翁百合
NIRA総合研究開発機構理事/日本総合研究所理事長

概要

 日本政府はキャッシュレス推進に乗り出した。現在約2割のキャッシュレス決済比率を2倍に引き上げることを目標としている。NIRAが実施したアンケート調査では、同比率を約5割と算出した。政府の数値では除かれる銀行口座間送金等を含むため、政府推計より高い。
 日本のキャッシュレス化は想定以上に進んでいるともいえるが、アンケート調査結果を詳しく分析すると、いくつか課題もある。所得や学歴が高く、年齢が30代以上の人に、キャッシュレスがより浸透している。また、国民全般に根強い現金嗜好が確認され、特に、所得の低い人ほど、現金での支払いを希望する比率が高い。地域によってキャッシュレス化の進展にもかなりの違いがある。さらに、ポイントサービスは、所得の高い層がその恩恵を受けている傾向がみられる。
 これらの点を踏まえると、国民全体にキャッシュレスを浸透させるには、低所得者にとっても利便性の高いサービスの普及など、利用者の視点に立った多面的できめ細かい政策を推進する必要があることがわかる。すなわち、キャッシュレス決済の実態把握と定点観測、郵便・医療介護など公的サービスのキャッシュレス化実現、民間企業による付加価値の高いサービス提供に向けた「競争」と、個人間小口送金など社会インフラとしてインターオペラビリティの高いサービス構築に向けた「協調」の促進、金融・ITリテラシー教育の充実などが求められている。これらの施策の実施により、利便性の高いデータ利活用社会の構築を目指すべきだ。

INDEX

はじめに

 日本は現金社会といわれている。確かに、日本では、現金がよく使われているが、そのことに私たちは慣れていて、現金決済が不便だと感じることは少ないかもしれない。しかし、世界全体は徐々にキャッシュレス社会に向かっており、スウェーデン、インドなど、多くの国々の政府もキャッシュレスを推進している。それでは、なぜキャッシュレス社会に向かう必要があるのか。

 第1に挙げられるのは、物理的に現金を使わずに済むことのメリットを享受することである。そのメリットとは、「生産性向上」と「利便性向上と消費の活性化」であろう。

 生産性の向上については、例えば、レストランや小売店などの中小企業は、1日の「締め」でレジの精算などに、人手と時間がかかる。キャッシュレス化は、人手不足の日本にとって、中小企業の生産性の向上につながる重要な取り組みといえそうである。ちなみに、紙幣(銀行券)を印刷するために、日本では独立行政法人国立印刷局が設立され、多くの人員で多大なコストをかけて印刷を行っているが、このコストを削減することも可能になるだろう(注1)

 また、生活の利便性向上と消費の活性化の観点からいえば、現金を持ち合わせていなくてもクレジットカードやデビットカードを活用できれば、買い物がしやすくなる。また、交通系プリペイドカードは何より切符を買う手間が省けて便利である。これらのカードにポイントなどが付与されていれば、お得感もあり、さらに消費が促進される。特に最近、日本の消費活性化の視点から注目されているのは、インバウンドの拡大である。アジア諸国をはじめ、多くの国々から外国人が観光のために日本を訪れているが、これらの国の人々は、キャッシュレスに慣れている人たちも多い。そうした外国人観光客に、簡単な決済手段で多くの買い物をしてもらえれば、日本の消費拡大につながる。

 しかし、実はキャッシュレス社会が好ましい理由は、もう1つある。それは、決済関連のデジタル「データ」を活用した新たなビジネスを展開できる、という点である。現在、政府は、「Society 5.0」を目指し、日本全体として、インターネット・ネットワークを活用しつつ、決済や医療などの各種のデータを分析して、さらなる付加価値のあるサービスを提供できるようにすること、ひいてはそうした取り組みによって様々な社会的課題を解決することを標榜している。

