企画に当たって

神田玲子

“智”の創造的破壊

神田玲子

NIRA総合研究開発機構理事・研究調査部長

KEYWORDS

オープンサイエンス革命、エルゼビア、専門論文の電子化・有料提供

 インターネットが学術研究の分野に「オープンサイエンス革命」と呼ばれる大変革をもたらしている。それは、理論物理学者であるマイケル・ニールセンが2011年に出版した本の中で提唱したものである。象牙の塔にこもりがちな研究を、ITを活用して、より社会に開かれたものに変えようとする試みだ。

 しかし、この流れを手放しで喜んでいるわけにはいかない。これまでの研究やビジネス環境を大きく変える可能性があるためだ。例えば、エルゼビアは学術雑誌を発行する国際的な出版社であったが、今では専門論文を電子化し、ネットを通じて有料で提供している。その結果、内外の大学図書館や研究機関が、エルゼビアなどの出版社に高額の契約料を支払わなければならないという事態が発生している。

 また、特に注目すべき変化は、エルゼビアの親会社のRELXグループが、学術の情報やネットワークを使って、科学技術、コンテンツ、データ分析に関するソリューションを顧客に対して提供する事業を展開している点だ。同グループの2014年の売り上げは1兆円近くにのぼる。これは、学術情報を把握する者がビジネスでも優位に立つことを示す例だ。

 こうした状況を踏まえれば、5人の識者が指摘するように、過渡期にあるオープンサイエンスへの対応を、個々の大学や研究者の問題と片付けるべきではないことは明らかだ。市場での制度やルールが確立していない過渡期であるからこそ、日本社会としても真剣に取り組み、オープンサイエンスのメリットを享受するための方策を、社会全体が知恵を出し合って取り組まなければならない。

 出版社の電子化の取組の遅れ、成果を公開することについて研究者の認識不足、技術を提供するベンチャーの不在など、超えるべき課題は多々ある。しかし、いずれも解決することは可能だ。今こそ、産業界を含めて、出版社、大学、政府など異業種の人々が連携して、オープンサイエンス革命に取り組む必要がある。

〔参考〕NIRA研究報告書「孤立する日本の研究プラットフォーム」(2015年6月公表)

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社会に開かれた学術研究を開花させるには何をすべきか。

國領二郎

智のプラットフォームで日本のプレゼンスを高めよ

國領二郎

慶應義塾大学総合政策学部教授

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研究プラットフォームの覇権争い、英語での発信、コストの負担構造

 学術の世界では今、グーグル、エルゼビア、トムソン・ロイターなどの欧米のIT企業や出版社が、電子化した学術専門誌を提供するプラットフォームの覇権を巡って、競争を繰り広げている。今では、学術論文の提供サービスの範囲を超えて、研究そのものを支援するプラットフォームが形成される段階まできており、それを活用して、国境を越えた共同研究が増えている。

 こうした研究プラットフォームの覇権争いに食い込む日本の事業者はいない。日本では既得権益を守ろうとして、既存の事業に執着してしまい、新しい世界を切り開く気概が失われている。日本で新たな事業者を出現させるには、研究のあり方もITも理解しながら、事業として動かしていけるような人材の育成が必要である。

 また、この状態を放置しておくことは日本の学術にとってもマイナス面が大きい。英語での発信が苦手な日本は、智の門外漢になりつつあるためだ。日本の大学や研究者は世界的に低く評価されることになり、日本の学術の発展にとって非常に大きな問題である。日本は、英語のプラットフォームで発信を強めていくことをしながらも、多言語化した世界のプラットフォームのあり方について、世界の主導権を取っていくことを目指すべきではないか。

 研究者にも、論文やデータの自由な利活用と、著作権や財産権の尊重をきちんと両立させるような工夫が必要である。研究や論文の執筆にはそれなりのお金がかかるので、自由な利活用を認めながらも、そのコストを回収できるような、コストの負担構造を構築すべきだ。

