金融収益に依存した事業モデルのリスク増大といった今後の事業環境の変化が不可避となる中、従来のビジネスモデルをいかに変革できるかが課題となる。本質を問う思考、品質重視、企業の継続性等を追求するためには、組織文化も含めた変革が必要だという意識を持つ中国人企業人が着実に増えており、そうした変化が日本企業の事業機会につながる可能性もある。 岡野寿彦(おかの としひこ) 株式会社NTTデータにおける中国政府系企業との合弁企業経営や、中国金融基幹システム開発のプロジェクトマネジメント、事業体制の現地化等、中国における豊富なビジネス経験を踏まえた研究発信に取り組む。上海交通大学客員教授、早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター「日中ビジネス推進フォーラム」研究員等も務める。主著に『日中関係は本当に最悪なのか』(共著、日本僑報社、2014年)等がある。経営研レポート『デジタル化の衝撃とチャイナ・インパクト』連載執筆中。 識者が読者に推薦する1冊 加藤弘之〔2013〕『「曖昧な制度」としての中国型資本主義』NTT出版 引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。(出典)NIRA総合研究開発機構(2018)「IT大国中国の前進」わたしの構想No.37 シェア Tweet データで見る 多数の革新的な新興企業の存在:世界のユニコーン企業の分布(2018年6月現在) (注)「その他」には、企業数2のインドネシア、スイス、南アフリカ、フランス、企業数1の日本、アラブ首長国連邦、エストニア、オーストラリア、オランダ、カナダ、コロンビア、シンガポール、スウェーデン、ナイジェリア、ブラジル、マルタ、ルクセンブルクが含まれる。なおCB Insightsのリストでは、日本企業としてメルカリとプリファード・ネットワークスの2社が含まれているが、メルカリは2018年6月19日に東証マザーズへ上場したため除外した。(出所)CB Insights “The Global Unicorn Club”(https://www.cbinsights.com/research-unicorn-companies)より作成(2018年6月26日アクセス) 付表 △ 多数の革新的な新興企業の存在:世界のユニコーン企業の分布(2018年6月現在) (注)「その他」には、企業数2のインドネシア、スイス、南アフリカ、フランス、企業数1の日本、アラブ首長国連邦、エストニア、オーストラリア、オランダ、カナダ、コロンビア、シンガポール、スウェーデン、ナイジェリア、ブラジル、マルタ、ルクセンブルクが含まれる。なおCB Insightsのリストでは、日本企業としてメルカリとプリファード・ネットワークスの2社が含まれているが、メルカリは2018年6月19日に東証マザーズへ上場したため除外した。(出所)CB Insights “The Global Unicorn Club”(https://www.cbinsights.com/research-unicorn-companies)より作成(2018年6月26日アクセス) 付表 先進サービスに対する受容性:各国のフィンテック普及率 (注)アーンスト・アンド・ヤング(EY)による、世界の20市場(21の国と地域)における22,535人(18歳以上)を対象としたオンライン調査。「フィンテック・サービス」として定義された、フィンテック企業、非伝統的事業者が提供する、送金・決済分野等における17のサービスのうち、直近の6か月で2つ以上のサービスを利用した者の割合を示す。(出所)Ernst & Young (2017) EY FinTech Adoption Index 2017 (https://www.ey.com/gl/en/industries/financial-services/ey-fintech-adoption-index)より作成。 付表 △ 先進サービスに対する受容性:各国のフィンテック普及率 (注)アーンスト・アンド・ヤング(EY)による、世界の20市場(21の国と地域)における22,535人(18歳以上)を対象としたオンライン調査。「フィンテック・サービス」として定義された、フィンテック企業、非伝統的事業者が提供する、送金・決済分野等における17のサービスのうち、直近の6か月で2つ以上のサービスを利用した者の割合を示す。(出所)Ernst & Young (2017) EY FinTech Adoption Index 2017 (https://www.ey.com/gl/en/industries/financial-services/ey-fintech-adoption-index)より作成。 付表 大規模なマンパワー:主要国の研究者数の推移 (注)各国とも人文・社会科学を含む。他、データの詳細は、文部科学省『科学技術要覧(平成29年版)』を参照。(出所)文部科学省『科学技術要覧(平成29年版)』より作成。 △ 大規模なマンパワー:主要国の研究者数の推移 (注)各国とも人文・社会科学を含む。他、データの詳細は、文部科学省『科学技術要覧(平成29年版)』を参照。(出所)文部科学省『科学技術要覧(平成29年版)』より作成。 豊富な研究資金:主要国の研究費の推移(OECD購買力平価換算) (注)各国とも人文・社会科学を含む。他、データの詳細は、文部科学省『科学技術要覧(平成29年版)』を参照。(出所)文部科学省『科学技術要覧(平成29年版)』より作成。 △ 豊富な研究資金:主要国の研究費の推移(OECD購買力平価換算) (注)各国とも人文・社会科学を含む。他、データの詳細は、文部科学省『科学技術要覧(平成29年版)』を参照。(出所)文部科学省『科学技術要覧(平成29年版)』より作成。 関連公表物 令和改革 谷口将紀 田中明彦 辻井潤一 増田寛也 小黒一正 菅沼隆 米中対立をどうみるか 翁百合 待鳥聡史 中西寛 川島真 細川昌彦 マーティン・ウルフ 中国経済をどうみるのか 牛尾治朗 大橋洋治 瀬口清之 梶谷懐 関志雄 柯隆 田中修 日中関係を問う 北岡伸一 ロデリック・マクファーカー 津上俊哉 エズラ・ヴォーゲル 川島真 ⓒ公益財団法人NIRA総合研究開発機構編集:神田玲子、榊麻衣子、尾崎大輔、新井公夫※本誌に関するご感想・ご意見をお寄せください。E-mail:info@nira.or.jp 研究の成果一覧へ