 実際の私たちの生活を取り巻くサービスも、デジタル化によって便利に変わりつつある。例えば、日常品の買い物もECモールなどオンラインで簡単に行え、決済もネットワーク上で行われるようになっている。その際には、その決済データが蓄積されていき、ECモールの提供者によってビッグデータ分析に活用され、顧客の利便性を向上させる付加価値の高い、新しいカスタマイズされたサービスにつながっている。現在、米国のGAFAとよばれるプラットフォーマーや中国のアリペイなどの決済サービスが発展しているが、アマゾンやアリペイといった事業者が、ECモールの極めて多くの人々の決済データを蓄積し、様々なサービスの提案を行っている(注2)。日本でも、例えば、楽天やヤフーなどがECモールの取引データ、決済データを蓄積し、加盟店に対する融資サービスや、より多くのポイントを活用できる消費者への優遇サービスなどが提供されるようになっている。それでも日本では、現金を使った決済等が比較的多いため、その分、決済データに基づく利便性が高く、付加価値の高いサービスが必ずしも進んでこなかった側面もあるといえるだろう。

 現在、日本政府は、成長戦略のもとで、国際的にみると先進国の中では非常に低いといわれているキャッシュレス決済比率(現在約2割)を、2倍に引き上げていく目標を立てている。この2割という数字は、国際比較可能な数字を掲げているため、分子には、クレジットカードと電子マネーだけがカウントされている。しかし、キャッシュレスといった場合に、実際には他の銀行口座との間の送金や新しいフィンテックサービスなどの決済手段も多く存在している。また、上記の企業の生産性向上、生活の利便性向上、データを使ったビジネスの展開といった目的を実現するうえでは、個人消費の決済がどのような実態であるかを踏まえる必要があるが、現状では数字の目標も含めて、必ずしも実態を踏まえた推進体制がとられているわけではない。なぜ日本では現金が好まれているのか、国民のどのような層が現金をよく使っているのか、どのような決済手段がどのような層によって活用されているのか、地域別の特徴はあるのか、など決済の実態を分析し、その対応を考えていく必要がある。

 そこで、本稿では、1.で、上記のような問題意識を持ち、全国の消費者3千人に行ったアンケート調査をもとに、個票データを分析し、日本の個人消費における決済の実態に迫ることとする(注3)。そこで得られた分析をもとに、2.において、今後キャッシュレス化を進めるにあたって留意すべき点を指摘することとする。

1.消費者のキャッシュレス決済の特徴

日本のキャッシュレス決済比率は約5割

 2018年8月に実施した「キャッシュレス決済」に関するオンライン調査では、食料、日用品、家賃などの財・サービスを購入する際の決済手段、および決済に関する意識について質問し、回答を得た。決済手段に関しては、総務省の『全国消費実態調査』における消費のすべての品目を38項目に分類しなおし、項目ごとに直近の決済手段を記入してもらった。

 その結果をもとに消費額全体に占めるキャッシュレス決済比率を試算すると、51.8%であることが明らかになった注4。その内訳を決済手段別にみると、クレジットカードが31.4%、口座引き落としが10.5%、プリペイド式電子マネーが5.0%、インターネットバンキングが1.4%、キャッシュカード振り込みが0.9%、デビットカードが0.8%、フィンテック決済サービスが0.7%となった(表1)。この結果から、日本のキャッシュレス決済はクレジットカードが中心となっていることが分かる。

 なお、ここでのキャッシュレス決済には、店頭での現金以外による支払いのほか、銀行口座間送金による支払い等が含まれており、前述の通り、クレジットカードと電子マネーだけをカウントしている政府の数値よりも広く、より実態に近いものとなっている。

 次いで、今回の調査結果をもとに個票分析を行ったところ、以下のような傾向があることが明らかとなった。
①生活に余裕のある層ほどキャッシュレス決済比率が高く、低所得階層、低学歴層、また、若年層など社会的に不利な立場にある者のキャッシュレス決済比率が低い。
②LINE Payなどのフィンテック企業による決済サービスは、高齢層よりも若年層に、より浸透している。
③個人間送金と公的サービスでの現金決済の割合が高い。
④一部の地方でキャッシュレス化が遅れているなど、地域差が存在する。
⑤消費者意識に根強い現金嗜好が伺え、特に低所得層になるほどその傾向が強い。
⑥ポイントサービスの恩恵は、社会経済的に余裕のある層がクレジットカード等を利用して受けており、逆進的傾向がみられる。