識者が読者に推薦する1冊

識者が読者に推薦する1冊

福井健策 〔2014〕『誰が「知」を独占するのか―デジタルアーカイブ戦争』集英社新書

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社会に開かれた学術研究を開花させるには何をすべきか。

倉田敬子

変化する学術の「場」

倉田敬子

慶應義塾大学文学部教授

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オープンアクセス、オープンデータ、民間企業によるサービス提供

 学術の「場」で2つの変革が起きている。1つは、インターネット上で、研究者が学術論文を自由に読むことができるようになったことである。これは、「オープンアクセス」といわれ、この10~15年の間に着実に進展している。著者にとっては論文をより多くの研究者や一般の人々に読んでもらえ、学術の進歩にもプラスに働く。しかし、この新しい成果公表のあり方は、出版社による著作権の保持、電子化のための費用負担の問題など既存の社会制度とのあつれきを生む。これは、研究者だけでは解決できない。


 もう1つの変革は、成果としての論文だけでなく、研究データを公開、共有し、他の研究者が自由に利用できるようにする動きである。これは、「オープンデータ」といわれる。ここでは、研究者の「データは自分のもの」という意識や公開・共有の範囲や方法の不明確さが課題となる。

 これらの革新的な流れは、出版社と大学図書館、そして研究者が長年にわたり構築してきた関係を壊してでも進めていくだけの価値はある。アメリカでは市民の持つ高い納税者意識が、研究成果やデータを公開させる力となっているが、日本では税金を投じた研究の成果に対する関心は低く、変化を促す力が生まれない。海外で繰り広げられているように、学術の世界でも民間企業がサービスを提供することが事業として成り立ち、学問にとっても必要となってきていることを産業界には認識してほしい。法律やシステムが整っていない今だから逆にビジネスを促進する形での制度化を進めることも可能ではないか。大学ごとに対応を任せるのではなく、社会全体としてルール化をしていくべきだ。

識者が読者に推薦する1冊

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Christine L. Borgman 〔2015〕“Big Data, Little Data, No Data: Scholarship in the Networked World” The MIT Press

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社会に開かれた学術研究を開花させるには何をすべきか。

林和弘

オープンサイエンスによりパラダイムシフトが起こる

林和弘

文部科学省科学技術・学術政策研究所上席研究官

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パラダイムシフト、研究活動のオープンサイエンス、高騰する購読料

 グーテンベルクの印刷革命の後、17世紀になって学術ジャーナルが発明されたことにより、それ以前の書写等による情報伝達に比較して圧倒的多数の読者に学術に関する情報を提供できるようになった。それに匹敵するパラダイムシフトが、情報通信技術の発達によって、今、学術研究の世界で起きている。研究論文が紙媒体から電子化され、論文への自由なアクセスと利活用が可能となっただけでなく、これまで個々の研究者に閉じられていた研究データを含む研究活動そのものが、より社会に開かれる動き、つまり「オープンサイエンス」へ向かっている。これら一連の動向は、まさに学術の世界における創造的破壊といえるだろう。

 われわれは、科学研究のあり方が数百年かけて変化する過渡期にいる。それは新しい産業が生まれる機会でもある。論文数の増加や商業出版社の寡占化により、高騰する購読料を図書館が負担しきれなくなっている。こうしたひずみを解消するべくオープンサイエンスの政策が策定され、欧州は世界を先導している。新しい枠組みが固まる前に、日本も戦略的な政策意図を持って、リスクを民間企業と一緒に取っていかなければ、学術の世界でも民間事業の世界でも、主導権を取ることは難しくなるだろう。

 日本でも、第5期科学技術基本計画にオープンサイエンスが入ることが決まり、政策の上では見かけ上欧米と肩が並ぶ。しかし実態は、研究データの共有に抵抗感を持つ研究者もいまだ多い。このため研究者への啓発活動も展開し、研究データを共有することが本人にとっても有益に働き、評価などで報われることを目指す施策への理解が必要だ。

識者が読者に推薦する1冊

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佐藤航陽〔2015〕『未来に先回りする思考法―テクノロジーがすべてを塗りかえる』ディスカヴァー・トゥエンティワン

