星岳雄
スタンフォード大学教授
岡崎哲二
東京大学大学院教授

概要 

 1980年代以来、日本ではイノベーションに基づく持続的な経済成長を実現するため、多くの産業政策が実施されてきたが、それらの政策が成功を収めたとは言い難い。現在進行中のアベノミクスにおいても、イノベーション政策が大きな課題である。
 今後、日本は、イノベーション主導の経済成長が比較的うまくいっているシリコンバレーのエコシステムを十分に理解し、同等の機能を持つ制度的基盤を整備することが理想的である。これまでにもさまざまな政策が行われてきたが、実施してきた政策の有効性が厳密に検証されることは少なく、検証結果に従って政策を調整する取組みも足りなかった。
 また、制度的基盤の中には、政策によって速やかに整えることが難しいものも多い。その場合は、日本企業がシリコンバレーを活用するという視点も重要であり、その第1歩として、日本の企業や起業家がシリコンバレーへの進出で得た知識や情報を共有するデータベースの構築を行うべきだ*

INDEX

1. 日本にシリコンバレーが生まれていない6つの理由
シリコンバレーの制度的基盤

 米国のイノベーション発信地、シリコンバレーが再び注目を浴びている。日本経済がまだ確実とは言えないまでも、20年近くにおよぶ停滞から抜け出そうとしているいま、持続的な成長のために必要なのは、絶え間のないイノベーションだということがようやく理解されてきたためだろう。

 先般再改訂された「成長戦略」も、アベノミクスは、「デフレ脱却を目指して専ら需要不足の解消に重きを置いてきたステージから、人口減少化における供給制約の軛を乗り越えるための腰を据えた対策を講ずる新たな「第二ステージ」に入った」とし、「未来投資による生産性革命」とそれを地方にも広めていく「ローカルアベノミクス」を推し進めるとしている。「生産性革命」が実際に起こっている場所として、シリコンバレーに注目が集まるのは当然である。

 日本の追い付き型経済成長が終わりに近づき、イノベーションの重要性が認識され始めた1980年代以来、シリコンバレーは繰り返し話題に上り、日本版シリコンバレーの開発といったことも論じられてきた。だが、シリコンバレーのようなイノベーション型の経済システムが日本の一部に定着することはなかった。

 1つの理由は、シリコンバレーで観察される種々の特徴がそもそもどのような制度的基盤に拠っているものなのかということが十分に理解されないまま、そうした制度的基盤を日本で構築することが可能なのかどうか、可能だとすればどのような政策が有効なのか、といった議論が真剣に行われてこなかったためであろう。

比較制度分析から見たシリコンバレー

 ここでは、シリコンバレーの制度的基盤とは何なのかということを明らかにして、それらを日本で実現することが可能なのかを考える。

 われわれが制度的基盤と言うときの制度とは、故青木昌彦氏が定義したように、「ゲームが繰り返しプレーされる仕方の際立った特徴に関して、共有された予想の自己維持的システム」(Aoki 2001, p.10)である。このように、制度にはゲームのルールだけではなく、プレーヤーの均衡戦略に従った行動およびそうした行動への期待も含まれる。Aoki (2007, p.2)が指摘したように、「このように定式化された制度は本来内生的であるが、個々の行動主体にとっては外生的制約として捉えられる」のである。

 シリコンバレーの特徴については夥しい量の研究がある。多くの研究で指摘されてきたものを抽出すると、表1の第1列に示した11の特徴としてまとめることができる。これらの特徴を支えるものとして次の6つの制度的要因を考えることができる。すなわち、(A)高リスクのベンチャーに資金を提供する金融システム、(B)質が高く、多様で、流動性の高い人材を供給する人的資本の市場、(C)革新的なアイデア、製品、ビジネスを絶え間なく創出する産官学の共同、(D)既存大企業と小規模スタートアップが共に成長する産業組織、(E)起業家精神を促進する社会規範および(F)スタートアップの設立と成長を支える専門家群である。

 表1の第2列は、11の特徴のそれぞれを支える制度的要日本型イノベーション政策の検証因が、AからFのうちどれなのかを示している。以下では、それぞれの制度的要因をより詳しく検討する。

表1 シリコンバレー・エコシステムの特徴と制度的基盤

「失敗の許容」を支える金融システム

(A)金融システム

 イノベーションの結果は確実には予測できない。従って、イノベーションを生み出そうとする活動に対する資金提供は、従来の製造業や小売企業の場合と比べてはるかにリスクが大きい。また、資金の出し手(投資家)と資金の受け手(起業家)の情報の非対称性の問題もより深刻になる。

 シリコンバレーの金融システムでは、ベンチャーキャピタルの役割は、単にリスクの高いスタートアップに出資をするだけではない。スタートアップの経営にも関わることが普通であり、投資したスタートアップの進捗状況を詳細に監視し、最終的にはM&A(合併・買収)やIPOに持ち込むことによって投資資金(と巨額な利益)を回収しようとする。成功したスタートアップの起業家と初期の従業員もまた大きな利益を享受する。成功した起業家の財産は、しばしばベンチャーキャピタルを通じて還流し、新たなスタートアップへの資金提供に使われる。

 シリコンバレーの特徴としてしばしば指摘される「失敗の許容」も、ベンチャーキャピタルが起業家を監視する金融システムに支えられているところがある。失敗は当然ある確率で起こるわけだが、監視しているベンチャーキャピタルが起業家は最善の努力を尽くしたと見做せば、失敗してももう一度チャンスを与えようということになる。

(B)人的資本の市場

 質の高い人的資本はイノベーション型の経済にとって欠かせない。そのような人的資本の十分な供給を確保し、さらにそれらが常に有効に活用されるような労働市場の仕組みが、シリコンバレーを支える制度の2つ目のものである。

 質の高い科学者や技術者たちが主にトップクラスの大学(企業内訓練よりも専門性の高い訓練を提供する)で教育を受け、大企業と小規模スタートアップ双方が優れた労働者を巡って競争し、さまざまな企業間を人材が頻繁に移動し、成功したスタートアップに関わった者は経済的にも社会的にも十分報われる。

 この仕組みは徹底した成果主義であり、世界中から才能ある人材を惹きつける。人的資本の多様性がイノベーションを後押しすると同時に、革新的企業の多くが職場での多様性を重んじるため、さらに多様性が高まるという好循環が生まれている。