表1 決済手段別にみたキャッシュレス決済比率

(注) キャッシュレス決済比率は金額ベースで算出したものである。なお、*は銀行が提供しているサービス。

生活に余裕がある層ほどキャッシュレス

 まず、日本のキャッシュレス決済には、クレジットカード保有の特性が反映されていることをみていく。図1は、キャッシュレス決済比率を世帯年収階層別に見たものだ(注5)。これによると、年収が200万円未満の世帯でキャッシュレス決済比率が最も低く、年収が上がるにつれて同比率が上昇する傾向にある。

図1 世帯年収階層別のキャッシュレス決済比率

(注) キャッシュレス決済比率は金額ベースで算出したものである。

 この関係をより厳密に検証するために、個票データを使って分析したところ、やはり、世帯所得が高いほどキャッシュレス決済をよく利用している結果となった(参考図表1)。また、学歴が高いほど、あるいは非就業でなく正規雇用で働く人の方が、キャッシュレス決済をよく利用していることも分かった。

 同様に、クレジットカード決済についても分析を行ったところ、世帯所得が高いほどクレジットカード決済比率が高く、そのほかの学歴や雇用状態についても、キャッシュレス決済全体の結果とよく似た傾向が見られた。

 このことから、キャッシュレス決済全体の傾向はクレジットカードの傾向により影響を受けていることが分かる。すなわち、日本のキャッシュレス化は、クレジットカードを利用しやすい社会経済的に安定した層を中心に進んでおり、クレジットカードを利用しにくい層では遅れている。所得が低い人はキャッシュレス手段をあまり利用しないという、いわば逆進的な傾向があるともいえる。

 その傾向は年齢別にみた数値にも表れている。30代~60代のキャッシュレス決済利用率の平均が約65%であるのに対し、20代の同比率は57%と他の年齢層と比較して低い水準にある。また、30代~60代のクレジットカード利用率の平均が53%であるのに対し、20代は41%となっている(表2)。

表2 年齢別、決済手段別のキャッシュレス決済利用率と3年前からの増減幅

(注) 「クレジットカード」、「プリペイド式電子マネー」、「フィンテック決済」については、それぞれを「日常的に使っているか」、「3年前に日常的に使っていたか」という設問に対し、「よ く利用している(していた)」、「ときどき利用している(していた)」、「ほとんど利用したことがない(なかった)」、「全く利用しない(しなかった)」の4つから選択してもらった。全体のうち、現在「よく利用している」を選んだ回答者の割合と、3年前の同割合からの増減を掲載した。「キャッシュレス全体」については、各キャッシュレス手段のうち、1つ以上の項目に対して「よく利用している(していた)」を選んだ回答者の割合を示している。

フィンテック決済は若い層に浸透

 フィンテック決済やデビットカードについては、年齢が若いほど利用する傾向が強い。他方で、所得や学歴が高い人の方が利用するといった傾向はみられない(参考図表1)。

 特にフィンテック決済は、若年層で利用されているほか、個人の性格との関係をみると、新しい物事への積極性を示す、進取性の高い人ほど利用していることも明らかとなった。

 また、若年層は、最近キャッシュレスサービスを使うようになっていることも指摘できる。3年前と比較したキャッシュレス決済利用率の増加分を見ると、20代は20%近くあり、他の世代が6~7%であるのと比べて顕著に高い。すなわち、若年層の世代では、すべてのサービスについて、キャッシュレス決済が急速に進んでいることが分かる(表2)。