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社会に開かれた学術研究を開花させるには何をすべきか。

生貝直人

文化資源のデジタルアーカイブ化推進を

生貝直人

東京大学附属図書館新図書館計画推進室・大学院情報学環特任講師

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デジタルアーカイブ、文化資源の統合、アグリゲータ

 電子化された有形無形の文化資源をインターネット上で公開し、誰でも利用できる「デジタルアーカイブ」への取組が、欧米を中心に各国で進んでいる。ヨーロッパの「ヨーロピアーナ」がその代表的なプラットフォームであり、そのサイトでは3,000万件以上の文化資源が登録されている。誰もが無料で見ることが可能であり、その情報を使って研究やビジネスを行うことが認められているものもある。

 日本でも、「国立国会図書館サーチ」や文化庁の「文化遺産オンライン」など、個別の組織ごとのデジタルアーカイブが構築されている。しかし、国全体の文化資源が統合されたものにはなっておらず、また、公開されたデータの再利用も広範には許容されていない点で、ヨーロピアーナには及んでいない。

 日本でも機運が高まったことはあるが、予算的な制約もあり、継続的な取組につながらなかった。日欧での取組の大きな違いは、ヨーロッパでは、国や地域ごとに、個別の文化施設のデータを集約する中間組織(アグリゲータ)がヨーロピアーナを支えている点だ。デジタル技術や法制度が専門的にわかる人を各施設に配置することは、費用面からも非常に難しいが、アグリゲータ構造であれば、各施設がそれぞれ専任を配置する必要がない。

 人的、知的、技術的支援をするネットワーク構造をしっかりと構築することが日本でも重要である。その上で、伝統的な文化の領域を、ITの世界とつなげて考えられる人材の育成も必要となってくるだろう。

識者が読者に推薦する1冊

識者が読者に推薦する1冊

「アーカイブ立国宣言」編集委員会(編)・福井健策・吉見俊哉(監修)〔2014〕『アーカイブ立国宣言―日本の文化資源を活かすために必要なこと』ポット出版

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社会に開かれた学術研究を開花させるには何をすべきか。

小松正

シチズンサイエンスの活性化を

小松正

小松研究事務所代表

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シチズンサイエンス、産官学連携

 オンラインツールの普及は科学に大きな影響を与えている。科学の発見方法に変化を及ぼすだけではなく、科学と社会の関係も大きく変化させた。そうした変化の1つがシチズンサイエンス(市民科学)である。シチズンサイエンスとは、一般市民が、科学研究を支援するために、データ収集や分析に参加する取組である。欧米ではもともと市民活動が盛んで、それがオンライン化により可視化され、活動がよりいっそう活発になっている。銀河画像の分類に参加するギャラクシーズーや、鳥類の観測データを提供するイーバードなどが代表的である。

 一方日本では、社会全体の中での存在感はまだまだ低い。大きな要因の1つが、インターフェースの使いにくさである。環境省の市民参加型の生物調査では、自分で撮影した生物の写真をアップロードするが、既存のSNSに比べて圧倒的に操作性が悪い。民間のSNS会社と連携すれば、もっと使い勝手がよく参加しやすいツールにすることができるはずだ。さらに、彼らが持っている知識や経験を活用して、娯楽性を持たせればもっと発展させることができるだろう。こういった産官学連携を進めて、高齢者や子どもたちを巻き込めば、日本でも活性化できるだろう。さらに、日本発の新しい流れとして欧米に発信できる余地もある。

 日本の財政の厳しさという事実を踏まえると、サイエンスを含めた学術を国が丸抱えする状況というのは、無理になってくるだろう。そういった中で、学術を一般に開放したシチズンサイエンスというのが、これからの日本の科学力を底上げする上で重要になってくるのではないか。

識者が読者に推薦する1冊

識者が読者に推薦する1冊

Michael Nielsen〔2011〕“Reinventing Discovery: The New Era of Networked Science”Princeton University Press(マイケル・ニールセン〔2013〕『オープンサイエンス革命』高橋洋訳、紀伊國屋書店)

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)NIRA総合研究開発機構(2016)「“智”の創造的破壊」わたしの構想No.19

ⓒ公益財団法人NIRA総合研究開発機構
編集:神田玲子、榊麻衣子、川本茉莉、原田和義
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