 流動性の高い労働市場は、新しい技術によって既存の企業が衰退して雇用の縮小を余儀なくされるときに、社会全体の調整費用を低くするという利点もある。また、労働者側には企業の壁を越えて転用できる技術と知識を蓄積するインセンティブが発生する。加えて、労働市場の高い流動性は失敗の許容を可能にする一因でもある。労働市場の流動性が高いために、そして成功すればその報酬は巨額になるために、高スキルの人材が何度か失敗を経験しても、リスクの高いスタートアップ企業で繰り返し働くことになる。

(C)産学官の共同

 シリコンバレーを支える制度のもう1つが、企業、大学、政府の間の多面的な交流である。革新的なアイデアの多くは、トップレベルの大学、スタートアップ企業、政府機関および研究機関の間の協業により発展する。連携は多面的で、政府から大学への資金提供、大学から産業界へのアイデアや知的財産、という単純な流れでは捉えきれない。

 この共同・交流関係は、公式のライセンス供与や共同研究から、コンサルティング、個別の助言、ネットワーキング、人材交流、その他の仕組みまで多岐に亘る。産業界での技術発展や新しい課題が大学のさまざまな研究分野での最前線を刺激し、大学における理論的発展が今度は産業の技術進歩に貢献する。政府も新技術を使った製品やサービスの購入者として、昔も今も産官学の共同に貢献している。

(D)産業組織

 もう1つの制度は、大企業が小規模なスタートアップと共存する産業組織である。大企業はスタートアップの最初の購入者となり、その成長を助けることがしばしばである。また、大企業の多くは、新市場参入のためにスタートアップを積極的に買収する。大企業は通常、研究開発初期段階ではスタートアップ、大学、他の大企業と協業する一方、商品化段階では極端な秘密主義を貫く。

失敗は有意義な経験と見なす社会規範

(E)起業家精神を育む社会規範

 失敗を受け入れ、失敗した起業家に再度チャンスを与える「文化」は、上述のように金融システムと労働市場の制度によって支えられているところが大きいが、それだけではない。これに加えて、繰り返しリスクを取り、失敗を有意義な経験と見ることを強調する社会規範が、シリコンバレーには存在する。

(F)スタートアップの設立と成長を支える専門家群

 最後に、スタートアップのためにさまざまなサービスを提供する法律事務所、会計事務所、メンターおよびインキュベーターなどの専門家群の存在も、「制度」としてとらえるべきだろう。例えば、インキュベーター/アクセラレーターと呼ばれる専門サービスは、より良いスタートアップの選抜に貢献する。最近日本でよく言われる「目利き」として働くのである。シリコンバレーの法律事務所は、資金繰りが苦しいスタートアップに、ごく少額の前払いか、あるいは前払いなしで法務サービスを提供する。こうしたビジネスインフラ企業群のおかげで、起業家や初期のスタートアップは、本業以外であまり時間と労力を費やす必要がない制度になっている。

日本との違いは何か

 シリコンバレーを支える6つの制度的基盤のそれぞれについて、日本の状況を鑑みると、シリコンバレーとは大きく異なっていることが分かる。

 例えば、スタートアップへの資金提供では、銀行および銀行系のベンチャーキャピタルが最近まで主流であった。日本にはグローバルな競争力を持つ技術者がいるが、こうした高スキルの人的資本の流動性はまだ低い。起業家の数は少数で、その要因の1つは、失敗したら二度とチャンスがないことである。日本にも大企業とスタートアップの両方が存在するが、大企業は自前で研究開発を行いたい場合が多く、スタートアップとの協業や、社外のより優れた技術を取得することにはあまり興味がないようである。

 日本の経済システムが、追い付き型成長モデルからイノベーション型の成長に合ったものへと変化するための1つの道筋は、シリコンバレーのような制度的基盤が日本でも整えられることである。これは少なくとも理論的には十分可能なことであり、そのために政府が果たしうる役割も考えられる。

制度的基盤を整えるのと同時にシリコンバレー活用の視点も

 しかし、日本で速やかに整えるのは難しい制度もある。例えば、失敗を許容する社会規範の醸成は、非常に難しく、長い時間を要するし、政府が支援できる余地もあまりないかもしれない。そのような場合には、日本企業や起業家がシリコンバレーのエコシステムを直接利用する方が手っ取り早いかもしれない。日本企業や企業家によるシリコンバレー活用を容易にするような政策があれば、政府はそこで貢献することができるだろう。

 追い付き型の成長が終焉して久しいいま、日本経済が成長を続けていくためには、イノベーション型の経済に移行していくしかない。政府の成長戦略は、そのような経済システムのための制度的基盤を整えることに焦点をおくべきである。それと同時に、日本企業や起業家がシリコンバレーのエコシステムをより容易に活用できるようにすることも重要な政策課題である。

参考文献

Aoki, M.(2001) Toward a Comparative Institutional Analysis. Cambridge, MA: MITPress.
Aoki, M.(2007) “Endogenizing Institutions and Institutional Changes,”Journal of Institutional Economics, 3(1),1-31. Reprinted in Masahiko Aoki(2013)Comparative Institutional Analysis. Northampton, MA: Edward Elgar, pp. 268-297.

2. 政府のイノベーション政策はなぜ失敗続きだったか
成果を検証する厳密な政策評価が必要

 日本の経済成長をイノベーションに基づいたものに切り替える必要がある、と言われて久しい。そしてそれには政府による産業政策が有効であるということが長い間言われてきた。こうした、技術革新に基づく経済成長のための産業政策というアイデアの出発点は1980年代に遡る。

 1979年、通産省(当時)は「1980年代の産業政策ビジョン」の中で「技術立国」というコンセプトを提唱した。背景には、明治時代から日本が目指してきた「欧米先進国経済へのキャッチアップ」という課題が、1970年代までに完了したという認識があった。

 1990年代以降、日本経済が長期停滞に陥ると、技術革新の役割がさらに強調されるようになった。さらに90年代には、製造拠点の海外移転による「空洞化」の解決策として、イノベーションによる新規産業分野の創出が期待された。今世紀に入り少子高齢化の問題が顕在化してくると、持続的な経済成長のためにはTFP(全要素生産性)の上昇に期待するしかなく、経済構造改革と技術革新を含む広い意味でのイノベーションの重要性が強調されるようになった。