個人間送金と公的サービスの支払いに遅れ

 個別の財・サービスのなかで現金決済率が高い項目を示したのが表3だ。「お布施、冠婚葬祭関連費用」、「仕送り・小遣い・家族への贈与」など近親者や知人、家族などとの間の個人的な金銭のやり取りは、8割以上が現金で行われている。キャッシュレス手段が持てない子どもに対して親がお小遣いを与える際は、やはり現金が主流なのだろう。生活に欠かせない大事な場面で現金支払いが要求されるために、「現金を持ち続ける」、「現金で済ませる」のが、利便性が高いと考える人も多いのかもしれない。

 また、郵便、医療・介護などの公的サービスの分野でキャッシュレス化が遅れている点も問題として指摘できる。表3をみると、「郵便、運送料」は91.7%、「医療、介護」は71.5% と公的サービスの現金決済比率はいずれも高い水準にあることが分かる。

表3 現金決済比率が高い消費項目

(注) 消費項目別に現金決済された金額を、当該項目の消費金額全体で除して算出したものである。

地域による格差が大きい

 次に、地域によっても状況は大きく異なるという点をみてみたい。図2は、都道府県を13地方に分類して地域別のキャッシュレス決済利用率を示している。現在キャッシュレス決済利用率が高いのは首都圏、甲信越、北海道などで、低いのは北陸や、京阪神を除く近畿、四国である。最も高い首都圏と最も低い北陸では18ポイントも差があり、地方間でキャッシュレス化の進度が異なることが分かる。ただし、注目すべき点は、北陸は過去3年でキャッシュレス化した割合が高い、つまり、キャッシュレス化が急速に進んでいることである。これは、近年、観光の活性化を狙ったキャッシュレス決済の導入や交通系プリペイドの普及など、北陸地方でのキャッシュレス化の取り組みが奏功している可能性も高い注6。今後、そうした取り組みによって地方間のギャップが埋まっていくことが期待される。

図2 地方別のキャッシュレス決済利用率

(注) キャッシュレス決済利用率の算出方法は表2(注)を参照。各棒グラフの全体の長さは現在のキャッシュレス決済利用率を表し、そのうち濃い青の部分は、3年前の同利用率からの増加分を表している。

根強い現金嗜好

 ここで注目すべき結果は、日常の支払い手段として何を望むかという設問に対し、現金を希望する人の割合が全体で36%に上ることである(図3)。ちなみに、よく利用するキャッシュレス手段があると答えた人の20%近くが、また、キャッシュレス手段を利用しないと答えた人の60%以上が、現金の支払いを望んでいる状況となっている。

図3 現金利用の希望

 特に世帯年収が低いほど現金支払い希望が多く、年収200万円未満の層では現金を希望する人が5割を超え、年収1,000万円以上の層は6割以上がクレジットカード支払いを希望するのと対照的である(図4)。

図4 世帯年収別の現金及びクレジットカード支払い希望率

(注) 「支払い希望率」は、「商品やサービスの購入時の支払い手段について、あなたの考えにあて はまるものを1つ選んでください」という設問に、「現金で支払いたい」、「クレジットカードで 支払いたい」、「デビットカードで支払いたい」、「電子マネーで支払いたい」、「上記以外の方法で支払いたい」、「わからない」の中から回答を得て、各手段の割合を算出したものであり、本図は希望率の高かった「現金」、「クレジットカード」のみグラフ化したもの。

 現金支払いを希望する人に理由をたずねると、お金の使いすぎへの懸念やセキュリティの不安、現金以外で支払う必要性を感じないといったものが上位に挙がる(表4)。

 こうした結果から、日本人の現金嗜好はいまだ根強いことが伺われる。これは、日本の治安の良さや現金流通システムの発達といった側面と合わせてしばしば指摘されてきたことである。しかし、所得階層が低いほどその傾向が強いという点は、後払い方式のクレジットカード決済では金銭感覚がルーズになる心配が大きいことや、キャッシュレスサービスにセキュリティ面の不安が拭えないことなどを考えれば、合理的な判断が働いているといえる。いろいろな人の懸念を解消し、ニーズが満たされて初めて、キャッシュレス化への移行が可能となることを示しているといえるだろう。