 一方で、米国におけるイノベーション拠点ともいえる、シリコンバレーのエコシステムにも早い時期から政府の関心が向けられ、オープン・イノベーションの重要性、産学協同の必要性、知的財産権の取り扱い方などが議論されてきた。2000年代のはじめには、日本の技術革新システムも、従来の「自己完結型技術革新システム」から「開放・連携型」への移行が不可欠である、という見方が経済産業省によって強調されるようになった。

効果が見えないイノベーション政策

 ここでは、いままでの日本におけるイノベーション政策の主なものを振り返る。特に問題とするのは、30年以上にわたるイノベーション政策の効果が、必ずしも明らかではないことである。日本経済の長期停滞状態を払拭するような、イノベーションに基づく経済成長のシステムはいまだ確立されておらず、現在進行中のアベノミクスにおいてもイノベーション政策が大きな課題になっている。そこで、この課題克服のために政府はいま何をやるべきかを論じる。

 いままで実施されてきたイノベーション促進のための産業政策の主要なものは、(1)産業クラスター政策、(2)研究開発投資に対する直接補助、(3)起業促進政策の3つである。それぞれについて以下で検討しよう。

テクノポリス法から産業クラスター計画へ

 産業クラスター政策は集積経済の実現を助けようとする政策である。個々の企業・プラントは同じ地域に同業種ないしは関連する業種の企業・プラントが立地することによって、生産性の上昇やイノベーションの活発化といった正の経済効果を得ることがある。集積によって、知識の伝播が起こりやすくなったり、当該産業に必要な人的資本を獲得しやすくなったりするからである。こうした集積効果は、ある企業・プラントの活動が市場以外のチャンネルで他の企業・プラントに影響を与える点で外部経済の一種である。

 集積効果を実現するためにはある程度の数の企業・プラントが必要であるが、個々の企業の観点からすると、誰にとっても最初に立地しようというインセンティブがない。このような場合、政府はいくつかの核になる企業に補助金を与えるといった方法で立地を促し、産業クラスターの形成を促進することが可能だ。

 このような観点から作られた立地政策の最初のものは、1983年の高度技術集積地域開発法(テクノポリス法)であった。テクノポリス法は、政府の作成した開発指針に基づいて都道府県知事が開発計画を作成、それを政府が承認するという仕組みになっていた。承認された計画は、特別償却、試験研究設備の固定資産税減免、特別土地保有税の非課税措置、研修施設に対する無利子融資制度などによる助成を受けた。

 83年のテクノポリス法は製造業を念頭に置いていたが、経済のサービス化の進展を受け、サービス産業に重点を置いて地域の技術高度化をめざした頭脳立地法が1988年に制定された。その考え方は、産業の「頭脳部門」すなわち、工業関係の研究所・商品開発部門・情報処理部門およびソフトウエア・設計デザインなどの産業支援サービス業が、拠点となる地域に集積することを促し、それを核に地域経済の高度化、活性化を図るというものであった。

 テクノポリス法と同様、政府の集積促進指針に基づいて都道府県が集積促進計画を策定、それを政府が承認するという仕組みだった。承認された地域については、税制上の優遇、政府系金融機関による債務保証などの助成を実施した。承認された地域の多くは、テクノポリス法の指定地域に近接するか、あるいは重なっていた。

 その後、2001年に発足した産業クラスター計画は、シリコンバレーをモデルとした「開放・連携型技術革新システム」の構築を明示的に目指した。すなわち、「地域の中堅中小企業・ベンチャー企業などが大学、研究機関等のシーズを活用して、IT(情報技術)、バイオ、環境、ものづくりなどの産業クラスター(新事業が次々と生み出されるような事業環境を整備することにより、競争優位を持つ産業が核となって広域的な産業集積が進む状態)を形成し、国の競争力向上を図る」計画であった。

 産業クラスター計画は2020年までの3期20年の長期的計画であり、各期について次のような目標が設定された。

 第1期(産業クラスターの立ち上げ期、2001-05年)は、クラスターの実態と政策ニーズを踏まえ、国が中心となって進める産業クラスター計画を20程度立ち上げ、地方自治体が独自に展開するクラスターと連携しつつ、産業クラスターの基礎となる「顔の見えるネットワーク」を形成する。

 第2期(産業クラスターの成長期、2006-10年)には引き続きネットワークの形成を進めるとともに、具体的な事業を展開し、企業の経営革新、ベンチャーの創出を推進する。そして第3期(産業クラスターの自律的発展期、2011-20年)には、それまでの事業を継続するとともに、産業クラスター活動の財政面の自立化を図り、産業クラスターの自律的な発展を目指すとされている。

名前を変えて存続した「ナショナル・プロジェクト」

 集積経済のある場合の企業の立地決定と同様に、研究開発投資も大きな外部性を持つことが知られている。重要なイノベーションは、さらに他の企業や研究者によるイノベーションを生み出す効果があるため、イノベーションの社会的収益が個々の企業の私的収益を大きく上回ることになる。結果として民間による研究開発投資は不足しがちなので、政府は補助金を給付することによって社会的に最適な規模により近い研究開発投資を促すことができる。

 日本における研究開発投資助成の仕組みは多岐に亘るが、中心的な仕組みの1つに、国がプロジェクトを立案し、民間企業を組織して実施する「ナショナル・プロジェクト」がある。ナショナル・プロジェクトは1966年に開始された大型工業技術開発制度に始まり、これと並行して1976年、81年に、それぞれ医療福祉機器技術研究開発制度、次世代産業基盤技術開発制度が発足した。

 これら3つの研究開発制度は1993年に産業科学技術開発制度に統合された。制度の対象は、①基礎的・独創的領域の研究開発(新たな技術体系の構築・育成又は技術的ブレイクスルーの実現により、経済・社会の新たな発展に資する基礎的独創的な研究開発)、②公共・社会・福祉領域の研究開発(国民生活の向上、資源の安定供給の確保、科学技術の振興に必要な基盤の整備等の社会的使命に応える上で必要な研究開発)であった。

 98年、新たに産業技術応用研究制度と大学連携型産業科学技術開発の2つの制度が発足し、既存の産業科学技術研究開発制度とともに、2003年度まで新規産業創出型産業科学技術研究開発制度と総称されることになった。

 産業技術応用研究制度は、新規産業創出効果が高いものの技術開発リスクが大きく、かつ多額の資金が必要であるため、民間だけでは取り組むことが難しい応用研究段階の技術開発の支援を目的とした。また、大学連携型産業科学技術開発制度は、大学に存在する産業化の芽となる知見などを発掘して産業化につなげるため、大学を軸とし、民間企業が協力する研究開発を支援し、新規産業創出を加速することを目的とした。