表4 現金支払い希望理由

(注) 「現金支払い希望理由」は、「商品やサービスの購入時の支払い手段について、あなたの考えにあてはまるものを1つ選んでください」という設問に、「できるだけ現金で支払いたい」と回答した人を対象とし、その回答理由をたずねたもの(アンケート回答者の36%である、1080人を対象)。同設問は複数選択可能。

ポイント還元には逆進的傾向も

 現金支払いにこだわることにある種の妥当性が見受けられる一方、キャッシュレス決済が消費者にとってメリットをもたらすのも事実だ。分かりやすいのがポイント還元だろう。日本のキャッシュレス決済は様々なポイントサービスを提供している。ポイントサービスはキャッシュレス決済に付随することが多いため、キャッシュレス決済を使う人ほどポイントサービスを利用するといった因果関係を示すのは難しい。しかし、両者の親和性は高く(参考図表2)、社会経済的に余裕がある層がクレジットカード等を利用しながらポイントサービスの恩恵も受けている。ポイント還元に逆進的傾向があることも配慮する必要があろう。

2.正確な実態の把握と利用者視点の施策を

 日本政府はオリンピック・パラリンピックが開催される2020年を意識してキャッシュレス推進を急務とし、民間事業者などもキャッシュレス決済の導入に躍起になっている。しかし、キャッシュレス化は、各国間、横並びで進展しているわけではなく、普及している決済手段も一様ではない。例えば、スウェーデンでは銀行間の送金ネットワークSwish、中国ではアリペイ、WeChatPayなどが普及しているなど、国によって状況は大きく異なることに留意が必要だ(コラム1、2)。

 今回の調査分析結果から示唆されるのは、利用者の所得水準、住んでいる地域、年齢、雇用形態などで、キャッシュレス決済の普及状況は異なっていることである。したがって、利用者の視点を踏まえ、ニーズに合ったキャッシュレスサービスの展開を実現すると同時に、所得や地域等の違いにかかわらず、できるだけ多くの人がキャッシュレス化のメリットを享受できるようにすることを基本に据えて、各種の方策を実施していくべきである。以下、具体的にみていこう。

消費者の行動の実態調査が必要

 まず、日本の決済に関する実態を精緻に把握することが望まれる。政府は、キャッシュレス化の現状を調査し、誰がキャッシュレス決済を利用できていないのか、実態を把握する必要がある。また、これを定点的に観測することによって、キャッシュレス化推進政策の政策評価を行い、その手法の改善を継続すべきである。先述したアンケート調査結果が示すように、日本ではいまだに現金嗜好が強く、低所得層、非正規社員、低学歴層、そして若年層でのキャッシュレス化が浸透していない。国内のキャッシュレス決済手段の中心がクレジットカードであるため、社会経済的に立場の弱い人が使いづらく、逆進的な利用になっている可能性がある。クレジットカードだけに偏ることなく、国民全員がキャッシュレス決済を利用できること、また、利用を推進するための動機付けとなる制度・対策などが必要だ。

公的サービスのキャッシュレス化は必須

 次に、多くの人に利便性を実感してもらうには、誰もが使う公的サービスに対する支払いのキャッシュレス化を積極的に展開していくことが重要である。地方自治体では、郵便局の定額小為替といった送金手段の利用をまだ要請している例もある。身近な郵便や医療・介護サービスの決済で現金が主流であることは、国民全体のキャッシュレス化のインセンティブが高まらない一因ではないだろうか。交通系プリペイドカードは速さや効率性を体感する便利なキャッシュレス手段であるが、地方での導入や汎用性の程度はまちまちだ。国や地方自治体、郵便局、交通機関、医療機関、教育機関等が率先してキャッシュレス化することが、国民がその利便性を実感するとともに、キャッシュレスの地域差を埋める施策にもなる。