 最後に、ハイリスク・ハイリターンな新企業の創設は、大数の法則により、全体として社会に利益をもたらすとしても、個々の起業家にはリスクが大きすぎる場合がある。この場合も、補助金やその他の手段を通じて起業を促進し、起業が望ましい水準に近づくようにすることができる。

 日本の起業促進政策は中小企業政策の一部として行われてきた。中小企業政策は伝統的には、中小企業が大企業に比して取引や競争上の不利を抱えているとの認識に基づいて中小企業およびそこで働く労働者を保護することを目的とした社会政策であった。

 しかし、日本経済が成熟するにつれて中小企業政策の重点が変化し、1990年代には中小企業は「日本経済のダイナミズムの源泉」と考えられるようになり、中小企業の「経営の革新と創業の促進」に重点が置かれるようになった。

 金融改革も起業促進政策を後押しした。1990年代終わりから2000年代はじめに実施された証券取引法の改正を受け、新興企業向け株式市場の創設が相次いだ。98年には「中小企業等投資事業有限責任組合契約に関する法律」が制定され、業務執行をしない出資者を有限責任組合員(LP)とするベンチャーキャピタルファンドの組成が可能となった。

「シリコンバレー複製」の試み

 2001年、政府は、新規開業を5年間で倍増させ、大学発ベンチャーを3年間で1000社創出するという新たな計画を発表した。ここで重要なことは、この計画はシリコンバレーを明確に意識したものであり、そのエコシステムを複製しようとする制度改革を含んでいた点にある。

 この計画のもと、大学の知的財産の取り扱いや技術移転組織などに関するさまざまな改革が実施された。最終的に、3年間で1000社の大学発ベンチャーを創出する計画は達成された。一方、5年間で新規開業を倍増させる目標は達成されなかった。
 
 起業のための資金調達費用を下げる改革も行われた。2006年に施行された会社法では、株式会社の最低資本金規制(1000万円)が撤廃された。これに関しては、2003年に中小企業挑戦支援法のもとですでに一部の会社について設立時および設立後5年間、資本金規制の適用を免除する特例があったが、会社法の施行以降これが株式会社一般に拡張された。

 こうして概観すると、日本政府は1980年代以降、イノベーションに基づく経済成長を実現するという考えに基づいて、時にシリコンバレーを目標としながら多くの政策を試みてきたことが分かる。問題はこうした政策の有効性を評価し、その結果に従って政策を調整する試みが不足していたことにある。ここで見た産業クラスター政策、研究開発投資補助、企業促進政策のどれをとっても、厳密な政策評価はほとんど行われてきていない。

 Okubo and Tomiura(2012)は、テクノポリス法と頭脳立地法について例外的に客観的な評価研究を行っているが、両法とも新しいプラントを誘致することには成功したものの、生産性の高いプラントの誘致には失敗し、本来の目的であった集積経済の実現には至らなかったとしている。

 ナショナル・プロジェクトなどの研究開発投資支援策の効果については、参加者の自己評価を超えた客観的効果に関する研究は見当たらない。企業促進政策も、厳密な政策評価がなされたものはなく、そもそも政策によって提供された優遇措置の利用実績が低調なものも多い。

 政策の効果を厳密に確かめることなく、同じような政策が主に名前だけを変えて繰り返し実施されてきた。例えば、リスク・キャピタルの供給を目的に、日本政策投資銀行や商工中金といった公的金融機関を使った数々の試みが行われてきたが、それらの政府系機関によるリスク・キャピタルの供給実績は不十分であったと言わざるを得ない。

 それどころか、新銀行東京のような完全な失敗例もあった。同行は、スタートアップのための資金調達市場の未整備を補完するための試みであったが、銀行はたちまち多額の不良債権を抱えることになり、最終的には東京都が銀行を救済せねばならなくなった。

厳密な政策評価が必要だ

 仮に政府の資金供給プログラムが前途有望なスタートアップを特定することができ、適切な収益が得られたとしても、それだけではプログラムの成功を意味しない。政府プログラムがなかった場合に実現したであろう民間による資金供給を、政府プログラムが代替したに過ぎないかもしれないからである。

 このように、政策の効果は、その政策がなかった場合に起こったであろう状態と比べることによって評価されなければならない。これは一見難しいと思われるかもしれないが、そのための手法はここ20年ほどで飛躍的に進歩した。

 日本のイノベーション政策に欠けていたのはこの種の厳密な政策評価である。日本政府は早くからイノベーション型経済の発展を促す上で政策が重要と気づいており、多くの政策を試みてきた。しかし、厳密な政策評価を伴わなかったので、どのようなイノベーション政策が効果的なのかはいまだ明らかではない。アベノミクスのもと、政府は再度数多くのイノベーション政策を試そうとしている。今度こそ、厳密な政策評価を行ない、そこから学び、政策を調整していくことが肝要である。

参考文献

Okubo, T. and E. Tomiura(2012)"Industrial relocation policy,
productivity and heterogeneous plants: Evidence from Japan,"Regional Science and Urban Economics, 42(1-2), pp.230-239.

3.日本企業にありがちな、シリコンバレーへの誤解
日本がシリコンバレーをうまく活用するには

 イノベーションを生み出し、それを商業化するシリコンバレーのダイナミズムが注目されるようになってから久しい。日本でも、日本版シリコンバレーの必要性が唱えられ、政府もシリコンバレーのような産業クラスターを各地に作るべく、数々の産業政策を行ってきた。しかし、シリコンバレーのような産業集積地はいまだに存在せず、各分野のイノベーションも特に商業化の段階で多くの障壁が存在するようだ。日本の経済システムをシリコンバレーのようなイノベーション型の経済システムに変革していく努力は、今後も続ける必要があるだろう。そしてイノベーション型経済システムへの変革を実現するためには、シリコンバレーに存在するのと同等の機能を持つ制度的基盤を日本に用意する必要がある。しかし、それが成果を結ぶまでには、まだ時間がかかる可能性が高い。

シリコンバレーのエコシステムを活用する

 したがって、それと同時に、すでに存在しているシリコンバレーのエコシステムを日本企業や日本の起業家が活用することも重要である。ここでは、シリコンバレーを活用する上で、いままで日本企業や日本の企業家が直面してきた問題、失敗してきた点などを整理し、今後の取り組み方を論じる。特に、日本企業や起業家によるシリコンバレーの活用を容易にするような政策は何かを考える。