インターオペラビリティの高い個人間送金サービスの確立

 個人間送金のキャッシュレスサービスの確立も重要だ。現在、LINE Pay等のサービスにより個人間小口送金を行うことができるものの、まだ広く普及するに至っていない。また、銀行による新たなデジタル通貨も発行される動きもある。ただ、個別に送金サービスが乱立、分断するのは利用者にとっては利便性が低い可能性もある。利用者からみれば、付加価値分野では事業者間の「競争」の促進が期待されるが、同時に社会インフラとしてのインターオペラビリティの高い個人間送金システム構築やマネーロンダリング対策としての個人認証制度の確立は「協調」するといった対応が事業者に望まれる。コラム1のSwishの例にあるように、個人間送金システム構築の1つのカギは、携帯電話番号、口座番号、ID番号を紐づけるといった仕組み(Central Addressing)の構築であろう。会合費用の割り勘、友人間、家族間などの小口送金が簡単に行える、多くの人が活用しインターオペラビリティがあって、圧倒的に低コストかつセキュリティが高く安心・安全な送金手段の早期の構築・普及が望まれる。

高齢者などへの金融リテラシー教育も

 さらに、キャッシュレス決済になじみのない者でも利便性が享受できるよう、ITや金融リテラシーの教育を普及することも不可欠だ。高齢者が新しくキャッシュレス決済の利用を始めるのはハードルが高い。スマートフォンなどを使った新しい決済手段の利用を分かりやすく促すサービスや学習機会の提供が必要となる。また、親子で使えるサービスが普及するようになれば、子どもに対しても、親とともに現金を使わないお金の管理方法を学ぶプログラムが提供されることが期待される。

データを活用した、付加価値の高いサービスの実現

 「はじめに」で指摘したように、「データ」の利活用は、特に最近IT事業者やフィンテック企業などが力を入れている部分である。決済に紐づいた個人データを活用したサービスを納得して利用者に活用してもらうには、セキュリティが高く、一層ユーザー・フレンドリーなサービスが提供されていく必要がある。現在、新しい様々なフィンテックサービスが登場し競争が激化しているが、規制の見直し、緩和をスピーディーに実現していくことにより、付加価値の高いサービスが次々と提供され、利用者がその恩恵を実感できるようにすべきだ。

マイナンバーの一層の活用も視野に

 データ利活用の進め方については、より発展的な視点での議論も必要であろう。特に医療や介護など公的サービスの利用については、エストニアで実現しているように、個人認証も兼ねるマイナンバーとの紐づけを進めて利便性を高めることが期待されている注9。そもそも日本のマイナンバーカードの交付率は、11.5%にとどまっている。医療や介護などの公的サービス利用と決済を電子化するインフラとして、様々な公的サービスや民間サービスにおけるマイナンバー活用を、オープンAPIなどを通じてキャッシュレス化とどう連携していくかも、一つの重要な検討課題であろう。

 できるだけ多くの人がキャッシュレス決済を利用しやすい社会を実現していくにあたり様々な課題がある。これらを解決するには、民間企業の様々な付加価値の高いサービスが提供されていくとともに、政府サイドも国民のキャッシュレス決済の活用実態を踏まえ、多面的できめ細かい政策を推進し、キャッシュレス化を契機に利便性の高いデータ利活用社会を構築していく必要があるといえるだろう。

コラム1 スウェーデンのキャッシュレス事例- Swish(注7)

 「Swish」は、スマートフォン上で個人間小口送金を行うために、2012年に開発された送金サービスである。Swishのアプリを使うと、相手先の電話番号を入力するだけで送金することが可能となる。その高い利便性から国内で急速に普及し、現在では、スウェーデンの人口約1,000万人に対し、Swishのプライベートユーザー数は670万人に上る(2019年1月23日時点)。

 このようにSwishによる個人間の決済を可能にしたのは、「Mobile BankID」とよばれるモバイル版の電子IDが2011年に開発され、それによって個人を特定することができるためだ。それまでは、チップの入ったカードやダウンロードしたファイルを使った「BankID」という電子IDが利用されていた。この電子IDは、2003年に、スウェーデンの複数の大手銀行が「Finansiell ID-Teknik BID AB」というコンソーシアムを形成し、共同で開発したものであった。その後、モバイル版が開発されたおかげで、加盟銀行に口座をもつ人の間では送金がリアルタイムでできるようになり、eコマース決済サービスなど、様々なサービスが生まれている。