 日本の企業、特に大企業は、さまざまな形でシリコンバレー進出を試みてきた。例えば、いくつかの大企業は、シリコンバレーのベンチャーキャピタルにリミテッド・パートナーとして参加したり、自前のCorporate Venture Capitalを立ち上げて、新しい技術に投資したりした。

 また、シリコンバレーに研究拠点を作り、高度な人材を集めようとした例もある。大学の役割に注目して、多くの日本企業が、米スタンフォード大学や米カリフォルニア大学バークレー校に研究員などを派遣してきた。日本のスタートアップ企業でも、シリコンバレーに進出し、豊富なリスク・キャピタルの恩恵を受けようとするものもあった。

 しかし、これらの試みはしばしば困難に突き当たり、結局はシリコンバレー進出を諦めてしまう例も多かった。例えば、大企業の多くはベンチャー投資からの直接収益よりもシリコンバレー企業との戦略的パートナーシップの可能性を重視する傾向が強かったために、他のベンチャーキャピタルが投資しないような低収益の案件に投資してしまったり、いったん投資すると不採算事業の可能性が高くなっても、それだけではなかなか撤退の決断ができないという問題を引き起こしたりした。

 また、日本でIPO(新規株式公開)を済ませてからシリコンバレーに進出を図るスタートアップもあるが、こうした企業はIPOによる投資利益の実現機会をすでに使い果たしているため、シリコンバレーのベンチャーキャピタルから見ると魅力に欠けるものになる。そのため、シリコンバレーでの資金調達に苦労するばかりでなく、資金を受け入れれば同時にアクセスが可能になるような人的ネットワークからの恩恵も、受けられないことになる。

 シリコンバレーにおける産業、大学、政府間の交流ネットワークへの参加には、多くの日本企業が力を注いできた。特にスタンフォード大学やカリフォルニア大学バークレー校には、日本大企業の多くが研究プロジェクトへの参加などを通じて、積極的に関わってきた。しかし最大の問題は、大学に派遣された人達が接した新技術を日本の会社がどのように活用できるかということにある。

持ち帰った知見が宝の持ち腐れに

 大学に派遣されるのは企業の研究開発部門に属している人たちが多いが、日本に帰国しても、経営戦略や人事政策を担当する部署の支援がないために、大学で得た知見が研究開発部門に止まってしまい、ビジネスにつながらないという例がよく見られる。

給与格差をどうするか

 また、高度の人材を求めてシリコンバレーに進出する日本企業は、金融面以上に大きな課題に直面しがちだ。まず、シリコンバレーと日本の給与体系に違いがありすぎる。シリコンバレーで採用した人材に現地の市場レートで高給を払うと、日本で採用された日本人従業員が不公平と感じてしまう。逆にシリコンバレーで採用された人材にとっては、会社のトップが基本的に日本からの派遣者で占められているので、内部昇進の機会がないように見え、彼・彼女たちを長く引きとめるのが難しくなるという問題がある。労働・人的資本面でのこれらの問題は、日本での人材管理の慣習が変わらない限り、解決が難しいように見える。

 これらの課題に加え、日本の本社の経営陣がシリコンバレーの実情に疎いことに起因する問題もしばしば指摘される。例えば、シリコンバレーに派遣されている社員が、既存のビジネスを大きく変える可能性を持ったスタートアップ企業についての情報を日本の本社に送ると、本社はその会社の現在の市場規模、予測される市場規模、現在のプレーヤー、市場シェアといった情報を決まって問い合わせてくる。しかし、既存の市場を大きく変えるようなスタートアップ企業の場合、市場は未だなく、競争相手もなく、あるのは大きな不確実性だけという場合も多い。こうした状況で伝統的な市場分析をしても、時間を無駄にするだけであり、このような対応をとればシリコンバレーに進出している利点はまったく失われてしまう。

 また、日本では有名な会社であっても、シリコンバレーのスタートアップから全く知られていない場合があり、その事実を本社が理解しないために問題が起こる場合もある。前途有望なスタートアップに、シリコンバレーの企業の買収経験が少ない日本企業と交渉する価値があると思わせるために、現地の日本企業駐在員は多大な売り込みの努力を払うことが必要になる。この点を本社が理解しなければ、その従業員はまったく必要のないことをやっているだけで成果を挙げていないと見られて、最悪の場合には閑職へ左遷されてしまう可能性もある。

動きが遅いことで知られる日本企業

 もっとも大きな問題は、日本企業のシリコンバレーの事務所は、裁量の幅が狭く、実質的な判断はほとんど全て日本の本社と相談せざるを得ない、ということだろう。日本企業の多くは極めて動きが遅いことで知られており、日本の本社に判断を仰ぐ回数が増えるほど、シリコンバレーでのビジネスチャンスは減ることになる。

 こうした課題の多くは企業レベルで解決できることかもしれないが、政府が手助けできる分野もあるかもしれない。日本政府は、日本国内でのイノベーションを活発にする試みや、シリコンバレーのような産業クラスターを日本に作ろうとする政策は、数多く実行してきたが、日本企業と起業家がシリコンバレーを活用しやすくするような政策についてはこれまで試してこなかった。そのような政策があり得ることを、まずは理解する必要がある。

 これまでの産業政策の中にもそのヒントがある。日本政府は輸出促進、いいかえれば日本企業が海外市場を利用することを促進するために、情報提供などでさまざまに支援してきた。

 ここでの文脈に即して具体的にいえば、政府は、いままでシリコンバレー進出を図った日本企業の経験に関する情報を集め、データベース化することができるだろう。ここで論じたように、シリコンバレー進出を試みてきた日本企業は多く、その経験からいろいろな知識が得られているはずだが、現状ではこうした知識のほとんどが分散している。情報が会社間で伝わらないだけではなく、会社内でも共有されていない場合が多々ある。

 過去のシリコンバレー進出に関する総合的で、広く利用できるデータベースを構築することが、日本企業によるシリコンバレー活用を支援する第一歩になるだろう。

4. シリコンバレーを活用せよ

 総合研究開発機構(NIRA)は日米セミナーを開催し、日本でイノベーション型経済を構築するための方策を、産官学を代表する人々を招いて議論した。ここではその議論の内容を“オープン”をキーワードにまとめた**