 そもそもスウェーデンで、このように民間企業が、パーソナルナンバーという公的な情報を扱うようになったのは、パーソナルナンバーを含んだIDカードの発行を、銀行などの民間セクターも行っていたためだ。その後、2001年にIDカードから電子IDに移行する際も、多くの国民がIDカードを銀行などで既に活用していたため、銀行などによる提供が認められた。

 今では、携帯電話を保有している人の90%が「Mobile BankID」を使っているとされる(ただし、20~40歳)。税の確定申告、病院関連の手続き、市町村の行政手続き、契約など、官民のサービスの様々な電子的な手続きの場面で利用され、利便性の向上に一役買っている。また、最近ではキャッシュレス決済の普及に起因して、現金流通が極端に減少しているため、紙幣に代わる電子通貨e-kronaを中央銀行が発行すべきとの議論もあり、検討が重ねられている。

コラム2 中国のキャッシュレス事例-アリペイと芝麻信用

 中国ではフィンテックサービスをはじめとする、新しいICTサービスが急速に発展しており、特にモバイル決済においては支付宝(アリペイ)と微信支付(WeChat Pay)の普及が目覚ましい。これらはQRコードを利用したシステムであり、小売店の導入・ランニングコストの低いことなどから、短期間で利用が拡大した。個人間送金も可能である。

 中でも、アリペイは中国のインターネット通販大手であるアリババの子会社が提供するプラットフォームであるが、アリババグループの芝麻信用は人工知能(AI)などの先端技術を用いたデータ解析によって個人の信用評価を行っている。身分特質(年齢や学歴)、履行能力(資産や過去の支払い状況)、信用歴史(クレジット・取引履歴)、人脈関係(交友関係や相手の身分)、行為偏好(消費の特徴)の領域でそれぞれスコア化を行い、個人の信用状況を評価する。そして、その信用スコアが高ければ金融ローンの優遇やレンタルサービスの保証金の免除が受けられるというのが、このサービスの特徴である。信用スコアを導入することで、不正防止やマナー向上といった社会的便益が期待される一方、データの集約や利用が個人のプライバシー侵害にあたるとの懸念もある注8

参考図表1 ロジスティック回帰分析結果

(注1) 日常的に各決済手段を「よく利用する」か否かを被説明変数として、個人の属性に回帰したロジスティック回帰分析の推定結果である。
(注2) 推定で使用する全ての変数を備えた標本数は2,486。各説明変数の上段の数値は平均での評価値を示す限界効果で、説明変数が変化したときにそのキャッシュレス手段の利用確率がどの程度変化するかを見ている。年齢は表2で用いたカテゴリー変数。大都市圏ダミーは3大都市圏(東京都、千葉県、埼玉県、神奈川県、愛知県、大阪府、兵庫県、京都府)を1、他を0としたダ ミー変数。世帯所得は図1および図4で用いたカテゴリー変数。就業状態は非就業者を基準として、その他の就業状態をダミー変数で入れた。最終学歴は中学卒、高校卒、短大・専門学校卒、大学卒、大学院卒の5段階のカテゴリー変数。銀行・ATMまでの移動時間は、「利用しない」を除く、0~5分、5~10分、10~30分、30~60分、60分以上の5段階のカテゴリー変数。毎日の情報取得源数は、新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、インターネット、Eメール・SMS、友人や同僚との会話のうち、情報を毎日得ている情報源の数。活動性スコア、共感性スコア、進取性スコアは、柳井・柏木・国生(1987)の新性格検査を基に作成したものであり、各性格を捉える質問項目の回答を得点化し、その合計を算出した。絶対的リスク回避度は、スピードくじの購入に関する質問と保険加入に関する質問の回答から、利得局面でのリスク回避度と損失局面でのリスク回避度をそれぞれ算出した。青枠の部分を見ると、本文で述べた通り、年齢はフィンテック決済やデビットカードの利用と負の関係、所得や最終学歴はキャッシュレス全体やクレジットカード、プリペイド式電子マネーの利用と正の関係にある。括弧内は都道府県でクラスタリングした頑健な標準誤差。***p値<0.01、**p値<0.05、*p値<0.1。

参考図表2 ポイント利用の最小二乗(OLS)推定結果

(注) 標本数は2,486。表2と同様に各キャッシュレス手段やポイントサービスを「日常的に使っているか」、「3年前に日常的に使っていたか」という設問を使い、「全く利用しない」を1、「よく利用している」を4とした4段階のカテゴリ変数で利用頻度を見ている。3年前の変化は、被説明変数と説明変数それぞれについて、現在の利用頻度と3年前の利用頻度の差をとっている。3年前は「全く利用しなかった」が現在は「よく利用している」場合、利用頻度が3段階上がったことになる。表中の説明変数のほか、参考図表1の説明変数を全てコントロール変数として用いた。括弧内は都道府県でクラスタリングした頑健な標準誤差。***p値<0.01、**p値<0.05、*p値<0.1。

翁百合(おきな ゆり)

NIRA総合研究開発機構理事、日本総合研究所理事長。未来投資会議・構造改革徹底推進会合「健康・医療・介護」会合会長、金融審議会委員、税制調査会委員等も務める。

引用を行う際には、以下を参考に出典の明記をお願いいたします。
(出典)翁百合(2021)「キャッシュレス社会に向けて何をすべきか」NIRAオピニオンペーパーNo.42

脚注
1 ちなみに、経済産業省の委託調査として野村総合研究所が小売流通業など575社に実施したアンケート調査によれば、レジ現金残高の確認作業に1店舗1日あたり平均値で153分、中央値で30分の時間が費やされている(2018年2月18日経済産業省キャッシュレス検討会発表資料 6ページ参照)。また、国立印刷局の人員は2018年1月1日段階で、全体で4,525人存在する。平成29事業年度の銀行券等事業にかかる年間人件費は279億円と多額になっている。
2 Google、Apple、Facebook、Amazon.comの略称
3 詳しくは、「NIRA総研 キャッシュレス決済実態調査」(NIRA研究報告書、2018年9月)を参照。
4 本試算は、アンケート調査から得られた世帯年収階層別のキャッシュレス決済比率を、『全国消費実態調査』の品目分類ごとの世帯年収別平均購入金額に乗じて算出した。
5 調査では回答者に対し、前年の世帯全員の給料、年金、その他すべての年収を合わせた額をたずねている。
6 2017年4月、JR西日本は「大聖寺駅」(石川県)からあいの風とやま鉄道「越中宮崎駅」(富山県)の区間でICOCAサービスの利用を開始した(Suica等の全国相互利用対象IC乗車券も利用可能)。2018年春には、富山、石川県で39店を展開する食品スーパー「大阪屋ショップ」では電子マネー(楽天Edy)の利用が可能となり、10月には、石川県加賀市の山代温泉通り商店街で訪日外国人の消費を促すため、20店舗で一斉にキャッシュレス決済の利用を開始した。
7 “Swish”2019年1月24日アクセス, “BankIDe-le gitimation”,2019年1月24日アクセス, iDABC(2007) “NATIONAL PROFILE SWEDEN”,Sveriges Riksbank(2018) “The Riksbank’s e-krona project”などを参照。
8 総務省「平成30年版 情報通信白書」を参照。
9 エストニアの電子政府については、詳しくは翁百合「ブロックチェーンは社会をどう変えるか」(NIRAオピニオンペーパーNo.26,2016年12月)を参照。

©公益財団法人NIRA総合研究開発機構
発行人:牛尾治朗
※本誌に関するご感想・ご意見をお寄せください。E-mail:info@nira.or.jp

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