「オープン・イノベーション」とは

 安倍政権下で「シリコンバレーと架け橋を」「日本の中小企業をシリコンバレーに」といった動きが加速しつつある。また、日本の大企業もいままでにない取り組みを見せている。

 しかし、これまでも、政府、企業は、シリコンバレーの経済エコシステム(経済生態系)を日本で実現する、または、シリコンバレーのイノベーションを日本企業が取り入れ活用する、という試みは行なわれてきた。しかし、その試みが成功したという実例が聞こえてこない。

 一方で、シリコンバレーは着々とイノベーションを起こしている。IT系、情報通信だけでも、ヤフー、グーグル、イーベイ、ペイパル、ツイッター、フェイスブック、セールスフォース、エバーノート。さらに、テスラモーターズは自動車、GoProはビデオレコーディング、港のポートマネジメントシステムを開発するカーゴテック、ホテルのディストラクションはエアビーアンドビー(Airbnb)、タクシーとか交通のディストラクションはウーバー、ソーラーエナジーのサンパワー、メディカルディバイスとイノベーションの対象も日本人のイメージをはるかに凌駕する。

 もちろん、日本でもシリコンバレー的なものをつくることができればそれに越したことはない。しかし、とくにITの世界で10年後というのは、あまり意味をなさない。やはり、シリコンバレーを日本につくるのではなくて、シリコンバレーと日本自身がどう手を組むかというところに注力することが現実的だ。アメリカのシリコンバレーをいかに日本が取り入れるか。

 いったい、日本人に、日本企業に何が不足しているのか。シリコンバレーは失敗を許容し、日本は“Fear of failure”が強いとはいわれるが、埋めることのできない文化的な差異なのだろうか。

 じつは、「オープン・イノベーションのシリコンバレー」を見習うといいながら、企業が“オープン”にしていないことが多いのではないか。オープン・イノベーションの父として知られる、ヘンリー・チェスブロウ(カリフォルニア大学バークレー校ハース・スクール・オブ・ビジネス教授)によれば、「オープン・イノベーション」とは、外部の開発力を活用したり、知的財産権を他社に使用させることで革新的なビジネスモデルなどを生み出し利益を得る考え方をいう。オープン・イノベーションのためには外部から取り入れるだけではなく、自らオープンに発信していく姿勢が求められているのではないか。

 政府主導ではなく、日本の企業から、人材をシリコンバレーへ送り出し、日本へ戻るサイクル(頭脳循環)を作り出す。成功と失敗の経験、情報を蓄積し企業間をオープンにする。これまでの終身雇用型、製造業型の教育システムをリニューアルするために、産と学がオープンに連携しインスパイアし合う。シリコンバレーから日本へ戻るサイクル(頭脳循環)を作り出す“オープン”な社会が必要なのだ。

情報をオープンに

 日本の官僚システムの弊害として、PDCAサイクルのP(Plan)とD(Do)ばかりが行なわれ、C(Check)とA(Action)が行なわれていないというものがある。“Fear of failure”がここにも表れているのか、結果を直視し、検証しようとはしない。

 さらには、Doもせずに、ひたすら、Pだけを繰り返すことさえもある。前任者がつくったPlanningに、次の予算のPlanningをし、それを後任者に引き継ぐだけ。PPP、PPPが続くのだ。このため、PDCAを全部見る人というのは誰もいないのだ。

 しかし、これは企業にとっても同様だ。シリコンバレーに人材を送り出し、シリコンバレーをいかに企業が取り入れるかという計画も、計画・実行されるだけで、その評価、知識の共有が行なわれてきただろうか。成功・失敗の経験知は個人の経験にとどまらず、社内での共有・評価が行なわれ、蓄積されるシステムがあるだろうか。その情報のなかから、適切な情報が抽出され、経営判断するレベルまで届いているだろうか。

 オープン・イノベーションは、知的財産権を他社に使用させることで革新的なビジネスモデルなどを生み出し利益を得ることだが、日本の企業では、それ以前に、シリコンバレーの経験を社内で検証、蓄積し、他社とも共有する、“オープン”な姿勢が必要になってくるだろう。

 時には企業間で連携して、インスパイアし合う循環を作り出すこともイノベーションのきっかけになるのではないか。かつての日本の企業は、企業間で公式、非公式にであれ、より情報を共有していたはずだ。

 リチャード・ダッシャー(スタンフォード大学特任教授)は「日本のほとんどの大手会社、全部の商社は、シリコンバレーにすでに、いわゆるアウトポスト(出先機関)がある。シリコンバレーで経験した人が、日本に帰ってからどうやってその人のつくった知識を使うか。とても大事なことです」と語り、櫛田健児(スタンフォード大学アジア太平洋研究所リサーチ・アソシエイト)は「いろいろな日本の大企業、中堅の企業、アントレプレナー(起業家)が、どういうふうにシリコンバレーのエコシステムに入ろうとしたか。過去の失敗談とか成功談、ものすごい成功談はありませんが、共有して、そういうものを分析していきたい」と語っている。

図1 広域シリコンバレー経済エコシステム

出所:R.Dasher, N.Harada, T.Hoshi, K.Kushida, and T.Okazaki, ”Institutional Foundation for Innovation - Based Economic Growth,” 2015, p.6, Figure3を転載。

教育機関をオープンに

 例えば、こんな大学があったらどうだろうか。

【世界で一番早いイノベーションの教室】
 卒業生のネットワークのなかに、アップストアの仕組みをつくった卒業生がいれば、20代だとしても、授業を1学期教える。この授業では学生たちはどういうふうにしたらアプリをつくることができるのかという最新のアプリ制作事情を、世界で一番早く学べる。授業を受けた学生のなかからは、アプリに関心をもち、自らもその業界に、卒業生の企業に就職する学生が続出した。

【大学教授のサバティカルはグーグルで研究】
 マッチング、オークションメカニズムを専門とする経済学者が、サバティカル期間中に面白そうなデータがほしいとグーグルと連携。そこからグーグルの飛躍的な成長を促すビジネスモデルが生まれて、彼はその後、グーグルのチーフエコノミストとなった。

 ……日本では考えられないような教育機関と企業の関係だが、これはシリコンバレーでは実際に行なわれていることだ。前者の例では成功者から刺激を受けるために若者も起業イメージを抱きやすく、“Fear of failure”が低くなる。シリコンバレーでの最新の情報を、教育機関でも素早くキャッチできるために、教授側の質も高くなり、質の高い起業家(アントレプレナー)を養成することができるようになる。

 後者の例は、バークレーのスーパースターのハル・ヴァリアン教授のケースで、企業側もスタンフォード大学やUCバークレーなどといった研究機関の最新の研究をビジネスに転用するチャンスを得ることができる。シリコンバレーにいる研究機関は先端の技術に触れることができ、教育機関は開発にも携わることができる。他の先端企業もこういった機関と組んでやりたいと、どんどん研究開発の好循環ができる。

 教育機関の“オープン”が必要なのだ。

 しかし、現在の日本は「終身雇用型、製造業型の教育システムがまだちゃんとリニューアルされていない」のが現実だ。

 「日本の文系では十分な投資が行なわれず、終身雇用の下で企業が20代後半、ほとんど儲けを出さない若者を抱えて、一人前にした」(鈴木寛・文部科学大臣補佐官)「当社もマーケットや未来に合わせてコンピュータサイエンスをやっている人にぜひ入ってほしいのだが、新入社員の理系出身のうち5分の4は未経験者。とくにITエンジニアの輩出が少ない。各国の年間IT技術者の輩出数は少し前のデータだが、日本は1万6000人、アメリカ7万人、中国は15万人、インドは10万人。IT技術者数は日本が100万人、アメリカが330万人、中国・インドが200万人である」(金丸恭文フューチャーアーキテクト代表取締役会長/NIRA代表理事)

 時代に合わせた起業家教育と時代の要請に合わせたITエンジニア教育に重点を置き、さらに今後は、人材のリトレイニングの役割が求められる。

 「若い人たちが何かやりたいというときに、日本の若い人は、大企業で何かいい仕事をしたいんだけども、飛び出す勇気のある人はほとんどいない。日本では、リトレイニングというのは全然定着していない」(牛尾治朗ウシオ電機株式会社代表取締役会長/NIRA会長)

 「5年とか10年に1回、産業構造、社会構造が変わる。そうしたら、大学へ行ってもう1回新しいスキルとナレッジを身に付けようかと。スキル、ナレッジと同時に、もっと大事なヒューマンネットワークをゲットすることができる。新しい産業に入っていく上で大学でのリトレイニングは重要。こういうことをどれだけ加速してやれるか」(鈴木寛氏)

 「個人がもう1回大学で勉強し直すことを許すというのは、これまでの日本の会社ではありえなかった姿勢。定年までその人を使い続けるかどうかの判断とは別に、会社が生活費を出す、大学の入学料も出すから、その間、あなたはこれを学んできてくれと、従業員の戦力としての力を高めるための仕組みを導入するぐらいに、会社として危機感をもって従業員の育成方針を変えていけるかどうかが問われている」(菅原郁郎・経済産業省産業政策局長〔当時〕)

 企業は日本の教育機関の問題点を指摘するだけではなく、企業側から働きかけていく必要がある。ダッシャー氏は「教育は、労働力の方程式の供給側です。需要(企業)はどのようになるか、考えなければなりません。日本の企業は、中央的な人材採用を行なっていますので、教員はあまり企業の世界を知らなくても、学生は就職することができる。日本で教員採用を含めた教育を変えることを考えれば、需要側から、企業の採用方式を考えたほうがいい」と指摘する。

人脈をオープンに

 創業期、成長期、安定期、低下期、そしてまた成長期……企業にもライフサイクルがある。企業のライフサイクルに合わせて、起業家(アントレプレナー)だけではなく、必要な人材も変わってくる。

 創業期の社内はリスクを取った起業家(アントレプレナー)が牽引するが、成長し、ある程度の規模になれば、財務、人事といった専門部門を使いこなせる管理者が必要になってくる。安定期に入り、成長が停滞し始めれば変革者が必要になってくるというわけだ。シリコンバレーでは、企業の社内外で培われた人材とその人脈や人材コンサルタントが企業のライフサイクルに見合った人材を適切に供給する。さらに意識的に、企業とベンチャーのあいだで人材を循環させているように見える。

 「シリコンバレーの場合は、出ていった人も、その後にまた大企業に戻ってくることもある。例えば、オラクルに勤めていた友人がいる。以前会ったときには『自分で会社を始めた』といっていたにもかかわらず、しばらく経つと『会社を買われて、またオラクルに入った』。またしばらく経つと『また飛び出してさ。面白くないんだよね、企業は』と、それでまた『またオラクルに入った』と大企業ではやりたかったことをできないから、出て、自分でやる。成功すると、企業は買う。大企業ができないことをベンチャー企業がやって、それをまた戻す、この辺の人脈が回っている」(櫛田健児氏)

 シリコンバレーの企業は人脈を評価する。企業内に人材とその人脈がプールされ、時にはM&Aやスピンオフなどを通じて市場に放出され、ベンチャーに移動する。このベンチャーが大きくなり、元の企業にM&Aされる、という好循環ができているのだ。日本の企業は企業への忠誠を重視し、いちど出ていくと絶縁状態になりがちだが、シリコンバレーでは“OB”として積極的に活用しているのだ。

 もちろん、社内では、大企業の中から出ていかないほうが活躍できる人もいる。しかし、そういった人びとも社内外への人脈をより評価する企業風土があれば、人脈をより張り巡らせることができるようになる。日本でも、企業内起業とスピンオフの促進を行なっている企業はある。

 「企業内起業とスピンオフの促進はリクルートモデルではないかと思います。リクルートは、入社したらすぐに、できるだけ大きな責任を与えて育てて、どんどん起業するようにということを促進して、それに対するリワードも出し、いったんスピンオフをするということに対してのサポートもして、かなりの数のベンチャーがリクルートからは生まれている。そういう意味で、そういった企業内起業プラス・スピンオフという、そのシステムをもう少し日本企業に登用していいのではないか」(橘・フクシマ・咲江G&S Global Advisors Inc.代表取締役社長)

 さらに、この人脈のオープン化で、シリコンバレーは世界のいいところ取りも可能になっている。移民は、出身国の「頭脳流出」だけになるのではなくて、「頭脳循環」を生み出して、その出身のエリアもレベルアップさせている。

 「企業は優秀な人材を“死蔵”させずに、人生の三分の一は海外で過ごし、出て行く人間もいれば戻ってくる人間もいる『サケマス・エコシステム』を構築すべきではないか。スタートアップはウエストコースト、あるいはボストン、ケンブリッジに行く。その後、成功して日本企業にバイアウトされるといったように頭脳が循環されるべきではないか」(鈴木寛氏)

 質の高いアントレプレナーを生み出すためには、企業という質の高いサポーターが欠かせないのだ。

イノベーションはオープンな社会から生まれる

 車の窓、洗濯機……、IoT(Internet of Things、モノのインターネット)のデバイスの可能性がシリコンバレーでどんどん広がっていく。そのプロトタイプまではシリコンバレーではできるが、大量生産のためのデザイン、生産ができていない。そこで日本の企業はマインドをオープンにしてプレゼンスを上げれば、パートナーとしてのチャンスができるのだ。

 「日本には、合わせ技をしてリファインする力はある。コンビニやスターバックスを見ても、オリジナルアイデアを生んだアメリカよりも圧倒的にいい。こういうリファインをする力をもっと使って、バリューをつくっていくことが重要だ」(新浪剛史サントリーホールディングス代表取締役社長)

 日本企業とシリコンバレーの組み合わせの事例を重ねて、技術力などの日本の強みとシリコンバレーが新しいイノベーションを起こす時代になる。

 日本の企業がプレゼンスを上げるためには、産業政策も見直しが欠かせない。

 まずは、競争が不可欠だ。競争の結果、時には退出を促すことで、新しい企業も生まれることになる。

 「オープン・イノベーションができたのも、アメリカの企業が激しい競争に直面したというのと、予算が来なかったというのがある。日本の大企業というのは、逆にいうと、そういう必要に迫られないので、いままでどおりのことを続けるのではないか。大企業の競争をアメリカ並みに激しくするということが、1つの回答につながる」(星岳雄スタンフォード大学教授)

 「日本は開業も廃業も5%ぐらいで、アメリカの10%と比べると半分。開業率を10%にしていくためには、撤退しやすい環境を整えることで結果的に廃業率が高くなるようにしなければならない。退出しない限りは、新しいものは生まれてこないし、人も移らない。アメリカの生産性で、製造業、小売り、卸も含めて、どうやって上がったのかということを追いかけると、やはり廃業率が上昇しているんです。小売りでいえば、チェーン店などがどんどんアメリカの地方都市も含めて席巻していって、合理的な配送方法、販売方法を広げていったという歴史がある」(菅原郁郎氏)

 企業が開業、廃業もしやすいオープンな社会が必要なのだ。これまでは、既存の中小企業を温存させるという社会的なニーズが高かったが、自営業者も高齢化し、日本の産業政策の重点を変える時期にいる。

 「10年ターム、20年タームについて、民間だけではできないところを政府がある程度やってきた。ただ、いまから思えば、まだ1980年代から90年代は時の流れが緩やかで、10年間かけて国が基礎的な研究開発を行ない、そこで出た成果を事業化するのにもう10年かけることが許されていた。しかしながら、最近は、研究開発にかける時間も事業化までの時間も、ものすごいスピードになってきており、大学と企業と政府の研究者が一緒になって基礎研究から事業化まで一挙にやらなければならないようになってきた。また、産業政策の対象も、これまでのように製造業とその周辺に焦点を当てて経産省主導で何かをやるというのは、もう限界に来ている」(菅原郁郎氏)

 経産省主導のプロジェクトだけでなく、文科省、厚労省、農水省などでイノベーション促進のための政策が行なわれているが、その方向性は重複していたり、バラバラなことも多い。各省の頑張りがむしろマイナスになりかねない。役割分担を整理して、コントロールタワーを再構築することが重要だ。

 シリコンバレーのイノベーションは省庁の枠内ではなく、つねにオープンに横断的に生まれるものなのだ。

日米セミナー 出席者

牛尾治朗 NIRA会長/ウシオ電機株式会社代表取締役会長
岡崎哲二 東京大学大学院経済学研究科教授
金丸恭文 NIRA代表理事/フューチャーアーキテクト株式会社代表取締役会長
櫛田健児 スタンフォード大学日本研究プログラムリサーチアソシエート
新浪剛史 NIRA評議員/サントリーホールディングス株式会社代表取締役社長
菅原郁郎 経済産業省経済産業政策局長(当時)
鈴木寛  文部科学大臣補佐官
リチャード・ダッシャー スタンフォード大学教授
橘・フクシマ・咲江 NIRA評議員/G&S Global Advisors Inc.代表取締役社長
原田信行 筑波大学システム情報系准教授
星岳雄  スタンフォード大学教授

星岳雄(ほし たけお)

米スタンフォード大学経営大学院教授(ファイナンス)米マサチューセッツ工科大学(経済学Ph.D.)専門は金融論、日本経済論。著書に『Corporate Financing and Governance in Japan: The Road to the Future』(共著)など。

岡崎哲二(おかざき てつじ)

東京大学大学院経済学研究科教授/NIRA客員研究員経済学博士(東京大学)。専門は日本経済史。編著書に『通商産業政策史3産業政策』など。

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)星岳雄・岡崎哲二(2016)「日本型イノベーション政策の検証」NIRAオピニオンペーパーNo.19

脚注
* 本稿の1.~ 3.は日経ビジネスONLINEに3回シリーズとして掲載された原稿をもとに加筆・修正等を加えたものである。また、日経ビジネスONLINEに掲載された原稿は、NIRA研究報告書 Richard Dasher(Stanford University), Nobuyuki Harada(University of Tsukuba), Takeo Hoshi(Stanford University), Kenji Kushida(Stanford University), Tetsuji Okazaki(The University of Tokyo),”Institutional Foundation for Innovation-Based Economic Growth,” 2015に基づく。 * 本稿の1.~ 3.は日経ビジネスONLINEに3回シリーズとして掲載された原稿をもとに加筆・修正等を加えたものである。また、日経ビジネスONLINEに掲載された原稿は、NIRA研究報告書 Richard Dasher(Stanford University), Nobuyuki Harada(University of Tsukuba), Takeo Hoshi(Stanford University), Kenji Kushida(Stanford University), Tetsuji Okazaki(The University of Tokyo),”Institutional Foundation for Innovation-Based Economic Growth,” 2015に基づく。
** 本稿の4.は2015年9月号『Voice』に掲載された岡崎哲二「シリコンバレーを活用せよ」に加筆・修正等を加えたものである。日米セミナーは2015年3月に実施している。 ** 本稿の4.は2015年9月号『Voice』に掲載された岡崎哲二「シリコンバレーを活用せよ」に加筆・修正等を加えたものである。日米セミナーは2015年3月に実施している。

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